漢文は死語ではなく、私は漢文で論文を書いてますが、何はともあれ、全文轉載。
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二十一世紀の漢文-死語の将来- 7(Kanbun for the XXIst Century ―The Future of Dead Languages― )

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(承前)
http://senkaku.blog.jp/2018100677771689.html

其の三

これからの漢文のために

 先の二章に渡って、漢文は独立した、異常な現象でなく、ユーラシア全体に普及されている「聖語制」の一面 であることと、漢字文化圏の諸国語のためにも漢文の勉強はまだまだ無意味な勉強になっていないことを明らかにしようとした。
  これから、東アジアの新しい社会条件と新技術がもたらした情報交換手段をどのように生かして、より有意義な漢文教育と漢文文化を発展させることができるかという問題を考えてみたい。
  先ず漢文教育をより面白くして、文法分析を漸進し、国内・国際の学校間の交流を推進する。
  二十一世紀の漢文の新しい生命力の秘訣を一言で括ろうとすれば、「国際交流」という言葉を使いたい。漢文というのは東亜諸国のそれぞれの文化遺産になっていることは繰り返すまでもない。国によって多少条件が異なるが、それぞれの国語の根本的な要素としてこれから消滅する心配はないと思われるが、これは消極的な勉強の態度と言わなければならない。既成の文化を守って伝えるだけの課題とする教育である。これを積極的、活動的な教育に変えて、一つの国の文化の枠を超えて、国と国の間の繋がりを重んずる文化活動にすることが重要である。
  一九九九年の秋ごろ、テレビのニュースで次の報告を聞いたことがある。日本の文部省が日本の教育方法を三 つの課題を中心にして改革する方向を示したいという報告であった。その課題が一つに教育水準の向上、二つ目に国際交流の発展、三つ目に現代情報手段の利用の三つであった。まったく偶然であったが、これから述べたいと思う漢文教育についての提案は文部省の一般教育に関する提案と全く一致するものである。
  パリで日本漢文入門講座を担当して十五年以上、フランス人だけでなく、韓国、ベトナム系の学生を相手にす ることもしばしばある。漢字に疎いベトナム人の学生たちが、日本語とベトナム語の音読があまりにも違うので、説明しない限り、例えば日本語の「ジンミン」がベトナム語のnhan danと等しく「人民」という漢字の音読であ ることが分からないが、教えられると新世界を発見したように喜ぶ。日本で行われる漢文の授業でも、旧仮名使いを説明する時、生徒の年齢が許す場合、漢字文化圏の諸言語と比較して見れば旧仮名使いの価値が分かってくるのであろう。たとえば同じ「法」であっても、呉音の書き方「ホフ」が、現代韓国語の「ポップ」に相応するが、漢音の「ハフ」がベトナム語の「ファップ」と呼応しているものである。「業」も呉音の「ゴフ」の場合韓国の「オップ」と変わらない、漢音の「ゲフ」がベトナム語の「ンギエップ」(nghiep)に当ることを生徒に注意させると、東亜の国々に対する親近感が強くなると同時に、旧仮名使いの具体的な背景を学ぶのである。
  最初の一、二年の間、普通の訓読と返点に依る教育を行えばよいが、漢文の原文に親しむのにもっと有効な方 法があるのではなかろうか。前にも述べた様に、日本語そのもののために、漢文の訓読みは文語体(漢文調子文)の文学の鍵としてなかなか捨てられないものである。「平家物語」や「方丈記」を正しく理解するのに、伝統的 な漢文訓読の習得は一番よい準備勉強に決まっている。また、ベトナム語と違って、漢文を声に出して読むと、音読だけに依れば理解性が非常に低いので(北京語の場合もそう言えるが、日本語の方がもっとわかりにくい)、やはり訓読が漢文を日本語化するのに不可欠の手段としてこれからも長く残るであろう。日本人にとって漢文=訓読という勉強法を変える必要はない。また平安時代に行われたような、意訳に近い訓読を発展させるのも難しい。意訳というのは個人的な創造活動なので一人の意訳を教科書を通じて全国の中高学生に押し付けるのも不可能であろう。漢文調子が完成された日本語の一文体として成り立った表現手段である限り、それを尊重しながら生かす方法を探さなければならない。
