澳門文化局《文化雜誌》第九十四期  2015年春。
廖大珂「甲午戰爭之前西方文獻有關釣魚島的記載」。
https://www.icm.gov.mo/cn/News/NewsDetail.aspx?id=12521
http://libdigital.umac.mo/was5/digital/moinchipaView.jsp?id=30817
https://www.icm.gov.mo/deippub/rcMagC.asp
http://sengpou.com/news_detail.php?news_id=1078&element_index=3


 この論文は隨分懸命に歐洲史料を集めてをり、どれも尖閣をチャイナとする史料ばかりだと主張してゐる。廖大珂氏の提示する史料はこれまで既に若干種がチャイナ政府に公式採用されてをり、警戒を要する。しかし論文所引原史料を確認すると、尖閣をチャイナとするものは一つも無い。廖大珂氏は無理に歪曲してゐるだけのことだ。一例として下の地圖。
1799 年,John William Norie《亞洲及其島嶼圖》( Asia and its islands according to D'Anville)。
米國國會圖書館藏。
https://www.loc.gov/resource/g7400.ct000739/
精密圖をダウンロードできる。廖大珂氏はこの圖の大陸と臺灣と尖閣とが均しく黄色だと述べてゐる。ところが實際には下の畫像の通り、魚釣島久場島は無色で、ただ赤尾嶼(Tche-oey-sou)だけが琉球の赤色に塗られてゐる。實に他愛もない。(下リンク)
https://livedoor.blogimg.jp/ishiwi/imgs/6/9/69a73515.jpg
Laurie1799尖閣_Asia_islands_according_to_D-Anville米議會圖書館

 この前後の年代で、赤尾嶼だけ琉球の色に塗る地圖は珍しくない。類似の地圖は幾つもある。既に當ブログでも幾つも紹介した。他愛もない。彼らのやることは一事が萬事この調子である。こんなものを無理に提示することからも、彼らに都合の良い史料が一つも存在しないことがお分かり頂けるだらう。

 なほ細かいことを言へば、上圖の内、Hao-yu-su(釣魚嶼)とHoan-oey-su(黄尾嶼、久場島)が無色で、臺灣北方のPong-kia(彭佳嶼)とHoa-pin-su(花瓶嶼)に微かに汚れがある。黄色の汚れにも見える。花瓶嶼は、西暦1787年にラペルーズの探査で魚釣島と誤解され、その探査記が西暦1797年に刊行された。この西暦1799年圖はそれ以前のダンビル圖にもとづくもので、ラペルーズ情報はまだ圖中に反映されてゐない。黄色に汚れた花瓶嶼は臺灣北方の花瓶嶼であって、まだ魚釣島と誤解されてゐない。屁理屈をこねる人がゐるかも知れないので念のため。


記録
http://archive.is/17hQA
http://web.archive.org/web/20160426002912/http://senkaku.blog.jp/2016042658967094.html


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