漢文は死語ではなく、私は漢文で論文を書いてますが、何はともあれ、全文轉載。
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二十一世紀の漢文-死語の将来- 6(Kanbun for the XXIst Century ―The Future of Dead Languages― )

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(承前)
http://senkaku.blog.jp/2018100677771645.html

韓国とベトナムの現状

 話はわき道に逸れるが、ここで漢字文化圏の二ヵ国、韓国とベトナムにおける漢字と漢文の現状に少し言及しなければならない。漢字両強国である中国(ここで「中国」の名称は政治的でなく文化的であるので、人民共和国、台湾、香港、シンガポール、そして全世界に散らばっている華僑の集団も総括する)と日本を比べて、韓国(情報がないため北朝鮮を論じることはできない)とベトナムでは漢字の地位ははるかに弱いと言わなければならない。この両国はもともと日本と、文化上の共通点が多い。古典中国文化を中心とした国として漢文を「聖語」にしているだけでなく、それぞれの国語にも中国語からきた語彙(漢語)が非常に豊富である。面白い現象に、 三ヵ国語における漢語と土着語彙の比率が近い:三ヵ国語の場合、六十から七十%の語彙は漢語が占めている。その語彙(特に現代観念に関するもの)は主に抽象的である、文化、科学、政治、思想、社会に渡るもので、多く漢字で書いてあれば他の国の読者はたやすく読めるのである。技術、日常生活に関する語彙も少なくないが、漢語をつかっても皆それぞれ違う単語を選んだ場合が多い。たとえば日本語と韓国語が同じく「時計」を使うのに対して、現在中国語では「鐘表」、ベトナム語では「銅壷」が通用された。
  漢語とは別に、成語と四字熟語というのも漢字文化圏諸国の宝物と呼ばなければならない。その多くも四ヵ国 に共通している。多少の変更があっても(例えば日本で「不入虎穴、不得虎子」の第二句は中国では「焉得虎子」とされる)、根本的にそういう言い方が普及している地域が明白に独立している一つの文化圏とみなしてもよい。表現が変わっていても、考え方が同じ中国の成語から発したものはすぐ目立つ。例えば大陸では「不可同日而語」というのを、寺田寅彦の随筆には「日を同じゅうして語るべからず」と書き下されていて、普通は「同日の論(談)ではない」となっているが、もともと同じ発想による言い方に違いない。
  漢字で表記されなくても、漢語、熟語、故事成語は東アジアの知識の統一に大きな役割を今日でも果たしてい る。たまたま私の学生でも自らその事実に気がつく人が現われると、非常に喜ばしく思う。例えば私の漢文入門の講義に出席していたある学生で日本語と同時に韓国語を勉強する人がいた。ある日、彼が同級生と立ち話ししていたのを耳にした。韓国語の教授を感心させたと自慢しながら語っていた。ある韓国の新聞記事を読ませられて、「人間万事塞翁が馬」という表現にぶつかった。みな翻訳に戸惑ったところで、彼は少し前に漢文の講義で覚えた説明を繰り返して、教授に褒められた。日本語の講座で習っていたものをそのまま韓国語に当てはめることが出来た事実を発見してたいへん喜んでいた。彼は日本と韓国の経済関係について修士号論文を準備していたので、実際には古典にはあまり興味がなく、専ら現代語の習得を目指していてこんな事を口にした:「今年は実 に役にたてそうなものを漢文の講義からやっと見い出せた」と。
  漢語と漢文の遺産を日本と同じ程度に受け継いだ韓国語とベトナム語は現代、その遺産をずいぶん異なった形 で受継ついでいるようだ。以下は、たいへん大雑把であるが両国の現状を論じてみたいと思う。

韓国と漢文

 一九九四年の夏、私はソウルの近くの韓国精神文化研究院に三ヵ月の短い滞在をした折に、一端であるが当地で韓国人と漢字の関係を観察する機会を得た。パリ大学の私の講義に韓国人の学生が出席する年もあるので、それぞれ若い人が漢文をどこまで解読できるかだいたい見当がつくと思う。
