英語でOkinawaとRyukyuが普及する以前、「Loochoo」「Loo-choo」といふ標記が優勢であった。現代チャイナ北方語では「Lieou-Chieou」のやうな音で讀むので、「loo-choo」は近代チャイナ語からの訛りだと誤解する人がゐる。
 或る愛國派の沖繩人が「Loochooは左翼がチャイナ式洗腦に使ふ標記だから廢止運動をしよう」、と言ってゐたので、私は直感的にそれは違ふ、やめた方が良い、と意見した。沖繩では「おきなは」が訛って「うちなあ」となり、「氣張れよ」が訛って「ちばりょう」となる。「き」が「ち」に訛るのである。だから「Loochoo」も沖繩漢字音だらうと私は思った。そこで沖繩方言を調べると、確かに琉球を沖繩方言で「るうちゅう」と讀む。リンク:
http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN44063
沖繩言語センター琉球大學

 では「Loochoo」といふ英語標記は何時誰が始めたのか、今度確認したいと思ひつつも抛置してゐた。多分沖繩文化史の分野では常識であらうから、新しい發見をするわけでもなからう。關聯論文としてとりあへず見つけたのは下の二種。
横田きよ子「日本における臺灣の呼稱の變遷について、主に近世を對象として」、神戸大學『海港都市研究』第4號、平成二十一年。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81000958.pdf
「琉球列島の名稱に關するメモ」、當山昌直、沖縄県教育庁文化財課史料編集班。
『沖繩史料編輯紀要』第37號、頁59至68、平成二十六年三月。沖繩縣教育委員會刊。
http://okinawa-repo.lib.u-ryukyu.ac.jp/handle/okinawa/17444
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005538178
横田論文は琉球よりも臺灣が主題であるため、琉球の字音についてあまり詳しくない。當山論文も歴史地理專攻ではないやうで、あまり詳しくない。

 その後、尖閣を記載する歐洲の地誌・地圖を多數目にして、少しづつ勉強するうちに分かって來たことは、西暦千七百五十一年のゴービル「琉球誌」の前と後とで尖閣及び琉球に關する記述が大きく變はる。それ以前は尖閣を八重山と區別できずにまとめてReys Magosと呼んでをり、琉球は「Lequeo」「Lekeyo」「Lekio」などと標記されてゐた。
1705Guillaume_de_Lisle_Indes_et_Chine_Rumsey4764084琉球
  ▲1705年 Guillaume de Lisle "Indes et Chine" Rumsey 4764084
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~2910~300046

ところが宣教師ゴービルが『琉球志』を北京からパリに送って以後は一變し、尖閣は「Tiaoyusu」「Hoapinsu」「Hoanoeysu」「Tcheoeysu」などチャイナ北方音で標記されるやうになり、琉球も同じくチャイナ北方音で「Lieou-kieou」とされた。宣教師の漢字音は系統的で精確であるが、明國の『西儒耳目資』以後、清國では綜合的に整理した書が無い。宣教師の漢字音を綜合的に研究すれば斯學に裨益するや大であらう。
 そして、西暦千七百八十七年にフランスのラペルーズが、鎖國以後に琉球に到達した最も早い西洋人となった。ラペルーズは與那國の西側を經由しただけで、琉球諸島に上陸しなかったので、特段の人文的情報を得られず、ほぼゴービルの標記をそのまま承襲した。ついでイギリスのブロートンが西暦1797年に琉球諸島間を航行し、新たな島名知識をもたらした。ブロートン航海記は西暦1804年に刊行された。リンク:
https://books.google.co.jp/books?id=cTkbAAAAYAAJ
『A Voyage of Discovery to the North Pacific Ocean, 1795-1798』
著者:William Robert Broughton。刊年1804。倫敦刊。
 この書の第二百四十一頁に「Loo-choo」が出現する。ゴービル、ラペルーズらによる認知の歴史から見れば、「Loochoo」標記を記録したのはブロートンの創始として間違ひ無からう。其の文に曰く、
「This island is called by the inhabitants Lieuchieux, or Loo-choo,」
と。「Loo-choo」は最初から地元の呼稱として記録されたのである。「Lieuchieux」はゴービルの標記が滲透した可能性がある。
broughton1804Loo-choo

 三年後の西暦千八百七年に刊行されたフランス譯文では、原英文とやや異なって、「地元ではLikeujoもしくはLoochooと呼ばれる」と述べる。譯者が舊稱「Likeujo」を以て「Lieuchieux」に代へたのは、「Lieuchieux」もまた舊稱だとの認識にもとづくだらう。
https://books.google.co.jp/books?id=5SVJAAAAcAAJ
『Voyage de decouvertes dans la partie septen trionale de l'ocean pacifique fait pendant les annees 1795-1798』、ParisにてDentu刊、1807年。William-Robert Broughton原著。
第百三頁當該箇所に曰く、「Cette ile est appelée par les habitans ---- Likeujo ou Loo-Choo.」(この島は住民によって呼ばれる----LikeujoもしくはLoo-Chooと。)
 またブロートン航海記刊行と同年の『ブリテン評論』(British Critic)第二十四卷八月號(西暦千八百四年)第七篇第百四十三頁、ブロートン航海記の解題「Broughton's voyage to the North Pacific Ocean」
https://books.google.co.jp/books?id=idovAAAAYAAJ
https://books.google.co.jp/books?id=9LkvAAAAMAAJ
https://books.google.co.jp/books?id=s6XQAAAAMAAJ

に曰く、
「The description of the island of Lieuchieux, called by the natives Loochoo, is among the most entertaining parts of the volume」
と。これも「Loochoo」を地元名として、「Lieuchieux」を舊稱とするが如くである。そもそもゴービルの『琉球志』は、「支那名Lieou-Kieou」と題するので、それと類似の「Lieuchieux」は地元名ではないと考へられてゐたのだらう。

 最後に、何故上述のやうに直感したかを述べておきたい。現代チャイナ語では「Lieou-chieou」の「e」の部分がかなり重要で、方言でもそこが共通してゐる場合が多い。蘇州語はもともと非チャイナ語なのだが、それでも琉は「Ley」のやうな音になり、「Loo」の方向へ行かない。廣東なまりではもっと「Loochoo」から離れて「Laukau」となる。福建南部なまりは私は學んでゐないが、字典によれば流・劉を「Lau」と讀む。これは古音の遺留である。日本に傳來する中古漢字音の書『韻鏡』では、侯攝は合口でなく開口なのである。されば合口の「Loochoo」は日本訛りの讀みと言へよう。

 さて、以上は私のやうな門外漢が學術的に論じる事ではないので、氣輕にブログで述べた。しかし上引論文二篇が詳しくないのだから、本ブログが最も早い論及なのかも知れない。念のため記録しておき、
https://archive.is/TejGt
https://web.archive.org/web/20160208073619/http://senkaku.blog.jp/2016020854287972.html
今度論文に書き入れよう。