漢字假名の内閣告示(昭和六十一年及び平成二十二年公布)。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/kanji/index.html
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19860701002/t19860701002.html
 我が内閣告示一片は文明の典範たるに足るであらうか。
 そもそも規範と云ひ典型と云ひ楷模と云ふ。範、模、型の字源はいづれも鑄式だが、ただ型は土で、範は竹で、模は木で作られた。規は圓規、楷は硬い木材である。以上五字はいづれも一定不變の喩へである。そして典は古書册の象形字であるから、これもまた記録の不變を代表する。要するに變化するものは規範とならない。永續不易こそ規範の前提條件なのである。 
 内閣告示はそもそも永續不易を目的としてゐない。現行の告示にほぼ曰く、

「一般の社會生活において、現代の國語を書き表す」、「科學、技術、藝術その他の各種專門分野や個々人の表記にまで及ぼすものではない」、「現代文のうち口語體に適用する」、「歴史的假名遣ひが尊重されるべきことは言ふまでもない」、「この假名遣ひにも歴史的假名遣ひを受け繼いでゐるところがある」

と云々。告示に明らかな通り、現在の生活に便する目的であって、過去にも未來にも及ぼさず、科學にも技術にも及ぼさない。不磨の大典ではなく、暫定措置に過ぎない。こんなものに我々が從ふ必要は全く無い。
 現在、學會誌の多くが内閣告示の漢字假名を用ゐることと規定してゐるため、私は投稿できない。學會誌の論文は科學、技術、藝術その他の各種專門分野に外ならないのだから、そもそも投稿規定は告示の精神に反してゐる。しかも論文は個人の署名で投稿されるのだから、これを制限するのは告示に反するのみならず、憲法の言論の自由にも反する。基本的人權が侵害されてゐる。私はほぼ九割の學會誌に投稿できないため、研究業績に高評價を得ることができず、研究者としての利益を數十年來犠牲にして來た。
 我々は學會諸誌に對して裁判を起こすにも、忙しくて餘力が無い。多くの人々が協力してくれるならば、裁判を起こしたいものだ。


おちゃのみづ