  ソウルの町を歩く観光客が先ず気づくのは、中国や日本の大通りと違って看板などには漢字がほとんど見えな いことである。どこを見ても韓国のお国自慢のハングルが目に入る。視覚の印象ではまるで日本語の片仮名だけが並べてあるかのようであろう。もし東京の下町で片仮名の看板や広告しか目に入らなければ、日本人はどう思うのだろうか。やや単調な幾何学的な形の連続に、多様性に富んでいる漢字を少しでも挿入してあればいいのではないかとしばしば考えたものである。テレビのニュースの大見出しにはハングルしか使用されていないが、新聞と雑誌には、やはり市民の実用的な関心を呼び起こすためか、漢字まじりのハングルを昔のまま生かしている。日本より常用漢字の数が少なく、千三百字を超えないが、漢字に慣れていない人の解読を助けるため、同じ記事の中で一つの単語を漢字とハングルを交互に書く習慣らしい。たとえば一行に「運河地帯」と書けば、次の行に ハングルで「ウンガチタイ」と表記する。自信のない読者が、その工夫のお陰で漢字の読み方を確かめられる。私の目で見た限り、韓国の大新聞の中で一紙だけが漢字を完全に廃止して、専らハングルを使用している。面白いことに、このハングル専用新聞は主に知識階級の読者を対象にしているらしく、漢字のたくさん読めそうな人は、漢字を拒否しているという意味なのであろうか。キリスト教の聖書も漢字交じり版とハングル版の二種類が広く書店に売りに出る。話に依ると、漢字交じり版は主に年寄りが読むということだったようであるが、これもこれから徐々に変わるかも知れない。
  定期刊行物以外の出版物を見ると、現代の韓国は多彩な状態を見せている。大衆文学(例えば韓国人が愛読す るアガサ・クリスティの推理小説、西洋文学の翻訳など)は一切漢字を使わないものが一番多い。韓国人作家の純粋文学ではハングル専用のものが圧倒的に多い気がする。なお、話の内容によって変化があるというのはいうまでもない。金聖東(一九四七年生まれ)の例を挙げると、『曼荼羅』という、仏教的背景の小説には(括弧入りの)漢字書きの仏教述語が非常に多いのと対照的に、『家』(チップ)という小説には漢字が非常に少ない。また大衆向きの東洋歴史、仏教、哲学などに関する本は止むを得ず漢字を使うが、日本式の様にルビを付けないので、小説と同様にハングルで書いてある漢語の後に漢字を括弧に入れて載せられている。ただ、学術書になると、日本の単行本とまったく変わらない様相を見せる。漢字が頻繁に使用されるが、括弧に入れない上に、ハングルの表記がないので、千三百の常用漢字しか知らない人には読めないのではないかと思う。
  大雑把な紹介であるが、ハングル専用の大衆文学から、難しい漢字だけを並べている専門書までの韓国の出版 物を見ると、現代韓国語の状態が二重言語ではなく、二重文字的であるという印象が強い。言葉は統一されているけれども、ハングル専用と漢字交じり文の間の溝があまりにも広いので、この現象を描写するのに二重文字制度があると言っても過言ではないと思う。教育程度の高い人は一般文学が読めるが、漢字の受動知識しかない人には日本並みの漢字交じりの文が非常に読みにくい。同じ言葉が表記制度にしたがって一部の人には読めないという状態は二重文字制と呼べるのではないかと思う。
  なぜ数十年の間に韓国人が漢字にこんなに疎くなったかという質問には私ももちろん答えようがないが、門外 漢でも分かるような原因を一つ挙げられるのではないかと思う。韓国が独立して以来九十年代半ばまで、一種の「脱亜時代」を過ごしたと言える。政治的な原因のため、韓国の二つの隣国である日本と中国とは文化交流が殆どなくなったと同時に、主な政治、文化に対する興味は、米国に向けられ、そして米国の後かなり遅れてドイツやフランスというヨーロッパの国になった。西洋が主な相手になったため、韓国の一般市民と知識人が東洋の文化を無視すると同時に、植民地時代の象徴となっていた漢字交じり文字に強い反感を抱くようになった。共産主義強国の中国とも縁が遠くなったので、日本語の代りに隣国の言葉として流行りそうだった中国語の勉強も殆ど行われなくなった。その両国に対する文化や政治の象徴であったハングルが当然韓国の貴重な文化財産となり、文化上の自給自足を意味するものであった。もっぱら英語(また、少し限られた程度であるがフランス語とドイツ語)の勉強を重視してきた韓国人の学生たちには漢字の知識はまったく無用の長物となってしまった。
