まづは關聯リンク。琉球を日本の領土として確かなものとした調所廣郷。
http://senkaku.blog.jp/2017020969236319.html

そして史料發見の報導。琉球王から薩摩藩士宛て書状(琉球新報)。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-538979.html
尚育王二階堂右八郎琉球新報

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私から論評。
 調所笑左衞門廣郷の偉業がまた一つ明らかになりました。幕末、薩摩藩士二階堂右八郎らを、警護のため琉球に派遣。その藩命を傳達した署名者が、調所廣郷、薩摩藩の家老です。そして今度の發見は、派遣された二階堂に對する琉球王からの儀禮的書翰ださうです。
 勿論、チャイナからは警護兵など來ません。なぜなら琉球は日清兩屬ではありませんから。フランス軍艦の到來を琉球から清國に報告しましたが、
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/yokoyama/okinawa/ok080014.htm
これに對して清國が一切何もしなかったことは、西里喜行氏がかつて研究で明らかにしてゐます。そもそも清國は尖閣航路を自力で渡航できず、琉球の水先案内人に頼ってゐたので、派兵など不可能でした。


 調所廣郷が藩命を傳達した文書の活字を、中村覺氏フェイスブックから、以下に轉載します。
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仲村 覚 2時間前 ·
琉球新報幕末が幕末の琉球で、尚育王が薩摩藩士宛に送った書状が広島で発見されたことを伝えています。その書状を受けたのは、フランス軍艦の来琉により薩摩から琉球警衛の命令をうけて部隊を率いて琉球入りした二階堂平八郎です。幕末の琉球は西洋列強から日本を守る国防最前線だったことがわかる史実です。琉球を守っていた薩摩は、西洋列強の危機を肌で感じ多くの情報をもっていたので、明治維新が薩摩から始まったのは当然といえます。

二階堂平八郎の琉球派兵の命令書、及び帰国命令書は、東京大学史料編纂所蔵島津家本『琉球外国関係文書』目録に電子化され検索可能なかたちで保管されています。薩摩の資料は膨大な量があるのですが、これらを活用した幕末の琉球研究の成果は数件程度しかありません。宝物がたくさん眠っている未開の分野です。下記に、
琉球警護の命令(弘化元年(1844年)6月23日)

琉球警吏帰国ヲ命シタル報告(弘化二年3月)
転載いたしました。 
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弘化元年(1844年)6月23日
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六月廿三日
琉球国警衛ノ為メ出兵スベキ旨ノ報到ル此時
国老等ハ予メ出兵ノ準備ヲナシ命令ノ到ルヲ
待チタルカ故同月廿五日左ノ人員ニ派遣ノ命
ヲ発シタリ
 番頭兼御用人        二階堂右八郎(行健後静馬ト改ム)
 物頭            坂元休左衛門
 同             近藤彦左衛門
 御旗奉行          宮内清之進
 御目附           松本十兵衛
 同             安田助左衛門
 兵粮奉行          原田直助
 唐舩改役(兼異国舩掛筆吏) 川上弥四郎
 藩庁筆吏         野元一郎
 同             児玉宗八
 番頭筆吏          葛西四郎太
 騎馬御小性組目付      松岡十太夫
 同(蘭学者)        岩切英助
 騎馬御小姓組        中村孫次郎
 同             池上良右衛門
 同             山口吉五郎
 同             久保正之進
 同             野間休之進
 同             西田次郎太
 同             園田彦九郎
 同             坂元広四郎
 医師            田中道節
 御兵具方与力        川路正右衛門
 同             山下清之丞
 同             坂口源七兵衛
 唐通事           橋口五助
 足軽六十人
 外ニ右人員従者七十三人
  合計上下人員百五十九人
 一 白米三百石
 一 鎧具五十弐領
 一 火薬千三百斤
 一 鉐 百五十斤
 一 大砲 三門(二百銭又ハ五百銭)
 一 小銃 五十挺(硝藥一万個)
 一 火縄七千二百曲
  此外陣具略ス
 右至急渡海スベキ旨達セラレタリ

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弘化二年3月
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琉球警吏帰国ヲ命シタル報告
 其許ヘ渡海被 仰付置候近藤彦左衛門中途
 交代之儀ハ別紙ヲ以申越候通ニ候然共
 公辺他所向等ヘハ矢張是迄之通リ一組之人
 数差渡被置候姿ニテ無之候テハ不相成事ニ
 テ他所向等ヘ交代被仰付候儀共相響候テハ
 大変之事候付人々其通相心得急度不相響様
 上国之面々ヘ相達シ家来末々ハ勿論舩頭等
 ヘモ急度相達候様可取計候且着舩之上ハ友
 野市助海老原宗之丞方ヘモ届申出候様可申
 渡候左候ハヽ猶又両人ヨリ委敷為相達候様
 可致候此段極御内用ヲ以申越候以上
   巳三月
              調所笑左衛門
              島津石見
              島津主計

二階堂右八郎殿
 去年三月其地ヘ異国船来着ニ付二階堂右八
 郎其外被差渡置候処又々本船来着モ難計候
 付右八郎儀此涯致滞在候様別紙之通被仰付
 候付其段申渡追テ返答可申越候以上
   三月
              調所笑左衛門
    平田善太夫殿
              二階堂右八郎
 右者去年三月琉球ヘ異国船来着異国人等両
 人残置本船致帰帆又々来着難計候付別段御
 吟味之訳有之此涯琉球ヘ致滞在候様被仰付
 候条可申渡候
  但引取頃合之儀ハ追テ可申渡候
   三月 主計(島津) 笑左衛門(調所)
    滞琉ヲ命シタル人名
              御目付
               松本十兵衛
              唐船改
              御家老座書役
               野元一郎
              御代官
               原田尚助
              御記録方見習
              助教勤
               宮内清之進
              異国舩掛書役
               児玉宗八
              御趣法方書役
               松岡十太夫
              御用人座書役
               葛西四郎太
              唐通事
               橋口五助
              御兵具方肝煎煎
               川路正右衛門
              右同与力
               児玉源左衛門
               坂口源七兵衛
              右同足軽
               拾五人
 右者去年三月琉球ヘ異国船来着異国人等両
 人残置本船致帰帆又々来着難計候付別段御
 吟味之趣有之此涯琉球ヘ右之面々ハ致滞在
 候様被 仰付候条可申渡候
  但引取頃合之儀ハ追テ可申渡候
   三月 主計(仝上) 石見(仝上) 笑左衛門(仝上)


『琉球外国関係文書』
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/yokoyama/okinawa/okcrindx.htm


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扶桑社表紙
http://www.fusosha.co.jp/books/detail/9784594077730
『中国が反論できない 真実の尖閣史』
石平 (著), いしゐのぞむ (史料監修)    ¥ 1,512(税込)