石垣市データベース。
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南琉タイムス 昭和25年4月25日 無人島探訪記
南琉タイムス 昭和25年4月28日 無人島探訪記 ( 二)
南琉タイムス 昭和25年5月1日 無人島探訪記 ( 三)
南琉タイムス 昭和25年5月4日 無人島探訪記 ( 四)
南琉タイムス 昭和25年5月7日 無人島探訪記 ( 五)
南琉タイムス 昭和25年5月10日 無人島探訪記 ( 七) (第六囘を原文が誤記)
南琉タイムス 昭和25年5月13日 無人島探訪記 ( 七)
南琉タイムス 昭和25年5月19日 無人島探訪記 ( 九)
南琉タイムス 昭和25年5月22日 無人島探訪記 ( 十)
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  國吉氏による電子文字。
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無人島探訪記 高良鐵夫
 ■南琉タイムス(10回連載)  1950年4月25日~5月22日
  主な所蔵先 沖縄県立図書館 同上八重山分館 石垣市立図書館

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一.尖閣列島

 一日も早く尖閣列島え渡つて見たいというのが二年前からの私の切実なる希望であつた。それは同列島が生物地理学上、又海洋気象学上の要点に位置しているからである。
 それ程までに念願していた無人島えの航行がいよいよ今日実現されるのだと思うと実に感慨無量である。

 三月二十七日午后七時盛海丸(一〇トン二〇馬力)は新川沖を出発し、魚釣島を目指して北北西に進路をとつた。街の電灯は次々と姿をかくし富崎を廻るとともに電灯はすつかり姿をかくしてしまつた。懐かしい街、美わしい人々の心が胸を打つ。
 月は冴えているが波は高く屋良部半島、小浜島、西表島がほのかに見える。あれやこれやと街の文化生活を考えると行く先の無人島生活が思いやられる。
 船の揺れが次第に大きくなつてぢつとして居られない。次第に頭が重くなつて来て船に弱い者の哀れさを痛感させられてならない。
 苦しい波路に夜は明けて午前七時水平線手前に魚釣島、南小島がかすんで見える。あれが尖閣列島そして無人島かと思うと全く夢のようである。船は上つたり下つたりでひどく揺れ、船側に砕ける大波は甲板を洗い流す。

 午前十時半南小島北小島の西岸側を通過し、魚釣島の南岸に沿うて西北岸に廻航する。南小島北小島に於ける海洋鳥の群が双眼鏡に映ずる。魚釣島南岸の断崖絶壁は見ただけでもぞつとする。全島見渡す限りビロウが一杯繁茂している。

 午前十一時二十分魚釣島の西北岸に停船し、ここで上陸準備をする。海岸に廃きよらしいものが見える。船員がオーイと呼ぶと廃きよの中からオーイと答えて三人の男が向う鉢巻で出てきた。船員にきいて見るとここが数十年前古賀氏の鰹工場の跡である事がわかつた。
 そして現在は一月前より発田氏の鰹仮加工場になつている。三人の男が海岸から舟をこぎ出して来る。

 午前十一時五十分荒波との流の中に漸く小舟に乗り移る。汀線は珊瑚礁が舞台状に縁着している。
 午前十一時五十分東支那海の一無人島魚釣島に第一歩を踏む。真に痛快である。
 北緯二十五度四十六分三十秒東経百二十三度二十九分の一地点に立つて漁労に行く盛海丸を見送る。

 魚釣しまは石垣しまを去ること六十粁の位置にあり、尖閣列とう中の最大島で周囲十一粁余面積三百六十七町歩余石垣市字登野城に属している。




二.宿営地

 舟着場には鰹の頭や内蔵が惜気もなく捨てられ腐敗臭がそよ吹く風にぷんとして鼻をつく。船酔いと臭気で目暈がしそうになる。

 ふらふらしながら廃きよの楼門をくぐつて中に入つた。積み重ねられた石垣は第三紀砂岩であり厚さ約三米高さ約四米実に堅固である。風波を防ぐための石垣であるが故三方には出入の出来る程度の楼門がある。この囲の中に二坪の幕舎と約三坪のビロウ葺の仮工場が設けて居り無人とう生活の空気がみなぎつている。

