茂木健一郎といふ人が、所謂キラキラ名を日本の傳統だと言ってゐる(本投稿最下方)。これは二つの問題がある。第一に傳統でないものを傳統と呼ぶ問題。第二に傳統を輕んじる問題。

第一。所謂キラキラ名とは傳統ではない。
 キラキラ名は漢字の訓讀み方法と一見類似してゐる。方法が一見類似してゐるだけで、それは傳統なのか。違ふだらう。近年までキラキラ名は存在しなかったからこそ、今話題になってゐるのだ。傳統を守ってゐれば話題にならない筈だ。傳統といふものは最短でも百年の歴史を積み重ねないと形成されない。しかも文化的價値を萬人が齊しく認めないと一國の傳統とはならない。
 そもそも訓讀みとは、誰もが勝手な讀みをするのでなく、一語一語の讀みが權威となり、誰もが同じ讀み方をして始めて形成される。それは「訓」にもとづく。「訓」とは訓詁の訓だ。訓示といふ語から分かる通り、もともと教育的意義を持つ。それが漢文教育で訓詁として傳統になる。訓詁の詁は古言の義である。勝手な讀み方を排除するためにこそ、傳統的訓詁にもとづき訓讀みが形成された。キラキラ名といふ勝手な讀みは、訓讀みから最も縁遠く、最も傳統を破壞する。共通性は、單に讀み換へといふ點だけだ。キラキラ名とは、新奇を好むカブキ者がわざわざ訓讀みの傳統を破壞する面白さでやってゐることだ。斷じて傳統ではない。
 ついでに言へば、漢字といふものも傳統で成り立ってゐる。「心」「竹」は心臓や竹の形を繪にしたに過ぎない。水も足も手も口も繪文字だ。それら基本が組み合わさって憧憬とか箪笥とか躊躇とか劃數の多い字が産まれて歴史が積み重なってきた。新奇を好む人ならば勝手に組み合せて新漢字を創出してしまふだらう。
http://www.nownews.com/n/2015/10/29/1859894
遊戲としては上リンクのやうな字も有る。人名に使用するやうな古式ゆかしき傳統字ではない。日本では人名漢字制限があるので、遊戲字で子女に命名することはできないが、制限を取りやめればたちまちキラキラ漢字が巷間に溢れるだらう。(但し漢字制限數は大幅に擴大すべきだが。)

第二。茂木といふ人の意圖は傳統を破壞するに在る。
 茂木といふ人はこれが傳統だと虚構してゐるが、その意圖は全く逆に傳統を破壞するに在る。訓讀み創始の時、新奇な讀みは目的でなく、漢字義を正しく捉へるのが目的だった。キラキラ名は度を越した新奇な遊びだから問題になってゐる。
 事物には舊(旧)と古との差が有る。舊式といへば數十年前のもので、價値が下がった形容だ。古式といへば數百年前乃至千年前のもので、時とともに價値を増す。舊式を破壞するのは奬勵される。古式を破壞するのは大忌である。茂木といふ人は舊式を破壞するふりをして古式を破壞してゐる。
 茂木といふ人の意圖は新奇な破壞を面白がるに在る。ならば古式を破壞しようと主張すれば良いではないか。然るに傳統といふ嘘をつくのは、實はキラキラ名が傳統でないと分かってゐるからだらう。分かってゐて故意に屁理屈をこねる。相撲の變じ手のやうなもので、正面から鬪ふつもりは無いのだ。下らない。
mogi
記事にこんな寫眞を使はせることから見ても、傳統の古式を守るつもりは無いだらう。面白がってゐるに過ぎない。實に迷惑だ。茂木といふ人の原意に反する寫眞が使はれてしまったのか。そんなことはあるまい。

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<キラキラネームは日本の伝統>月(るな)黄熊(ぷう)time(とき)woman(おんな)
 2016年4月27日(水) 7:40  茂木健一郎[脳科学者]
http://mediagong.jp/?p=16768
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160427-00010001-mediagong-ent
先日、朝日新聞のオピニオン欄に、「月」を「るな」と読む名前を知って驚いた、という90歳の女性の投稿が掲載されていた。そのようなお名前をつけた親御さんに対して、好意を持ちつつ、日本語の変化に驚いていらっしゃる。

「黄熊」と書いて「ぷう」と読ませたりなどの新しい名前は、「キラキラネーム」と呼ばれることがある。時に批判的な文脈で言及される方もいるけど、私はいいのではないかと思う。何よりも、実際にそのような名前のお子さんがいらっしゃる。

ぼくが「キラキラネームもいいのではないか」と思う大きな理由は、そもそも、日本人は、漢字という「外国語」に日本語を当てはめる「訓読み」を「開発」してきたという歴史があるからである。

例えば、「開く」の「開」を「カイ」と読む「音読み」は漢字本来の読みだが、それを「ひらく」と読むのはもともと日本語にあった「ひらく」という言葉を、関連した漢字という外国語にあてはめただけである。

そのロジックで言えば、timeに「とき」と振ったり、womanに「おんな」とよみがなをふってもいいはずだが、残念ながら、英語(アルファベット)との関係は、歴史的にそこまで成熟していないということだろう。

「月」に「るな」と振ったり、「黄熊」を「ぷう」と読むのは、漢字と異なる言葉を組み合わせるという日本の伝統的なやり方の延長である。ただ、時代の流れとともに、やまとことば以外の外来語をふるようになったのだろう。

また、そもそも、外来語は日本語においては発音が原音とは違う。「るな」や「ぷう」は、ラテン語のluna や英語のPoohとは音が違っていて、その意味で、すでに「やまとことば」になっているとも言えるだろう。
(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

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下は上方リンクの遊戲字。

biang