  ここであいにく今は絶版となった安達忠夫氏の玉書「素読のすすめ」の説を少し取り上げたいと思う。氏は漢 文教育、なかんずく子供向きの漢文教育における音読み訓読み並読法を、説得力のある言葉で唱える。もし漢文の習得を受動的な読書力に止まらず、活動的な作文力の程度にまで進めようとすれば、安達氏の強調するような並読法も第一条件だと強調したい。音読を唱えたり暗唱したりすることによって、訓読の段階以前の文言の構造を記憶に刻むという大事な役割を果たせるからである。音読、すなわち漢文の白文を頭に入れておけば、初めて訓読の方を文法的に分析することが可能になる。ただし私としては安達氏が勧めるように、素読という方法を他に生きている現代語の学習に普及させる必要性は非常に疑わしく思える。むしろこの話の主題である「聖語」の勉強に限るものとして活用させる方が効果的である。中国語、英語などのように、会話力を中心とする現代外国語を身につけるためならば、素読はさほど役に立たないと言わなければならない。三カ月の現地滞在が学校で行う三年間の勉強よりも効果的だといっても過言ではない。それに対して、読書と作文を中心とするはずの古代語(聖語)には音読が基礎的で重要な勉強法である。漢文には母国語の話手を見つけることが出来ないので、講師の代わりになりうるのは原文だけである。故に素読によってなるべく多くの基礎句形を覚えなければならない。
  そこで訓読みに新しい意味が与えられる。それは原文の文法的理解を強める役割である。例えば、訓読みを口にする前に、音読した原文を文法的に説明すれば、主語、補語、副詞、動詞がどこにあるかと皆で探して、どんな字に「ヲ」をつけて、どんな字に「ス」か「スル」などがつくかと決めたりするのは教室全体の練習になるわけである。部分否定、使役形、受動なども細かく説明しなければならない。生徒の程度が比較的上級ならば、場合によって意訳の試みを普通の訓読みに並行して行うと授業が面白くなる。
  音読み訓読み並読法によって、伝統的な訓読が保たれていながら、生徒の漢字知識の水準も高まり、文語体の 理解力も強まり、現在ほとんどなくなった漢文作文力も復興されるという、国語教育にも多方面における効果が生まれる。
  戦後の漢文教育で行われていたように、学校で読ませる文章は当然中国の古典を中心として、同時 に必読文章の範囲を広げれば日本の漢文文学も見直せるだけでなく、中国以外の東亜文学にも新しい発展の窓が開ける。時々韓国かベトナムの漢文文学から漢詩一、二首を選んで読ませると、今、相互交流の不自由な現代語の境を超えて、共通な遺産の存在を意識できるのである。
  また、中国における文学の表現手段としての漢文(文言)は二〇世紀初期までその生命を保ってきた。欧州文 学がその晩期の漢文(文言)文学に影響を及ぼしている。一九世紀の終から二〇世紀の初めにかけて、翻訳だけでなく創造的な新文学が開花したが、もっとも現在においても漢文(文言)文学専門家にほとんど無視されている。なかには恋愛小説、冒険小説、推理小説にも、漢文で書かれた「大衆文学」と呼べる作品等がある。高校三年または大学程度の授業ではまだ訓読されたことのない清朝末期、又は共和国初期の漢文の推理短編を選んで、一学期でも音読み、文法分析、訓読み、現代日本語訳の四つの段階を経て創造的な勉強が進められたら、既成古典文章とは違う、新しい味の漢文講座が生まれるのではないかと思う。またそれを共同の作品としてインターネットか大学雑誌で公開すれば、いまだ研究されていない中国文学の一分野が少しずつ再考されるようになる。
  ここで、この練習の一例として、一九一五年の天白という筆名の作家(詳細不明)の推理短編小説の冒頭の数 行を私の訓読と現代語訳を加えながら挙げておこう。非常に単純な書き下しであるが、漢文専門家の皆様の添削を待ちながら、臨時な提案としてここに載せることにする。

