仲裁法廷は元國の緯度測定説に反駁せず 逆に中國の臺灣當局と譏る      
  石井望  
    (長崎純心大學副教授、兼任内閣官房領土室委託調査事業特別研究員)

 『風傳媒』平成28年7月23日午前6時40分掲載
原チャイナ語版: http://www.storm.mg/article/144427
英語版: http://senkaku.blog.jp/2016091565872744.html


今年(平成28年)7月12日、南海仲裁判決が出た。臺灣人は太平島が島か岩礁かに關心を持ち、海外の報導は判決が中華人民共和國の歴史的權利を否定したことに關心を持ってゐる。ニュースの標題を見たばかりでは、私は法廷の專門家に果たして眼力あり、衆望に背かず、かの國の歴史の虚僞を暴いたものと喜んだ。幾時間も經ぬ内に、英國の日本籍の某教授が私に判決原文のインターネットアドレスを送って下さった。私自身も臺灣『自由時報』のサイトでチャイナ官話短縮版を見つけた。

粗く翻(ひもと)いてみると、歡びは頓(と)みに沮喪へと變じた。法廷は九段線を多くの個處で否定したが、全て「歴史的權利は國際法に違背する」、「九段線は法律的效力を具備せず」等の判語であり、一個處も直接九段線自身に喝を入れてゐない。私から見れば法廷は膽が小さく、歴史の真贋の爭ひを避けて、ニセ骨董店を取り締まる絶好の機會を逸した。法廷が回避する以上、かの國は憚り無く虚僞を散布し續けるだらう。

判決文は多くの個處で西暦19世紀に英國海軍が刊行した『支那海志』(China Sea Directory)を論じ、つとめて歴史を否定した。しかし九段線の依據する漢文史料に對しては全く取り扱はなかった。判決文中で唯一間接的に論及した個處は、原英文の第309頁、註840に見える:
http://thediplomat.com/wp-content/uploads/2016/07/thediplomat_2016-07-12_09-15-50.pdf
引用してゐるのは中華人民共和國駐マニラ大使館の英文聲明だ:
http://ph.china-embassy.org/eng/zt/nhwt/t941672.htm
大使館は、元國が早くもスカボロー礁で天文を測定し、漁業を發展させ、以後間斷無しと主張してゐる。これに對し、判決第311頁に曰く、
「傳統的漁業について、法廷の結論は主權外の獨立的問題とする」
と。確かに漁業史は主權に關はらない。完全に正しい。しかしこれでは元國が測定したといふ詐欺を指摘してゐない。英文は讀めるから討論し、漢文は讀めないから度外視するのか。さうなると、漢字文化を全面否定したことになり、單にかの國の主張を否定するにとどまらない。

天文を測定した史料は、元國の黄鎭成『尚書通考』卷三所載「四海測驗」であり、後に『元史』天文志の内に摘録された。元國はイスラム科學を重視してをり、名高き天文家郭守敬はフビライの命により南北各地に赴いて緯度を測定した。そして「南海」では北緯15度を報告した(下の書影)。15度は恰かもスカボロー礁の緯度に符合するため、中華人民共和國はその文言の「南海」がスカボロー礁を指すと認定してゐる。しかし郭守敬は緯度を測定しただけで、經度は無い。同緯度にはベトナム中部地區もある。かの國は何にもとづいてフィリピン沿岸のスカボロー礁だと斷定するのか。多くの專門家が早くから其の謬りを指摘したが、私はここで新たな點を指摘したい。 

宣教師の指導下で建てられた北京の古觀象臺。『Illustrations of China and its people』より録す。J. Thomson著、China Through Western Eyes刊。西暦1873年。 
Illustrations of China and its people1873北京古觀象臺

ひとまづ郭守敬の計測が精確だったか否かはさておき、先にその時の計測までの脈絡を整理しよう。周天360度法はバビロニア古文明に始まり、後に印度を經て、唐國に流入した。元國以前に多くの天文類の古書では、唐僧一行が印度の暦法に精通し、天下の緯度を計測したと述べてゐる。一行は更に初めて「山河南北兩戒圖」即ち全國地圖を製作した。元國の郭守敬が天下を計測したのは、一行和尚を超越し、元國の幅員の大きさと文明の盛んなるを顯示する目的であった。

