八重山日報投稿。平成二十九年八月二十七日(上)と二十九日(下)。單日ご購入はリンクから。
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yaeyama290829

領土研究に二十五億圓、我々の期待を空しくするのか(下) 
 外務省管轄の領土研究支援事業で二十五億圓が東京・虎ノ門の「日本國際問題研究所」(國問研)に交付されることは、他紙で全く報じられず、八月二十四日八重山日報のスクープであった。この補助金につき私は事業目的の入れ替はりを疑ふ以上、獨自(どくじ)に考へる正しい方向性を具體的に提示しておく必要がある。

竹島北方よりも尖閣琉球を  
 領土研究は尖閣だけでなく、竹島及び北方領土もある。しかし北方領土についてはロシアも史實(しじつ)を認めてをり、歴史戰は必要無い。竹島にも既に重厚な研究成果が出てをり、屋上屋(おく)を累(かさ)ねる必要は無い。しかも政府は自衞權を以て竹島を奪還するつもりも無い。
 一方の尖閣五百年史研究は發展(はってん)途上にあり、ここ三年ほど私が漢文や朱印船史料から多くの新事實を見出した。尖閣こそチャイナの虚構を打破する重厚な歴史が必要とされてゐる。尖閣が事業の主役にならねばいけない。主役から外されても、年間五億圓もあれば少しは正しく支給されるだらう。
 これだけ大規模な補助金であるから、一次資料蒐集の成果が「尖閣全史料評釋」全十册といった形で英譯・チャイナ譯とともに刊行されることは最低限の責務だらう。全十册のうち近代以前の部分が過半を占める筈だ。何故なら尖閣史は長いのだから。
 また琉球の歴史的主權も、虚實(きょじつ)混在の宣傳(せんでん)にさらされてゐる。學界の現状で尤も怪しむべきは江戸時代初期、戰國(せんごく)統一事業が琉球に到達したことが、近代的侵掠として位置づけられてゐる。また幕府が唯一の西洋の正式通交國(オランダ)に對して、我が國の琉球主權を二百年間毎年公式に通告してゐたことも、ほとんど知られてゐない。
 近代史では琉球處分だけを、なぜか長州處分、會津處分、西郷處分とは全く別のものとして位置づけるのが主流となってゐる。琉球がチャイナの屬國(ぞっこく)だったことばかり強調されるが、チャイナは一度も琉球を統治したことが無いので、琉球に於いてチャイナはゼロである。
 これらの歴史をしっかり正しい形で教科書に入れねば、チャイナが虚構の言論を以て琉球の精神を竊取(せっしゅ)する危機はすぐ背後に迫ってゐる。悠久の琉球主權を明らかにすることは急務である。これこそ國問研の「領土・主權・歴史」の中に入れるべき重要項目ではないか。

領土形成史の全體像  
 尖閣に領土問題は存在しない。尖閣を特殊な領土としないためには、悠久の領土形成史の一環として扱ふ必要がある。神武東征で瀬戸内と奈良が日本の領土となり、大和建命(やまとたけるのみこと)が東海から房總まで領土に編入し、平安初期に坂上田村麿が東北を領土に編入し、江戸時代初期に琉球を編入し、江戸時代中期に北海道を編入し、明治に尖閣を編入した。日本だけでなく世界どこでも國家といふのは時間をかけて育ったのである。
 ただ日本の獨自性は、千島から沖繩本島まで覆ひつくした繩文文明の領域が、ほぼ現代日本の領土と一致することだ。唯一の例外が宮古八重山諸島だが、宮古八重山もグスク時代(平安時代)からは日本文化の中に含まれ、與那國島の現代國境線まで早くから覆ひつくした。つまり我が國は近代的侵掠によって成立したのではない。悠久の文明の領域を長い間に國家として統一したのが日本の歴史なのである。
 明治維新以前の日本は中央集權でなく、半獨立(どくりつ)の各地のフューダリズム(封建制)で構成されてゐた。その一つが琉球である。日本だけでなく世界の多くの國がさうだった。琉球を特殊扱ひせず、尖閣とともに通常の領土とする方針で歴史戰を進めねばならない。

一次史料研究に機動性を  
 歐米(おうべい)メディアが史料に關心を持ってくれないことも困難の一つだが、簡單に解決できる。歐米の反日的左翼の歴史家に直接挑戰すれば、相手はむきになって反論して來る。慰安婦や南京便衣兵などは定義次第で議論になる危險性があるが、尖閣の歴史では百パーセント我々が勝てるので、非常に効果的だ。必要な時に即時英譯(えいやく)して反駁したり、フットワーク輕(かる)く通譯者を伴って、歐米現地の學會などにほぼ毎月のやうに出向き、左翼を論破することが必要だ。  
 親日派の歐米人に協力を求めると、日本を助けて欲しいとお願ひする形になってしまひ、効果が上がらない。それよりも反日的歴史家との對決が必要だ。彼らは防衞や外交よりも歴史分野に集まってをり、且つ歴史の面白さは幅ひろい人々を引きつける。
 チャイナ人との議論は、過去に東京財團(ざいだん)とチャイナ社會科學院との共催で私も參加したが、論破しても宣傳(せんでん)効果が無い。チャイナ人ともまた先進國の場で對決(たいけつ)する必要がある。  
 これら機動的出撃は、國問研が逐一審査決定してゐては間に合はない。研究者の個別出撃を前提とする費用の支給が必要だ。年間五十萬圓ほどあれば、思ひついた翌日にすぐ行動するために有効だが、今の處(ところ)一次史料研究者に支給される動きは全く無い。  
 英譯についても、國問研の準備する英譯者だけに限定せず、日頃から個々の研究者と親しく情報交換してゐるやうな英譯者に、研究者自身が機動的に委託して英譯することも必要だ。機動性が掛け聲倒れに終ってはならない。

著名論客に史料利用を求める   
 折角論文を書き英譯しても、問題は發信方法だ。最低限でもワールドキャットといふ全世界論文著書電子目録で檢索して索到するやうにせねばならない。研究所のホームページに掲載するだけでは索到されないが、日本のJステージといふ電子目録に登録すれば、すぐ自動的にワールドキャットにも登録される。この程度の初歩的なことは私が言ふまでもないが。
 研究論文として發信に成功しても、研究者には宣傳力が無い。一方、今を時めく著名論客は近代以前の尖閣史について具體(ぐたい)的理解が乏しい。兩者の間の隔絶状況を改善することを國問研に期待したい。著名論客に依頼して、史料を使って大手メディアに寄稿してもらへば、日本の正義は大きく認知されるだらう。
 著名論客の著書に史料監修するといふ形も効果的だ。この八月に刊行された石平著『眞實の尖閣史』は、私が史料監修者をつとめた。時事報導的な著書では普通の形式だが、領土史については前例が無いだらう。この形式をさらに進めるため、史料研究者と著名論客とを今次の事業でつなげば、大きな宣傳効果が得られるだらう。
 數(すう)年前、安倍首相肝煎りの領土懇談會では、領土の歴史は複雜なので愼重に取り扱ふべきだとの消極的意見が出てゐた。しかし史實として尖閣に於(お)いてチャイナはゼロであり、日本が百である。これについて世間では誤解があり、六對四ほどの勝負と勘違ひされてゐる。尖閣史は單純であり、複雜なのはその西側の臺灣(たいわん)海峽の歴史であると、國内外に周知せしめねばならない。國問研の事業に期待したい。(完)
 
八月二十七日の上篇は
http://senkaku.blog.jp/20170827hojokin.html
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