仲裁裁判所の裁定に反撃する中国の「情報戦」の中身 本格的灯台の設置で人工島の軍事基地化に拍車
2016.7.21(木) 北村 淳  曰く、
 中国メディアは、南京市の歴史学者により発見された日本の資料を、中国側の言い分の正当化のために持ち出した。その資料とは、1937年に日本で発行された『世界の処女地を行く』(信正社)の記述である。
 著者である探検家の三好武二氏は、1933年夏に探検隊を率いて南沙諸島を偵察した。その際に、南沙諸島に中国人漁師たちが居住し、漁業や水産加工業それに耕作などを行っていた状況を観察し、漁民たちの生活や家屋の状況などを本書で紹介している。
 中国メディアは「日本人が目撃し書き記したこれらの事実は、歴史的に見て南沙諸島が中国の領域であったことを具体的に物語っている。よって、南沙諸島は無主の地であったというフィリピンの主張は事実に反している」と“日本の資料”の価値を高く評価している。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47395?page=2

 以上北村氏の記事に出る1937年『世界の処女地を行く』(信正社)、著者三好武二。國會圖書館藏。リンク:
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221095/191
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221095/192
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221095/193
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221095/194
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221095/195
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221095/196
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221095/197
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221095/198
 三好氏原文を讀むと、この時までに既に新南群島(南沙諸島)は日本とフランスとの爭奪の地となってをり、同時に海南島出身の漁民が遠洋漁業のために到來し、迎への船が來るまで暫時居住してゐた。漁民の一人は海南島で生まれ、シンガポールからこの島に來たといふ。彼ら漁民の國籍は記録されてゐない。チャイナの國家行爲はこの年代に至ってもまだ無かった。最大の太平島(和名長島)にチャイナ漁民が居住してゐなかったことも記録されてゐる。三好氏はフランスの留めた標柱等の痕跡に對して領土的敵愾心を燃やすが、チャイナ漁民については何ら領土的意識を見せてゐない。日佛爭奪の隙にどこの漁民が來ようが大した事と思ってゐなかったやうだ。

 三好氏が新南群島に往ったのは昭和八年で、昭和八年九月六日の大阪毎日新聞に報じられた。リンク:
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10074274&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=10074274&TYPE=HTML_FILE&POS=1

 關聯のチャイナ報導リンク:
http://news.xinhuanet.com/mil/2016-07/14/c_129144800.htm
http://szb.hkwb.net/szb/html/2016-07/14/content_118667.htm

三好武二世界の處女地を行く