東方之亜森羅萍

(東洋のアルセヌ・ルパン)
『清末民初小説書系・偵探巻』ヨリ(一九七頁)

一夜、天陰如墨。
東長安街上、萬戸沈沈、悉入夢境。
街燈暗淡、亦似含倦意。燈柱下矗立一警士、森如石人。
忽聞機聲軋軋、一摩托車電掣風馳、穿横街而過。
警士略挙首、微作噫気、旋就燈光下出時計諦視之、長針已指一點四十五分。
倦瘁之容、立欣欣有愉色。
蓋知再閲一刻鍾、即可下直尋好夢也。
(できる限り、略字の原文を旧字に直した。原則として、文言の文章を新字で印刷するのはまったく不条理である。)

[訓読み](便宜の為、ここでも漢語を新仮名使いで書くことにした)
イチヤ、テンのくらきことすみのごときなり。
トウチョウアンガイジョウ、バンコチンチンにして、ごとごとくボウケイ(ムキョウ)にいれり。
ガイトウアンタンにして、またケンイをふくむににたり。
トウチュウのもとにイチケイシチクリツして、シンなるはセキジンのごとし。
たちまちにキセイのアツアツきこゆるに、イチモーターシャデンテツーフウチし、オウガイをセンしてすぎぬ。
ケイシほぼかうべをあげて、かすかにイキをなし、トウコウのもとにめぐりついて、とけい(シケイ)をいだし てこれをテイシするに、チョウシンすでにイッテンシジュウゴフンをさす。
ケンソツのヨウ、ただちにキンキンとしてユショクあり。
けだししる、ふたたびイッコクショウふれば、すなはちカチョクしてコウボウ(コウム)をたずぬべきことを。

[現代語訳]
空が墨の様に暗かったある夜のことであった。
東長安通りに、家々は皆静かであり、住む人もぐっすりと寝付いていた。
街灯の薄暗い光もいかにも倦怠そうに見えていた。
灯柱の下に、ひとりの警官がぽつんと立っていて、立像の様にしんとしていた。
突然、ガーガーの音で、一台の車が稲妻の様に横町を通り抜けて行った。
警官は少し頭を挙げて、軽くため息をついた。街灯の下にたどりついて、時計をだしてよくよく見たら、長い針がもう一時四十五分を指していた。
彼の疲労の様子は直ぐ様愉快の色を見せた。
思うに、あと十五分したら、当直が終わって、やっと楽しい夢が見られることを知ったからだった。

