新聞オンライン『八重山日報』 平成二十八年十一月十日(木曜)第四面。
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「歐洲史料 尖閣獺祭録」 連載第八十四囘  

堺事件の軍艦、香港から尖閣へ、『八十日間世界一周』の航路か ~西暦千八百六十九年 トゥアール『デュプレ艦紀行』(フランス)

 先週金曜、NHK第一テレビの歴史秘話ヒストリア「80日間世界一周」第一話が放送された。再放送は今週金曜十一月十一日午後四時五分、第二話が同じく午後八時だといふ。第一話の中で、ジュール・ベルヌが地圖(ちづ)上の日本チャイナ間を指し示す場面があった。
 ベルヌは航海家ラペルーズの傳記(でんき)の中で、尖閣を琉球の内としてゐる。名作『十五少年漂流記』の中では、シュティーラーの地圖手册を使用してゐる。シュティーラー圖といへば、尖閣の西側に界線を引いたことで近年注目されてゐる。番組で指し示したのはその尖閣だったのだらうか。第二話の再放送が終るまで、三囘を使って書き留めて置かう。
 番組の題材となった明治五年(西暦千八百七十二年)ジュール・ベルヌ作『八十日間世界一周』の中で、西から香港に到達した一行は、次に横濱(よこはま)に向かふ。使用人パスパトゥは香港から横濱に渡航する汽船カルナティック號に乘ったが、主人フォッグは別途香港から上海を經由(けいゆ)して横濱に渡航した。實在(じつざい)のカルナティック號といふのは當該航路に就航してをらず、ベルヌの虚構である。
 香港・上海・横濱間航路は、慶應三年(西暦千八百六十七年)に米國の太平洋蒸汽郵船(Pacific Mail Steamship)が就航したばかりであった。三菱などが就航するのはもう少し後である。上海から横濱へは尖閣附近を航行しないが、パスパトゥは香港からなので、尖閣海域を航行して北上したかも知れない。殘念(ざんねん)ながら小説中では經由島嶼を描寫しない。太平洋蒸汽郵船は琉球近海でどのあたりを通ったのか。私の非力では中々分からない。
 しかし別の軍艦の來航記録には尖閣が出てゐる。フランス軍艦デュプレクスは、明治元年に日本で堺事件に遭遇した。尊王攘夷の劇(はげ)しかったこの時代、生麥(なまむぎ)事件英人誅殺のみならず、堺でもデュプレクス艦の佛兵(ふっぺい)が狼藉の廉(かど)で誅殺された。フランスでも大きく報導された。
 デュプレクス艦艦長デュプティ・トゥアールの航海紀行は、明治二年(西暦1869年)のフランス『水路紀要』に摘録され、堺事件の前に香港から横濱へ向かった航路を述べてゐる(圖版193)。大意にほぼ曰く、香港を離れてから、デュプレ艦は黑潮に出逢ひ、臺灣(たいわん)島の東側に沿って進む。琉球弧の内側を進むか外側を進むか選擇肢(せんたくし)が有り、艦長は内側を選擇した。そして宮古八重山諸島(Mejicoーsima)と尖閣(Hoaーpinsu)との中間の水道に這入ることなく、日本の最南端に直航した。
 文意から觀(み)るに、與那國(よなくに)及び尖閣の西側を經(へ)て、東支那海を鹿兒島まで突っ切ったと思はれる。假(かり)に尖閣が臺灣附屬として西側に繋がってゐると認識されたならば、與那國の北側で尖閣八重山間水道を掠めたといふ記述になる筈(はず)だから、トゥアール艦長は附屬外と認識してゐたことが分かる。この十二年前、西暦千八百五十七年の同じ『水路紀要』でも既に尖閣が臺灣附屬の外に位置づけられてゐた(連載第二十四囘)。
 ジュール・ベルヌは小説諸作を執筆する際に、世界地理書を博覽し、特に大洋中の島々に關心を寄せてゐたさうだが、デュプレクス艦紀行を目にしたかどうかは分からない。『八十日間世界一周』を着想したのはこの『水路紀要』と同じ明治二年だといふ。もし香港横濱航路を細述しようとすれば、『水路紀要』の最新情報を參照したであらうが、殘念ながら『八十日間世界一周』の當該航路部分は短い。
 『八十日間世界一周』は大當(あた)りし、名作となった。十七年後の西暦千八百八十九年、アメリカの新聞社が該作の旅程をたどる企劃(きくゎく、今音きかく)を立て、婦人記者ネリー・ブライがベルヌ宅を訪問した。そこでベルヌが壁上の地圖を指し示したのが前述のNHK番組の場面である。
 ネリー・ブライの『七十二日間世界一周』第四章によれば、ベルヌが指し示した地圖には、『八十日間世界一周』執筆前に青鉛筆で旅程を書き入れてあった。明治三年(西暦千八百七十年)前後刊行の地圖であらう。………(以下全文は新聞オンラインでご覽下さい。)

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圖版193 「コルベット艦デュプレ日本紀行」(Traversée de la corvette le Dupleix entre la France et le Japon)、副題「デュプティ・トゥアール艦長報告摘録」(Extrait du Rapport du capitano de fregate Dergasse du Petit-Thouars)、『水路紀要』(Annales Hydrographiques)、第三十二册、第二百二十三頁地圖海圖總局編(Le Dépot des Cartes et Plans de la Marine)。西暦千八百六十九年、パリにて、ポール・デュポン印刷局刊(Imprimerie Administrative de Paul Dupont)。グーグル・ブックスより。 
dehors:外側。  petits bords:内側。  courant:潮流  noir:黑Liou-tchiou:琉球。  Est:東。  Formose:臺灣島。  Cécile:大隅諸島。  Van-Die-men:大隅海峽。


圖版193_Annales_hydrographiques1869尖閣堺事件

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