大槻磐水婆心秘稿ワシントン
大槻玄澤「婆心秘稿」卷二。末尾に巳年と署す。
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八重山20180325-21

八重山20180401-22

清國側よりずっと早いフェートン號事件直後の1809年(巳年)正月、出島蘭館長ドゥーフの答辯。國會圖書館藏。
http://www.ndl.go.jp/nichiran/data/R/006/006-003r.html
http://www.ndl.go.jp/nichiran/s1/s1_2.html
國會圖書館解題より轉載:  「婆心秘稿」 大槻玄沢編 箕作阮甫写 1冊 当時オランダ船の来航がなくアメリカ船を使用したりするのは、種々の疑惑を招いた。本書所収の「捕影問答前編」で大槻玄沢は、アメリカ船とは実はイギリス船ではないかと述べ、後編でもフェートン号事件を詳述、イギリスに備えるべきことを説いている。また、商館長ドゥーフは日本側の疑問に答えた「御穏密御調ニ付横文字文意申上候書」の中で、アメリカ船を使うのはオランダ本国がイギリスに占領されたからではないかという疑惑を否定、アメリカは自立し英領でなくなったことを述べている。日本人はドゥーフにより、30年以上経ってはじめて合衆国の独立や「酋師ワスシントン」のことを知った。箕作阮甫書写・旧蔵。
http://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3947570/79
http://www.ndl.go.jp/nichiran/data/L/006/006-006l.html
http://www.ndl.go.jp/nichiran/data/L/006/006-007l.html

草書の釋字:イギリスと合戰の時、酋師ワスシントン(人名)といふ者、良將にして、武勇を顯し、イギリス勢を妨害して勝利を得たり。是によりて右酋師の死する五六年以前に、その名譽を舉て北アメリカ洲に新に都會を創立し、その地を稱してワスシントン(人名を都名とす)と名付しとなり。

 幕府側はこのやうな情報を入手してゐたが、民間では蠻社の獄の時になってもまだ新興英米をよく分かってゐない。情報統制が行き屆いてゐたのだ。しかし現代の自由主義に投影して幕府を批判する材料にしてはならない。

 例へば江戸幕府が作成した國繪圖は、江戸初期からずっと琉球を含んでゐた。しかし民間の長久保赤水などの日本圖では琉球を含まない。民間では琉球を外國だと勘違ひしてゐる。しかも伊能忠敬圖のやうな高水準のものは秘藏されて民間では見られない。民間の林子平の圖は可哀相なほど低水準である。情報統制の中で外國情報を意識せよと大聲疾呼した奇人林子平の先見の明こそ貴いのであって、地圖の水準の高下は問題ではない。幕府から見れば林子平圖は「地理相違の繪圖」であった。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/872492/72

 そんな幕府の情報を一手に司る高橋景保が、シーボルトと個人的に交際しただけでも幕府はそれはそれは怒るに決まってゐる。今で言へば防衞省情報局長である。



關聯情報:
http://yogakushi.jpn.org/announcements2016.html
洋学史学会25周年・記念大会
日時:2016年5月7日(土)
会場:電気通信大学東3号館301教室
10:00~ 第1部 テーマ:地域の洋学、諸学の展開
「アメリカ」理解をめぐる変遷 ―大槻玄沢『婆心秘稿』から箕作省吾『坤輿図識』まで   橋本真吾(東京工業大学大学院博士課程)


https://www.shibunkaku.co.jp/publishing/list/4784207821/
「洋学史論考」佐藤昌介 著
    1993年05月
第一篇 大槻玄沢の研究
 第二章 『婆心秘稿』を手掛かりにして-
  ドゥーフ「回答書」の検討
  ドゥーフとの問答をめぐって
  幕府の再問とドゥーフの回答