このリンクのブログに、
「モンゴル帝国(大元大モンゴルウルスーいわゆる「元」)と向き合った「日本」は、中華の文化や品物を求めて多くの人々が大都をはじめとする元の都市に赴く。禅宗の僧侶であったり、商人であったりするのだが」

と書いてあったので、意見を投稿しようとしたのだが、文字認證がうまく行かないので、以下、自分の處に書いて置く。
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こんにちは。「中華の文化や品物を求めて多くの人々が大都をはじめとする元の都市に赴く」とのことですが、入元僧の大多數は長江流域以南で活動し、北京に行脚した稀少例が雪村友梅と、かの雪舟等楊(明國時代)くらゐに過ぎません。逆に教へる側ですから、基本的に北京が中華であらう筈がありません。勿論、今の北京政府は黄河中原文明とか北方こそ中華だと歪曲したいわけですが。
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以上が書き込み未反映の文。
 雪村友梅以外では、古源邵元といふ禪僧が嵩山少林寺で幾つも石碑が發見されて頓に著名となったが、大都にも行脚したといふ。關聯論文は下の通り。

入元僧古源邵元の軌跡(下)嵩山少林寺首座から京都東福寺住持へ
    佐藤 秀孝
    駒沢大学仏教学部研究紀要 (61), 73-140, 2003-03
https://ci.nii.ac.jp/naid/120005387918
入元僧古源邵元の軌跡(中) : 嵩山少林寺首座から京都東福寺住持へ
    佐藤 秀孝
    駒澤大學佛教學部研究紀要 60, 199-240, 2002-03-31
https://ci.nii.ac.jp/naid/110001000970
入元僧古源邵元の軌跡 (上) -嵩山少林寺首座から京都東福寺住持へ-
    佐藤秀孝
    駒澤大學佛教學部研究紀要 54, 147-188, 1996-03
https://ci.nii.ac.jp/naid/110007014998
日本僧邵元の撰文せる嵩山少林寺の碑    常盤大定
    東洋学報 17(2), 228-252, 1928-10
https://ci.nii.ac.jp/naid/120005699832


佐藤氏の「古源邵元の軌跡(中) 」の第223頁から邵元の大都行を述べる。續いて第225頁から、今一人「東洲至道」といふ日本僧が大都の寺に住持したことも述べる。言ふまでもなく、彼らは大都に求學したのでなく、高僧として教學を請はれたのである。大都に求學した日本僧は、まあゼロだらう。

大都に住した日本僧が少ないからこそ、彼らの事跡には價値がある。しかるに大都の中華文明にあこがれて多くの僧侶が留學したかのやうな虚構の宣傳に、日本人がころりと引っ掛かるのは何故だらうか。中華人民共和國が基本的にウソを國是とすると分からない日本人。あまりにも善良にすぎる。


雪村友梅漫畫

木宮日華大都