漢文は死語ではなく、私は漢文で論文を書いてますが、何はともあれ、全文轉載。
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二十一世紀の漢文-死語の将来- 3(Kanbun for the XXIst Century ―The Future of Dead Languages― )

Jean-Noel A. ROBERT (ジャン-ノエル ロベール)


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(承前)

  現在の段階で、「死語の生存」という現象を最も明らかにするには、敢えて言うならば、間違いなくラテン語 である。インターネットでラテン語のサイトを調べると、他の「死語」とは比較できない程その言葉に捧げられたところが多い事実は否めない。数十箇所のサイトがラテン語で作られている上、独語、英語、仏語で古代ローマの歴史と文化を詳しく紹介するところも非常に多い。同様に出版物になると、ラテン語の定期刊行物は全ヨーロッパで五つぐらいしかないが、詩集は頻繁に出版され、諸国の文学からの翻訳も多い。「死語」の中では、ラテン語が「生きている」話し言葉に最も近い生命力を示していると言っても過言ではあるまい。いわば、話し言葉になる前の段階のヘブライ語の状態にあると言えよう。
  次にラテン語の復活活躍を三種類にしたがって区別することにする。「復活」という言葉自身にもすこし反感 がある。ありていに言えば、ヘブライ語と同様にラテン語の伝統がローマ帝国、いやローマの共和国の時期から絶えることなく一貫して続いてきた。昔から注意された通り、現在イタリアやフランスの中学校でラテン語を勉強する生徒たちは大学で学んだ教授にそれを教わる。その教授にラテン語を教えた教授自身もまた二世代前に学校と大学でラテン語を勉強した人である。また、そういう風に教授と学生の線を遡れば、ルネッサンスや中世を超えて一直線にローマ帝国の時代に至るものである。中国、韓国、ベトナム、日本に於ける漢文教育ももちろん同じく遠い昔に遡れる伝統を保っているが、フランスの場合、十二歳から十五歳までの生徒の四分の一はラテン語を選択するので、まだまだ多かれ少なかれその長い伝統を汲むひとが多い。次ぎに三種類に分けてみる。
a 宗教的な復興

 六〇年代初期に行われた第二バチカン会議の名で知られるカトリック教会の宗教会議のおり、典礼の言語としてのラテン語の使用を廃止したとよく報告されるが、その言いかたは正確ではない。あの当時の決定は、ラテン語の使用と同時に、現在まで原則として望ましくないと見られていた「俗語」、即ち話し言葉の使用をも許すおもむきを示しただけである。ラテン語の使用を廃止する話はまったくなかったのだが、その決定に基づいて、諸国のカトリック教会がだんだん急進的な方向におもむき、俗語を優先的に使うことにした為に、六〇年代から七〇年代にかけてラテン語が教会の典礼からほとんど姿を消してしまった。私の経験から言うと、現在パリではラテン語で行われるミサを聞くことは不可能に近い。ただ第二バチカン会議の決定と現在ローマ法皇の権威を認めない旧派の唯一の教会だけが旧式の典礼を行っている。大衆の目に一番入りやすい儀式の面ではカトリック教会がラテン語を捨てた如くに見えるが、典礼ほど目立たない学問の面では教会におけるラテン語の立場が意外にまだ強いことがわかる。たとえばカトリックの根本的な教義を明確にするように、最近出版されたカテキズム(公教要理)の決定版がラテン語である。ローマ法皇の教書や勅書をしたためる神学者たちのため、現代社会を論じるのに不可欠なラテン語の新語を大幅に紹介するイタリア語・ラテン語辞典の上下巻もまた二三年前にバチカンのラテン・アカデミーの保護下に出版された。
  一九九九年六月に出たアメリカのタイム・マガジンの記事に依れば、合衆国のカトリックの世界では、驚くべきラテン語典礼の復興が行われつつある。九〇年代の始めごろ、全国のカトリックの司教区の中、六つだけがラテン語のミサを許可していたが、現在一三一の司教区がラテン語のミサを行っている、すなわちゼロに近いところから、全体の七〇%がラテン語にもどったことになる。

