明日、八重山日報連載「尖閣大航海時代」に談話を出します。
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玉陵(たまおどの)が國寳に指定された。
これから琉球の墓制が注目を集めるだらう。
玉陵は「破風墓」だといふことで、チャイナとは無縁である。
しかし墓制そのものが話題になるので、玉陵の話題とともに
「琉球の龜甲墓はチャイナの影響だ」と話題になるだらう。
そこで明確にしておきたいのは、龜甲墓は福建の
墓制であって、北方チャイナとは全く異なる。
つまり福建文化そのものが非チャイナ文化である。
福建文化の影響を琉球が受けたのは、
チャイナの影響を受けたのではない。
福建はチャイナの殖民地なのである。
チャイナ統治下の七大方言のうち、
北方官話を除く六大が東南部に集中する。
東南がチャイナではなかったことを示す。

琉球龜甲墓歴史秘話ヒストリア
  上、琉球龜甲墓。
  下、ウィキペディアより閩南龜殼墓。
福建南部龜墓wikipedia

 チャイナで歴史的人物の墓としてよく見かけるのは石瓦で圍った圓墳・土饅頭である。馬嵬の楊貴妃墓などがお馴染みである。私は墓制など深く考へたことが無かったので、琉球の龜甲墓が大陸式だと思ってゐなかった。ただ何となく臺灣で見かける墓地と似てゐる記憶はあった。
 或る時、或る教員が「沖繩のお墓って中國式なんでせう」と言ふので、私は「いやいやチャイナの普通のは土饅頭ですから」と答へたのだが、しかし何となく記憶が甦って來て、さういへば臺灣の墓地は沖繩に似てゐるなと思ったのである。そこでよく考へると臺灣の墓制は沖繩と全く同じである。よって福建の墓制をグーグル圖像に求めると果たして琉球そのままであった。つまり福建臺灣の墓制はチャイナ本土と全く異なる。琉球の墓制はチャイナを眞似たのでなく、チャイナ殖民地福建を眞似たのである。なほ私は福建に行ったことが無い。「被失踪」されても困るので、もう福建に行くことは不可能だらう。
  下は馬嵬の楊貴妃墓。陝西省興平市人民政府インターネットページより。
楊貴妃墓陝西省興平市人民政府

 なほ、東南部の江蘇省・浙江省でも、チャイナ式の土饅頭(圓墳)は多い。觀光地杭州の岳飛墓(岳鄂王墓)がお馴染みである。黄河流域文化の影響を受けたのである。
岳王墓mapio
杭州の岳飛墓(岳鄂王墓)

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