  八十年代に、韓国の経済が発展するとともに、経済強国だった日本との関係がだんだん復興され、日本語の勉 強も広がってきた。また九十年代、中華人民共和国と外交関係が結ばれるようになって以来、中国語の勉強もたいへんな人気を博した。ソウルの書店では日本語と中国語の入門書と辞典が山となって店頭に並んでいた。しばらくの間、ローマ字で表記されていた言語にしか興味を示さなかった韓国人は突然漢字文化圏の言葉と再び出会う機会を得た。その子供達は中国と日本の小学生と異なり子供時代に漢字の勉強で煩わされなくてほっとしていたところ、学生や社会人になって已に身につけるはずだった漢字を慌てて実用のために習得する必要に迫られてきた。当然な反動として今までの漢字抜きの教育制度にあらたな批判の声が聞かれるようになった。脱漢字化の道に深く入っていた韓国が国際政治・経済関係のため心ならずも漢字文化圏に戻ったために、中国人や日本人よりも倍ぐらいの勉強をしなければならない苦境に陥った。
  同じく八十年代から九十年代の初期にかけて、韓国にパソコンとワープロが普及した時、漢字文化の隣国との 交流をあまり考えずに韓国語処理のために作られたソフトウエアは、アルファベットを中心にしていたために、用意された漢字の数が非常に少なくて、二・三千字しか処理できなかった故に、両隣国との文化交流の要求にはとても応えられない事実がだんだん明らかになった。電子情報学について全く不案内の私にはよく説明できないが、すでに決められた標準が容易に変えられないので、日本と中国の関係が盛んになればなる程、ソフトウエアの物足りなさが、益々使用者をいらいらさせていた。ちょうど私が韓国に滞在していたころ話題になっていたのである。その後まもなく問題は何とか解決されたと思うが、これももう一つの、現代情報学の影響で開発された漢字知識と漢字文化統一意識の好例となる。
  この二十五年間、仏教は韓国で復興されたといっても過言ではない。歴史的な事情のため、地方の寺院に遁世 していた僧侶たちは都市に戻って、修行生活だけでなく、仏教の学問的な研究も重んじるようになった。仏教学問が僧侶の集団に広がると同時に、経典の言語である漢文も自然と再重視されてきた。また最近になって東洋思想の代表とされる儒教に対する関心も高まってきた。それを通じて李朝に開花した諸思想家が再評価されてきた。彼等の膨大な作品はすべて漢文で書かれ、その大部分は現代語に翻訳されていないので、その研究には漢文の該博な知識が不可欠である。
  今までの韓国の街道での道路標識はハングルと英語でしか記されていなかったが、先に言及した新政治情勢の ため、中国と日本から来る観光客は益々多くなってきた。中国人であれ、日本人であれ、英語より漢字で書かれた標識の方が非常に分かりやすいので、韓国の観光当局は漢字の道路標識を設ける意図を発表した。漢字まじりの標語の場合と同様に、その提案を猛烈に拒否する国家主義者の分子もいるが、一般の対中・日の感情は変わり つつあるので近い将来に実現されるのではないかと思われる。
  その反感を和らげ、また漢字文化圏に属する傾向を強めるため、中学高校で漢文の教育を一般化すれば、語彙 の七十%が漢語に占められ、韓国語自身の理解力も深くなり、両隣国との文化交流が豊富になるという二重の効果を得られる。

ベトナムと漢文