 音読みにはあらためて重点を置くことと、文章の範囲を広げること以外、今までの漢文教育法を変えない方がよいと思うが、実は新しい方法をインターネットの使用に求めなければならない。最近、関連のものをよく読むことがあるが、もし中国の現代化、特にインターネットの発達率が今日のリズムで続くならば、これから数年すれば、インターネットで一番使われる言葉は英語でなくなり、中国語になるそうである。数年先の事情を予想しようとすると、鬼は数倍ぐらい笑うであろうが、仮にそういう可能性さえあるとすれば、インターネットがアルファベットでなく、漢字に支配されることになるという意味である。多くの西洋人の言語学者と社会学者の観点からは、こういう発展が彼等の決め込んだ現代世界の方向に反するものとして憤慨されるかも知れないが、漢字文化圏のためには思わぬ好機会である。
  余談になるが、これを因みに最近気になったことについて一言述べたい。フランスのテレビで、日本で行われた世界ドミノ大会の中継を少し見たことがある。中国人、韓国人、日本人が一組みとなって、オランダ人の作ったドミノ倒しの世界記録を破ろうとしていた。漢字文化圏の三大国が集まったところに、共通表記法は言うまでもなく漢字であろうと期待して見たが、漢字は一つも見当たらない。大見出し、応援、スローガンなどは皆英語であった、しかもそれは誰でもわかるような、幼稚な英語であった。その大会の目的がオランダ人の記録を破ることであったので、東亜以外のテレビ観客に対する思いやりから英語表記を設けたのは大変いいことだが、いったいなぜ東亜三国の特別な文化関係を象徴する漢字を一つも見せなかったのであろうか。英米人を笑わせるような幼稚園向けの英語の傍に、なぜ普通の漢字を並べなかったか分からない。「ドミノ」に当たる漢字がないと弁解する人もいようが、「骨牌」か「牙牌」を使えばいいと思う。三カ国の代表者が前もって集まって「ドミノ」の漢字訳を相談で決めたら、漢字文化圏の未来の推進力の兆しになっていたであろう。これほどの素晴しい機会を見逃したのは遺憾としか思えない。
  余談はさておいて、インターネットと漢文教育の話にもどる。早くから、漢文を一年間ぐらい勉強した後で、ある学校の漢文教室が中国、台湾、韓国の同じ学年の学校の漢文の生徒とインターネットで連絡し合い、週に一回ぐらい三ヵ国間の漢文「会話」を行えば、漢文の生徒は想像もしなかった漢文を活躍させる手段を見つけて、漢文に対する興味が深まるのではないだろうか。昔中国に渡った日本人が漢文で筆談して普通の他国の旅行者よりその国の事情に関する深い理解を得られたように、インターネット(中国語で因特網というが)で「網談」(ネットでの対話)を学校時代から進めると、活動的な漢文の実力が普段の勉強より早く身につくであろう。
  そこで、日本人は必ずこういう反論をする。日本人の漢文が中国人、韓国人の漢文より劣っていて、「和臭漢文」か「変体漢文」という程度の文しか作れない、と。その謙遜に満ちた態度も結構であるが、それを支えている理屈が成り立たない。では日本人の漢文が駄目なら英語で言ってみる。日本人の英語が完璧だということを意味するのであろうか。いな、ならば、どうして英語で許されていることを漢文でしないのであろうか。思うに、その意見の裏には漢文に対する深い尊敬と理想が潜在している。英語ならば情報交換が第一であるから、正確な文法や洗練された文体は二の次の問題になる。漢文ならば、書けること自体はその人の学問の深さの証拠になる。そういう文体では内容より形が重んじられることは、戦前の日本漢文教科書に載せられる美文の抜粋を一瞥してすぐ分かる。高等学校、大学程度で漢文の作文はまず簡単にして正確な文章を第一にしなければならない。句形、 即ち構造をしっかりと習得して、簡単な語彙をもってその句形を生かすことを作文の目的にしなければならない。なるべく多くの難しい漢字をみだりに使うことを避けなければならない。吉川幸次郎先生が指摘なさるように、「論語」の使用字数が一五一二字しかないので、常用漢字より少ないということを顧みると、孔子の諸弟子と競争する必要は全くない。もう一つの例を挙げれば、平安時代の有名な漢文日記、藤原道長『御堂関白記』では、それをフランス語に翻訳したフランシーヌ・エラーユ先生に依ると、千四百字しか使われていない。インターネットの「網談」でもその数ぐらいの漢字を使って、文法的構造さえしっかり把握しておけば充分である。
  インターネットで東亜の学校を漢文の筆談で結ぼうという提案であるが、ここで断わって置きたいことがある。原則として、インターネットは教室の枠内ではなるべく使わない方がいいと思う。特に漢文教育の場合、文章と作文を中心とする伝統的な教え方が重要である。インターネットの使用はなるべくクラブ活動にした方が効果的ではないかと思う。そういう「網談」に参加する生徒が実際に興味がなければ、退屈な宿題になる恐れがあるから、自分から進んで学校と大学ごとに「漢文クラブ」を作った方が勉強よりも、娯楽に近い活動になりうる。漢文の指導教授がクラブに参加しても、その役割は言葉の指導に限るだけでいい。ただ、インターネットで行われた漢文の筆談をプリントして、漢文教室でほかの生徒と一緒に読んでも差し支えはない。
  インターネットを上手に生かすことに依って、日本だけでなく一般の漢字文化圏諸国に久しく忘れられていた国際言語としての漢文の役割が再発見されることとなる。

