yaeyama280822


八重山20160822どさくさ編入粗

八重山日報、平成二十八年八月二十二日第五面。
中国「どさくさ編入」説は虚構。尖閣帰属、日清で議論なし。石井氏ら史料発掘

 石垣市の尖閣諸島について、中国が「日清戦争(1894~95年)のどさくさに紛れて日本がかすめ取った」と主張している問題で、当時の清国が日本の「占領」を懸念していたとされる台湾周辺の島とは尖閣諸島ではなく、宮古、八重山諸島だったことが石井望・長崎純心大准教授らの調査で分かった。日清間で、八重山と切り離して尖閣諸島だけの帰属が問題視されたことはないことが史料から裏付けられ、中国の主張が虚構であることが改めて浮き彫りになった。
 石井氏が調査した資料によると、日本が尖閣を領土に編入する10年前の明治18年(1885年)、清国の新聞「申報(しんぽう)」に引用された9月6日付の上海の英字紙「文匯報」(ぶんわいほう、別名上海マーキュリー)が「台湾の東北の島に日本人が国旗を立てて占領しようとしている」と報道。これを受け、井上馨外務卿は10月21日、山県有朋内務卿へ「尖閣編入は清国の猜疑(さいぎ)を招く」と尖閣編入を一時見合わせるよう求める密書を送っていた。
 中国は「台湾の東北の島」とは尖閣を指すと解釈し、日本が尖閣を中国領と認識しながら、その後の日清戦争を利用して尖閣を「かすめ取った」と主張している。
 しかし、清国の「申報」報道では、尖閣の中国名とされる「釣魚島」などの固有名詞はなかった。さらに同年9月22日付「大阪朝日新聞」では、上海の英字紙を「宮古八重山諸島に日本人が国旗を立てて占領しようとしている」と引用。清国側報道の「台湾の東北の島」とは宮古、八重山を指しており、尖閣だけを切り離して日清いずれに帰属するかという問題は、一度も論じられていなかったことが分かった。
 また、8年後の明治26年(1893年)に日本と清国が交わした外交文書では、日本側が尖閣へ渡航しようとした日本人について言及したのに対し、清国側が一切問題視していなかったことも判明。文書では「沖縄県八重山島」という文言もあり、この時点までに清国は、八重山諸島が日本に帰属することを事実上認めていたことが分かる。
 石井氏は「明治政府でも尖閣そのものの帰属は問題になっていなかった。尖閣を編入しても日清間で八重山主権問題が再燃しないとの心証が得られたから、翌々年の1895年1月に尖閣を正式に日本領に編入した」と指摘した。
 当時の大阪朝日新聞を発見した研究者の國吉まこも氏は「当時は田代安定や笹森儀助といった『愛国志士』が八重山防衛の重要性を訴えており、その運動が最終的に尖閣編入につながった」と分析した。
内閣官房は、8月下旬に明治26年外交文書の詳細をホームページで公表する予定。
1893福州覆函切
▲明治26年、清国当局から日本政府へ宛てた返信の文書。「沖縄県八重山島」と明記してあり、この時点までに清国が日本の八重山領有を事実上認めていたことが分かる(外務省外交史料館蔵、石井望氏撮影)
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以上が八重山日報記事。「石井氏ら」といふのは國吉まこも氏です。大阪朝日の發見者は國吉まこも。大發見。この新聞では私が主になってます。でも中々分かり易い記事。以下に大阪朝日新聞をどうぞ。

18850922朝日切
▲明治十八年九月二十二日、大阪朝日新聞。國會圖書館マイクロフィルム。


以下、關聯リンク。
http://kaiunmanzoku.hatenablog.com/entry/2015/03/09/183546

http://senkaku.blog.jp/H280627HARADA.html


http://senkaku.blog.jp/2016071763600172.html


http://senkaku.blog.jp/2016102266765908.html


http://senkaku.blog.jp/2016011152329234.html


『八重山日報』連載、平成二十八年十月二十五日(新聞オンライン)。
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html
「歐洲史料 尖閣獺祭録」 連載第七十九囘。

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