渡邊華山・高野長英は、オランダのルーランスゾーン『最新通用地理辭典』を通じてドイツの最新地理學を吸收してゐた。彼らはルーランスゾーンの英米情報などにもとづき攘夷策に異議をとなへた。その結果蠻社の獄が起こった。
http://senkaku.blog.jp/1821_Roelandszoon.html
 華山が諸國の最新情報を獲得するため披閲した今一つの主な書がニューエンホイス(ニューエンハウス)『通用學藝辭典』正編・續編である。岩波『日本思想大系』第五十五册『渡邊華山・高野長英』の補註・解説(佐藤昌介)に紹介されてゐる。宮地哉惠子女史の論文によれば、この書は當時の日本でかなり讀まれてゐたさうだ。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40001480055
 その續編の「Likeo」の條には、Madschikosimah(宮古八重山)諸島を成す十島を舉げ、そこに尖閣(Tiaoijufu, Hoapinsu)が含まれる。TiaoijufuはTiaoyusuの誤記で、元の漢字は釣魚嶼である。

Madschiko1838續編nieuwenhuis_algemeen woordenboek
圖:ニューエンハウス(Gerrit Nieuwenhuis)編『通用學藝辭典』
(Algemeen woordenboek van kunsten en wetenschappen)
グーグル・ブックスより。
西暦千八百三十八年刊、續編「L至O」册、第101頁「Likeo」の條。
https://books.google.be/books?id=b3UUAAAAQAAJ

「支那人に據れば三十六の島々が存在する」(volgens de Chinezen uit 36 eilanden bestaande)といふ。原書の「bestaat」「heeft」はともに擁する義を示す。宮古八重山諸島が擁する十ヶ島はそれぞれ、
一、Tiaoyusu(釣魚嶼、今の久場島)。
二、Hoapinsu(花瓶嶼、今の魚釣島)。
三、Kumi(與那國)。
四、Hummok(中御神島か)。
五、Zand-eiland(ブロートンのSand島、現在地不明)。
六、Ashuma(下地島か)。
七、Erabao(永良部)。
八、Korumah(來間島)。
九、Rochsakoko(西表島)。
十、Patschusan(八重山)。
以上である。Madschikosimahの綴(つづ)りはシュティーラーらワイマールの地理學社の刊行地誌から承け繼いだもので、列舉する十ヶ島も同地誌の十一ヶ島にもとづくが、
http://senkaku.blog.jp/archives/47564124.html
ただ重要な太平山(宮古島)を漏らしてゐる。太平山を漏らしてまでも尖閣を記載したのである。
 續編の該册が刊行された西暦千八百三十八年は、あたかもモリソン號事件を承けて渡邊華山・高野長英が幕府を批判した年度である。翌年には蠻社の獄が起こり、兩先覺者は處罰される。渡邊華山がこの新刊册を披閲することは無かった。
 ニューエンハウス『通用學藝辭典』は、さほど細かな地理情報まで掲載したわけではないので、正編にはLikeo(琉球)の條が立てられず、續編のこの册に至って始めて掲載された。しかし正編にも續編にも、Likeo以外にMadschikosimah、Tiaoyusu, Hoapinsuなどの條は立てられてゐない。
http://www.dbnl.org/auteurs/auteur.php?id=nieu033
https://books.google.co.jp/books?id=LHUUAAAAQAAJ
https://books.google.com.au/books?id=5nMUAAAAQAAJ
https://books.google.nl/books?id=3nQUAAAAQAAJ
https://books.google.co.jp/books?id=uaFUAAAAcAAJ
http://www.dbnl.org/tekst/nieu033alge06_01/downloads.php
http://www.dbnl.org/tekst/nieu033alge04_01/downloads.php
http://www.dbnl.org/tekst/nieu033alge02_01/downloads.php

 ともあれこのやうに日本は蘭學が盛んだったため、もたらされた地理學の情報はドイツのものであった。ドイツのシュティーラーが西暦千八百四年に尖閣を琉球に入れて、明治元年にはシュティーラー地圖册が明瞭な國境線を尖閣の西側に引き、ほかにも西暦十九世紀の歐洲刊地誌ではことごとく尖閣を琉球の内と認識してゐた。そして十九世紀末の明治二十八年に日本政府がこれを編入する。必然の趨勢であった。


(以上の内容に詳細を加へた上で、八重山日報連載第五十一囘として、平成28年7月19日第五面に掲載されました)
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

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