中国の〝妄説〟打破 香港研究者 ネットで流布 石井氏「清代の尖閣、無主地」
 平成二十五年5月21日 八重山日報第一面
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 中国の人民日報旗下の「京華時報」などは16日、「日本が琉球国を併呑する前、外国人が釣魚島(尖閣諸島の中国名)に上陸する際には、当時の清国政府の許可が必要だった」という文献が発見されたと発表した。中国側は、尖閣が中国領だったことを示す証拠だと主張。インターネットで話題になっているが、長崎純心大の石井望准教授は「当時の尖閣は無主地。文献を詳細に検討すると、逆に中国側の主張を弱めるものだ」と指摘している。石井准教授に20日、話を聞いた。

 ―京華時報の報道(新華社による日本語訳あり)によれば、香港の尖閣研究者・鄭海麟(てい・かいりん)氏は、英国船サマラン号が1845年、尖閣諸島を測量するにつき、琉球国駐福州琉球館を通じて福建省(清)に申請し、許可を受けた」と主張している。実際の経緯は。

 「鄭海麟氏の主張は、琉球国の著名な史書『球陽』の記述を誤読・曲解したものだ。『球陽』によると、この時サマラン号は清から那覇に渡航する途中で、八重山・宮古と尖閣を測量した。
 サマラン号は、清から渡航する前に、英国領事館を通じて琉球館に対し『島々を測量したい』と一方的に通知し、八重山などに到着するや測量を開始した。
 その情報は那覇にもたらされ、那覇当局は英国船に対し『迷惑だから測量を停止してほしい』と求めた。英国船はある程度まで測量を終えると、那覇当局の要求に従って測量をやめて琉球国を離れた」

 ―その経過だと中国は関係ないように見える。

 「ほぼ関係ない。ただ英国船は清国から渡航して来たので、事前に清国駐在の琉球館に通知したというだけだ。鄭海麟氏は、那覇の琉球国政府に直接通知せずに、福州の琉球館に通知したのは、尖閣が清国に属するからだと主張しているが、清国に滞在中に、清国駐在の琉球出先機関に通知するのは当たり前だ」

 ―鄭氏の誤解はどこから生じたのか。

 「琉球館は、福建当局にも通知について報告した。さらに那覇当局は、一度報告した以上、事実関係を明らかにする必要があるとして、事後に琉球国王の名義で追加報告した。鄭氏に言わせると、尖閣が清国領土だから福建側に報告したのだ、となる」
 「しかし、そもそも『球陽』のこの箇所には、尖閣については全く記載されていない。ただ英国側の記録には尖閣を測量したと書かれている。そのため鄭氏は、英国側の『島々を測量したい』という通知は尖閣を含むものだと決めつけている。しかし仮に尖閣を含むならば、琉球館に通知したのは、尖閣が琉球に属すると英国側が考えたからだ」

 ―鄭氏の主張とは話が逆では。

 「もちろん逆だ。しかも英国船が尖閣を測量したことを琉球側は知らなかったか、もしくは無関心だったので、琉球側から清国への報告文には尖閣のことは書かれていない。琉球国が尖閣について清国に報告した事実は存在しない。
 中国側としては、属国である琉球国が管轄する尖閣は清国の領土だという論理で主張するしかない。それは沖縄そのものを今の中国が領有しようという不可能な野望だ」

 ―結局これは、逆に中国側の主張を弱める資料ということか。

 「そうだ。中国側の主張はいつでもこんなもので、外野から見て対等に議論が成立しているかのように見せかけるのが彼らの目的だ。
 しかし、この時の尖閣は無主地。50年後の西暦1895年に日本政府が初めて領有しており、そのことに文句を言われる筋合いは一つもない」

鄭海麟


平成二十五年5月21日 八重山日報第一面
八重山2013年0521

八重山20130521