「雪辱」は和製漢語であって、もともと漢文には無かった、正しくは「雪恥」だと、興膳宏氏が以前日本經濟新聞コラム「漢字コトバ散策」で書いてゐた(平成十八年七月九日)。確かに近代以後のチャイナでは「雪恥」と言ふのみで、「雪辱」と言はない。しかし「雪辱」は漢文の文理として感覺的に通じる。漢文を書く者としては、無かった筈はあるまいと思った。興膳氏は今のチャイナ語に惑はされてゐるだけだらうと。

 古書をインターネットで檢索すると、成る程たしかに「雪辱」は少ないが、無いわけではない。代表的なのは、五胡十六國時代の後燕開祖成武皇帝慕容垂の傳を載せる晉書の慕容垂載記に、「雪辱」の語が見える。載記とは亂世の世家の名である。
https://zh.wikisource.org/zh-hant/%E6%99%89%E6%9B%B8/%E5%8D%B7123
曰く、「秦強而併燕、秦弱而圖之、此爲報仇雪辱、豈所謂負宿心也。」
(秦強くして燕を併す、秦弱くしてこれを圖る、此れ報仇雪辱となす、豈に所謂「宿心にそむく」ならんや)と。
 文意は、前秦の苻堅が強い時に前燕を併呑したのだから、前秦が弱くなった時に苻堅を倒すのは、仇討ちであり雪辱であって、宿心(宿志)にそむくものではない。
 前後の情勢。慕容垂は前燕の皇族であったが、桓温の北伐を撃破した功の高さにより國内で排斥されたため、前秦の苻堅に投じて重用され、その結果苻堅は前燕を滅ぼすに至った。後に淝水の戰で苻堅が敗走すると、慕容垂はこれを收容した。弟の慕容德は「今こそ前燕の雪辱の時だ」として苻堅を殺害するやう進言したが、慕容垂は苻堅の恩義に感じて殺さなかった。後に苻堅が死んでから、慕容垂は後燕を建國した。
前秦前燕

 この慕容德の進言の中の重要な一語が「雪辱」である。慕容垂は『十八史略』にも登場する名將だから、歴史マニアなら知ってゐることだらう。慕容氏に色々な人物があって、私は記憶力が無いので前燕の祖慕容廆くらゐしかおぼえてゐない。五胡十六國の地域と順次も數へ舉げられない程度である。
 晉書の慕容垂載記はインターネットに現代語譯も有る。リンク:
http://www.geocities.jp/takemanma/person2/murongchui_01.html

 他にも幾つか「雪辱」の語は有るやうだ。道光年間の無名氏小説「緑牡丹」第三十七囘。明國の呉炳の戲曲ではない。
http://open-lit.com/showlit.php?gbid=70&cid=37&bid=2012
http://www.angelibrary.com/oldies/lmd/037.htm
詩の韻脚の關係で雪辱を用ゐる。

ご興味ある向きは他にもお搜し頂きたい。「雪此辱」「雪前辱」「雪其辱」「雪家辱」「雪奇辱」などの形ならばありさうだ。和製漢語ではない。附言すればチャイナ語の感覺としては「洗雪大辱」のやうに四字にすると使ひ易いだらう。


雪辱興膳
  ▲興膳宏氏、日本經濟新聞コラム「漢字コトバ散策」、平成十八年七月九日。