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八重山日報 平成二十八年一月二十一日(木曜)

歐洲史料尖閣獺祭録 連載第三囘 

 

ラペルーズ説「尖閣まで琉球」 シュティーラー境界線の起源

~~西暦千八百四年 シュティーラー「支那圖」(ドイツ)

 


Stieler1804Ryukyu自藏更粗
圖9 西暦千八百四年、シュティーラー(Stieler)製
「支那圖」(Charte von China)より琉球欄。石井藏。
琉球欄の左下方が八重山、その少し上側が尖閣。


 拙著『尖閣反駁マニュアル百題』(集廣舍刊)の第四部では、ラペルーズの尖閣認識を論じた。フランスの探檢家ラペルーズは宗谷海峽を發見(はっけん)したため、北方領土に關心ある人に良く知られる。

 ラペルーズは西暦千七百八十七年、臺灣(たいわん)東岸から與那國(よなくに)島、尖閣、對馬(つしま)海峽の順に經(へ)て宗谷海峽に到達した。その紀行は十年後の西暦千七百九十七年に刊行され、ほとんど唯一の琉球近海探査記として歐洲に流布した。その前のゴービル神父(連載第二囘)は、漢文地誌中の尖閣情報をフランスに書き送っただけで、尖閣にみづから赴いたわけではない。日本の鎖國開始以後に尖閣に到達した西洋人の記録はラペルーズが最古である。

 ラペルーズは與那國島に到達した際、「臺灣の東方の全島嶼の首府は琉球本島である」と書き留めた。そして尖閣諸島を離れる時にも「琉球諸島を離れる」との一語を留めた。僅(わづ)か二語に過ぎないが、それ以後歐洲の地理學の尖閣認識は常にこの二語を忠實(ちゅうじつ)に守り、多くの地誌・地圖(ちづ)で尖閣を琉球諸島に屬(ぞく)せしめる。尖閣を琉球から切り離してチャイナに屬せしめた地誌・地圖は一つも存在しない……以下全文は新聞オンラインでどうぞ。一月二十一日バックナンバーです。

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第四囘までの掲載日は第一囘一月十四日木曜、第二囘一月十六日(土曜)、第三囘一月二十一日木曜、第四囘一月二十六日火曜です。バックナンバーからお搜し下さい。

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