 そこで私も五人の加工場の仲間入りをしこの幕舎に泊めてもろう事にした。こゝには清浄な小流水があり実に佳良な飲料水が得られる。近隣にはテツポウユリの花が咲きほこりキセキレイ、ホホジロセキレイ?がせつせと飛び交し、タカサゴシヤリンバイの花の香が鼻をつく実に住みよいところである。
 ヒチロウネズミ?が人目をぬすんでちよこちよここう動している。地面が動いているので早速掘り出して見たらジャコウネズミであつた。アヲスジトカゲ、オキナワトカゲ?が石垣の穴から出たり入つたりしている。三毛猫(野生化)が鰹を盗みに藪影からのぞいている。カモ、カモメの一種が時たま訪れて来る。
 このような周囲の状況からみるとここが無人島中の大都会でありこれ等の自然が吾々の心を慰めてくれる。

三、北岸踏査

 二十八日午后一時早速調査採集に着手、これからが単独こう動である。北部海岸に沿うて東北に進む。砂浜が殆んどないので海岸砂地植物は到つて貧弱であり、クサトベラ、モンパノキ、ハマオモト、グンバイヒルガオ、ハマナタマメ類が僅かに点在している。これらの植物はすべてが無人島育ちの趣を添えて人待ち顔に見える。

 宿営地の東北方約三百米の地点にはムサシアブミの小群落があり、付近の岩影には人間の白骨が重なつている。疎開途中に遭難した人々らしい。無人島で哀れな最期をとげられた人々の為にしばらく黙とうを捧ぐ。

 沿岸岩地にはガジマル、アカテツ、イヌマキ、リユウキユウガキ等が荒れ狂う風波のために、多くは一米位の高さで曲折し灌木状に育つている。しかもこれが斜面に沿うて圃つている様は実に面白い。
 午后二時半沿岸砂地ハマゴウの中に蛇を発見したが取り損ねてしまつた。
 逃げ場は朽木の根元である。周囲の状況から判断してみるとこの穴が棲息所らしい。上陸早々蛇にぶつかるとは余程この島には蛇が多いものと思われた。
 目前に赤褐色の裸をみせた大岩小岩が重なりころがつて居り地殻の大きな変動の跡がみえる。その中央にたつて高い所からみ渡すと約二十町歩位ある。断層を見ると閃緑岩?を基岩としてその上に第三紀砂岩がのつて居り所々に泥板岩を噴き出している。又石炭層が五六糎の厚みではみ出ている。




四、蚊群の襲撃

 夕食をしていると、首をちつくりと刺すものがいる。捕らえて見ると蚊である。最速空襲がはじまつたと誰かがいう。
 黄尾島の爆撃かと思つたがそうではなく、これはネツタイイエカの襲撃である。音もなく飛んできて静かに止まり、手足等裸出て居ればところかまわず刺す。これが実に巧妙でいたくてたまらない。

 無人島の蚊は食物にかつえていると見える追払つてもやつてくる。今正に人間と蚊が二坪の幕舎の中で生存競争が展開されている。
 さてこれが幾日続くだろうかと思うと気になる。無人島で蚊に殺されたのではたまらない。
 アフリカ未開地に於けるねむり病媒介者ツエツエ蝿のことが頭にういてくる。打ち落されても次々と増強してくる。無人島のネツタイイエカは実に執念深い。生温い防除では間に合わない。
 最後の手を打つことにして硫黄燻煙をはじめる。
 漸く退散せしめたが床に就くと再び襲撃がはじまつてくる。一群のものは既に蚊帳の中に進入している。
 無人島の夜は磯に砕ける波の音と蚊の襲撃に更けて安眠が出来ない。そこで夜半に波打際に出たがそれでも又追いついてくる。

 天空をながめ海をながめ輝く星と大波の音にうたれ寂寞を感じつゝ睡眠不足のまゝに夜を明かした。
 この島にいる限り蚊の襲撃はのがれることが出来ない。

五.海の宝

 三月廿九日早朝から海の方が特別騒がしい。びつくりして幕舎を出て見ると、二隻の漁船がカジキの群を追いまくつている。海岸から二百米程しか離れていない。相変らず波は荒い。

