安部南牛

産經月刊「正論」安部南牛氏論説。
http://www.sankei.com/premium/news/170318/prm1703180024-n6.html
http://www.sankei.com/premium/news/170318/prm1703180024-n7.html
安部南牛氏文中に曰く、
「冊封を受ければ蛮族扱いを免れ、「中華」からの軍事的圧力も免れた。」
と。異議あり。
そもそも琉球にチャイナの軍事力が及んだことは無い。及ぶ可能性すら無かった。
册封は二種類に分かれることを著者は分かってない。
 そもそも明國で、東と南の海側諸國・朝貢國は「不征の國」と規定された。
逆に言へば内陸側は征討して良い諸國と看做された。
 次の清國に朝貢した諸國も二大地域に分かれる。
北と西のモンゴル・ロシア・ウイグル・チベット等は
「藩部」(はんぶ)と規定され、
その事務は「理藩院」(自治省)の管下であった。
東と南の朝鮮・琉球・ベトナム・タイ・ビルマ等の朝貢國
との外交は「禮部」(外務省兼文部省)の管下に屬した。
それぞれ異なる役所に屬したことが歴史を象徴してゐる。
東と南の諸國は清國と文化面(及び附隨的貿易)で交際したに過ぎない。
 これら禮部管下の不征の朝貢國のうち、
現在チャイナに併合された國が一つでも存在するか。存在しない。
宣統帝は「五族共和」を以て清國を中華民國に讓った。
五族は滿漢蒙回藏、全て内陸だ。海側諸國は含まれない。
歴史的趨勢として、これら東と南の朝貢國はチャイナに屬しないのだ。
それはチャイナの平和主義ではなく、能力が無かったためだ。

安部南牛氏又曰く、
「奄美5島を割譲させ、与論島以北を琉球王朝から引き離して
島津氏の直接支配地域とした。硫黄の産地を琉球王朝から引き離
した。」

と。隨分輕々と支配下に入れてゐるではないか。
そもそも明國にとって硫黄がそんなに大切ならば、
何故硫黄鳥島をめぐって日明戰爭・日琉戰爭にならなかったのか。
それは明國が自力で琉球を征する能力を持たなかったからである。
鄭和艦隊は印度洋以西ではイスラム航海士に導かれたに過ぎない。
尖閣も琉球の航海士に導かれて渡航した。史料に明示されてゐる。
尖閣海域すら自力で渡航できないのに琉球を征し得る筈が無い。
琉球が薩摩に對してほとんど抵抗しなかったのも、
それ以前からほぼ實質的に薩摩の支配下だったからだ。
大阪の陣の豐臣氏の抵抗と較べればよく分かる。
研究者が「琉日戰爭」などといふのは虚構である。


安部南牛氏は文の劈頭で「西嶋定生説にもとづく」と注記してゐるが、
西嶋説が無闇に流行してゐること自體がそもそもをかしい。
西嶋氏に言はれなくても、中華册封思想は存在した。
しかも致命的なのは西嶋氏は陸側と海側とを分けずに
古代の同心圓をそのまま近世にあてはめてゐる。
いつまで保守論壇はこんなおままごとをしてゐるのか。

參考:八重山日報(短縮URL)など。

http://bit.ly/1uwCMhT
http://livedoor.blogimg.jp/ishiwi/imgs/c/1/c1119810.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/ishiwi/imgs/0/5/0575370f.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=-2e5MUwkRGU

http://senkaku.blog.jp/2016061261537609.html
八重山2015年0127粗