邪馬臺國はテレビニュースなどで今でも「やまたいこく」よ讀まれてゐる。
 「臺・台・苔・乃」等の字は漢字等韻學の蟹攝四等中の第一等に屬し、開口度最大である。「乃」を「の」と讀むことから分かる通り、古代日本では「臺・台・苔」は「と」よ讀まれた。日本書紀歌謠でも「やまと」を「夜摩苔」と書く。だから「邪馬臺」は當り前に「やまと」である。
 ところが、人々がいつまでも「やまたい」と讀んでゐるので、どうもをかしい、國史學では等韻が全く理解されてゐないのか、と不思議に思ってゐた。このほど偶々關聯書を手に取ると、もう五十年ほど前から「夜摩苔」と「邪馬臺」とは同音だと知られてゐたことが分かった。もうこれは問題ではない。私の新發見でもない。「石井氏が等韻の視點を提示した」などと羞づかしいことを言ふ必要は無い。
 後の飛鳥時代に今の奈良縣に「やまと」國が存在したことは明らかなので、普通ならば邪馬臺國は奈良縣に在ったことになる。邪馬臺國九州説といふのは、九州の「やまと」國が東遷して奈良に移ったとする説だといふことになる。そこで普通なら誰でも思ひ至るのが神武東征である。
 となれば、論爭の焦點は次の一點に絞られる。神武天皇の國は東征以前の九州時代から「やまと」と呼ばれてゐたのか、それとも東征して「やまと」の地に這入ったのかである。邪馬臺國九州説にもとづけば、神武天皇は魏志倭人傳よりも後の時代に九州の「やまと」から東征し、そのまま奈良(橿原)を「やまと」と名づけたといふことになる。
 いづれにしろ、「やまたい國」といふ呼び方は混亂のもとなので、もうやめて欲しい。或は魏志倭人傳の時代に「やまと」が存在しなかったことにしたいといふ政治的思惑があるのだらうか。

邪馬臺國


附言。字形の誤りで「邪馬壹國」(やまいこく)だとの説もあるが、ほぼ問題にならない。隋書に「邪靡堆」があり、堆は等韻の一等に列し、臺の合口に相當する。他にも校勘をみれば壹はほぼ有り得ない。