南沙は古へより界外に在り──南支那海・東支那海でニセ歴史を捨てるべき時が來た

2016/06/27  作者:石井望   天下雜誌獨立評論より和譯
原題 : 「南沙自古在界外──南海東海,是時候撇開假歴史了」
http://opinion.cw.com.tw/blog/profile/52/article/4458

今(西暦2016)年6月6日、「時代力量」黨の林昶佐(フレディ・リム)議員は臺灣議會で太平島主權の依據が何であるか質疑した。外交部の李澄然副部長は答へて、主に國際法に依據すると言ひ、完全には歴史を否定しなかった。林議員は一歩進めて述べた、清國の墓碑・旅行記等は全て虚幻なるものであり、新政權は歴史から乖離して主權を主張し、國際に笑はれてはならぬと。副部長は贊同を表明した。
https://www.youtube.com/watch?v=mwf4Z60RhTI

これは一大ニュースである筈だが、《自由時報》の曾韋禎記者だけが報導した。
http://news.ltn.com.tw/news/focus/paper/997841
日本及び米國方面はこれに留意してゐないやうだ。副部長の言を聽くに、今後ニセ歴史を振り囘さない意とほぼ理解してよい。これは蔡英文新政府の一重要政策決定となり、巨大な影響を産むだらう。同じく一個の太平島の主權でも、ニセ歴史を振り囘すか眞實の歴史に依據するかで、意義は天淵のごとく判(わか)れる。

南海諸島は古籍上で誰に發現されたか
林議員は大まかに虚幻と言ったに過ぎない。我々は二種の情況に分けるべきだ。第一種は早期の民人が國外で活動した記録であり、法理上は主權の依據とするに足りない。太平島中には舊時の墓碑が有り、「皇清郭氏」と刻まれてをり、眞贋は辨じ難い。果たして眞に清國の遺物ならば、海南島人が留めたものだらう。十九世紀に南海で活動した漁民は海南島人が主であった。これを主權の基準にするなら、太平島は海南島に歸せずばなるまい。たとひ解放軍が臺灣を侵呑しても、該島の行政區劃は海南島に屬することになり、臺灣は一として獲(う)るもの無くならう。該島は日本統治時代以後に始めて臺灣に屬した。

第二種の情況は斷章取義し、文意を歪解したもので、これで歴史を虚構するのは詐欺に近い。主權が誰に屬するかを問はず、ニセ歴史を捏造することこそ極惡の大罪であり、人はみな痛憤する。例へば國共兩黨の外交部が共同で主張する南沙の最も早い記載は漢國の楊孚《異物志》に見え、書中には「漲海崎頭」の四字が有る。漲海はほぼ南海、崎頭はほぼ島礁であり、漢人が南沙諸島を發現した記録だと主張してゐる。實際にはこれは三國の孫呉の萬震《南州異物志》であり、書中の該條の上文にはさらに「外徼の大舶、皆な鐵葉を以てこれを錮す」等の文がある。西暦1970年に史學の大師饒宗頤氏の論文がすでにこれに論及してゐる。
http://public.dha.ac.cn/Content.aspx?id=983907320776&Page=5
外徼は外國であり、該條は外國人が南海諸島を發見したことを示してゐる。兩黨の外交部の主張とは恰かも相反である。

中華人民共和國の南海研究院の呉士存院長は曾て《南沙爭端的起源與發展》(中國經濟出版社、西暦2010年)なる一書を刊行し、理の當然として漲海崎頭の句を引用した。さらに英譯本を出し、該條の「外徼の大舶」を「boats used by foreigners」と譯した[1]。これは一人の無名の譯者の最も普通の譯法に過ぎない。しかし呉士存院長がもし自筆で翻譯しても、foreigner(外國人)と譯さざるを得ないだらう。彼は「外徼」の字義を知らぬ筈が無い。專門家が明知して故(ことさ)らに犯すのは、詐欺的性質に屬する。中華民國の馬英九前總統及び其の助言者も、こんな簡單な道理を分からぬ筈が無い。彼らは闇雲にただ一時だけ騙し通せばよく、米國側も細節を追究しない。
[1] Wu Shicun "Solving disputes for regional cooperation and development in the South China Sea : a Chinese perspective"、第18頁、Chandos Publishing、西暦2013年。
https://www.amazon.com/dp/1843346850

「華夷中外之界」
明國清國の最南界は海南島であり、そこから外は即ち國外である。官修の地誌諸本が證となる。南沙諸島は一度も領土に編入されたことが無い。官修のほか、私人の撰した地理著作中にも國境線に類似する記載が有る。清國中晩期の顔斯綜《南洋蠡測》内に「萬里石塘」の記載が有り、曰く
「此の塘を以て華夷中外の界を分かつ」
と。九段線の專門家はみな、これが南沙群島を指すと述べてゐる。しかし原文を細覽すると、上半篇では石塘の東を福建洋面とし、下半篇では石塘の西をシンガポールとする。南北の偏差が遠すぎる。これは確かに林議員の言ふ虚幻の類に屬し、國際法の基準にもとづけば完全に無效である。しかし歴史の基準にもどつけば玩味に値ひする。