 船は上つたり、下つたり、ひどく揺れている。突き台の上に立つている四人の漁師の槍は今まさにカジキを突き刺そうとしているが船がひどく揺れるので見当がつかないらしい。
 カジキは必死になつて逃げようとしている。
 時々そんな大きな中体が空に跳り出る。その光景は正に手に汗握る痛快事といえ、まさにあつと言う間に槍は投げられ、カジキにぐさりと突き刺さる。
 早速うきが流され、船は全速力で次のカジキを追い掛けて行く。他方約四百米のところでは人間と海洋鳥と魚の生存競争が演ぜられている。
 雑魚を追う海洋鳥と鰹の群やカジキを追う漁船群、無数の海洋鳥と魚群と八隻の漁船との間に食うか食われるかの一大決戦場が展開されて居り、この魚釣島でなくては見られない一大絵巻といえよう。船の中に投げ込まる銀白色の鰹、えつさえつさと引き上げられるカジキ、海亀等凱歌は漁船にあがる。
 漁船群を追つて移動分散集合常なく沖を走る。このような光景は沿岸又は沖合で毎日展開されて居り、これ等漁船の中には大島、沖縄から近きは与那国、宮古からも来ている。

 尖閣列島はまつたく海の宝といえよう。
 マス、カツオ、ハカツオ、トビウオ、イルカ、フカ、クジラ、海亀等に恵まれて居り、斯る海の幸は海流の関係が主体であろうが、又魚釣島そのものの地形と森林植物が魚附の効を多分に持つているものと思われる。



六、小蛇の生捕

 午后二時昨日取り逃した蛇を生捕りに行く。予想通り棲息所の穴から出て、日当ぼつこをしていて人間が接近しつゝあるのを知らないらしい。
 生捕るには丁度都合が良い。今度こそ取り逃がしてはならない。きづかれなように匍うて行き、岩影に身をかくし、そこで双眼鏡、胴乱等を肩から下して身軽になる。
 蛇の逃げ場と頭をめがけて岩影からさつと飛び込み、左足で穴をふさぎ両手を以て頭と尾を押さえ難なく生捕る。
 一人苦笑しながら凱歌をあげて宿営地に帰る。

 長さ八十三糎、シユウダ科のナトワリツタスに属する一種である。
 夕暗迫る宿営地上空にはリユウキユウツバメの一群が旋回遊飛しているのが目撃される。

 ※(以下は宿舎を出て、西海岸を北に向う記述であるが、原稿の前半部が抜けている)

……植物はすべて根こそぎにされて腐朽しており、新にススキ類、ナンバンキセル、ボタンニンジン、イリオモテアザミ?、クサスギカヅラ等が点在的に生えている。
 後で漁師より聞いて解つたが、この一帯は先年(一九四七年?)の地震によつて山がくずれたものらしい。
 大岩から小岩へ、小岩から大岩えと時々巾飛して渡らねばならない。時たま飛び損ねて岩と岩との間に落ち込んだり、或は向う脛を打つたりして実に歩き難いところである。岩盤の間から清い水が流れており、やはり飲料水として佳良である。

 北方水平線上に小島が浮いて見える。これは北緯二十五度五十五分、東経百二三度四十分、永久危険地区として指定された黄尾島である。
 双眼鏡で見ると海岸は概して断崖絶壁をなして居り、中央部は山丘になつている。
 この黄尾島こそ農業上関係の深いところであり、海洋鳥も又多いところであるが惜しいかな危険地区に指定されて調査が出来ない。
 数十年前は島の海洋鳥及び鳥糞が資源として重宝がられ当時移出産物になつていたという。日は既に西海に傾いて居り、夕陽あびながら宿営地に帰る。