唐僧一行は人を派して林邑(今のベトナム)に赴き、北緯17度を計測した。これは極南地區の著名な數値となった。元國の時に到っても、この數値は國家の天文儀「仰儀」に刻まれ、曰く「極めて淺きこと十七は、林邑の界なり」と。極淺とは低緯度を指す。『元史』天文志はこれを引用し、しかし「極淺十五は林邑の界なり」と改めた。

何故十七を十五に改めたのか。郭守敬が唐僧一行の後を繼ぎ、林邑國で15度を計測したので、『元史』に採用されたことが明らかである。『元史』は明國の洪武皇帝が著名人宋濂らに銘じて修撰させたもので、開國後久しからずして完成した。ほぼ元國の同時代の記録である。郭守敬が15度を計測した地點は唐僧一行と同じく林邑國に在り、スカボロー礁ではないと宋濂らは考へてゐた。果たして遠く重洋を渉ってスカボロー礁を計測したならば、それは空前の壯舉であり、唐僧一行の計測の意義を遙かに超越してゐる。『元史』の編者がこれを林邑に誤ることは有り得ない。

『元史』は明國の官製書であるから、前朝の奇功偉績を否定したければ、通常は二種の方法がある。一種は完全に郭氏の計測の事實を湮滅し、一筆觸れるだけで濟ませ、甚しきは隻字も言及しない。別の一種は郭氏が海外に逃亡し、妖言を以て衆を惑はしたと非難する。『元史』編者がこの二種の慣熟手法を用ゐず、ひそかにスカボロー礁を林邑國に入れ替へても、郭氏を湮滅する目的を達し得ない。この種の假設は成立し得るだらうか。事實は計測地點は林邑國であり、スカボロー礁ではない。中華人民共和國の無稽の談は攻めずして自ら破れる。惜しむらく海洋法廷は具體的に詐欺を暴かず、結果としてかの國が判決に反駁し、南支那海管轄二千年と詐稱し續けることを許してしまってゐる。
http://opinion.cw.com.tw/blog/profile/52/article/4458


『元史』天文志、康熙刻本、慶應大學藏。
元史四海測驗慶應藏康刻本


郭守敬が出色の科學者であったことは否定できない。しかし360度法はもともと輸入品であり、對岸のかの國が過度に郭を持ち上げるのを我々は受け容れる必要が無い。計測の精度についても議論すべき處が無きにしもあらず。郭氏の劈頭六つの計測地點では、北極星が地から出た角度(即ち北緯)はそれぞれ15度、25度、35度、45度、55度、65度である(書影)。全て先に成數があり、その後に地點を定めたもので、度數の精確性を保ち得るか否か、もともと疑はしい。最も明らかなのは25度、夏至に影無しである。夏至の日には、日晷(にっき、日時計)に影の無くなる地點は全て北回歸線上に在り、北緯は23度半に當る。それが25度に變ずるとはどうしたことか。成數だけを考慮して、端數を考慮せず、精度を求めなかったこと明らかである。同じ理で南海の15度も一定の幅があり、ほぼ14度から16度迄の間に在ったのだらう。スカボロー礁の15度に確定することはできない。

度數が不精確である以上、我々はその下文、日晷の投影する尺度を考察せねばならない。北緯35度の嶽臺とは太岳臺であり、夏至の晷影は1.48尺となってゐる。古時の日晷は長さ8尺なので、三角法で換算すれば1.48尺はほぼ北緯34度弱に當る。

太岳臺は傳統的日晷設置點の一つであり、中華思想では「地の中」、即ち地球面の中心點と看做される。そのため各地の日晷設置點のうち太岳台は最重要で、粗忽な計測はできない。太岳臺の位置はどこなのか。『新唐書』天文志の記載によれば、河南省滑縣から出發し、南に約199里を進めば太岳臺に到達する。さらに南に約168里で扶溝縣に到達する。さらに南に約160里で上蔡縣に至る。太岳臺は滑縣と扶溝縣との中間に在り、開封府城に近い。

現代の數値にもとづけば開封は北緯34度45分ほど、扶溝縣は北緯34度強だが、郭守敬は日晷で太岳臺を北緯34度弱と測定した。扶溝縣と較べても南側に在る。開封附近と比較すれば、少なくとも北緯半度はずれてゐる。よって郭守敬の夏至の日晷投影値はあまり精確ではない。同じ理で南海15度も現代の北緯14度半から15度半ほどの幅が有らう。かくも模糊たる數値を孤證として、小さなスカボロー礁に牽強附會し、フィリピンの手から奪ふとは何事か。
開封太岳臺

