漢文は死語ではなく、私は漢文で論文を書いてますが、何はともあれ、全文轉載。
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二十一世紀の漢文-死語の将来- 5(Kanbun for the XXIst Century ―The Future of Dead Languages― )

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(承前)

日本式漢文に対する批判

 日本漢文独特の訓読みが原文漢文を翻訳するどころか、むしろ本来の意味を曲げてしまうという嫌いがあるので、それをあっさりと捨てて、中国の古典文学を直接に現代中国語で読んだ方が正確に意味をとらえるという批判をしばしば耳にする。それに対して、二通りの注意をしたい。
  まず、この批判は日本において日本人によってしたためられた漢文文学にはもちろん当たらない。この場合、 日本式の訓読みで読まれた方がふさわしいと言わざるを得ない。それを現代中国式で読むと大きな誤解を招く恐れがある。ただし、先にも述べたように、明治時代まで日本でも漢文で書かれた文章が少なくとも仮名で書かれた文章と同じ量であるので、日本文学の一部分として漢文を扱わなければならない。日本文学を勉強しようとすれば、漢文訓読の知識が必要なので、自国の文学を正しく理解するだけでも、欠かすことのできない準備知識である。
  日本の読み下しは非常に古い注釈に基づいているものとして、それなりの価値を有している、言わば即席解釈 法とみなしてもいい。現代中国語と言われるものは概ね北京語に他ならない。北京語と古典中国語(文言)は互いに違う言葉である。北京語(普通話)に通じることは文言の理解を特別に助けるものではない。この事実を無視して、北京語を勉強している日本人の一部の人は一種の錯誤によく陥る。日本の訓読に正反対の読み方が北京語の読み方だという発想(訓読対北京語である)。それは間違っている。実際はどこの音読でもよい。日本語の語順による訓読、読み下しはある程度まで一種の翻訳とみなしても良かろう。音読になると、特別に北京語に依頼する必要がない。北京語に依る音読が他の音読と比べて優れた正確性を有するわけでもない。その他に広東語、上海語、台湾語、ベトナム語、韓国語に依る音読も皆同じく重要視しなければならない。また言うまでもなく、 日本の呉音と漢音に依る音読も極東の他の音読と平等な地位を占める。古典中国語の文章を原文のまま、文法的な変化を加えないで直接に読む限り、どんな音読でも同じぐらいの価値がある。
  また厳格に言えば、北京語に依る音読は他の発音に依る音読と比べると、古典中国語の正しい理解のためには特別な欠点をいくつか示す。その欠点は発音や文法に関するものである。
  発音上の問題は皆北京語の音声磨滅に依るものである。現在生きている多数の漢字の発音の間では、いちばん 極端な磨滅を被ったのは異論の余地なく北京語である。典型的と思える例には「易」という字をここで挙げるに止まろう。その発音(または音読)は意味を区別するにしたがって二通りある。日本語の場合、「容易」の熟語の様に、「やすい」という意味を示す「イ」と読ませる。また「貿易」の様に、「かえる」の意味を表わす「エキ」(それは漢音であり、呉音は「ヤク」になる)とも読む。なお日本語以外の漢字文化圏の言語と方言を調べると、皆がその音読の区別を厳密に守ってきたことがわかる。たとえば韓国語のiとyeok、ベトナム語のdeとdich(便宜上、ベトナム語の声点と韓国語の区別符号などをここでは省略する)は日本語の「イ」と「エキ」の発音をきちんと反映するものである。広東語、台湾語なども同様である。驚くことに、その区別を完全に失った漢字文化圏の唯一の言語はほかでもない北京語そのものである。
