http://www.mofa.go.jp/mofaj/procedure/kansatsu_sasatsu.html

https://www.toben.or.jp/bengoshi/koueki/

八重山日報投稿。平成二十九年八月二十七日(上)と二十九日(下)。單日ご購入はリンクから。
http://www.shimbun-online.com/titlelist/yaeyamahontoban.html

yaeyama290827

領土研究に二十五億圓、我々の期待を空しくするのか(上) 
 八月二十四日(水曜)、八重山日報の記事によれば、外務省は今年度(平成二十九年度)から領土研究支援事業を開始し、五年間で二十五億圓が東京・虎ノ門の「日本國際問題研究所」(國問研)に交付されることが決まった。東京都が寄附で集めた尖閣購入資金十四億圓を大幅に超える巨額である。國問研は外務省外郭團體(だんたい)として日本最高水準の研究所とされる。

領土の一次史料を蒐集  
 事業は領土・主權・歴史を主題とする。領土が主役である。外務省インターネット・ページには、
「領土・主權・歴史に關する基礎的情報蒐集・調査研究」
「領土・主權・歴史に關する國内外での一次資料の蒐集・整理・分析・公開」
「基礎情報蒐集、現地調査の充實及び蓄積作業など」
「自主的な領土・主權・歴史に關する調査研究・對外發信活動」
などの言葉がならぶ。領土・主權・歴史といふ三者の順次は一貫してゐる。領土が主役であり、脇役が主權・歴史だと明示されてゐる。また一次資料・基礎情報重視も研究事業にふさはしい目的だ。宣傳(せんでん)・發信(はっしん)の前提として、資料調査が基本となるのは當(あた)り前だらう。
 尖閣の一次資料研究となると、これまで實績(じっせき)のある現役研究者はほぼ六名に限られる。ロバート・D・エルドリッヂ、川島眞、石井望(いしゐのぞむ)、佐々木貴文、島袋綾野、國吉まこもだ(筆劃順)。中でも實績の多寡優劣は外部が評價するであらうし、研究者間には健全な競爭が起こる筈だ。
 しかし八月末まで、國問研からこれら一次資料研究者に研究費を支給する樣子は見えて來ない。一次資料研究に支給されなければ、今年度のこり半年で五億圓をどう使ふのだらうか。研究者は九月末から春まで忙しくなる。時間のある夏季休暇はのこり三分の一だ。
 
研究機關の事業概要 
 國問研が五月に關係者に配布した事業概要は、「國際共同研究支援事業(領土・主權・歴史調査研究支援事業)」と銘打ち、事業目的として「自主的な領土・主權・歴史に關する調査研究・對外發信」云々と述べられてゐる。政府主導でなく、研究機關の自主性をうたふのだから、研究者の自主的研究が基礎となるはずだ。領土を第一とする順序も外務省の要項と一致する。
 さらに事業内容としては、「一次資料の蒐集・整理・分析・翻譯・公開」が第一項目となってゐる。標題の順次から見れば、一次資料とは第一に領土の一次資料であらう。そして「一次資料のほか、研究論文、學術書、一般書、定期刊行物寄稿」なども對象とする、としてゐる。一次資料が主であり、論文等は脇役である。正攻法と言へよう。

