ケンペルは西暦1692年に長崎出島に居住した。その著『日本誌』に掲載された「御條目」(Godziomoku)第五條が幕府が琉球領有をオランダに毎年宣告してゐること、最近拙著に書いた。
http://www.naigai-group.co.jp/_2017/10/post-66.html
(島嶼研究ジャーナル7-1「ヨーロッパに流布した幕府の琉球領有宣言」)

ケンペル『日本誌』は西暦1728年から英、獨、佛、蘭語で刊行された。書中では「御條目」だけでなく、また琉球を薩摩の屬下としてゐる。その情報がヨーロッパで刊行された地圖にも採用されたことは、上記論文には間に合はなかった。ここにひとまづ掲載して置かう。Homann氏の名を冠する1739年地圖。

Homann_1752_Imperii_Russici_琉球_Rumsey12138033

Lequeyo=Riukiu。薩摩侯。日本(ラテン語Iapon)の屬國。
 これはかなり稀少である。ケンペルの日本情報はかなり歐洲で流布してゐましたが、その中で琉球に言及した個所は少ない。そのためケンペルの琉球情報は、ほとんど歐洲で流布しない。琉球單獨の流布は少ない。その中でこのホーマン地圖は注目に値ひする。
 
後に1751年ゴービル「琉球録」で琉球がチャイナの朝貢國として記述されて以後、琉球は日本なのかチャイナなのか、兩系統の情報が同居する時期が續き、十九世紀になって琉球を訪問する歐洲人が一人また一人と出現するに隨ひ、琉球は矢張り日本だとの認識が廣まる。ところが明治になって1879年分島改約案などの影響で、また琉球は日本なのかチャイナなのか分からぬといふ空氣が生まれ、その後次第に矢張り日本だといふことになって行く。

書誌。ラムゼー氏電子圖像庫。
https://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~290987~90067322
Johann Baptist Homann(1663-1724)
刊行者:Homannianis Heredibus
圖册題『Major Atlas Scholasticus』
第33圖題「Imperii Russici et Tatariae Universae」
圖中署名年:1739
圖册刊行年:1752
ラムゼー圖像庫番號:12138033。

第33圖中の左下の製圖年は1739年とあり、圖册の扉の刊行年は1752年とある。
https://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~290956~90067353

ヨハン・ホーマン。ドイツ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Homann

關聯論文:「ケンペルが持ち歸った萬國總界圖」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007154193
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https://web.archive.org/web/20171031005717/http://senkaku.blog.jp/2017103173362001.html
http://archive.is/dbXSD
https://twitter.com/ishiwinozomu/status/925166428407218176
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