今一つ書いておかねばならぬことは、『元史』原文の日晷投影尺度の下文の晝54刻、夜46刻等の數値である。一晝夜を100刻に分けてをり、北方は晝が長く夜が短かく、南方は晝夜均等に近い。對岸のかの國の專門家は何とこれにもとづき「南海」計測の經度がスカボロー礁と一致すると考證してゐる。これは小學生の課題である。經度と晝夜の長短は何の關はりがあるものか。しかし仲裁法廷もこれを論じないのだから、怒るべきか笑ふべきか分からない。況や人類が經度を計測するのは、ほぼ西暦18世紀の歐洲からやっと精度を高めるやうになった。假りに元國がスカボロー礁の經度を計測できたとすれば、全面的に科學史を書き改めねばならない。

以上の歴史詐欺について私は書けば書くほど面白い。しかし臺灣人が最も關心を持つのはこれではなく、太平島が突然岩礁と判定されたことだ。數日來專門家はそれぞれ見解を述べたが、その中でも7月13日(判決翌日)に立法委員管碧玲女史が立法院で質疑したのが、既に肯綮を道破してゐた。女史曰く、南沙群島のどの主張國も專屬經濟水域を擁すると公式に宣言してをらず、臺灣も宣言してゐない。現在太平島は降格されて岩礁となったが、臺灣は元通り宣言できないままで、現状は改變されない。法廷は同時に他の各國の權利をも制限したので、臺灣にとっては害よりも利が大きい。それよりも臺灣にとって最も痛い損失は、「中國の臺灣當局」と公式に呼ばれてしまったことだ、と。 
https://www.youtube.com/watch?v=cWQkoa2FgGE


判決文ではなぜこの極めて稀な驚くべき名稱を用ゐたのか。私の考へでは、法廷は臺灣に中華人民共和國の馬卒とならぬやう目を醒ませと促してゐるのだ。實は法廷が考慮した重點は南支那海の和平に在るのではないか。現在、和平を破壞する勢力はかの國だけであるから、臺灣がもしかの國に追從すれば、ともに破壞的要素となる。それは法廷にとって決して容認できぬことだ。臺灣に教訓を與へるために法廷が取った方法こそが「中國の臺灣當局」といふ惡名である。かの國の走狗だと痛罵したに等しい。

法廷が和平を維持するためには、この判決法は必然の選擇だらう。判決によれば、あらゆる島嶼岩礁は全て專屬經濟水域を擁し得ない。言はば誰も南支那海を獨占してはならないのだ。これは最も公平な判決法だ。もし島礁のうち、太平島及び若干の比較的大きな島だけを島として、その他を全て岩礁とするならば、臺灣の輿論は當り前に政府に經濟水域宣言を要求するだらう。一たび宣言すれば、南沙群島中でこの數島だけが廣大な海域を獨占できてしまひ、他の各島はゼロとなる。各國はそれで納得するだらうか。これは必ず爭ひを激化させる惡果をもたらし、甚だしきは臺灣フィリピン間、臺灣ベトナム間等の武力衝突を引き起こし、東歐バルカン半島につづいて世界第二或は第三の火藥庫となる。法廷はこの判決が歴史的導火線となることを見たくはないだらう。今度の判決は南支那海問題の唯一進むべき、進まざるを得ない道であらう。

しかしこの基準では、世界の多くの無人島が全て岩礁と判定されてしまふ可能性がある。例へば沖の鳥島は、周圍の海域が隣國と重ならないが、これまで通り島と判定し得るか。また釣魚臺(てうぎょだい)は、突然岩礁と判定されないだらうか。これは一連の問題を産み出すだらう。法廷は手を燒くだらうことを分かってゐる。しかし南支那海の和平を考へれば、南沙全島を岩礁と判ぜざるを得なかった。盤上に下されたこの一着は、危ふい一着のやうだが、實は自ら苦しめるもので、他に良い方法が無いのだ。法廷にこの苦心と決心とがあるのだから、我々は理解し尊重すべきだ。この判決が時間とともに歴史的名判となるだらうことを私は預見する。   


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