ケント・ギルバート氏がツイートしてくれて、高山正之氏と百田尚樹氏(五十音順)も虎ノ門テレビで取り上げてくれたお蔭で、明治元年シュティーラー製圖が再び話題になってゐる。
https://twitter.com/KentGilbert01/status/747379661374513153
國境線が尖閣だけでなく臺灣の東南側のサマサナ島にまで伸びてゐることに注目する人もゐる。
https://twitter.com/Pakkurareman/status/747421090230767616
そこを八重山日報の尖閣連載で解説したので、以下に部分的に複製しておく。
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平成二十八年五月十日 『八重山日報』第四面  
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

 おうしう           だっさい ろく
歐洲史料 尖閣獺祭録 連載第三十一囘  
尖閣の西側に最古の國境線 英軍水路誌にもとづく 臺灣附屬とせず~~明治元年 シュティーラー圖册「支那高麗日本圖」(ドイツ)

(上略)……今囘は少し時間を戻して明治元年のシュティーラー圖を紹介したい(圖68)。尖閣の西側にくっきりと國境線を描き出す。これは過去にラペルーズが尖閣を琉球の内とした情報にもとづいてゐるのだが(連載第三囘)、圖中の島名は英軍水路誌をそのまま採用してゐる。
(中略)
 同圖では左下方のサマサナ島まで日本の國境線内に入れてゐる。これは英軍水路誌系列でサマサナから尖閣までを一括りに臺灣附屬外の中間地とした前例にもとづく(連載第二十六囘、圖58)。但し臺灣北方三島を線外としたのはラペルーズと同じである。英軍情報にラペルーズ情報を合した結果、明治元年シュティーラー圖では尖閣からサマサナまで日本の國境線内となったのである。
 一昨年刊行した拙著『尖閣反駁マニュアル百題』では、別の情報にもとづきサマサナまで入れたものと推測したが、昨年から英軍水路誌を勉強してみて如上の正解が分かった。明治元年シュティーラー圖は、英軍水路誌の尖閣を中間地と理解し、臺灣附屬と看做(みな)さなかったのである。

圖68  西暦千八百六十八年「支那高麗日本圖」(China Korea und Japan)、『Stielers Hand Atlas』所載、東京大學藏。今いしゐのぞむ著『尖閣反駁マニュアル百題』より録す。
表紙東大stieler切取


連載第二十六囘、圖58
尖閣獺祭26平280414切


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全文は新聞オンラインの八重山日報(平成二十八年五月十日)でご覽下さい。
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html