漢文文学賞の設立

 「日本文学賞事典」数版を調べてみたが、日本で設けられた数多い文学賞の中には、特別に漢詩か漢文の作家に賞を与えるものが毫もないことが分かって驚愕した。文学賞大国である日本では漢文で書かれる文章が全く無視されることを明白に証明している。
  今日では、漢文を用いる文学的表現として、ある程度の生命力を保ってきたのはおそらく漢詩だけである。日本の仏教月刊誌『大法輪』は長年を経て短歌と俳句の傍に読者の投書する漢詩に二ページを捧げる。主に日本人の作った詩であるが、時々台湾から送られる詩も載せられる。パリの華僑を相手にする中国語とフランス語月刊誌『華報』(仏名Le Journal Pacifique)では、欧華詩人協会が編集する「世華詩苑」という漢詩欄が一九九六年に創刊されてから毎月全世界から送られる詩か詞数首を載せる。私の目の前に置いてある第四七期(二〇〇一年一月二十二日)では、新加坂(シンガポール)、マレーシア、広東、成都、巴黎(パリ)からの投詩があり、中国人がいかに漢詩の伝統を大事に持ち続けているかを顕わしている。学友のフランソワ・マルタン氏が一九八〇年ごろ韓国中に散在している漢詩会を調査して語ってくれたことに依ると、組織的な漢詩会が韓国では日本より古風の面影を守っているようであるが、最近の状態はわからない。日本では、『大法輪』が示すように、漢詩はまだまだ廃棄されない文学活動であるけれども、短歌や俳句よりはるかに無視されてきた。日本最後の漢詩人と言われていた阿藤伯海先生が一九六〇年に亡くなられて以来、漢詩を作ることを専門とする日本人のことを久しく聞かない。全くいないというわけでもない。全国で自費で出版される漢詩集が明らかにするように、娯楽としての漢詩はまだ行われるが、現代詩か和歌のように本格的な文学活動として認められるかどうか疑わしい。
  どうすれば漢詩文の創作がほかの文学的範疇並みに再重視される様になるのであろうか。漢詩文の作品に与えられる文学賞を設立するのは一番たやすく目立つ方法として進めて欲しい。
  先ず市か県の段階で弁論大会のように高校生と大学生を相手にする漢詩、漢文大会を設けること。私の思うのに、漢詩より、漢文の作文に重点を置いた方が大事である。なぜかといえば、漢文の作文の方が独創性を必要とする活動であるだけでなく、文法構造の正しい把握がなければ成り立たないものである。そういう漢文大会の審査員には当市か当県の漢文の教授以外に漢文の国際性を強めるため、できるだけ中国か韓国からの賓客審査員の参加もいいと思う。
  本格的な漢文作家に与えられる文学賞。言わば芥川賞か直木賞の漢文版である。毎年漢文で書かれた一冊の小説、エッセー、漢詩集の作家に与えられる賞である。作家は日本人、あるいは日本に住んでいる人であった方がよいが、まず漢文の創作を自分の主な文学活動の手段とする人でなければならない。前条と同じく、審査員は日本人の漢文教員、漢詩の名人、文学者と、漢字文化圏の漢詩文の名人が選者となればいい。
  日本を超えて、国際的な漢文文学賞を設立するのもいいと思う。やや大袈裟に言えば、漢文のノーベル賞を設けなければならない。東亜の文化史から見て、象徴的な場所を選んで設立すればよい。例えば日本で設立するならば奈良か京都を選べばいいのではないかと思う。そのたびに場所を変えて、北京、漢城(ソウル)、河内(ハノイ)も交代に選んでもよい。最初は毎年これほどの賞が与えられそうな作家が現われるわけでもないので、まず三年おきか四年おきに授賞する方が有利であろうが、受賞者は国籍を問わず、漢文で重要な作品あるいは幾つかの作品を書くことだけを条件とする。審査員は国際の漢文文学の専門家と作家から選ばなければならない。
  日本漢文文学賞と国際漢文文学賞は金銭面でも受賞者に有利なものでなければならない。それを受けた人があとしばらく漢文創作に専念することを許す位の金額であれば理想的であろう。また大学では、英米で流行っているcreative writingの講座を見本にして、漢文創作講座を設け、指導教員として漢文作家を任命すれば、斯学に専念するもう一つの可能性になりえる。