 韓国において漢字がいまだに全く生命力を失っていない現状であるのに対して、ベトナムでは一世紀ほど前から、漢文を全くの死語に陥れた主な原因はフランス政府の植民政策であったことは言うに及ばない。数年前に『ル・フィガロ』という新聞に発表されたフランス外務省の十九世紀末の報告書に依れば、植民政権が漢字・漢文を排し、クォック・ングー(ローマ字)を推薦したその原因は、中国を源泉とした文化圏からベトナムの民族を切り離してフランスの社会と文化に近づかせようという意図にあった。一八七〇年代まで中国式の科挙制度を遵守してきたベトナム人は、二十世紀まで漢文の四書五経を基礎にした理想的な教育に影響された。ローマ字教育も意外な効果をもたらしたのである。広い漢字の知識を基礎にしているベトナム文字(喃ノム)よりも早く習得ができたので、早くから中国古典文学だけでなく、『三国志演義』、『紅楼夢』を初め、無数の白話小説がベトナム語に翻訳され、大衆に広く読まれるようになった。ノム文字は非常に複雑であり、多くの漢字を覚えてから漸くして解読するのであるから、子供の初心教育には全然向いていない事実は否定できない。それをローマ字に代えたということはよかったと言えども、漢字・漢文教育を完全に廃止したことは決してベトナム語の知識そのものに有意義ではなかった。
  私がまだ学生の頃漢字無知から起きる間違いに気がついて驚いた。日本語一年生の時、ベトナム人の友達と話 していた際、彼はこういうことを説明してくれた:「植民主義というのは文字通り翻訳すると、人民を食う主義だ。『植民』の『植』は『食事』の『食』と一緒だから」。すでに漢字をいくつか知っていた私は反論せざるにはいられなかった:「いや、漢字は違う、植民の場合、『植』は植える、または殖える、養うという意味で、食べるということじゃない」。今度驚いたのは彼であった:「でもベトナムの学校ではそう教えられたのだよ」と。考えさせられた話であった。数年間中国語を独学で勉強してきた知識だけで、ローマ字教育で伝わった間違いを指摘することができるならば、ベトナムの国語の教員にもそのぐらいの漢字知識があった方がいいと思われる。フランスにおけるラテン語、又日本における漢文のように、中学高校で漢字・漢文を必須科目にすれば、自分の母国語に関する知識と理解が高まるはずである。
  最近のベトナムでは、漢字を中心とする旧文化に対する態度が変わりつつある兆候が見えてきた。内外の学者 が数世紀の間ベトナム人によって書かれた漢文文学を本格的に研究し始めた。フランスの極東学院では八十年代に越南人著作漢文小説集八巻が刊行され、最近またベトナム地方別の漢文碑文集の出版も始まった。十八・九世紀に開花した喃字文学に対するベトナム人の興味も高まってきた。パリでは個人の喃文学研究会が月に一回集まって在仏のベトナム人が趣味として、ローマ字に直されていない喃文の古書を解読する。ハノイでは学者たちが パリの国立図書館に多く所蔵されている稀覯本を対象にして研究する喃文研究会を正式に設立した。
  また韓国と同様に、ベトナムにおける仏教の復興が漢字・漢文だけでなく、喃文をも推薦するのに大いなる役 割を果たしている。私が最近見たベトナムの寺院で、法事の折に配られる小冊子などの文章はローマ字と喃字の両方で表記されている。普段では廃止物とされているノム字が仏教のためにわずかではあるが蘇ってきたと言える。
  ベトナムでも、越僑(ベトナム系の移住民)の間でも漢文(ハン・ヴァン)の教科書、あるいは独学のための 案内書がかなり出版されている。中国古典文学(論語、道徳経、荘子、漢詩集など)の対訳も数多く刊行され、対訳書にも二種類がある。一つは漢字の原文と、ローマ字の音読と現代ベトナム語訳の三段を並べるもので、漢字を知っている読者を想定している。もう一つはベトナム独特なものらしく、漢文を載せず、ローマ字の音読と現代語の翻訳だけを並べる。日本語で杜甫の「国破れて山河在り」という有名な詩句を「国破山河在」と書かずに、音読の「コク ハ サンガ ザイ」と現代語訳「国が敗北しても、山と川はちゃんと残る」とを並べている対訳に等しいものである。日本では漢字抜きの片仮名「コク ハ サンガ ザイ」を読むだけで直ぐ何の話だか分かる人は少ないと思うが、そこにはベトナム語の素晴しい特徴が現われている。中国語(普通話)、日本語、韓国語と異なり、ベトナム語は非常に豊富な音声系統の持ち主であるので、ほかの漢字文化圏の言語に比べて、漢字の本来の発音のニュアンスを明白に表わせるのである。