b ラテン語教育者における復活

 周知の通り、ルネッサンス時代が古典ラテン語に戻ろうとする言語純化主義の下では、なるべく文法的に正しいラテン語を会話にも使う努力がなされるという特徴を示している。その結果、学生を対象にラテン語の対話集が頻りに上梓された。中でも最も有名なのはエラスムスの著わした対話集『コッロクィア』であろう。その後もラテン語教育を中心に組織された耶蘇会の学校でもラテン語の戯曲が一七世紀中に盛んに作られる様になったが、一七世紀以後ラテン語を日常会話に使う習慣を少しずつ失っていった。その変化の一つの理由として、ラテン語教育の言語学化と文献学化を挙げることが出来る。黄金時代(紀元前一世紀)のローマ文学の文体を標準としたラテン語学者は話し言葉としてのラテン語の利用を益々いぶかしく思う様になった。毎日の会話では、言語学者が要求していた高い文法の標準が守られなく、かえって間違いの源泉になる危険性が強いと思われたからであった。故に、現在に至るまで、職業的なラテン語学者の世界では、教育方法としてのラテン語会話がほとんど皆無になってしまった。
  二〇世紀の後期になると、数少ないラテン語の教授と学者がようやく教育の方法としての会話を見直してきた。一番組織的にそれを発展させたのが、疑いもなくドイツのザール大学の学者を兼ねカトリックの神父でもあるC・アイヒェンゼール(Caelestis Eichenseer)先生であろう。先生は長期間かけて企画された「全ラテン語辞典」(Thesaurus Totius Latinitatis)の編集を長年担当しながら、二十五年程前から毎年夏休みにヨーロッパ の二三ヵ国で「生きたラテン語ゼミナール」を組織して、集中講義の形で年齢を問わず全ヨーロッパから集まった二十人ぐらいの出席者に朝から晩までラテン語会話を訓練させる。アイヒェンゼール神父の革命的な方法が少しずつラテン語の会話の復活に貢献しラテン語の専門家の注意を促して、今やヨーロッパの数ヵ所、たとえばドイツ、イタリア、スペイン、ベルギー、スイス、チェコ、ハンガリーなどでも類似したラテン語会話ゼミナールが催される。参加者の数は合わせて毎年二百人を超えるであろう。
  アイヒェンゼール神父の活動は欧州だけでなく、アメリカにも影響を及ぼして、四、五年前から合衆国のケンタッキー大学とミシガン大学で同じ様なゼミナールが組織されるようになった。特にケンタッキー大学のラテン語会話ゼミナールを担当しているT・タンバーグ(Terentius Tunberg)教授は最近の情報技術を巧みに生かして、独創的かつ画期的な雑誌を作った。それはレチアリウス(Retiarius)という題の世紀初めてのラテン語だけのインターネット・マガジンである。「レチアリウス」という題を選んだこと自体もまた非常に面白い。インターネットの「ネット」のほうが英語で「網」を意味するのは言を俟たないものであるが、ラテン語ではインターネットが「インテルレテ」とよく翻訳される。なおレテ(網)を語根にして、「網投げ闘士」という意味の「レチアリウス」をとったのは、インターネットでラテン語のために戦うという気持ちを含むのであろう。この電子雑誌が年に一度ネットに流されて、色々な分野にわたる内容の豊かな記事を流暢なラテン語で全世界に流すのである。ここでは渡部アキヒコ(ラテン語名はAccius)という若い日本人による芥川龍之介の短編「煙草と悪魔」のラテン語訳を記載するに止める。

