対中最前線 国境の島からの報告(13)
沖縄の平和教育に中国の影
『月刊正論』第五百十號、平成二十六年七月。
八重山日報編集長 仲新城誠氏
http://ci.nii.ac.jp/naid/40020070075
http://ironna.jp/article/534
5月10日は尖閣の「有史記念日」
 沖縄県民にとって特別な月である5月だが、将来、そこにもう一つ「記念日」が加わるかも知れない。尖閣諸島が初めて文献で確認された日付が「1534年5月10日である」という研究成果の普及を図るため5月11日、長崎純心大の石井望准教授が石垣市で講演した。石井准教授によると、今年は「尖閣有史480周年」の記念すべき年に当たる。

 尖閣に関する最古の文献史料は中国の「使琉球録」だという。中国から琉球に向かった使者が1534年5月10日に「釣魚嶼」(尖閣の中国名)を通過したことが記されている。

 石井さんによると、中国はこの文献を、尖閣が歴史的に自国領であることの根拠の一つだとしている。しかし出典が中国の文献であることは、日本側にとって歴史的に何ら不利にはならない。

 石井さんは「同じ史料の前段に琉球人が案内したと記載されている。尖閣を通過するのは琉球人の航路。尖閣が中国ではなく、琉球の文化圏に属していたことが分かる」と説明する。しかし琉球人うんぬんの記述を、中国は故意に無視しているという。

 こうした史料からうかがえるのは、琉球人が当時の中国人を「おもてなし」したという事実である。

 しかし現在の中国政府は、琉球人の「おもてなし」の事実を逆手に取り、こうした文献を都合良く切り貼りして、尖閣が「中国領」であることの歴史的根拠だと主張する。石井さんは講演で「沖縄県民は怒るべきだ」と訴えた。

 石井さんがこれまでに精査した尖閣関連の歴史資料は約100点に及び、そのすべてが「日本側に有利な内容」だという。中国側に有利な史料を故意に無視したわけではない。歴史史料を読み込んでも「中国が尖閣を領有していた根拠となるものはゼロ。完全にゼロだ」と強調する。

 尖閣の西側に中国の国境線があったことを示す文献は幾つもあり「通常は、話はそこで終わる」。ただ、尖閣が太古の昔から日本領だったわけでもない。尖閣は中国と琉球を往復する線上に位置する「目印」であり、その意味で交通の要衝だった。日本でも中国でもない無主地だが、尖閣周辺の航路を熟知していたのは琉球人だった。尖閣が日本領となったのは1895年の閣議決定によってである。

 石井さんの講演は私も司会者として参加したが、約40人の参加者があり、学術的な集会としては、石垣市ではまずまずの入りだった。石井さんは「尖閣有史500周年の20年後には、首相が尖閣に上陸して記念式典を開いてほしい」と呼び掛け、会場から拍手が起きた。

 市は、日本政府が閣議決定で尖閣を領土に編入した1月14日を「尖閣諸島開拓の日」に定めている。講演会の参加者からは「1月14日より、5月10日のほうが歴史的には重要ではないか」と石井さんの呼び掛けに賛同する声も出た。

仲新城誠月刊正論

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