語頭の子音、語尾の子音、母音、声調はみな他の言語と比べられないほどベトナム語はちゃんと区別している。それが故に古典中国語の文章をそのまま声を出して読めば、耳で聞くだけである程度まで内容が通じるのは恐らくベトナム語だけであろう。その特徴は十九世紀末のフランス人のベトナム語学者デミシェルがすでに認めていたもので、彼のベトナム漢文文典の前書きに記してある。漢詩の場合、その特徴は非常に有利である。普通話(北京語)よりもベトナム語読みの漢詩が声だけで鑑賞できる。漢字文化圏の諸言語を音読の理解性に従って位置付けようとすれば、ベトナム語は異論の余地なく一位を占めるであろう。その次は広東語と台湾語であり、普通話が中ぐらいに当るであろう。韓国語は普通話と日本語の間にあり、日本語は音声が一番少ないものとして(特に旧仮名使いによらない場合)最後になるであろう。文法構造の違いを別にすれば、ベトナム語の音声が漢文の理解には一番便利な言語に見えるので、中高生が少しでも漢字を勉強すれば、ほかの国の生徒よりも早く漢文を身に付けることができるのではないかと思う。

現代中国語における漢文

 先にも示した通り、異論はあるが、何といっても現代中国語が漢文(文言)と同系統の言語であることから見て、両言語は特別に近い関係を保ってきた。その上に、漢字文化圏では漢文と同じく漢字だけの表記法に頼っているのも中国語しかない。目で見たところ、文言と現代語はさほど違わない(旧字体と新字体の食い違いはパソコンのお陰であまり問題にならなくなった)様相を見せる。仮名混じりの日本語、ハングル専用の韓国語、クォック・ングー(ローマ字)のベトナム語とは一見で区別がつくが、言葉を知らずに中国語の文章を見るだけでは文言か現代語か判断しにくい。同じ表記法を使っているため、確かに他の漢字文化圏の言語より文言と白話(口語)間の連続感が強い。また、中国語の文法構造のため、文言体の文句はごく自然に口語体の文に挿入できる。中華人民共和国では八十年代中に、久しく無視された文言と古典の教育が少しずつ復古されて、また社会の雰囲気が自由化されるとともに新文学作品の文体が再び文言的要素を自由に含むようになった。
  例えば一九八三年に発表された陸文夫著の話題になった短編小説『美食家』を当時読んだ私は、著者の文語体 の文法、表現の自由な使い方に気がついた。「饕餮之徒」(食いしん坊め)、「賓至如歸」(お客さんが気軽にくる)、「戛然而止」(かちっと止まる)等々の文言体の表現はページ毎に現われる。「與我有渉」、「鳴鼓而攻」、「化險爲夷」などの章名も多い。四字熟語は非常に頻繁に使われているだけでなく、文章のリズム自身も自然と古風の四文字の調子に戻るところが多い。純粋文学以外にも、文言と現代語の併用は新聞・雑誌で目立つ。日本で出版された中国人の『留学生新聞』(九九年六月号、二二頁)から例文を採ると、「回國上学、柳暗花明」(ここでは日本語の「美しい景色」または「色里」の意味と違って、「窮しても将来が輝かしい」という意味)や「素質培養、不容輕視」などの四文字の見出しが深い文言の影響を顕わす。記事を読むと、「望子成龍的父母」(子が龍に成らんことを望む両親)、「毎天玩得不亦樂乎」(論語の冒頭の引用、「毎日の様にはげしく遊んでいた」)のような、整然とした文言と純粋な北京語を巧みに融合する文がいたるところ見つかったものである。
  二十世紀の中国語作家の中でおそらく大陸、台湾、香港、シンガポール、そして東南アジアと欧米の華僑集団 において一番多くの人に愛読されている小説家は恐らく一九二五年浙江省生まれの、武侠小説で有名な金庸氏であろう。彼の作品は最近ようやく日本語に翻訳されたので、日本の読書界にも以前より親しい存在になってきた。金庸の文体は非常に面白く、確かに文言ではないけれども、「普通話」とも呼べないと私は思う。むしろ明・清朝の大小説の伝統を汲んでいるもので、現代的白話といった方がふさわしいと思える。彼の文体はまったく文・口混淆文と呼べるのではないかという気もする。例文として、人気のある作品「射鵬英雄傳」の冒頭の文を挙げて見よう:「錢塘江浩浩江水、日日夜夜無窮無休的從臨安牛家村邊繞過、東流入海」。この文の文体を何と名付ければよいか。普通話と呼ばれないことは誰にも自明であろうが、「的」のような虚詞を使う限り文言とも言えない。やはり「白話」と呼ぶしかないと思う。