c ラテン語学者以外の活動

 教会と大学の枠を超えて、目立つラテン語の復興活躍が多くの分野で行われることが「死語復活」の重要なる一面と見られる。特にヨーロッパ共同体が具体化されると同時に、早い段階から現われた共通言語の問題を解決するためのラテン語のもう一つの得点が浮き彫りにされてきた。共同体の参加国がまだ少なかった時代、スイスなどのような多言語国の組織の規模を拡大するだけで間に合うと思われたが、十一ヵ国語が欧州議会で使用されている現在、唯一の通用語の必要性が痛感されてきた。ヨーロッパ以外の世界でも流通語になった英語の力が他の言葉を遥かにぬきんでている今日、欧州共同体も共通語としてそれを選ぼうとするのは当然な傾向と見えるものの、実際はそんなわけに行かない。欧州議会がもともとフランスとドイツの国境にあるストラスブールから、言語対立の激しいベルギーのブリュッセルに移された時、以前の通用語だったフランス語から概ね英語に取って変わってしまった。しかし多くの人には、英語をヨーロッパの公用語にすることがあまりにも合衆国の支配への降伏を象徴しているかのように見えるのを恐れて、最悪の政策として拒否される。それに対して本来のヨーロッパの共通語としてのラテン語に戻ろうとするかなり強い動きが注目される。その動きの源にはラテン語の教授以外の人が多い。たとえば、今ヨーロッパの首都とも言われるブリュッセルには、ギー・リコップ(Gaius Licoppe)という医者が非常に活動的にラテン語を活性化させようと文化センターを成立して、それを「ラテンの家」(Domus Latina)と名付けた(後 Fundatio Melissa)。このセンターはメリッサ Melissa(蜜蜂)と題する季刊誌を出版している。その内容は多様多彩であり、投稿者はディルク・サクレのようなルネッサンス文学の専門家がいれば、ラテン語を愛好する神父、公務員などもいる。ページ数は少ないが、普通の現代語のマガジンを思わせる活発な雰囲気の読み物に違いない。通信購読でしか手に入らないが、全ヨーロッパに読者がいるだ けでなく、インターネットのサイトも作った。
  もう一つの独創的な復活活動として、フィンランド国営ラジオに毎週一回ラテン語のニュース番組がある。十五分間だけの短い番組であるが、現在の世界を反映するのに必要な新語を広く伝える面から見ると、非常に重要な実験となっている。少し性格の違うアラブ語を除けば、ラジオ放送に通常使われる「死語」は恐らくサンスクリット語とラテン語だけであろう。その番組を作った人々の中に、ツオモ・ペッカネン(T. Pekkanen)教授が いる。彼は古代歴史の専門家である上、フィンランドの国家叙事詩カレヴァラを見事なラテン語に翻訳した人で ある。この翻訳は恐らく二十世紀のラテン文学の傑作と呼んでも過言ではなかろう。一九九八年には、スペイン文学の象徴ともいえるドン・キホーテの全文もラテン語に翻訳した。また、パリのあるラテン語の教授がこれからマルセル・プルーストの長編小説『失われた時を求めて』をラテン語に直す意図を述べた。
  ラテン語をより一般的に広げるため、読み易い読み物をなるべく多く翻訳するのがいい手段と見られた。中には年少者にも親しみやすいのが漫画である。ピーナツのスヌーピー(Snupius)、ミッキー・マウス(Michael Mus)、ドナルド・ダック(Donaldus Anas)の漫画がかなり面白く翻訳されただけでなく、タンタンの冒険が二冊とガリア人アステリックスの冒険が二十冊ほど見事に翻訳されたことも注意されたい。後者の翻訳者は、なるべく楽しい方法で中学生がカエサルの『ガリア戦記』をたやすく原文で読める程度まで導くことが目的で、カエ サルの文体を模倣してその漫画をラテン語に直したわけである。ヨーロッパ中の中高生がその翻訳を読んでいる。むしろ、先生や親が子供に無理にそれを読ませようとするといった方が正確かも知れないが、いずれにしても他のラテン語の書物よりはるかに読まれている。
  最後にエルヴィス・プレスリーの名曲をスメル語だけでなく、ラテン語にも直して、CDに録音したフィンランド人のことを挙げるだけに止めよう。