七、西岸踏査

 沿岸植物を求めて今度は西海岸を南進する。これ又砂地が殆んどなく北岸と同様に第三紀砂岩が汀線に傾斜露出して居りあるいは所々に珊瑚礁が舞台状に縁着している。
 従つて砂地植物は殆んどなく岩上にイヌマキ、マサキ、ガジマル等が生えて居りその生態分布の状況は沿岸と大した差はない。鳥類ではリユウキユウアカシヨウビン、シロサギが目につく、第三紀砂岩の断崖絶壁に遭遇して路頭に迷う。
 仕方がないので草を踏み分けて、断崖上を宇廻したが再び断崖に遭遇してしまつた。
 進退極まつて進むことが出来ない。進路を変えて後退し汀線の断崖を下ることにした。装具が邪まになるので先づ双眼鏡、水筒胴乱等を縄で下にし裸足で一歩一歩下る。眼下には砂岩の大がころがつて居り崖に岩コケが生えている。時々すべつて頭の毛がさつとする。
 漸く地獄崖を通り汀線上を南岸に廻つたがここで再び火山岩の絶壁に遭遇した。眼下は青海原であり完全に進路を阻止された。

 東方には北小島、南小島が手に取るように見える。魚釣島南岸の断崖上には岩骨の突出した山があり近くの断崖はテツポウユリ、キキヨウラン、サクラランが見える。
 海岸にはヒノキ、カタン、ラワン、米松、スギ等の流木が打ち上げられているが、何れもフナムシが深く侵入して居て用材としての価値なく薪以外には利用出来ない。
 しばらく休息の後再び地獄崖を通つて帰路につく。




八、大じや生捕

 明けて三十一日島の縦横断を計画し島の最高点を指して早朝出発した。
 勿論道はない。自ら路を切りひらいて進まねばならぬ不利をまぬがれない。沿岸の灌木層から喬木層に入る山中には大小幾多の岩が重つて居りしかもコケが生えいるので容易に進めない。
 昼尚暗い密林がある。タブノキ、イヌマキ等の木材資源が目につく。体の小さな黒鳩がビロウの葉をばたばたたたいて飛び去る。アツマイマイが時々目につく。羅針盤を取り出して進む、二時間経過の後漸く南岸の絶壁上に出た。

 青臭い蛇の臭気が鼻をつく。後を振り向いてびつくり二三歩飛び下る。今通つて来たばかりのリユウキユウガキの根元に二匹の蛇が鎌首をあげてこつちをにらみつけている。
 運が良かつたと胸をなで下しながら後へ廻りあなをのぞいて見た。胴周り約三十糎と二十五糎もある二匹の大蛇のヤエヤマニシキヘビ?である。
 一人で生捕りすることは心細いので応援を求めに宿営地に向かつて大急ぎで山を下つた。三十分の後宿営地についたのであるが幸にして漁師も数名一時の休養のために上陸している最中応援を乞うたら心よく承諾してくれた。
 漁師三名製造人一人それに小生計五名、身軽になつて喜び勇んで出発した。
 既に一時間半を経過しているが余り急ぎ過ぎたため方向を違えてしまいとんでもない竹やぶに来て居る。漁師の三名は時間の都合でここから引き返すことになつた。
 製造人の大底某と二人でさんざん探し求めた結果漸く先刻の進路に出ることが出来た。
 約十分の後蛇の居所についたが一匹は既に逃げていない。附近探し求めたが見つけることが出来ない。居残つた一匹は余程警戒をしてこつちを向いている。大底某をして大蛇の前方で演技をさせ蛇の後方から首をしめる方法をとつた。

九、密林踏査

 午后二時進路を変換し再び羅針盤を最高峰に向ける。伐採しながら進路を向ける。
 どこを見ても主体を占める植物はビロウであり、高さ十五米、葉柄の長さ五米以上に達するものが沢山ある。葉柄の付け元にコメツキムシが居りこの虫を食うために長さが十四五糎もある大きなムカデがいる。うつかり葉柄をもぎとるとこのムカデにやられることがある。
 腐朽したビロウの幹中にはタイワンカブトムシの幼虫が見受けられる。
 海岸近くから中腹にかけてのビロウは一米位の高さで心芽をもぎとられ枯死しているものが多い。これは野菜代用として採取されたものらしい。

