シュティーラー製圖。
「Hand-Atlas über alle Theile der Erde nach dem neuesten Zustande und über das Weltgebäude」
著者: I C Bär; H Berghaus; H Hübbe; C G Reichard; Adolf Stieler;
出版: Greifswald Universitätsbibliothek Gotha Perthes [1836]
メックレンブルク=フォルポンメルン州(Mecklenburg-Vorpommern)電子圖書館。
http://ub-goobi-pr2.ub.uni-greifswald.de/viewer/resolver?urn=urn:nbn:de:gbv:9-g-198970
https://www.worldcat.org/oclc/845995601
「豪洲圖」及び「支那日本圖」及び「亞細亞圖」は尖閣と八重山と臺灣とが繋がってをり、尖閣單獨の所屬は不明瞭。しかし下の東印度(Ost-Indien)諸島圖だけは八重山及び尖閣が臺灣から離れて明瞭である。
Stieler1836_Handatlas_東印度圖_Mecklenburg藏



1840年、Stieler 「Schul-Atlas」(學校用地圖册)内の東印度諸島圖。
ゲオルク・エッカート學社(GEI)の教科書電子圖書館。
エッカート(Georg Eckert)は西暦20世紀の教育學者。
學社はドイツの地方都市ブラウンシュヴァイク(Braunschweig)に在り、
隣國との共通教科書編纂で近年報導に出たこともあった。
http://gei-digital.gei.de/viewer/ppnresolver?id=PPN743677641
https://www.worldcat.org/oclc/935021377
Stieler1840_Schul_Atlas_東印度圖_Eckert藏
シュティーラーの學校用で尖閣を八重山とするのは、今考索の及ぶ所1840年が最も早い。これより先、西暦千八百三十七年にシュティーラーの地元ゴータで刊行された『學校用世界圖册』には、尖閣が載ってゐない。
http://www.worldcat.org/oclc/894283656




西暦1844年、Stieler 「Schul-Atlas」(學校用地圖册)内「東印度圖」。これも西暦1840年版と同じだ。
https://catalog.hathitrust.org/Record/100574507
https://www.worldcat.org/oclc/897527755
https://books.google.co.jp/books?id=5QhFAQAAMAAJ
1844Stieler_Schul-Atlas_東印度圖_google



東印度圖_ペンシルベニア大學藏。
1848年、Stieler 「Schul-Atlas」(學校用地圖册)内。
電子圖庫には1842と標せられるが誤り。内表紙には1848と標せられ、次頁の前言では各地の製作年を1844年から1847年まで明記する。
http://sceti.library.upenn.edu/sceti/printedbooksNew/index.cfm?TextID=schul_atlas
http://sceti.library.upenn.edu/sceti/printedbooksNew/index.cfm?TextID=schul_atlas&PagePosition=26

1842Stieler_Schul_Atlas豪洲圖_ペンシルベニア大學藏

 以上、尖閣海域が宮古八重山海域と繋がってゐる。これらは一見すると隨意に描いたに過ぎぬやうに見えるがさうではない。歴年のシュティーラー圖は、領域認識が有る場合全て尖閣を宮古八重山に入れる。
 與那國と臺灣との間は近いが海域は繋げられてゐない。尖閣は八重山からやや遠いものが近めに描かれてゐる。近めに描くこと自身がシュティーラー系列の認識を示してゐる。




(以上の内容は八重山日報連載「歐洲史料尖閣獺祭録」第54囘として平成二十八年七月二十八日木曜に掲載されます)
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

記録:
http://web.archive.org/web/20160726201156/http://senkaku.blog.jp/2016071163215402.html
https://archive.is/Cv5mu