指導要領の聖徳太子(厩王子)が話題になってます。
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO12920600U7A210C1CR8000/
http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/405652
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20170216/dms1702161530008-n1.htm
http://mainichi.jp/articles/20170215/k00/00m/040/042000c
聖徳太子以外にも注目點は有ります。このパブリックコメント募集があります。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000878
案件番号185000878。これの中學校指導要領では
http://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000154962
「琉球の文化に言及せよ」となってます。そこで、以下の通りパブリック・コメントを送りました。
「近畿、濃尾、關東、南九州、東北、琉球、北海道、と廣がった日本の領土形成史を正しく記述する。琉球だけを特殊な外國扱ひで差別せず、他の領土形成史と平等に扱ふ。一度でも外國の統治下になったのは長崎ポルトガル領だけであり、他の國土は全て固有の領土であることを正しく記述する。琉球と同じく日本各地の文化にも平等に言及する。」


もう一つ「ムスリム商人の役割」も日本史に這入ったやうです。間接的影響を扱ふとのこと。ならばと下のコメントも送りました。
「ムスリム商人など間接的影響を入れるならば、直接的な安土桃山朱印船時代の臺灣・呂宋・日本間の商業的及び軍事的交流の記述をもっと充實させるべきである。第一列島線の前史として現代東アジア國際政治と深く關はってゐる。」


もう一つ、「鎖國」が消えたについては以下の通りコメント送りました。
「鎖國は江戸時代に出現した用語であり、削除に愼重なるべきである。貿易口は存在したが、日本人がほとんど出國できなかったといふ側面から言へば、まさしく鎖國である。長崎蘭館や唐館に限定居留させたのも鎖國である。100パーセント封鎖でなくても鎖國といふ歴史用語を否定すべきではない。日本といふ大國から、朱印船時代に數十萬人が海外に出たのが突然無くなったのは、東アジアにとって大きな歴史的轉換であり、それを強調する用語として鎖國はふさはしい。また江戸末期の「開國」といふ用語にも意味がある。開國は朱印船時代の南方進出を取り戻すといふ側面があった。幕末開國は、外から受け容れるだけでなく、朱印船時代と同じく外に進出し始めたのである。

 また、鎖國時代の貿易口として那覇口を記述せず薩摩口とするのは琉球に對する輕視である。薩摩藩が琉球國全土を統治してゐたことは明白な史實であり、清國が琉球を全く統治したことが無かったのも明白な史實である。薩摩口と對馬口とすることにより、琉球と朝鮮とを並列するのは、歴史を歪曲してゐる。何故なら薩摩藩は琉球を統治したが、對馬藩が朝鮮を統治したことは無かった。兩者の性質は根本的に異なってゐる。また、對馬藩及び琉球國は、清國・李氏朝鮮の屬國形式を取った。
東南アジア諸國が清國の屬國形式を取ったと同じく、商業を主とする形式である。内陸のモンゴル・チベット・ウイグルは滿洲人の屬國となったが、海側の諸國は形式だけであった。まして薩摩藩は清國の形式的屬國ともならなかった。その側面でも薩摩と對馬は異なる。並列すべきは對馬と琉球であり、その出先として並列すべきは釜山と福州である。」

以上、コメント受附番號:201702240000399504。

なほ、四つの貿易口説とは、荒野氏説にもとづく。リンク:
http://www.nippon.com/ja/features/c00104/


四つの口荒野


ついでに。

0527内閣官房公表尖閣史料徹底解説