  金庸(また武侠小説作家として彼の第一の競争相手は古龍氏)は中国文化圏では誰にでも読まれている、まさしく大衆作家と形容することのできる人物であるから、文言に近い文体を使用していることは確かに読書力を妨げないのはわかる。金庸の文章を少しだけ変えれば、立派な文言体になるけれども、完全な口語体にするためには文章をかなり書き直さなければならない。その現象は金庸、古龍のような作家に限らず、陸文夫などにおいても著しい。また一般的に、中国人が文章を書く時、言文一致の現代語で書こうとして、複雑な文を作ろうとすると、文体は自ずから文言に近づいてくる。これについて私の個人体験を挙げてみると、十何年前、私が中国現代語の作文力を磨くため、中国人に個人教授を頼んだことがある。週に一回二人で会って、私が前もって中国語に翻訳した仏文中訳の文章を見せて、間違いを直して貰った。文章は主に新聞の記事や現代小説の抜粋であって、なるべく現代語の文法にしたがって翻訳するのが条件であった。個人教授はちゃんとした大学教育を受けた三十代の台湾人であったが家族がもともと大陸北部出身であったため、完璧な「国語」(普通話)を話す人であった。練習は無事に進んだが、現代語優先という規則にも関わらず、彼は口語体に翻訳するのをあまりにもくどい文章になると言い、文言に訳するのは一番簡単で中国語らしい文になると強調した。そこでやはり四文字律の文になってしまう。数ヵ月の間、この様なレッスンはわずか四、五回で終わったが、私にはよい勉強になった。中国人にとって書き言葉になると、言葉がごく自然に文言を帯びるようになることは明らかになった。
  この事実はある中国語学者には納得の行かない事と評価されていた。ロズナーというドイツ人の学者は一九九 二年に『文言:中国語の二重言語制』という題の本を著した。豊かな文例集をともなうこの本の基礎的な説は現代の中国語(普通話)が一般に宣伝されているのと違って言文一致の原則を拠り所とした言葉でなく、二重の言語的次元を見せるものである。口語の傍らに文言がまだ昔とさほどかわらない地位を占めているのを証明するため、『人民日報』の新聞記事を始め、現代中国の刊行物から例を選び出している。彼はそういう現象を二重言語制(diglossia)と呼ぶが、その単語が果たしてふさわしいかどうか疑わしい。現代の世界では、本当の二重言語制の例はアラブ語ぐらいであると思う。書き言葉と話し言葉が文法・語彙・発音などで明白に分かれていて、話し言葉がいくつかの例外を除いて書き言葉として利用されていないという、はっきりした状態を指すものである。一九七〇年ごろまでギリシアでも明らかな二重言語制を示していた。小説と詩では口語体しか使われなかったのに対して、科学と人文科学関係の刊行物は殆ど文語体で認められた。アラブ語の場合でも、ギリシア語の場合でもある文章が文語体かあるいは口語体で書かれていることは一目で分かる。ロズナー氏の引用する中国の新聞などはそういう意味の二重言語制ではない。一般口語体の枠の中に文語体の要素が挟まれるというのを特徴とする混淆文と呼んだ方が適当だと私は思う。また換言すれば、文語体と口語体の二面を持つ混淆文である。その両面の間には無数のニュアンスが示されて、完全な口語体と完全なる文語体が普通は見られない。文法と語彙が異なっても、作文の習慣として両文体が併用されるというのは普通話だけでなく、中国語の他の方言においても同様である。
  語彙も文法も異なるにも関わらず、文言と中国のもろもろの口語が相即不離の関係にあるのはこれからも永遠 に変わらない事実である。それが故に中国現代語の中で、口語に保護されている形で漢文は著しい生命力を保ってきたと認めなければならない。




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