- 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ 480 years history of Senkakus

senkaku480 石井望。長崎純心大學准教授。笹川平和財團海洋政策研究所島嶼資料センター島嶼資料調査委員。日本安全保障戰略研究所研究員。内閣官房領土室委託尖閣資料調査事業特別研究員。 御聯絡は長崎純心大學(FAX 095-849-1894) もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」  http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007 からお願ひします。 


     自民党の活動 > 会議情報
自民党で開催している各種委員会や部会、識者を招いた勉強会などの会議開催情報をご覧いただけます。2018年11月20日(火)
    ◆政調、外交部会・外交調査会・領土に関する特別委員会合同会議
      8時(約1時間) 702
      議題:竹島・尖閣諸島の周辺海域における韓中の動向について
自民301120尖閣


中日新聞  2018年11月20日 13時45分
「自民、尖閣・竹島で対策強化要請 領土特命委、政府側に」
 自民党は20日、「領土に関する特命委員会」などの合同会議を党本部で開き、沖縄県・尖閣諸島や島根県・竹島を巡る中国、韓国との対立に関し、関係省庁を横断するプロジェクトチームを設置して対策を強化すべきだと政府側に要請した。周辺海域での調査拡大も求めた。
 特命委の新藤義孝委員長は会議後、韓国の海洋調査船が15日に竹島周辺の日本領海内に侵入した事案に触れ「こうした動きが広がらないように対策を打つのは日本として当然のことだ」と記者団に強調した。(共同)





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NHK紅白出場グループTwiceを使った動畫 2:10より、爆雲。
 爆發的美味の意。とても樂しげだ。チェーン店カマロ・カンジョン(Gamaro Gangjeong)のテレビ廣告のための製作中ビデオ。運營する食品産業マセダリン社の公式フェイスブックである。フェイスブックに對する荒らし行爲をしてはならないし、無闇な意見なども良くない。批判があるならば日本政府意見箱などに送るべきだ。
カマロ水爆facebook公式


下は公式らしきブログ。
カマロ公式らしきユーチューブ。
以下、複製もユーチューブに多數。


こちらは時間がずれて2:35から爆雲。

twice核4

twice核2

 上記ブログ「blog.naver.com/gamaro1/」についてはカマロの公式ホームページ内にも「作成者カマロ」の記事で紹介されてゐる。
 公式ブログであると見て間違ひ無からう。

 韓國の若者の間では、「極めて」の意で「핵」(核)が流行してゐる。「핵맛있다」(ヘンマシッタ、核美味しい)など。
https://news.joins.com/article/20716195
 この流行を背景として上記ビデオが製作されたといふのが實情であらう。但し製作者はその目的を否定するだらうが、若者の側はそのやうに見るし、その結果となることを製作者は知ってゐるだらう。ビデオはいかにも樂しさうだ。これが流行的現象の一つだ。
 ビデオでは下方に水平に爆風が廣がるとともに、上方の三重の輪が特徴的である。このやうな三重の輪は、廣島長崎原爆よりも遙かに大規模の爆發(火山噴火を含む)で發生すると聞くが、私は素人なので確定できない。以下、輪の例。まづビキニ環礁水爆實驗。第五福龍丸。
ビキニ環礁雲第五福龍丸
ビキニ環礁雲第五福龍丸2

ビジネスインサイダー水爆1954Bravo


下は同じくビキニ環礁のユニオン實驗。  
https://en.wikipedia.org/wiki/File:Castle_Union.jpg
ビキニ環礁ユニオン實驗

下はアパッチ核實驗。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Redwing_Apache.jpg
アパッチ核實驗