 奥地へ進むにつれタカサゴシヤリンバイ、クスノキ、イヌマキ、タブノキ、リユウキユウガキ、ガジマル、クサギ、ヤマグワ、クロツグ、アコウ、モチノキ、ツバキ、アカギ、オオバギ、フトモモ等の樹木は勿論、ハカマカズラ、ハマナタマメ、クワズイモ、ムサシアブミ、トウズルモドキ、フウトウカズラ等の生育が良く原生林相をそなえたところもある。殊にクロツグは葉柄の長さ七米に達するものがある。

 山林中の崖又は谷間にはサクララン、マツバラン、オオタニワタリ、リユウキユウセキコク?、リユウビンタイ、ノキシノブ、オニヤブソテツ、オオアマクサシダ、ヘゴの一種、ミズスギ等が目につく。時たまツマベニチヨウ、アサギマダラが谷間を飛んで行く。

 野禽として山林中で最も多く見られるものはメジロ、ヒヨドリであり、物珍らし顔で人を見つめるのは面白で。やはり無人島育ちの趣きを添えている。
 山頂近くに来ると蛇の臭気が鼻をつく。ビロウ、ガジマルが密生しているので昼なお暗い。ガジマルの気根が丸い



十、東南岸踏査

 四月二日午前八時再び北部海岸線を通り東北岸に進路を求めた。海岸線はやはり珊瑚礁が第三紀砂岩に縁着して舞台状になつたところがあり、又岩が汀線にころがり、あるいは諸所に間隙があつたりして歩行は極めて困難である。
 砂浜が少なく砂地植物は西岸同様貧弱である。岩上にシロサギの骸骨と羽毛が散つて居り鳥と鳥との生存競争の後が無人島の一角に残されている。おそらくツナの仕業であろう。 黄尾島、沖の北岩を左に見つゝ前進する。岩と岩との間に僅かな堆土を利用してアダンが元気なさそうに生えて居り何等の大蛇がつり下つているように見える。
 蛇の臭気を求めてガジマルの根、岩影、あるいは樹上を探しても見当たらない。ガスをたいて飛び出したものは小蛇一匹、捕て見ると上陸翌日捕つた小蛇と同一種、略同大のものであつた。

 午后四時半山頂につく。高所から見渡すと北方沖合に黄尾島が見え、眼下には沖の南岩、沖の北岩、北小島、南小島、魚釣島を中心として移動している十数隻の漁船等、尖閣列島のすべてが手に取るように見える。
 沿岸の植物相は資源的価値も認められない。その他東北岸の植物相も大した変化がない。この東北部海岸は明治の末期頃までアホウドリが二、三ケ所に群棲していたということであるが、今日ではアホウドリの棲息は見られない。
 これは種々の妨害のために北小島あるいは南小島に移動したものであろう。

 沖の南岩トビ瀬島を目前に見て東岸を南下、北小島、南小島の岩山が尤立して如何にも物騒に見える。南岸の中部付近まで来ると崖が多く、容易に汀線を渡ることが出来ない。
 無理をして漸く進んで来たが遂に進退極つてしまつた。今更海岸線をもどつて帰るのも無意味な感がしたので思い切つて断崖絶壁を攀じ登ることにした。
 先づ胴乱、双眼鏡、水筒、靴などが邪まになるので一応装具は縄で結んで置き断崖を登り終つてから縄で引き上げることにした。まるでヤモリが壁を匍うようにして崩れた砂岩の突角を足場にして登ること十数分、崖の半分まで来たとき右足下の岩が崩れ落ち全身の重みを左足と右足にかけた瞬間、今度は右手の岩が欠けあつと言う間に断崖下に落ち込むところであつたが幸いトウズルモドキが四五本垂れ下がつていたのでとつさの間にこれをつかみ漸く命を救うことが出来た。
 これこそ命の綱であつたのである。
 仕方なく断崖を下り進路をかえて再び崖を攀じ登る。
 崖上出た時は既に午后一時半、時間の都合上で南岸のがい上迂回を中止し横断して北岸に出た。若し断がいを迂回し島を一周するなら一日を要するであろう。

