『今昔物語』中の臺灣について。近日中に八重山日報の談話連載に載ります。
-----------------------
今昔物語には臺灣らしき島が二度出現する。
ともに人食ひ人種の島である。

第一は卷十一、第十二條
「智證大師、宋にわたり顯密の法を傳へて歸り來たる語」。
唐の後期、密教を日本に傳へた智證大師圓珍の事跡。
圓珍は仁壽三年(西暦八百五十三年)八月十三日、
唐商良暉の船で琉球國に到達し、人食ひ人種に出逢ふ。
しかし俄かに東南の風を得て、西北に向けて快速航行し、
翌日の正午には福州沿岸の連江縣に着いた。
この「琉球國」はどこか。
西北に向けて一日で福州に着くのだから、
この琉球は臺灣である。

第二は卷三十一、第十二條
「鎭西の人、度羅の島に至りし語」。
九州の或る老人が語った事。
西南方向の「度羅の島」は人食ひ人種の島であるとのこと。
とらのしま、とらしまTorasima、と讀むべきだが、
たくらのしまの可能性も否定できない。

人食ひの傳聞はチャイナ側でも往往存する。
沖繩から八重山までの歴史では殺人食肉といふ事は無かったが、
臺灣は近代まで人食ひ島として有名である。
臺灣の名譽のために言ひ添へれば、
臺灣島には東南アジアなど各地から到達した
樣々な人種が居住してをり、
隣村とも顔や言葉が全く異なるのが通常である。
そのため隣村との戰爭で勝ったことを誇るために
往往村門に髑髏を掲げてゐた。
丁度日本の戰國時代のやうな状態が
千年間二千年間と續いてゐたのである。
從って今昔物語の二條はともに臺灣と考へてほぼ間違ひない。

今昔物語に載るやうな話は、近代以前の人々にとっては
中々有名であった。漂流談の元祖である。
江戸時代の『通航一覽』卷一「琉球國部」一に曰く、
「宇治大納言が今昔物語に、仁壽三年宋の商人良暉が、
琉球に漂流の事を載せて、既に琉球と記したれば、
洪武以前今の文字を用ゐし事知るべし」
と。しかし今昔物語の成立は洪武年間(西暦十四世紀末)
よりも前だとは確定できないらしい。
まして卷十一の現存寫本中で
最善とされる實踐女子大學藏二十六册本は
洪武以後の傳寫に違ひない。
『通航一覽』が琉球史の劈頭に掲げるのだから
今昔物語の琉球の知名度は高かったのである。
『通航一覽』ではこれを沖繩と誤認した。
しかし西北に一日で福州に着く人食ひ島は沖繩ではない。

今昔物語の度羅島についても、
明治四年(西暦千八百七十一年)に
臺灣島南部に漂着したかの宮古船の船客が
生還後に語った記録では、
漂着地が今昔物語の度羅島だと思って懼れたといふ。
船客「島袋龜」氏の口述として、
藤崎濟之助氏記録に見えるらしい。
(藤崎濟之助『臺灣史と樺山大將』を檢したが見えず。要確認。)
沖繩人にとっては怖ろしい人食ひの度羅島を沖繩だと思ふ筈が無い。

南方新社『しまぬゆ』第一號の第四十二頁では、
今昔物語の琉球及び度羅島をともに沖繩とする。
そして平安貴族が沖繩を蔑視してゐたことを示すのだといふ。
殘念ながら沖繩ではなく臺灣であるからこの説は通じない。

ついでながら、鎌倉時代の『漂到琉球國記』の人食ひ人種も
沖繩ではなく臺灣である。どうもこのあたり、

琉球が日本と全く異なる文化だったといふ虚構説となって、
誤った琉球獨立論に利用され勝ちのやうだ。


なほ、沖繩を含む日本にも、姥捨てや葬式で屍肉を食らふ習俗があった。各地にあり、沖繩にもある。これらは戰って人を殺す食肉ではなく、葬俗であるから混同してはならない。
伊波普猷「南島古代の葬制」
    昔は死人があると、親類縁者が集って、其肉を食べた。後世になって、この風習を改めて、人肉の代りに豚肉を食ふやうになったが、今日でも近い親類のことを真肉親類(マツシシオヱカ)といひ、遠い親類のことを脂肪親類(ブトブトーオヱカ)といふのは、かういふところから来た。


田村浩「琉球共産村落の研究」
    死体食肉の風は同族親近を表徴し今尚宮古、国頭、糸満地方にありては原始食人の慣行口碑に遺れり。「婆を焼いて嗅もかぐことできぬ程縁遠き者よ」といへるあり。又糸満にありては葬式後豚を屠りて血族に其の骨を頒り、縁者は必ず戸外に出で、之を齧る慣行二三十年前迄事実として行はれり(仲地紀晃氏実験談)。国頭地方には今尚豚を屠り葬送の意を「婆(又はヂヂ)を食って来たか」と称せるあり」


