クローズアップ現代2016年7月26日(火)
古代ミステリー 日本人はどこから来た ~徹底再現!太古の大航海~
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3844/index.html
草船プロジェクト
https://readyfor.jp/projects/koukai

 NHK番組を昨日觀賞した。黒潮越えが無理だったと分かる番組であった。素人なりに感想を述べたい。研究主幹の海部氏は南方熱帶人種が臺灣から東渡して沖繩の港川人となったとの前提に固執してゐるが、信頼できないと思った。
 そもそも素人的知識では、出アフリカ後のアジア人は大きく三波で東亞に到達したのであらう。第一波がアボリジニなどのオーストラロイド。第二波が繩文人・チベット人・アンダマン島人などの古モンゴロイド。第三波が稻作の長江文明人などの新モンゴロイド。
 海部主幹の研究によれば、港川人の骨は南方人種に近いのださうだ。海部氏は港川人をマレー系新モンゴロイドだとするのか、アボリジニ的オーストラロイドだとするのか、番組では分からなかったが、私が見落としたのかも知れないし、論文を讀めば分かるのかも知れない。素人なのでそこは勘辨して頂かう。いづれにしろ、現在は南方に分布する人種である。
 しかし繩文人のやうに日本とチベットとアンダマン諸島だけに見られる古モンゴロイドも存在する。現在南方に居住してゐるからといって、北から來た可能性を否定できないではないか。日本列島は酸性土で古人骨が消失するといふではないか。
 港川人は沖繩本島で出土した。それを臺灣に結び着ける根據は何か。島づたひに來たならば鹿兒島方面から來たと考へられないのか。また港川が沖繩本島東南部に位置することに着目すれば、南太平洋からたまたま流れ着いたのではあるまいか。
 海部主幹は渡海して到達したことに着目するといふが、琉球弧は海中の島々なのだから、どちらから來ても渡海したこと間違ひない。單にどちら側から渡海したかといふ問題だ。しかるになぜ臺灣側だけを重點とするのか。
 現在の琉球弧の住民は港川人ではなく、繩文人が基礎となってゐる。比較的新しい時代に本土の繩文人が南下したのだらうといふ説が有力だ。現在、日本語は北海道から八重山諸島まで分布し、與那國島までで日本語の西限となる。それはどうやら黒潮に隔てられたために與那國島で文化圏が分かれるのだらうと、素人なら推測する。出土品でも、熊本大學の木下尚子女史の研究では、矢張り文化圏は與那國島までで盡きてしまひ、臺灣との共通性は見られないといふ。
 さうであれば、二萬年前の原始人にとって、與那國臺灣間の黒潮は更に一層越え難かっただらう。海部氏がそれに反して黒潮を越えたとする根據が番組では見えなかった。そして勿論草船渡海は成功しなかった。そもそもアジア全域の出土人骨があまりにも少ないので、この草船研究は時期尚早に見える。こんなことに大金を集めないで頂きたい。

參考:
日本列島への先史人類の移動と拡散 : 共同研究 : 人類の移動誌 : 進化的視点から (2008-2011)
        印東 道子
        民博通信 133, 14-15, 2011-06-30
        人間文化研究機構国立民族学博物館
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005405103


草船