朝日新聞。
朝日300626皇帝家康

朝日に書かれてゐない事。ヨーロッパでチャイナ皇帝はemperorとされる場合も多かったが、早い時期ではチャイナはRey(Roy=王)とされてゐた。
 また、ヨーロッパでroyと呼ばうがどうだらうが、漢字としては當時から長崎王、薩摩王などが普通だった。大名が王、琉球も王、同格なのである。琉球だけを王國と呼ぶのは歴史のウソである。
 歐洲に關心の無い私は、フランスの古地圖にチャイナをRoy-aumeとしてゐるのを見て、イギリスUnited Kingdomの單數みたいなものだらうと思って支那聯邦と譯したこともある。しかし多くの歐洲尖閣史料を目にする内に、チャイナが一つのRoy國だと分かった。RoyのチャイナよりもEmperorの日本が格上だった。昔或る學者が日本がempireでチャイナがroyといふ件について論文を書いた。誰だったか失念したのはご容赦頂きたい。
 勿論、漢字の王は歐文のRoy(king)だと決まってゐるわけではなく、漢字の琉球王をLord of Ryukyuと譯しても良い。帝・王とEmperor, Rey(roy,king)とは一對一に譯語が決まってゐるわけではない。歐洲で呼ばれたからどうといふわけではない。「歐洲で認められたから嬉しい」などと喜んではいけない。日本人はただ大きくそのまま日本人だ。
 何故日本がチャイナよりも格上だったか。明國は藩部(蒙古・西藏・新疆)を未だ侵掠せず、チャイナ本土及び長江以南だけでは、あまり大きくなかった。且つ地理的に精確な大きさも分からなかった。且つ文字文化(漢文)以外の文明度では日本が上だった。日本は六十六州と呼ばれ、かなり大きいイメージだった。日本は朱印船制度で東南アジアにも進出してゐたが、チャイナはそのやうな海洋覇權を持ってゐなかった。
 家康が皇帝で大名が王、長崎奉行長崎代官も王だといふのは史學の常識だが、まあ朝日がチャイナを除き部分的にでも載せたのは良いことだ。
關聯: 日葡條約。
 幕末の條約でもポルトガルが王、將軍はemperor。多分他の幕末條約も同樣だらう(presidentを除く)。幕府から見れば日本が格上だから、これが不平等條約だとは思はなかっただらう。關税自主權を喪失したといふが、關税を相手國と協議して決めるといふだけのことで、幕府側は不平等だと思はなかった筈だ。日本が歐洲に進出しても同じく協議できるつもりだったに違ひない。當初は日本が歐洲に進出するつもりではなかったのだらう。假に不平等だと分かってゐれば、幕閣は切腹するほどの大事だ。
 關聯:フェートン號事件で長崎奉行松平康英が切腹。
 幕末の治外法權も、唐人屋敷内で唐人が殺されたくらゐの意識で、「外國人が居留地内で自分で解決しろ」といふ程度の考へだったのではないか。今度勉強してみよう。