田山花袋「琉球名勝地誌」
    「西表与那国二島の土民人肉を食ひし事」。 


池間栄三『与那国島の歴史』
親類に死人の出たことを老人に告げると「アンスカ・ムム・ファリンサカメ(それでは、股、食べられるね)と言われたものである。


佐喜真興英「南島説話」
昔下方(しもかた、島尻)では死人があると、山羊と一所に煮て食ったさうだ。然るに中世或る孝行者が生れ、親の死体を食べるのは如何にも情に於て忍びなかったので、牛を屠って、皆に此を提供し、「親の代りに此を食べて下さい」と云った。それ以来屍を食ふ代りに葬式に牛豚等を屠って、此を会葬者に御馳走する風俗が始まったとのことである。


崎原恒新「南島研究」8号
昔与那国島では老人を殺して食べる習俗があった。若者は、「次は誰を殺して食べようか」などと話し合った。親思いの若者がいて、島にもちあがった難題を親に解かせ、以来、村人は老人の大切さを知り、それ以後は豚肉をもって代用するようになった。
   

「東京人類学会雑誌」第5巻第52号(明治23年7月)所載、田代安定「沖縄県八重山列島見聞余録」
昔し我か島では諸人の風儀太た自儘にして誰ても人が死ぬと頭でも手でも背脊でも脚でも何処の差別なく皆々寄り集りて割き取り喰ひ致し居し。


池間栄三「与那国の歴史」 (1972年) P38 
与那国の葬儀に獣肉料理を喰べる風習は、上代に死人の肉を食べていた風習の名残だといわれている。



琉球新報
明治42(1909)年5月6日。臺灣遭難者「島袋龜」記事。
「臺灣避難者追懷談」明治42(1909)年5月7日第一面、第6・7段。
「臺灣避難者追懷談」明治42(1909)年5月11日第2面第4・第5・第6段。



以下は關聯リンク。
今昔物語の智證大師、現代語譯。
http://blog.goo.ne.jp/miyabikohboh/e/9953641dd44fc3fe391eac25a1899075

今昔物語の度羅島。
https://ameblo.jp/yk1952yk/entry-11191707551.html

『通航一覽』卷一「琉球國部」一。
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/tsuruta/sei0010.htm

藤崎濟之助『臺灣史と樺山大將』昭和二年。遠隔送信電子版複製濟。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920976

藤崎濟之助記録、島袋龜口述。

http://blog.xuite.net/cgs0648/twblog1/123858234

宮内廳書陵部藏『漂到琉球國記』遠隔送信電子版。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9888014



「宮古島台湾遭難事件-生還者の子孫が今に伝えるもの」
里井洋一  2011-2-11
沖縄県歴史教育者協議会
歴史と実践 no.30 p.39-47 
http://hdl.handle.net/20.500.12000/18867


大濱郁子「牡丹社事件はなぜ起こったのか」、第三屆『臺日原住民族研究論壇』發表論文。
https://web.alcd.tw/news/index.php?id=332
https://www.ptt.cc/bbs/NCCU10_Ethno/M.1282237631.A.7E1.html
https://140.119.115.26/bitstream/140.119/79776/1/36.pdf


加害の元凶は牡丹社蕃に非ず--「牡丹社事件」からみる沖縄と台湾
        大浜 郁子        二十世紀研究 (7), 79-102, 2006
        二十世紀研究編集委員会
https://ci.nii.ac.jp/naid/40015349273


「牡丹社事件」再考--なぜパイワン族は琉球島民を殺害したのか
        大浜 郁子        台湾原住民研究 (11), 203-223, 2007        風響社
https://ci.nii.ac.jp/naid/40015478434


「樺山資紀蘇澳行」    作者:藤崎濟之助原著; 林呈蓉譯註
玉山社  2004/08/01
林呈蓉以藤崎濟之助之《臺灣史と樺山大將》為底本,譯註成《樺山資紀蘇澳行》(玉山社,2004)
https://24h.pchome.com.tw/books/prod/DJAP0R-A52465516


照屋宏『牡丹社遭難民墓碑改修報告書』(1928年3月)

(平良市史第三册資料前近代に重録。複製濟)  
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA57257962


「宮古島民台湾遭難事件」宮國文雄著
那覇出版社, 1998
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA36408232


人喰いの民俗学 歴史民俗学資料叢書2 編著:礫川全次 批評社
https://hanmyouken.net/?pid=107378225


与論島クオリア
喜山荘一 《与論だけの“あの感じ”を言葉にする》《与論・奄美・沖縄(琉球弧)の“同じ”を発見する》
2014/08/27
琉球弧の骨噛み
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2014/08/post-2216.html



漂到琉球國記_琉球大學

  ▲『漂到琉球國記』。琉球大學圖書館展示史料、原本は宮内廳。