学者同士の伝達手段として漢文を推薦する

 先に引用した『文言読本』の「前言」からまたこの言葉を借りる:「寫作文言的能力決不會再是一般人所必須具備的了」(漢文で書く能力はけっして一般人の身につけるべきものでなくなってしまった)。確かに一般の人の場合、漢文で書けることが再び出世の不可欠な条件になる可能性は薄いが、現在でも漢文を普通の文体として使う人がいる。政治的、あるいは社会的な原因で現代中国標準語(普通話)の教育を受けられなかった世代の学者、また普通話圏外で生まれて育った華僑出身の学者たちが自分の研究を公開する段階で、普通話(台湾では国語というが)で書くのにあまり自信がなく、あるいは反感があるゆえに、専ら文言体を使う。仏教学、歴史学、文学史、民族学等々の学問の諸分野では術語が決まっていて、現代語と文言に共通しているので、文法だけが違うと言える。また先にも言及したように、文言の構造が簡潔であるので、そういう文言で書かれた専門文章が案外普通話よりよく読めるものが多い。特に他国の同じ分野の専門家には分かりやすい。その上、現代の観念に応じて文言の文体に口語の要素を進んで入れる学者が多い。一番目立つのは「政治的」などの「的」という虚詞の使用である。
  東亜だけでなく、全世界の東亜歴史、文学、仏教学、儒教、道教、哲学、の何千人もの専門家が皆漢文を研究の日常道具にしているので、漢文の造詣が深いことはいうまでもない。けれども皆それぞれの母国語、現代中国語、韓国語、日本語などで論文を出版する。あるいは東亜出身の人でも今、国際学問語英語、あるいはフランス語で論文を著す学者が多い。同じ中国仏教を研究する学者間の共通な言語が英語しかないというのは遺憾に思う。二〇世紀の前半にはしばらく違う考え方が現われそうであったが、長続きしなかったのは残念である。日本では一九一八年(大正七年)大村西崖が『密教発達志』を漢文で著したが、この本が密教に関する基礎的な入門書として今でも示唆する。著者が前書きで説明するように、この研究論文を漢文でしたためた理由は日本語が日本以外の国ではあまり読まれないのに対して、密教に興味のある人ならば皆漢文が読めるはずである、ということであった。また奇遇にも、ちょうど同じ年、戦前の朝鮮では李能和という学者が『朝鮮仏教通史』上下二巻を著した。彼は序文で大村西崖と大体同じ理由を挙げて漢文を選んだ意図を説明している。もちろん当時の政治状態から見て、彼が日本語で書く気にならなかったのは自明である。同じ年に、日本人と朝鮮人の学者が仏教学論文を同じく漢文でしたためたことに大きな意味があると思う。新しい学問と伝統的な知識が睦まじく融合して、極東の学問の新時代の濫觴と思えたであろう。また馮友蘭という有名な中国の哲学者が『中国哲学史』上下編(一九三〇、一九三四年)を大変正確な、読みやすい文言体で出版した時、文言体でも新しい学問に応じた標準にしたがって研究を進めることができる、もう一つの輝かしい証拠を世に見せた。
  残念ながら、その学者の漢文文化圏の発展は続かなかった。今日では、意義のある学問的な漢文の出版物が台湾と香港にしか殆ど見られない。けれども東亜の国々だけでなく、欧米を含めて、現代ほど漢文資料を専門に研究している学者が多くいるのは曾てなかった。職業的に漢文を専攻している人は国境を超えて、大勢の言語集団をなしている。なぜ彼等は自分の全ての研究を漢文で書かないまでも、その総合的な部分だけ時々漢文で著さないのであろうか。あるいは中国学などの学問誌の論文に簡単な漢文の要約をつけたら専門家には英語より読みやすいのではなかろうか。
  またここでもインターネットをより有効に使用してほしい。インターネットは世界の東亜文化の学者たちのため、曾てなかった情報交換の広場とすでになっているが、漢文を使えばより深い交流ができるであろう。特に専門用語をそのまま使うことによって遠回りをせずに直接資料扱いが許される。
  もし実際にインターネットで漢文の筆談を行おうとすれば、何よりも簡潔な文体が必要である。自分の博学を見せびらかす機会にするのでなく、有意義な交流を第一の条件にすべきである。漢文関係のフォーラムを設立して、それぞれの研究専門について簡潔な漢文で筆談(網談)をすれば、斯界の国際関係に今までと異なった側面を見せそれに光をあてるのではないかと思う。
  将来の「網談」の可能性を具体的な例を以て明らかにするため、ここに江戸初期の儒者、藤原惺窩全集に収まっている「朝鮮役捕虜との筆談」の抜粋を紹介したい。豊臣秀吉の朝鮮役(慶長役)の時、日本に朱子学を伝えたことで有名な惺窩は朱子の教えを、捕虜になった朝鮮の知識人(姜■)から習った事実は広く知られている。二人の初対面の記録は幸いに現代に伝わっていて、筆談の素晴しい例文となっている。ここで最後の一部分を引用する。この文章の書き下しがないので、私の知っている限り、自分の下手な訓読みを加え、現代語の略訳も試みてみた。

