ツイッターでこんなお問合せを頂いた。
「尖閣に480年も歴史ありますか。
 Pinnacle Isles(尖閣諸島)を英軍ジェームズ・コルネッツ艦長が
 命名したのは1790年前後です。
 漢字の「尖閣」の名を公式に使用したは昭和年間です。
 釣魚の島々を英国領にしたいのですか。」
と。これは三重に誤ってゐる。

第一。「釣魚嶼」は西暦1534年に
琉球人が明國船を案内した記録中に出現する。
命名者は不明だが、どうしても命名にこだはるならば、
琉球人が漢文で命名したとするのが正しい。
http://senkaku.blog.jp/archives/37712591.html

第二。西暦千八百九十年頃にアルゴノート艦(Argonaut)
のコルネット艦長が記録したpinnacleは、北緯29度40分。
吐葛剌列島の諏訪之瀬島の北端の緯度である。
例へば「Handbuch der Schiffahrtskunde: Zum Gebrauch für Navigationsschulen」
(航海術學校用船客手册)、第二百十頁
著者:ハンブルク數理知識普及社
(Hamburgische Gesellschaft zur Verbreitung der Mathematischen rentnisse)
出版者Perthes & Besser、西暦千八百三十二年ハンブルグ刊。
http://senkaku.blog.jp/archives/45599325.html

ただpinnacleは尖ってなければならない。
吐葛剌列島の中之島は尖ってゐる。
そのため後の書では中之島に相當する北緯29度50分
http://senkaku.blog.jp/archives/45638782.html
に作る。例:
『THE GAZETTEER OF THE WORLD』(世界地名典)
第七册(王立地理學會編、西暦1887年倫敦刊)第八十二頁。

なほ、これにつきコルネット原書を
見つけるのは現時點では中々骨が折れる。
コルネットの原文から編纂された、
「The Journal of Captain James Colnett」
Champlain Society, 1940
https://www.worldcat.org/oclc/4536230
の第四十七頁に、北緯二十九度四十分、
倫敦東經百二十九度と出てゐる。

編纂された「The Journal of Captain James Colnett」
でも日本で中々入手できないことは、
東京大學史料編纂所の横山伊徳氏の講義ノートにも出てゐる。
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/gf_18/7/notes/ja/07yokoyama.pdf
ツイッターの人はこの1940年版を藏してゐるのだらうから大したものだ。
なほ、コルネットが尖閣南北小島を命名したといふ謬説は、
ウィキペディアに出てゐる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Senkaku_Islands

第三。吐葛剌列島と尖閣諸島とでは緯度が全然違ふ。
pinnacleといふ島名は他にも幾つかあるので、慌ててはいけない。
尖閣南北小島をpinnacleと命名したのは
基本的に西暦千八百四十五年、
イギリスのサマラン艦ベルチャー艦長である。

問合せの問題は、いつ命名したかといふよりも、
そもそも尖閣認知史の枠組みを理解して頂く必要がある。
私の著書『尖閣反駁マニュアル百題』や、
四百八十年史ブログや八重山日報などをよく讀めば
認知史の全貌は分かるのでおすすめしたい。

第四。外名を日本の土地に名づけてはならぬといふ主張について。
そもそも「日本」といふ二字は五代に編まれた『舊唐書』の記録で
唐初に出現するのが最古である。
ほぼ同時期、則天武后が命名した説もある。
他にも外名など多々ある。
李氏朝鮮も史記の箕子朝鮮から取られた。



Galapagos_Colnett

   ▲コルネットのゑがいたガラパゴス。


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