十一、小島と海鳥

 魚釣島の東南方約四粁隔つたところに二つの小さな島がある。これを北小島、南小島と言い漁師は俗に鳥島といつて居る。北小島、南小島は約三百五十米離れている。
 両島ともに第三紀砂岩に珊瑚礁が所々に緑着して居り、峻嶮な岩山の無人島であつて海鳥の棲息に適している。
 北小島は周囲三粁余、面積約二千五百アール海抜約百三十米、南小島は周囲約二・五粁、面積約三千二百アール、海抜約百五十米、近海は波も荒く流れも速いので天候のよい時でも船をつけることは困難である。
 樹木はないが雑草らしいものが双眼鏡で見える。
 南小島には洞穴があり、四米位の大じやと海鳥調査のため両小島に渡るべく計画を進めたのであるが天候に恵れず遂に両小島を目前に見ながら上陸することが出来なかつた。

 以下両小島に行つた経験のある漁師連と双眼鏡で見た実況とを総合してみよう。
 南小島にいる海鳥はクロアジサシ、セグロアジサシ、アホウドリ、クロアシアホウドリ、リユウキユウカツオドリ、シロイツチヨン、オオミヅナギドリ、クロウミツバメ等でありこれらの海鳥は魚類を食うのでその糞は肥料として貴重なものである。
 両島から飛び立つ海鳥群は空を覆い実に勇壮であり、ステツキを振れば一振りで二三羽たたき落されるという。
 上陸すると最初の程は人を珍らしそうに見つめているそうであるが一度彼鳥を驚かすと人間を見ただけでも飛び去るという。
 アホウドリやその卵等が乱獲されているがこのようなことでは折角の鳥群も四散し跡を絶つに到るであろう。
 繁殖が極めて遅緩なものであるから妄りに捕獲することを禁じ一種の保護法策を講じて群棲を誘致し、無限の肥料資源を得るようにしなくてはならない。

 数十年前には魚釣島にもすう十万羽のアホウドリが棲息していたようであるが現在は跡が絶えており、黄尾島にも島を覆う程棲息しているようであるが永久危険地区に指定されているのでその状況は不明である。



十二.無人島の嵐

 四月五日あやしいと思われた天候は予想通りに夕刻から風雨が強くなり、寒気が急に襲つて来た。
 海岸の方にはあわただしいエンヂンの音、騒動しい漁師の大声が聞こえる。
 夜半には遂に大嵐となり宿営地も又混乱状態に陥る。ビロウ葺の小屋はぐらつき、雨は打ち込み、三坪の幕舎はひつたぐられそうになつて来る。幕舎に載せた石がおちる。荒れ狂う大波は雷鳴とともに惨じく響く、頼りになるものはこの石垣ばかりである。
 これが崩れてしまえば宿営地は風波のために一掃されるかも知れない。とんでもない無人島へ来たものだと思うと不安でならない。
 一枚の毛布に身をくるみ、ばたばた揺れる幕舎の中で夜の明けるのをまつ。

 明けて六日早朝楼門から海岸をのぞくと昨夕水を補給して居た五隻の漁船はもう姿が見えない。前夜半の中にどこかへ逃避したものらしい。
 山のような大波は磯に砕けてものすごいしぶきを上げる。陸地に引き上げてあつた刳舟は完全に転覆されて腹を見せて居り、海岸に放置されていた鰹の頭や内蔵がすつかり洗い流されて清掃されている。
 昨夜まで元気よく飛び交わしていたリユウキユウツバメの一群はすつかり元気を失い簡単に手で捕らえられる。

 國吉氏追記、本稿は「幽霊船」など記述に抜け等があり不完全である。再掲にあたり、文中誤りを訂正・補足し、旧漢字は一部新漢字に改めた。(終り)


1950年4月15日付自由時報より尖閣
※画像は1950年4月15日付自由時報より

以下『南琉タイムス』電子畫像。石垣市データベースより。
高良無人島探訪記01

高良無人島探訪記02

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高良無人島探訪記10











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