  若し中国古典文学をできる限り元来の音に近い発音で読んで鑑賞しようとすれば、現代の北京語に頼るのは決 して正しい方法ではない。むしろ、前の例で分かるように、北京語を除けば漢字文化圏のどんな音読を使ってもよいが、一番ふさわしくて忠実な方法は一つしかないと思う。それは中国語学者が数十年をかけて、細かい音声学的調査の結果復元した古代・中世の音声系統に従って読むことである。もはや欧米の専門家だけでなく、中国・ 日本の学者の間でもその学問的な習慣が広がってきた。若し文学的な趣味を持ち、学問的、歴史的な関心を元に、中国古典を読もうとする人であれば、それらの学者と同様に復元された発音に従い口述するのが大切である。さもなければ、北京語と異なり語尾の子音をしっかりと表記すればどんな発音でもよろしい。言うまでもなく、日本語の呉音と漢音も他の発音に劣らない一つの音声系統である。ただ肝心なのは旧仮名使いを拠り所にすることである。何故かといえば、旧仮名使いだけが昔の大陸で流行っていた発音を正確に反映するからである。たとえば「立」の字は音読が現代の発音では「リュウ」なのに、旧仮名使いは「リフ」である(「リツ」は慣音だからここでは言及しない)。語尾の「フ」が[p]を表すものとして、韓国語の[r]ip、ベトナム語のlapという発音ときちんと相応する。北京語のliはまた系統外である。「法」や「業」等々の場合もそうである。それらの例から見れば、古代中国音声学の専門家でない人には、日本の旧仮名使いに依る読み方が復元された発音にかなり近いものとして非常に貴重なヒントを与える。
  中国人も好んで言うことであるが、漢詩の音を充分に味わうのに、北京語でなく、今でいう「方言」の発音に 従って詩を読むべきである。更に進んで、唐詩ならば広東語、六朝詩ならば台湾語(閔南話、即ち福建語)で読む方が最適だと強調する人もいる。
  こういう考えを元にして、今は亡き吉川幸次郎先生の玉書「漢文の話」で挙げられた例を改めて論じたいと思 う。杜甫のかの有名な絶句を日本式の訓読と北京語の両読み方を対照させて、後者の方が詩のパトスを深く把握 させることを述べる。ここでこの詩を日本式の漢音で読んでみよう。

江碧鳥逾白     カウ ヘキ テウ ユ ハク
山青花欲然     サン セイ クヮ ヨク ネン(ゼン)
今春看又過     キン シュン カン イウ クヮ
何日是歸年      カ ジツ シ キ ネン

 もはや北京語に現われない微妙な響が目立ってくる。起句の「碧」と「白」(北京語のbiとbai)が実は近い音であり、冒頭音のb(即ち日本語のハ行)だけでなく、語尾音のk(日本語のキとク)の音でも相応していることが興味深い。両字を呉音で読めばなおさら近い。すなわち「ヒャク」と「ビャク」になるのである。また、 「燃える」意味の「然」の字を元来の音読「ネン」(呉音でもある)で読むと、承句の「然」と結句の「年」は、北京語と違って、両字の音韻が完璧になる。ついで述べてみると、「鳥」の旧仮名使い「テウ」が(現代北京語のniaoに対して)古代発音teuをそのまま顕わしていることも注意に値するものである。
  そういう数々の点から見ると日本式の漢音と呉音と、北京語の発音を比較してみれば、日本の音読がいろいろ の細かいニュアンスを顕わすもので、古典文学を鑑賞するのに決して見逃すことが出来ない。
  中国古典の『文言』を現代北京語で読むべしという、日本で定説になりつつある意見には、もう一つ、文法上 の困難がある。北京語で読めば文言の文法構造が分かりやすくなるというものの、やはりもう一つの錯誤というしかない。北京語の音声系統と同様に、歴史的情勢を考えてみると、北京語の文法構造が他の中国系の「方言」と比べて、厳しい変化過程を経て非常に遠ざかっていたと認めざるを得ない。
