尖閣の島名について、以下の文を參考に何か書く場合は、連載全囘を
http://senkaku.blog.jp/archives/13347226.html
通覽してから論じて頂きたい。部分だけ切り取ると誤解を招く。以下に連載の一部分だけ轉載する。文字の異同については、全原文を「新聞オンライン」でご確認下さい。
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html
但し編輯部との間の聯絡不徹底により、私の最終稿と掲載紙面とが一致しない場合もある。後日誤りを正して書籍として刊行する見込みである。

平成二十八年四月二十六日(火曜) 『八重山日報』連載「歐洲史料尖閣獺祭録」第二十八囘  
英軍水路誌の漢譯 歴史と無縁の宛て字 尖閣はバシー諸島と同卷 ~~西暦千八百七十四年 キング原著、漢文『海道圖説』(清)
(上略)……臺灣の卷では「巴西列島」(バシー列島)の「伊亞米島」(ヤミ島)を記載する。完全に臺灣だけで成る卷ではないのだ。しかも卷内の臺灣概説が始まるより前にタバコ島(漢名紅頭嶼・紅豆嶼、今の蘭嶼)を置いてゐる。タバコ島は現代では臺灣附屬島嶼とされてゐるが、『海道圖説』では附屬外だったことを示す。その同卷内に尖閣を含んでも、附屬島嶼とはならない。そもそもタバコ島は清國の地誌『海國聞見録』で呂宋の内に置かれ、『海道圖説』の譯者は何の島か分かってゐない。
 更に記述の順次は原著と同じく、臺灣東岸を南下終了後に、別途サマサナ島(今の緑島)から北上して尖閣に至る(連載第二十六囘、圖58)。原著『支那導航書』第四版の目次で「臺灣と宮古八重山諸島との中間」と題した部分だ(連載第二十七囘)。尖閣は臺灣附屬と別に扱はれてゐる。
 しかも漢文名「釣魚嶼」等に對(たい)して英國原著『支那導航書』が宛てたローマ字は(圖63)、『海道圖説』で別の「和平山」などの漢字を宛てられてゐる。琉球『指南廣義』などの漢文史料に見える尖閣について、漢譯者(かんやくしゃ)は何も知らない。從って漢譯者が尖閣に歴史的意識を持ってゐた可能性は無い。ただ國外の琉球・呂宋を臺灣の卷から削除し、その後に尖閣及びヤミ島を情報不足の小島群として殘(のこ)したに過ぎない。
 『海道圖説』の他卷では、僻地でも英語から正確にもとの漢字に還元される地名がしばしば有る。浙江福建の境界線附近を例に舉げれば、「Tae Islands」は臺山列島、「Seven Stars」は七星山、「Pih Quan」は北關港、「Nam Quan」は南關港と、正しく漢字に戻される。これらは譯者(やくしゃ)が清國の地誌と對照して還元した筈である。
 ところが臺灣島内で清國地誌の漢字を宛てるのは、ほぼ鷄籠・淡水・臺灣の三重鎭だけで、それ以外の島内各地について譯者は全く理解できてゐない。清國末年の徐維則『東西學書録』卷三に『海道圖説』を評して曰く、
「中國に名有る者は、中名を以てこれを譯す。西人、誤りを傳(つた)ふる者は、中圖を以てこれを正す。義の譯すべき無き者は、音を取りて以て中字を寫(うつ)す」
と。臺灣島内のみならず、尖閣諸島も譯すべき義の無い地名として音譯(おんやく)漢字が宛てられた。宛て字の尖閣は、歴代漢文史料と無縁である。英國原著で無主的な中間地とされた尖閣を、譯者が歴史にもとづいて臺灣の卷内に留めた可能性は否定される。……(下略)

全文は「新聞オンライン」をご覽下さい。
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

圖63島名比較
。平成二十八年八月二十九日附記:
 著名な中華民國感謝状で和平島を「和洋島」と書き誤った原因については、平成二十七年十一月三日火曜の八重山日報第四面「臺灣附屬の釣魚嶼は尖閣ではない、またも新發見」の中で既に論じた。その誤りには何ら意義が無い。何故なら五百年前から尖閣の西方に國境線が存在し、水先案内は琉球人が擔任し、明治二十八年までチャイナは「尖閣ゼロ」であったことが歴代の漢文で明らかなので、明治領有以後に島名を誤っても誤らなくても日本の領土として確定濟みなのである。古典史料こそ尖閣史の魂である。和洋島を以て鬼の首を取ったやうに言ひたてるのは愚かだ。
 また、上引の連載「獺祭録」を讀まずに和平山についてあれこれ書く人もゐるやうだ。尖閣史を論じるのに私石井の著作を讀まずに濟ませる法は無いだらう。折角目録を公開してゐるのだから、發言したい人はまづこの四年來の全作を通覽して欲しい。

ついでに。西暦千八百四十五年にベルチャー艦長を尖閣に案内した八重山人についてリンク。
http://senkaku.blog.jp/20160330yaeyama.html