「The Times Atlas」 西暦千八百九十五年。明治二十八年。ラムゼー圖庫。
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/view/search?q=pub_list_no=%221010.000%22
この地圖册中、「アジア」の一幅(いっぷく)と、「支那日本」の一幅とを對比すると面白い。アンドレー氏(Richard Andree)製圖。日清戰爭の年である。下關條約はこの年の四月十七日に締結された。

第七十三至七十四頁のアジアの一幅は、日清下關條約の前の國境線にもとづき、尖閣の西側、臺灣島の東側に線を引いてゐる。日本は桃色、チャイナ清國は橙色だ。
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~30722~1150650
1895尖閣Times Atlas_Asia_Rumsey1010048


一方、第八十五頁の支那日本の一幅は、日清下關條約後の國境線にもとづき、琉球・尖閣・臺灣島まで全て日本の橙色に塗られて、チャイナの桃色と分けてゐる。尖閣の西側の國境線は必要無くなった。
http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~30728~1150658
1895尖閣Times Atlas_ChinaJapan_Rumsey1010056

 日清下關條約の前と後との情報が同册共存してゐる。尖閣海域の最新情報にまで留意しつつ製圖されたことが分かる。アジア圖は四月十七日まで、支那日本圖は四月十七日以後を反映してゐるといふことにならう。尖閣が日本の領土として編入されたのはこの年の一月十四日だから、アジア圖は一月から四月までの状態だとすれば面白い。しかしそれより百年も前から歐洲では尖閣が琉球領として認識されてゐたので、特に一月の編入情報にもとづくわけでもなからう。

 西暦1895年の「The Times Atlas」は、他處にも藏本が幾つか有る。
https://www.worldcat.org/oclc/904539110
https://www.worldcat.org/oclc/77082936
https://www.oldworldauctions.com/archives/detail/109-789.htm


こちら「泉州東南網」でもThe Times Atlasと題して尖閣の西側に線を引く地圖が出てゐるが、
http://qz.fjsen.com/2014-04/26/content_13965511_15.htm
http://qz.fjsen.com/images/attachement/jpg/site2/20140426/00216a32038014c56f6a2f.jpg
シュティーラー圖と取り違へてゐる。
1895The_Times_Atlas_誤2_qz-fjsen-com


以上の内容は拙著『尖閣反駁マニュアル百題』第364頁(及び彩色圖5・6)から摘録しました。
http://www.amazon.co.jp/dp/4916110986

關聯:アンドレーの別の圖。
http://senkaku.blog.jp/archives/35481103.html


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