  この点についてはオカダ・ヒデオ氏(原文はローマ字)のような言語学者の意見が代表的と思われる。オカダ 氏に依れば、北京語が徹底的なアルタイ語化を被ったために、中国語系統の中でも特殊な位置を占めるものとなった。アルタイ語化過程は一七世紀から満州族が中国を侵略して、首都の北京を中心に全国土を支配するようになった時から始まった。二百年以上を経て、アルタイ系統の中のツングース系に属している満州語が北京の話し言葉をはじめ北方中国の方言に非常に強い影響を及ぼした結果、北京語がもはや中国語系統に属せず、アルタイ語系統の一言語とみなさなければならないと強調する。オカダ氏の言葉を借りると、清朝の北京の話し言葉であった北京官話が「ほかならぬ強くアルタイ化された中国語の一形であり、北京官話にさかのぼる現代中国標準語がアルタイ諸民族のいちばん重要な遺産である」また、「今日の中国標準語は実のところアルタイ系満州人の言葉である」。言語学者でない私には、こういう風に表現されるオカダ氏の意見がやや強すぎて、言語上の事実をどこまで正確に反映するか疑わしいが、他の数人の専門家がそれに近い説を支持しているということから見ると、 討論せずにそれを拒絶するのは全く許されないかも知れないが、所詮、現代北京語と文言が歴史的、言語的につながっている事実は否定し難い。また音声上満州語の影響があったかも知れないが、文法上のアルタイ的要素はあまりない。特にアルタイ語系の特徴がやはり文における動詞の位置にある限り、その観点からすれば、北京語がアルタイ系言語とされにくいのではないかと思える。
  ただ、このような言語学者の意見が、文言(漢文)と現代中国の諸方言の間では非常に大きな溝があるという 事実を意識させる役割を果たすだけでもよかったと思う。文言との差異から言えば、北京語、広東語、上海語、台湾語などさほど違わないかも知れないが、文言の勉強にはよい結果をもたらす方法が一つしかない、すなわち文言として、後期の諸方言から独立した文法系統としてそれを習得するという方法。先に言及した音声の問題と一緒に、文言は文言の枠内で研究されるべしという結論を繰り返した。
  ここに上海で出版された非常に便利な『文言読本』の前書きの一、二行を引用したい。まず中国語の原文: 「…我們認為、在名副其實的文言跟現代口語之間已有很大的距離。我們學習文言的時候應該多少採取一點學習外国語的態度和方法、一切從根本上做起、處處注意它踉現代口語的同異…」、敢えて日本語に翻訳すれば、次の意味になる:「本物の漢文と現代口語のあいだにはたいへん大きな距離があるとわれわれは思う。漢文を勉強する時、外国語を勉強するような態度と方法を取らねばならないものであって、すべて基礎より初め、ところどころ現代口語との相違に注意するべきである」。現代中国語と漢文(文言)を別々のものとして勉強するのは一番確かな方法である。
  これまで、日本式漢文を排して、現代中国語を媒介にして古典中国語(文言)の勉強を進めることに反論したのである。
  また、日本でよく耳にする、もう一つの観点から起きる批判がある。日本式の訓読、いわゆる読み下しの文体 が聞き辛くて、現代日本人の趣味に向かない、という意見である。論語を読む時、「マタヨロコバシカラズヤ」、「ソレコレヒトノコレヲモトムニコトナルカト」、「シラザルベカラズナリ」のような台詞にぶつかって歯痒い感じがする現代読者も多かろう。逆に、懐かしく思う人も少なくないということも想像しやすい。客観的に判断しようとすれば、私としてはその独特の漢文調子に少なくとも一つの利点を認めざるを得ない。書面では漢字が仮名まじりなしで並べてあるのを見ると忽ちにそれが日本語でなく、漢文だということが分かると同じく、耳で聞く読み下し文調子の日本語がすぐ漢文の文章の引用であることを明白にし非常にありがたい。北京語で文言を引用すれば、違う語彙と文法がはっきりと文言の文言たらしめることを示すと同様に、日本語の口語と文語とはっきり区別される漢文調子のため、漢文の独創性が文字だけでなく音でも浮き彫りにされるものである。何と言っても、現代人にはくどく響く読み下し調子が漢文を日本人に親しませた貴重な道具であるから、気軽にそれを捨てるわけにいかない。一般人が慣れていないから変に聞こえるだけで、漢文文章を好んで読む人ならば、その文体を可笑しく思わないことは言うまでもない。
