季刊沖繩63表紙

南方同胞援護会「季刊沖縄」第63号、昭和四十七年。西暦千九百七十二年。
「明代および清代における尖閣列島の法的地位」、奧原敏雄著。
中村拓『御朱印船航海圖』から尖閣の記述を整理。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/kikan-okinawa63/
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka64/kikan-okinawa63/25.jpg
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka64/kikan-okinawa63/26.jpg
http://ifs.nog.cc/akebonokikaku.hp.infoseek.co.jp/page007.html
 尖閣列島の島々も次々にかれらに知られるようになり、その存在が十六世紀末以後の西洋諸国海図にもしるされるようになった。他方日本においても豊臣秀吉の天下統一成るや積極的な海外進出政策がとられるようになり、いわゆる御朱印船貿易が開始されるにいたった(一五八六年)。そうしてこれら御朱印船貿易業者によって作成された航海図にも、西洋諸国の海図とほぼ時を同じくして、尖閣列島の存在があきらかにされるようになった。
 西洋諸国海図および御朱印船航海図については、今日、中村拓氏による綿密周到な調査研究の成果が存する。ここでは中村氏の『御朱印船航海図』(昭和四十年)を借りてこれらの事情を指摘しておきたい。
 中村氏によって尖閣列島の島々が示されているとされる『航海図』は、西洋諸国のものが十一枚、御朱印船航海図七枚である。これらを列挙すると次の通りである。
(一)西洋諸国海図(三枚略す)
    (ⅰ) 『ドオエッツ海図』(Cornelis Doetszoon 一五九八年ポルトガル図のオランダ製写本)
   (ⅱ) 『ギズベルツ海図』(Evert Gijsbertz 一五九九年、オランダ)
   (ⅲ) 『サンセス海図』(Sances 一六二三年、スペイン)
    (ⅳ) 『ラングレン海図』(A.Langren 一六二〇年、オランダ)
   (ⅴ) 『コムベルフオド海図』(Comberfod 一六四〇年、ポルトガル)
   (ⅵ) 『カバリーニ海図』(Cavallini 一六五二年、オランダ)
   (ⅶ) 『サンチェス海図』(Sanches スペルが異なるが、右のSancesに同じ、一六四一年、スペイン)
   (ⅶ) 『ダメル海図』(John Damell 一六三七年、オランダ)
(二)御朱印船航海図(一枚略)
    (ⅰ)『東亜航図』(一六二〇年代)
   (ⅱ)『葡海図』(一六二〇年)
   (ⅲ)『東洋諸国航海図』 (一六一三―一六一六年頃のもの)
    (ⅳ)『角屋七郎衛図』 (一六三一―一六三六年頃使用のもの)
   (ⅴ)『小加呂多』 (江戸初期。「加呂多」はオランダ語のKaartで、海図の意味)
   (Ⅵ)『盧草拙』(一六七一―一七二九年頃のもの)
これらの海図においては、尖閣列島の島嶼数は一定していないけれども、二から五個である。なお全体としての島嶼あるいは個々の島の名前を付していないものが大多数であるが、若干の航海図には名称も付されている。すなわち御朱印船海図では『小加呂多』と『廬草拙』が「レイス」、『角屋七郎兵衛図』では「鳥島」と記されている(注、現地では南・北小島のことを「シマグァー」または、「鳥島」とも呼ばれていた)。

----------------
坂東將門氏ツイッターも。
https://twitter.com/qqpy5uv9k/status/255938459447984128
https://twitter.com/qqpy5uv9k/status/255939219720134656
https://twitter.com/qqpy5uv9k/status/255939396761694208

季刊沖繩63奧原朱印船1

季刊沖繩63奧原朱印船

.
奧原敏雄先生への追悼文リンク。
http://senkaku.blog.jp/2016010852123884.html