朝鮮役捕虜との筆談

(『藤原惺窩集』巻下、思文閣、三七四ー五ページ)

  • (1) [粛(=惺窩)]汝婦生別乎。死別乎。
  • (2) [鮮人(=姜氏)]我被捉時、溺水死矣。
  • (3) [粛]實節義之婦人。勝丈夫。予聞之哽咽。哀涙不覚承■。況夫婦之至情乎。不覚隕涙罔知所喩。
  • (4) [鮮人]我欲同死。但両児女。一則十歳。又一則十三歳生存。所見可矜。時未如意。至今生存矣。
  • (5) [粛]両児女在何處哉。
  • (6) [鮮人]此両女皆入在大閤室内也。
  • (7) [粛]予惻怛之情非常。
  • (8) [鮮人]我言聞之者数多。一未聞惻怛之情。尊示書惻怛之情。不勝仰感。
  • (9) [粛]予賦性恤。非獨汝。待物毎々如斯。豈以聲音咲貌可為哉。
  • (10) [鮮人]我不死生存於此國。則無異此國之人也。我欲知尊之姓名官職。其意如何。
  • (11) [粛]予幼而喪父母。無妻子之系累。獨立亭々。天理唯以楽之。傍花随柳送日々。故以蒙荘中央柴立之義。自號柴立子。別無官職。人事泊如淡如。而自守自適。汝若有暇則遊京師至予居乎。汝去國 離妻。想常幽憂。雖然皆是時勢。天理不可奈者也。得喪乖逢。一時排遣。唯自寛心。
  • (1) [鮮人]示書再三悉復。亦可得一寛心。深謝。(訓読み。漢語のみ新仮名使い使用)
  • (1) なんぢがつまとセイベツなりや、シベツなりや。
  • (2) われとらはるるときみづにおぼれてシせり。
  • (3) ジツにセツギのフジンなり。ジョウブにもまさる。ヨもこれをきいてコウエツす。アイルイおぼえずまぶちに たまる。いはんやフウフのシジョウをや。おぼえずなみだおつること、たとゆらんところをしるはなし。
  • (4) われドウシせんとほっせり。しかしリョウジジョあり。ひとりすなはちジッサイにして、またひとりすなはち ジュウサンサイのセイゾンするあり。みるところあはれむべし。ときいまだこころのごとくならざれども、いま にいたりてセイゾンす。
  • (5) リョウジジョいづこにあるか。
  • (6) このリョウジョみないりてタイコウのシツナイにあるなり。
  • (7) ヨがソクダツのジョウつねならず。
  • (8) わがゲン、これをきくものかずおおけれども、イツとしていまだソクダツのジョウをきかず。ソンのソクダツ のジョウをシショすること、ギョウカンにたへず。
  • (9) ヨ、スセイシュッテキなり。ひとりなんぢにあらず。タイブツするにマイマイかくのごとし。あにセイインシ ョウボウをもってなすべけんや。
  • (10) われシせずしてこのくににセイゾンするは、すなはちこのくにのひとにことな るはなきなり。われソンのセイメイカンショクをしらんとほっす。そのイいかんせん。
  • (11) ヨ、ヨウにしてフボをう しなへり。サイシのケイルイなし。ドクリツテイテイなり。テンリただもってこれをたのしむ。はなによりてや なぎにしたがひてひびをおくる。ゆゑにモウソウの「チュウオウにサイリツ」のギをもって、みづからサイリッ シとゴウす。ベツにカンショクなし。ジンジはハクジョタンジョにしてみづからまもりてみづからかなふ。なんぢもしひまあればすなはちケイシにあそびてヨがキョにいたらんや。なんぢくにをさってつまとはなれり。おもひつねにユウユウならん。しかりといへどもみなジセイなり。テン リはいかんもせざらんものなり。トクシツカイホウ、イチジにハイケンす。ただみづからこころをゆるやかにせ よ。
  • (12) シショサイサンことごとくフクせん。またイチカンシンをうべけん。ふかくシャす。

(現代語訳)

