今朝の産經で、大陸棚の爭ひが報じられてゐる。
海保がしっかり調査することは大切だが、
いつもながら歴史が置き去りにされてゐる。
そのため日本の百とチャイナのゼロであることを
理解せぬ記事となってゐて、政府當局も百對ゼロを
理解してゐない樣子である。
日本は大陸棚に立派な領土を有してゐる。
悠久の歴史の尖閣だ。これは百對ゼロである。
私は素人ながら、大陸棚延長とやらを議論するのは
全く無意味だと思ふ。なぜなら東支那海大陸棚には、
日本の領土とチャイナの領土と、兩方あるのだから、
大陸棚が延長しようがすまいが、兩國の權益に變化が
あるはずがない。尖閣が立派な歴史を持つ日本の領土
だといふ意識が無いから、大陸棚が議論になるのだ。
歴史意識を持てば、こんな議論は雲散霧消だ。下らないのだ。
「反證」するなら歴史で反證すべきであり、
歴史の結果として大陸棚上の領土尖閣があるのだから、
結果を現代の自然科學で證明するといふ報じ方は通じない。
前提として、假に尖閣が完璧な領土ではないならば、
自然科學で反證せねばならぬといふ理屈が出て來てゐる。
假に科學調査の結果チャイナの主張が正しければどうなのか。
科學データにもとづき歴史を放棄するのか。全くをかしな話だ。
勿論、調査は大切である。素晴らしいことである。
調査される皆樣には心から感謝したい。
ただ、議論は下らないからやめよう。何故なら百對ゼロだから。

以下今朝の産經新聞。記事途中まで。
産經300617c切

産經300617d切


 必要なのは悠久の歴史だ。有効手はただ一つ。歴史百對ゼロの壓倒的悠久の正義を世界に理解させることだ。

「ああさうだったのか!尖閣では最初の1534年から琉球職員がチャイナ使節船を案内し、秀吉家康の朱印船は縱軸横軸で尖閣を航行し、1600年頃に日本が作った精確な尖閣地圖は十九世紀半ばまで世界最尖端であり續け、1604年にはグロチウスが尖閣西方海防線を主題として國際法を創始し、1617年には三浦按針がチャイナを避けつつ尖閣を航行し、同年には尖閣の西側入口の馬祖列島で日明間和平合意も成り、1660年には尖閣附近で坐礁したオランダ貨物を薩摩が運んで長崎奉行から出島オランダ商館に引渡し、1719年と1800年には琉球職員が馬祖列島から早くもチャイナ使節の水先案内をして尖閣に導き、1819年には琉球王族が尖閣で公式上陸調査し、1845年には八重山航海士がイギリス人を尖閣に案内し、1867年には歐洲製地圖で尖閣の西側に國境線が引かれ、明國清國は最初から最後まで尖閣と臺灣北方諸島とを混同したままで、釣魚臺を臺灣北方諸島の西側に置くチャイナ史料が歴代の半數を占め、1461年から1872年までずっと尖閣の遙か西方にチャイナ國境線を引いてゐて、1403年のチャイナ尖閣史料は實は琉球人に教はって1573年以後に編まれたに過ぎず、臺灣の地誌に出現する釣魚臺は尖閣ではない別の島であり、琉球風水思想では首里を中心として尖閣を外縁とし、臺灣の風水は基隆から南に伸びるが尖閣へは伸びず、、、、とにかくあらゆる史實が、1895年日本編入の正義に向かって動いてゐたのだ!今悟った!」
世界がさう氣づけば九割の支持を得て尖閣常駐できる。國際法とか軍事とか地政學とかのチャチな話ではない。


.