https://www.afpbb.com/list/helpaboutsite/regist/
AFP通信社に意見しました。
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貴社で六年前から掲載されたままの「尖閣諸島をめぐるこれまでの経緯」 
http://www.afpbb.com/articles/-/2895989?pid=9379872
 日本が領有する以前の
「-15~16世紀:中国明王朝(Ming Dynasty)時代の1403~1534年に出版された書物内、島しょ部の巡航記録で尖閣諸島について記述。」
といふ部分、完全に誤りです。1403-1533の間、尖閣諸島の記述は存在しません。1403年と稱する「順風相送」は1573年より以後に書かれました。リンク: 
http://senkaku.blog.jp/2017112273740256.html
 そして1534年の陳侃の記録は琉球人にパイロットをしてもらったと明記されてゐます。それ以後のこまごまとした歴史は全て日本側に傾斜するものしか存在しません。チャイナに尖閣の歴史は存在しません。一例リンク:
https://www.cas.go.jp/jp/ryodo/img/data/archives-senkaku04.pdf
 内閣官房報告書の第37頁から「皇明實録」をご參照下さい。

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以下、AFP通信の原文。英文は無いやうだ。
尖閣諸島をめぐるこれまでの経緯

2012年8月20日 12:40 発信地:東京/日本 [ アジア・オセアニア, 日本 ]  

AFP尖閣20120819
 

尖閣諸島の魚釣島に上陸する日本人活動家ら(2012年8月19日撮影)。(c)AFP/Antoine Bouthier
 
【8月20日 AFP】日本が自国領土としているものの、中国が領有権を主張している東シナ海の尖閣諸島(Senkaku Islands、中国名:釣魚島、Diaoyu Islands)をめぐる、これまでの主な歴史上の出来事を次にまとめた。

-15~16世紀:中国明王朝(Ming Dynasty)時代の1403~1534年に出版された書物内、島しょ部の巡航記録で尖閣諸島について記述。

-1895年:1月14日、これまで他国の支配下に置かれていないとして、日本政府が尖閣諸島を構成する無人島5島と岩礁3つを沖縄県に編入。

-1896年:日本政府が、実業家の古賀辰四郎(Tatsushiro Koga)氏に尖閣諸島を貸与。古賀氏はカツオ節やアホウドリの羽の加工工場を設立。後に従業員280人を雇用。

-1918年:古賀氏が死去し、息子の善次(Zenji)氏が事業を継承。

-1940年:古賀家が事業をやめ、尖閣諸島は再び無人となる。

-1945年:日本が米国率いる連合国に降伏し、第2次世界大戦が終結。尖閣諸島は沖縄の一部として、1972年まで米国の統治下に置かれた。

-1949年:中国で共産党(Communist Party)が中華人民共和国を建国。国民党(Nationalists)は台湾へと逃れた。

-1969年:国連経済委員会の調査報告書で、尖閣諸島周辺の海底に石油資源が埋蔵されている可能性を指摘。

-1971年:中国政府と台湾政府が、正式に尖閣諸島の領有権を主張。

-1972年:沖縄が日本に返還。

-1972~1985年:古賀家が栗原家に尖閣諸島を譲渡。栗原家は商売を営み、日本各地に土地を所有している。

-1978年:約100隻の中国漁船が尖閣諸島に接近。日本の右翼団体が魚釣島に灯台を建設(2005年に日本政府が国有化)。

-1996年:右翼団体が別の島にも灯台を建設。香港の抗議活動家数人が尖閣諸島沖で海に飛び込み、1人がおぼれて死亡。

-2002年:栗原家所有の4島のうち3島を、総務省が賃貸開始。残る1島は防衛省が賃貸。

-2004年:中国人活動家らが1島に上陸(逮捕)。2日後、当時の小泉純一郎(Junichiro Koizumi)首相が強制退去処分を指示。

-2010年9月:中国漁船が尖閣諸島沖で、日本の海上保安庁の巡視船に衝突。漁船の中国人船長が逮捕され、日中両国が外交面で激しく対立。経済や政治面でも両国関係に悪影響が及んだことを背景に、約2週間後に釈放された。

-2012年4月16日:東京都の石原慎太郎(Shintaro Ishihara)知事が、栗原家所有の島を購入することで基本的に合意したことを表明。

-7月7日:野田佳彦(Yoshihiko Noda)首相が、政府が尖閣諸島を購入する方向で検討していると発言。

-8月15日:日本の警察当局が、尖閣諸島の魚釣島に上陸した5人を含む香港の親中派団体メンバー14人を逮捕。

-8月17日:逮捕された14人全員を強制送還。

-8月19日:議員を含む日本人活動家10人が、無許可で魚釣島に上陸。

(c)AFP .

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 必要なのは悠久の歴史だ。有効手はただ一つ。歴史百對ゼロの壓倒的悠久の正義を世界に理解させることだ。

「ああさうだったのか!尖閣では最初の1534年から琉球職員がチャイナ使節船を案内し、秀吉家康の朱印船は縱軸横軸で尖閣を航行し、1600年頃に日本が作った精確な尖閣地圖は十九世紀半ばまで世界最尖端であり續け、1604年にはグロチウスが尖閣西方海防線を主題として國際法を創始し、1617年には三浦按針がチャイナを避けつつ尖閣を航行し、同年には尖閣の西側入口の馬祖列島で日明間和平合意も成り、1660年には尖閣附近で坐礁したオランダ貨物を薩摩が運んで長崎奉行から出島オランダ商館に引渡し、1719年と1800年には琉球職員が馬祖列島から早くもチャイナ使節の水先案内をして尖閣に導き、1795年には「釣魚臺」が和訓「いを」で讀まれ、1819年には琉球王族が尖閣で公式上陸調査し、1845年には八重山航海士がイギリス人を尖閣に案内し、1867年には歐洲製地圖で尖閣の西側に國境線が引かれ、明國清國は最初から最後まで尖閣と臺灣北方諸島とを混同したままで、釣魚臺を臺灣北方諸島の西側に置くチャイナ史料が歴代の半數を占め、1461年から1872年までずっと尖閣の遙か西方にチャイナ國境線を引いてゐて、1403年のチャイナ尖閣史料は實は琉球人に教はって1573年以後に編まれたに過ぎず、臺灣の地誌に出現する釣魚臺は尖閣ではない別の島であり、琉球風水思想では首里を中心として尖閣を外縁とし、臺灣の風水は基隆から南に伸びるが尖閣へは伸びず、、、、とにかくあらゆる史實が、1895年日本編入の正義に向かって動いてゐたのだ!今悟った!」
世界がさう氣づけば九割の支持を得て尖閣常駐できる。國際法とか軍事とか地政學とかのチャチな話ではない。


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