カールグレンは漢字音學の草創者に非ず。當り前の事なので、まづこの標題だけで人に笑はれる。しかし先日、或る米人が少しばかり漢字音學の初歩を齧ってゐて、私に對して言ふには、
「カールグレンは誤りが多いが、しかし最も早く音標を用ゐ、最も早くチャイナ以外の漢字音と比較し、最も早くチャイナ語の方言の字音を比較したから、一番偉い」
と。
 この米人を素人と笑ってはいけない。今でも歐米の學界ではこのやうな自惚れが支配的なのである。念のため、カールグレン(西暦1915年から漢字音學研究を刊行)よりも以前の漢字音研究を二三ここに舉げて置かう。

大島正健『支那古韻考』明治三十一年(西暦1898年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993666
上古音を探究。ローマ字音標を使用。

 大島正健『韻鏡音韻考』明治四十五年(西暦1912年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088291
官話、江南音、廣東音、日本音、廈門音などを比較。ローマ字音標を使用。

他に大島正健著作。大阪大學岡島昭浩氏ネット頁。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/oosima/

『支那音韻斷』滿田新造、西暦1915年。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/942679
朝鮮音、安南音(ベトナム音)、梵語などと比較。ローマ字使用。「斷」といふ書目はそれまでの先行研究の存在を前提としてゐる。

陳第『毛詩古音考』『屈宋古音義』。明國、西暦十七世紀初葉。
https://books.google.co.jp/books?id=TLEsAAAAYAAJ
明國各地の字音を使用。上古音を推測。

 現代の目から見れば、これら諸家はみな誤りだらけである。しかしそれぞれ草創の功は沒すべからざるものがある。カールグレンもまた誤りだらけなのは先輩諸家と同じである。ただ先輩よりも材料を増やして、研究を一歩進めることができたといふだけに過ぎない。
 そもそも、漢字音を非漢字文化と比較したのは、六朝から既にあったことで、唐までに成った『韻鏡』はその綜合である。カールグレンの創始ではない。
 カールグレンは近代西洋の方法を最も早く用ゐたとの評もある。その理由は二つだらう。第一に近代西洋のローマ字を用ゐたこと。これは大島正健が先だ。第二に『切韻』にもとづいて中古韻部を極めて細かく分けたこと。これはとんでもない。韻部を細かく分けたのはカールグレンの最大の誤謬であって、「細かいから近代的らしく見える」といふ見掛け倒しに過ぎない。
 そもそも韻部を細かく分けたのは『切韻』作者であって、カールグレンではない。カールグレンはそこに愚直にも逐一ローマ字をあてはめただけである。問題は、『切韻』の細かな韻部は一時代一地域の純粹音ではなく、異なる時代地域の複合物である。清國の段玉裁らが既にそこに言及してゐる。カールグレンは先行研究を無視して、『切韻』の統一的字音體系がそのまま過去に存在したかのやうな誤解を歐米にひろめた。
 要するにカールグレンの功績は、漢字音學の存在を歐米に宣傳したといふだけに過ぎない。今人がカールグレンを高く評價するのは單に東洋人が歐米崇拜し、もしくは歐米人が自惚れてゐるだけだ。「漢字音の存在を歐米人に知ってもらった、嬉しい!」。つまり近年はやりのネトウヨの「日本凄い!」「東洋凄い!」と大差ない。

ついでながら、大島正健『漢字聲符考』第三十六頁に曰く、
「我がやまとを邪馬臺を以て寫したるに因りて、台のtoに近き音なりしを知るべし」
と云々。(西暦1913年刊)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949884/23
邪馬臺にyamatoといふローマ字を早くも充ててゐる。參考:
http://senkaku.blog.jp/2016042358843504.html
(本ブログ平成二十八年四月二十三日、邪馬臺國は「やまとこく」と讀み換へよ、魏志倭人傳の時から「やまと」は存在した )

大島正健

Chan, Y. A. [陳以信]. (2006).
"A reconstruction of late middle Chinese".

 (Thesis). University of Hong Kong, Pokfulam, Hong Kong SAR.
http://dx.doi.org/10.5353/th_b4501540
http://hub.hku.hk/handle/10722/159130

page 64:
Dong 1949 is, in a way, a reaction to his teacher’s paper Luo 1933b,
the first attempt to seek a phonetic explanation
for the inner/outer distinction in terms of Karigren’s
Ancient Chinese reconstruction. Granted, Luo is definitely not the first to
propose that the inner/outer turning is somehow related to the vowel.
Based on Sino-Japanese readings Oshima (1913) already proposed that the inner turning involved vowels such as /o/, /u/ and /i/, whereas the outer turning had vowels /a/ and  /e/;
and in Oshima 1926 he brought out the idea
that the zhen she should belong to the inner turning.
Oya (1924) further proposed to move the dang she to the outer turning,
and in Oya 1932 he decided to move the guo she to the outer turning as well.
Luo 1933b already includes an adequate summary of the views
of Oshima and Oya that I need not repeat here.
As we shall examine further below in Chapter 4, the general tendency
that the inner turning has Japanese reflexes of hi, I
u! and /o/ while the outer turning has Ia) and /e/ is very strong indeed.
The dispute surrounding the zhen, dang and guo she
originates from the discrepancy between their traditional inner/outer status
and their Japanese reflexes.

reconstruction_late_middle_Chinese_陳以信_page64大島正健に論及

Karlgren
Bernhard_Karlgren