尖閣との關聯で、重要文化財「元禄國繪圖」電子版を見た。國立公文書館。
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/category/categoryArchives/0300000000/0301000000/01

一般書籍中にしばしば引用されるが、大きな彩色畫像はインターネットで公開されてゐるのを初めて見た。門外漢の私にとって驚くべきはその精確性だ。内陸圖では一目で分からないが、海岸線や湖沼のある常陸・近江・薩摩・大隅・琉球などを見ればよく分かる(上リンク)。現代地圖とも見紛ふ程だ。伊能忠敬の百年前にこの水準に到達してゐた。それでも前作「正保國繪圖」よりも精確性を後退させてゐるのださうだ。下の琉球圖など、日本が琉球を完全に實効統治してゐたことを如實に感じさせる。

 ▼「元禄國繪圖」より、琉球國沖繩島。
元禄國繪圖沖繩島

 我々はこのやうな圖を、さして偉いものとも思はずに何となく見てゐる。それが日本では當り前なので有難味が無いのだらう。しかしその精確性は、隣の清國と較べれば違ひがよく分かる。康煕帝が宣教師に命じて作らせた全國地圖は、日本の國繪圖と比肩し得る精確性を誇るが、清國人自身の製作した清國地圖は、晩清期(光緒年間、西暦十九世紀末、二十世紀初)に至ってもほぼ中世と大差ない。
清光緒會典臺灣全圖_莫崇志繪
  ▲清光緒會典臺灣全圖 莫崇志ゑがく ウィキペディアより。

中世と大差ないからと貶めるつもりは無い。中世的風格をよく留める素晴らしい文化財ではないか。私は尖閣研究の關聯で清國製作の海岸線圖を常日頃から目にしてをり、逆にその古朴なる趣味を樂しむ程である。
 なほ、尖閣諸島は元禄國繪圖に掲載されてゐない。尖閣は少しづつ琉球のものとなりつつあったが、なほ公式には國外の無主地であったから、載ってゐないのは當り前だ。「載ってないからチャイナのものだ!」などといふ詐欺に引っかかってはいけない。尖閣に於いてチャイナはゼロである。

 下は清國人の『中山傳信録』から、沖繩島圖及び琉球諸島圖。西暦1721年刊。琉球の士人(しじん)の提供情報で製作された。元禄より後なのだが、精度はほぼ無いに等しい。清國は琉球を統治してゐないのだから精確な地圖を製作できる筈も無いが、製作する技術も無かった。
中山傳信録琉球地圖


中山傳信録琉球36島圖