  • (1) 奥様とは生き別れですか、亡くなられましたか。
  • (2) 私が捕らわれた時、水に身をなげて溺死してしまいました。
  • (3) まことに貞操のある奥様でした。男よりも強いのですね。こんなことを聞き、胸打たれ、同情の涙は目に溢れ る。夫婦の愛もこんなところに至るものでしょうか。感激の気持ち、何にも喩えようがありません。
  • (4) 私も同時に死にたかったのですが、女の子が二人いまして、一人は十才で、もう一人は十三才です。二人とも 生き残ったのですが、見るにもかわいそうで、あまりこころにかなわない時期でしたが、とにかく生存しました。
  • (5) 二人のお嬢さんはいまどこですか。
  • (6) ふたりとも大閤様の閨房に仕えています。
  • (7) 非常に同情します。
  • (8) 私の話を聞いてくれた方はたくさんいますが、まだ一度も同情の言葉を聞いたことがありません。貴方が同情 して下さいまして、感激に耐えません。
  • (9) 私は生まれながら情深いものです。貴方に対してだけではありません。誰に会っても同じなのです。決して見せかけだけではありません(孟子、離婁上、一六参考)。
  • (10) 私はここまで死なずにこの国に生きてきましたので、もうこの国の人と変わらないでしょう。お名前と職業を教 えていただきたいのですが、いかがでしょうか。
    (11) 私は幼い時に両親にしなれまして、また妻子の絆もありません。まったく独立しています。宇宙と自然を観測するのを毎日の楽しみにしています。荘子に出ている「中央に立っている枯れ木」の譬喩を借りて、自分の号を柴立子にしました。人の諸事にあまり拘泥しないで、自分なりの人生を送ろうとしています。貴方のお暇の折にで も、京に来られたら内に寄って下さい。貴方はお国を去って、奥様と別れて、さぞ寂しいでしょう、すべては時勢ですから、世界の成り行きにはどう しようもありません。得ること、失うこと、会うこと、別れること、皆一時的に過ぎ去っていくものです。ここ ろをゆるめるのが一番いいのです。貴方の忠告を充分に反復して、なんとかこころを和らげるでしょう。深く感謝します。

惨めな境遇でありながら、人情に溢れるこの筆語は現代のインターネットで「網談」の見本になりえるのではなかろうか。時代が変わっていても、東アジアでは漢文は理想的な情報交換と文化交流の手段となり続くのであろう。

結論に代えて

 いったい何故ひとりのフランス人が漢文の存続をこんなに熱心に奨励し弁護するのであろうか、という疑問を発する読者も多くいるのではないかと思う。おせっかいと思われるかも知れない。日本人、韓国人、中国人が快く漢文を棄てていく時期に、言葉の自然な成り行きに、なぜまかせず無理に反対するように復古を望み、さらに激励する必要があるのであろうか。私は学生時代から日本漢文に親しんできた、それが日本で軽視されているのを見るにつけていたたまれず、と いうだけでは説得力が乏しいが、むしろ漢文を復興する理由は二通りあるという事実を明らかにしようとした。漢文は数千年前からユーラシアに通じる「聖語」(hieroglossia)という全体的現象の一面として重視に値す るものである。ほぼ四千五百年前から(メソポタミアにおけるスメル語の時代から)現代に至るまで(アラブ語とイスラム文化圏)続いているこの歴史を消滅させてしまう理由はない。かつてなかった新しい条件の下で古代 言語の使用がどのように発展するか、という実験を試してみたいのである。漢字という文字を共有していながら漢字文化圏の国々には、いまそれぞれ文化的に大きな壁がある。英語を共通語にすれば、いわばその遺産を取り消すことを意味する。しかし、漢字だけではどうにもならない。漢字を生かす唯一な方法は漢文にある。漢字文化圏を漢文文化圏の次元まで進めなければならない。もちろん、東アジアの人口が皆漢文を習得しなければならないといっているのではない。話を日本にだけに狭めてみると、二十年前に行われたように漢文教育の範囲を、高等学校の必須科目に戻すぐらいで充分だと思う。ただ、教育の内容をもっと積極的、活動的にすることだけをすすめたい。一億二千五百万人の日本人に皆漢文で 書けということではない。十万人に一人が漢文で書く意志を抱くようになれば、全国で一千二百人ぐらいの人が活用できる。全東アジアを含めれば、大体一万五千人にはなる。一万五千人もいれば、二十一世紀に入ってからでも、長い漢文の歴史の新しい一章を書くことも出来るのではないかと思うのである。

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