「日本のエリート学生が「中国の論理」に染まっていたことへの危機感
行き過ぎた政治タブー化の副作用」
阿古 智子 東京大学大学院准教授 gendai  ismedia 
曰く、
「江戸時代に琉球が幕藩体制に巻き込まれていった経緯や、明治期の学校教育の普及の方法などを見れば、日本が近代国家を形成する中で沖縄を「同化」したと捉えることができるのだろう。」
「過去と現在、未来のさまざまな文化的要素が交錯する中で、アイデンティティは複雑に形成される」
「学生たちが打ち出した極端に単純化されたロジックは、複雑な現実を反映しておらず、」


 ちょっと、待って欲しい。琉球が日本に屬することは複雜なのか。複雜であるならば、琉球は日本でなかったのに同化させられたとする主張にも一理ありとなるではないか。史實は、複雜ではない。「極端に單純」である。以下、要點のみ。

1、「幕藩體制に捲き込まれた」とは、甲、次第に江戸幕藩統治が滲透した意か、それとも乙、幕藩統治が侵掠であり、獨立琉球を無理に捲き込んだ意か。
 甲、次第に滲透したとするなら、それは戰國安土桃山までであって、江戸幕藩體制では慶長14年(西暦1609年)に早くも明確に薩摩の統治下に這入ったので、史實に合はない。しかも薩摩はすぐに檢地を實施し、やや後の禁教令も徹底してゐた。禁教令などの統治が緩やかになったのは、元禄期に全國統治が安定して以後である。琉球だけでなく、全國で緩やかになった。次第に捲き込んだのではない。
 乙、獨立に對する侵掠を指すならば基準は何か。1609年は大阪の陣よりも前であるから、日本の完全統一よりも以前である。戰國諸侯は全てほぼ獨立であり、琉球だけではない。琉球も完全な獨立ではなく、戰國時代から薩摩等がかなりの程度まで琉球の政權に影響力を行使してゐた。琉球だけが獨立だったといふ基準は成り立たない。侵掠されたとするならば諸侯すべて侵掠されたのは同じ。單純に否定される。
http://senkaku.blog.jp/2017030469722675.html

2、さまざまな文化的要素が交錯とは、交錯する中に主となる文化が無かったやうに見える。それは單純に誤認である。文化の中心は言語・人種であるが、琉球語は單純に日本語である。人種は繩文人種を主として、彌生人種もかなり含まれる。

3、主となる文化以外に、風俗等を舉げるならば、福建の風俗が含まれる。例へば琉球の墓制は福建とほぼ同じだが、中原とは全く異なる。つまり福建の風俗そのものが非チャイナ文化である。逆に日本の他地域こそ彌生以來、長江文明の風俗を多く含んでゐて、琉球よりも甚だしい。文章を舉げるならば、琉球よりも日本の他地域の方が漢文が盛行した。

4、地理概念。琉球では日本側が國頭(くにがみ)、南側が島尻であり、日本を「本土」「内地」とする概念は古來一貫してゐる。平安京を「上方」(かみがた)とする概念と單純に同じである。しかも琉球風水もチャイナを外としてゐる。

5、統治。薩摩は琉球を統治したが、チャイナは琉球を統治しなかった。百對ゼロ。單純である。但し封建時代であって、中央集權ではないから、薩摩の統治は緩やかであった。三百諸侯に於ける封建制の緩やかさは大差ない。幕藩制とは半獨立制である。だから薩摩長洲は幕末に歐米に對して國家的交戰權まで行使した。琉球だけではない。

6、一方、チャイナでは上述のやうに福建など東南文化はそもそもチャイナ文化ではなく、チャイナ殖民地である。まして現代でも少數民族として分類される民族(滿蒙囘藏など)は、チャイナと無縁の文化である。單純である。

7、華夷秩序なるものは存在しない。華夷形式はある。チャイナの華夷秩序は滿蒙囘藏など内陸側だけであり、海側には華夷形式だけしかない。兩者は全く異なる。單純である。複雜ではない。

實の處、上記の著者は本音では琉球は獨立だったと思ってゐるのだらう。それをごまかして複雜と言ってみただけだらう。


阿古智子gendai


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