明治三十三年、伊能嘉矩「アシンコルト島調査復命書」。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/th/investigation/
貴重な資料である。田中邦貴ネット。

臺灣北方諸島中の「彭佳嶼」について曰く、
「第三島は支那人の呼びて彭佳嶼或は草萊嶼又鷄心嶼と稱し、俗に大嶼と言ひ、西人の呼びて「アジンコルト」島 Agincourt Id と稱するものにして、彭佳及び草萊の名は「此嶼幽邃、不泥俗塵、可以靜養神氣、如古昔老彭祖住居佳景之壽山」といひ、「遍山皆草芥、如入無人之境、亦彷彿仙家之蓬萊」といふに因み」
云々と。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/th/investigation/10.pdf

伊能嘉矩アシンコルト島調査復命書彭佳嶼田中邦貴

 知り得る限り「草萊嶼」(草莱嶼)はこれが始出である。清國の臺灣方志にはそもそも彭佳嶼(彭家山)が見えない。彭佳嶼は琉球への航路中にだけ出現する。
 鷄心嶼は范咸『重修臺灣府志』の卷前「淡水廳圖」及び卷一「山川・淡水廳」所載の鷄心嶼にもとづくであらう。しかし『重修臺灣府志』の鷄心嶼の位置をよく見れば、彭佳嶼ではない。伊能嘉矩(もしくは地元協力者)の武斷と思はれる。
 數年後、吉田東伍『大日本地名辭書』續編「臺灣」の編纂を伊能嘉矩が任され、第二十六、二十七頁にそのまま草萊嶼が使用されてゐる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2937060/397
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2937060/398

吉田東伍大日本地名辭書續編彭佳嶼1

吉田東伍大日本地名辭書續編彭佳嶼2

 遍山草芥とか彷彿蓬萊といった語も伊能嘉矩以前の書中に無いものか、以前から少々搜してゐるが、どうやら無いので、伊能嘉矩が基隆で見た地元の何らかの民間文書にもとづくのだらうか。篤學の士にご教示を乞ひたい。