  また、訓読というのは固定されたものでなく、日本語の文体の一面として歴史のなかで長い道程の後発展した 結果、現代の形になったということを繰り返す必要がない。大ざっぱに言えば、訓読の歴史は二つの極端な困難を避ける過程とみなしてもいい。一つは逐語的な直訳である。その典型的な例はやはり「文選読み」という方法であろう。漢文を原文の二字ずつで読んで、二字の音読を挙げた直後、同じものを訓読で読むという習慣が平安時代では『文選』を始めとして、いくつかの古典で行われたので「文選読み」と呼ばれた。この読み方は後期の漢文学者の批判を浴びてからあまり使われなくなったが、時々『千字文』の様な、文法的に比較的簡単な文章を解読する場合、まだそれに頼る古風好きの人もある。たとえば『千字文』の冒頭の文「天地玄黄」を「テンチのあめつちはコウコウにしてくろきなり」云々と読むのはそれである。訓読として文選読みの価値が非常に低いのは論を待たない判断である。
  文選読みの正反対の方法は意訳としての訓読である。一定した数個の語句を繰り返して使い、熟語を常に音読 で読むという、普通の日本語から見てやや無理な句形としか感じられない読み方を避けて、なるべく自然な文語体に漢文の読み下しを選ぶことである。漢文の「意訳訓読」の一番有名な例はおそらく大江匡房の語る逸話であろう。菅原道真の漢詩の二句「東行西行雲眇眇、二月三月日遅遅」には満足のできる訓読が見つからないところ、 誰かが北野天満宮で夢によって次の読み方を教える:「とさまにゆき こうさまにゆき くも はるばる、きさらぎ やよい ひ うらうら」。その句があまりにも美しく思われたので、現代に到るまで決まって訓読とされてきた(日本古典文学大系の『菅家後集』#四七七、四八〇頁)。この逸話はよく聞く一つの例であるが、しかし、それがいかに例外的な話であるかはあまり意識されていない。この二句を除いて菅公の他の詩句が後期の漢文訓読とさほど変わらない調子で読まれているのが面白い。その二句がいかに奇蹟的なものに見えたことかをよく物語るのである。当時の意訳がよく伝えられなかったので、それを徹底的に行うのは不可能に近い理想というものである。ただ限られた場合には真似しやすい規則を見いだせる。例えば「應」や「當」の訓読は多くの現代人にくどい「まさに…すべし」と読ませる代わりに、簡単に推量形を使った方がはるかに自然な日本語に聞こえる。「まさに読むべし」をやめて、「読まん」にするのが適当であろう。問題点は意訳そのものの定義である。多く機械的な決まり文句と句形に頼る普通の訓読よりは創造的な活動に等しく、文学的翻訳と見なしてもよい。その点からいえば、漢文の読み下しが完全に性質の異なる練習となってしまい、漢文教育の方法を根本的に変えなければ実現できない。

 以上言及した現代日本語と漢文の問題点は非常に重大であるけれども、中国以外の漢字文化圏の諸国の中で日 本における漢字と漢文の地位が一番しっかりしていると断わっておこう。書籍、雑誌、新聞などではまだまだ漢字の数を減らそうとしない上に、むしろ常用漢字の数を増やそうとする傾向がある。毎年行われる漢字検定試験は数万人が受ける。毎月出版される、子供、中高生、大人を対象とする漢字遊びの雑誌の数も実に印象的である。テレビのクイズなどにも四字熟語に関する問題が頻繁に出されるようになったので、その知識を若い人の間に広げるのに効果的である。