事業目的入れ替はりか  
 同じ事業概要のうち、「事業の方針と對象」といふページでは、順序が第一に歴史、第二に領土・主權と入れ替り、しかも歴史が四分の三を占めてゐる。領土は末尾の四分の一だけだ。領土は長い歴史の中で形成されたので、歴史が主となって先に來るのは正しい。逆に事業の標題こそ歴史を先にすれば更に良い。 
 ところが、中身は全く事業目的から外れてゐる。四分の三を占める歴史の見出しとして「戰後七十年談話の議論」が立てられてゐる。安倍首相の談話原文に領土といふ語は含まれず、基本的性格は先の大戰に對する反省である。これが何故主題となるのか。領土について何を反省するのか。筋が通らない。
 更にその下にならぶ語としては「日清戰爭」「日韓併合」「極東軍事裁判」「滿洲事變」「殖民地」「民族自決」「歴史認識」「慰安婦」「人種差別」などが目につく。これらの語と領土の歴史とは間接的關係しかない。特に尖閣とは全く無縁だ。
 これらの語が示す歴史は近現代の對外戰爭だけに限定されてゐて、領土形成後の淺い歴史に過ぎない。淺い歴史を先にするのは本末を顛倒してゐる。悠久の日本文化の中で形成された領土といふ視點(してん)が無ければチャイナの虚構文明戰に勝てない。
 のこる四分の一の領土部分も、チャイナと韓國の宣傳工作に對應(たいおう)すると述べるにとどまり、一次資料蒐集は忘れられてゐる。
 事業概要の次の頁には「領土・歴史センターを設置」して「專從研究員三名を配し」とある。ところがその次には「歴史・領土に詳しい外部專門家に助言を受け」となって、ここでも順序が入れ替ってゐる。やはり近現代の歴史に入れ替るかのやうに見える。
 この專從研究員三名には誰が任用されたのか。一次資料研究者が二名以上を占めるのが筋であり、少なくとも一名は尖閣一次資料研究者でなければならない。よもやここに近現代史の研究員を任用したのか。國民には何も知らされてゐない。
 何故こんなことになったのか。疑ふらく外務省及び國問研の中に働く何らかの力が、ひそかに事業目的の入れ替へを目論んでゐるのではあるまいか。そこには研究費配分比率や研究員の分野など、人事及び權益(けんえき)が絡んでゐるのではあるまいか。臆測(おくそく)が外れることを願ふ。
 
古き繩文と、新興國チャイナ  
 近現代の戰爭だけを事業の主題とすると、結果はどうなるか。「日本は戰爭ばかりの新興國であり、四千年のチャイナ文明に取って代はらうとした」といった表面的形象にしかならないではないか。こんな方向に進んでは、日本の歴史戰敗北は最初から確定してゐる。
 チャイナ四千年といふのは嘘であり、漢字が創成されたのは三千四百年前より遡(さかのぼ)らない。概數三千年で良い。漢字以前は黄河中流域に諸民族が存在したに過ぎず、どれがチャイナか分からない。漢字無き文化はチャイナではない。
 一方、日本の繩文は一萬五千年の古さと獨自(どくじ)文化を誇る。世界には五大文明以外にもマヤ文明などがあるのだから、我々も堂々と繩文文明と呼んで良いだらう。繩文古文明の中に、約二千年前から大陸東南部の呉越文化が新たな影響を及ぼしたのが日本の「かたち」である。チャイナ殖民下の呉越人はチャイナ人ではない。
 世界最古級の土器などを産み出した繩文と、わづか三千年の新興チャイナ、その對照として悠久の歴史を語らねば、我々は中華人民共和國の虚構文明戰に勝てない。しかも日本が黄河流域のチャイナ本土と密切に交流し始めたのは、たかだか明治以後である。それ以前は呉越及び福建との交流が一貫して主であったから、日本とチャイナ本土との交流はほとんど無かったに等しい。一萬五千年の古文明で戰はず、わづか百五十年の明治以後にばかり重心を置くのは何故か。よほど近代チャイナを尊敬してゐるのか。
 尖閣もまた然り。尖閣五百年史の眞實(しんじつ)を語らずして、近現代の國際法的尖閣ばかりでは、世界輿論戰の中でチャイナ虚構の五百年に勝てない。今次新事業で近現代史を主役とするのは是非とも取りやめて欲しい。
 近現代史は世間に注目され易いが、近代以前の一次史料が注目されることは少ない。そこに今次の事業の意義を見出すことができる。注目されないからこそ、注目されるやうに機動的に援護するのが補助金の役目ではないか。近現代史は既に機動性を備へてゐるので、援護は要らない。(つづく)

 
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yaeyama290827美ら海

八月二十九日下篇は
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