 海國圖志引南洋蠡測北大藏本archiveorg粗

《海國圖志》に引く《南洋蠡測》、北京大學藏光緒元年序重刻本、archive.org


我々は暫時この石塘を一すぢの南北方向の海底龍脈と理解すれば良い。北で海面に露出して西沙群島となり、南で海面に露出してシンガポールの東のアナンバス群島となり、中間では南沙群島に載及しない。「華夷中外の界」は原文の前半に屬し、福建洋面に最も接近する部分すなはち西沙群島であらう。官修地誌の海南島の國境線の位置と近い。九段線の專門家は考索を加へずに南沙群島だと認定してゐる。牽強附會であり、原文から乖離してゐる。

石塘の早期の記載を溯れば、元國の汪大淵《島夷誌略》が萬里石塘を海底の地脈とする。潮州に始まり、南に向かって三すぢに分かれ、一脈は東のブルネイ及びティモール島に至り、一脈は西に「西洋」に至り、一脈は中でジャワまで貫通する。顔斯綜《南洋蠡測》の石塘は汪大淵の地脈に起源するのであらう。西の一脈を指してゐるかも知れないし、中間の一脈を指すかも知れないが、東に向かふ一脈ではあり得ない。要するに地脈は最も良く南北偏差が大きい原因を説明できる。

《南洋蠡測》は更に「華夷中外之界」の下ですぐに述べる:
「唐船は單薄にして、舵工は天文を諳ぜず、……外大洋を走る能(あた)はず。塘の北は七洲洋と爲す」
と。唐船は單薄にして星を計測できない。これは逆に外國船が堅厚にして星象計測に熟練してゐたことを示す。大洋を航行できるか否かはこれで決まる。このやうな外大洋は西沙の南の一面に汪洋たる海域を指す筈であり、シンガポールの東のボルネオに近い多島海域ではない。さうであれば、ここの石塘は西沙群島を指す筈であり、外大洋の北に位置する。そして七洲洋は更に北の海南島附近の海域を指す。現在の七洲洋は海南島の東北側に位置してをり、これと符合する。一方の南沙群島は遠く外大洋の外に在り、清國に屬しない

 阿南巴斯群島粗

 圖:アナンバス群島。  雅加達はジャカルタ。


民間旅行記かく語りき  
民間旅行記にも「中外の界」の記載が有る。乾隆年間の陳洪照《吧遊紀略》に曰く、
「廈門より咬留吧に至るまで、海道二百四十更なり。初めて洋に放つや、舟は西南に行くこと三十六更にして、七洲洋に至る。茫として島嶼無く、西洋に通ずる必經の道と爲す。……中外の界、此れより分かたる」
と。ここの七洲洋はどこに位置するか。咬留吧はジャカルタの港口であり、「更」は古人の海洋路程計測單位であり、約六十里に相當する。廈門から海南島までの沿岸海道は直線が多く、海南島からジャカルタまでは曲線が多い。試みに曲線二百四十更を折半し、一百二十更と計算し、それを三十六更に對比すれば、比率は十分の三になり、現代地圖中の廈門・海南島・ジャカルタの直線距離の比率に符合する。されば《吧游紀略》の七洲洋もまた大約海南島附近に在る。

「中外」は文語中では内外を指すに過ぎず、現代用法の「清國と外國」といふ特定名詞ではない。陳洪照は中外とだけ言ひ、華夷と言はないが、しかしその位置は海南島の國境線と符合する。されば陳洪照の中外の界は國境の内外であり、恰かも《南洋蠡測》の中外の界の位置を補證することができる。附帶的に言へば、東支那海の釣魚台の東にも一すぢの中外の界があるが、それは琉球の内外を指し、琉球王宮を中とする。《吧游紀略》とは逆である。これについて私は既に考證した。

 小琉球漫誌中外之界國會卷六切

  《小琉球漫誌》卷六に引く《吧遊紀略》、日本國會圖書館藏、乾隆三十一年序の刻本。


陳洪照《吧游紀略》の原書はすでに逸してをり、該條の逸文は朱仕玠《小琉球漫誌》の中に見える。《小琉球漫誌》は西暦1957年の《臺灣文獻叢刊》の中に收められ、ここ五十年來その流傳は甚だ廣い。九段線の專門家は《吧游紀略》の中外の界を避けて、ただ《南洋蠡測》の南北偏差の大なるを利用し、中外の界の位置を強ひて南沙群島に移動し、耳目を混亂させてゐる。

《吧游紀略》はジャカルタ旅行記であり、林昶佐議員の言ひ方では虚幻の類に屬することになる。もし嚴格に國際法にもとづくならば、西暦十九世紀以前の大部分の史料はみな虚幻なるものであるが、しかし基準を少し緩めれば、真實なるものもあり、虚幻なるものもあり、一概に論ずることはできない。《吧游紀略》の中外分界は歴代地誌の海南島の國境線に符合してをり、比較的に真實味がある。


以上は個別の例に過ぎないが、九段線には史料で反駁できると分かる。なるほど我々はこれらの史料を現代國際事務にあてはめることはできないが、もし完全に歴史を避けるならば、九段線の史學詐欺を暴くことができない。結果として、世界輿論はかう思ってゐる。「九段線は國際法に違背してゐるが、しかしそれも歴史であるから、尊重せざるを得ない」と。これでは大事が損なはれる。對岸のかの國の目的はまさにここに在る。

(下略)

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