  その上にまた、かつてなかった情報学の進歩が漢字の存在には思いがけない援助を齎したという事実に注目し たい。コンピューター技術がまだ今日のように発達し普及されない時代、即ち六十・七十年代のころ、日本、韓国、中国における漢字の将来は非常に暗澹たるものに見えた。多くの欧米の東洋学者が漢字を捨てて、その代りにローマ字を使用することをあらわに進めていた。漢字の放棄を進める理由として、論拠がそれぞれ学者によって違っていたが、主に漢字がアルファベットに比べて言語の音を表わすのに不便だという、伝統的に漢字に向けられる批判を繰り返すだけでなく、また(当時の)現代の情報処理の技術に向いていないという新しい批判も付け加えられた。そういう批判を口にするのは欧米の東洋学者だけでなく、一般の日本人にとっても毎日の仕事の関係で漢字処理の難しいことを嘆いていた。むかし風のタイプライターが日本語、中国語のためにも作られていたが、どれほど不便であったか今の若い人には想像しにくい。英語やフランス語でタイプするより、漢字でタイプするのは十倍ぐらいの時間がかかったといっても過言ではない。日本人の作家たち、特に推理小説作家は、タイプライターをいとも簡単に、いとも早く打ちまくっていたアメリカの小説家を羨ましそうに見ていた。日本の新聞雑誌の在外記者たちもなかなか大変であった。欧米の新聞記者たちは記事などをテレックスで母国に送信していたところ、日本人だけがローマ字で書いた記事を日本に送り、本社ではそれを漢字まじりの仮名に書き直していた。七十年代には確かに「漢テレ」と言って、漢字をテレックスで伝達する機械が発明されたが、それほど便利でなかったせいか、あまり使われなかったようである。中華人民共和国では毛沢東政権が漢字を簡略化することを、中国語の完全なローマ字化への一段階と呼んでいたころであった。まだ七十年代なかば頃、中国では中国語を習う外国人のためでなく、中国人の読者を相手にローマ字の印刷物がたくさん出版された。益々漢字というものは過去の別名となり、歴史の進歩を阻止する障害物としての反感を生み出した存在に過ぎなかった。
  そこで、八十年代中、漢字文化圏の諸国にコンピューターとワープロの使用は予想以上の規模で発達して普及 してきた。新しい電子技術のお蔭で、漢字という文字の処理がアルファベットと同じく簡単で便利になってきた。また十九世紀に発明されたブラン式電送写真装置が同時代に新しい技術に改良され、ファックスという名前の下で蘇った。ファックスは特別に漢字を伝達する為に新しく開発されたようであるが、漢字文化圏以外にも便利な機械とされて欧米にも普及した。情報学の面では、漢字という複雑な文字を扱う必要を理由に、極東の研究が特別高度に達したのではないかとさえ思われる。数年前にフランスのラジオでフランス国立科学研究所の情報学の専門家がインタビューでその意見をはっきりと示したのを聞いて、私は驚いた。彼はさらに一層驚くべき忠告を与えた。欧米でもコンピューターと情報学関係の研究に携わる人ならば皆漢字を覚えたらよい、と断言した。結局、十年ほど前は西洋の知識人が口を揃え漢字放棄論を唱えていたところ、漢字優勢論に変化してしまった。今日の情報学者の考え方がどんな方向に進んだかわからないが、漢字と現代が互いに相容れない観念を失した好例としてこの逸話を述べたまでである。
  中国でも旧字体を新字体に、新字体を旧字体にキーを一つ押すだけで変えられるようになってから、旧文字と 新文字の対立が昔ほど激しくなくなった。漢字だけでなっている中国語をコンピューターで直接にローマ字(ピンイン)を打って漢字に転換できるので、漢字と仮名をまぜる日本語より中国語の方が簡単にコンピューター化させられるとさえ言える。
  こういう思いがけない援助を新しい情報学から直接に受けたのは漢字であったが、漢字を通じて漢文の方もそ の新技術から恩恵を蒙ることは大いに想像できる。