下はダコタ核實驗。  
ダコタ核實驗

 核爆彈といふものを日本人は人類最大の罪惡のやうに見るが、他國人には逆の見方が存在してゐることを、文化的背景として我々は知った方が良い。

下はアマゾンで販賣されてゐる水爆ポスター。
アマゾン販賣水爆ポスター

最初の水爆ポスター販賣中。
https://media.gettyimages.com/photos/mushroom-cloud-from-the-worlds-first-hydrogen-fusion-blast-picture-id50587062
gettyimages-50587062-1024x1024

ビジネスインサイダー記事より。
ビジネスインサイダー水爆

極限技術といふサイト。
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https://photovault.com/79783
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https://www.topsimages.com/images/hydrogen-mushroom-cloud-99.html
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ついでながら、ブランド名가마로(カマロ)は釜煮の意らしい。 '가마(솥으)로 (익혀낸) '
강정(カンジョン)はもち米の菓子。
 マセダリン社は平成二十八年、知名度の低かったtwiceを廣告に使ひ、後にtwiceが成功するとともにカマロも成功したとのこと。水爆ビデオは平成二十八年、低知名度の時のもの。

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ロシアは「齒舞色丹を返還する場合、該二島に米軍基地を置かぬやう確約せよ」と主張してゐる。この主張の意圖を少し考へてみると、極めて明瞭な事が分かる。まづは地圖。
根室知床北方領土
 そもそも、日米がロシア至近距離に軍事基地を設置して威嚇する目的ならば、二島が返還される前から根室(納沙布岬)と知床半島に米軍基地を置いて夾撃態勢を布(し)けばよい。知床に置けば位置的に最強力だ。
 しかし現在まで、自衞隊の小さな根室レーダー分屯基地が市内にあるだけで、納沙布岬にも進駐してゐない。まして米軍基地は無い。知床側は、更に遠く西側の網走に自衞隊分屯基地があるだけだ。
北海道自衞隊基地

北海道の米軍基地

 假に日米軍が北方領土のロシア軍を夾撃する意圖を持ってゐるならば、何故知床と納沙布に米軍基地を置いてゐないのか。それは日米が極めて平和主義的な國だからである。
 そのやうな平和的日米に對して、返還二島に米軍基地を置かぬやう確約せよとは、要するに返還後も二島に對するロシアの發言權を持たせろといふ意にほかならない。つまり日本に治外法權を要求してゐるのだ。
 日本國内でロシアが治外法權を持てば、大きな楔(くさび)となり大成果であらう。しかし日本がその要求を呑む筈が無い。ほぼ架空の要求に過ぎない。呑む筈の無い架空の要求をする目的は、他の面で讓歩を引き出すためだらう。要するに數百兆に及ぶやうな巨大な經濟支援などを日本に出させることが目的である。それを日本が出さないならば、プーチンが二島を返還するつもりはさらさら無い。
 日頃北方領土に關心の薄い私だが、内閣官房領土室や笹川財團島嶼センターの關係者が熱心に北方領土を考へてゐることは知ってゐる。よって今日は私も少し考へてみた。少し考へたらすぐに分かった。

 結論。そもそもロシアと交渉してはならない。ロシアと修好しても何の利益もない。チャイナを牽制する目的ならば、もっと有効なのは、北京訪問をしないこと、北京通貨スワップを結ばぬこと、與那國・尖閣・臺灣に米軍基地を置くことなどであり、遠囘りしてロシアとごちゃごちゃ關はり合ふのは無駄である。ロシア交渉を即刻停止するのが正しい。
 まさかこの程度の素人考へすら分かってない日本政府ではあるまい。
追記。
 以上のやうに思った途端に、新情報。米軍基地を置かないことを、日本側が明言したさうだ。これにてわざわざ治外法權を保證しました。わはははは。實際に置かないのと、置かないと保證するのとは全く意義は異なる。同じやうに尖閣に基地を置かないことを、チャイナに密約してゐると疑はれることになる。わっはっは。
https://www.asahi.com/articles/ASLCH4VL1LCHUTFK00T.html
「歯舞・色丹に米基地置かない」安倍首相、プーチン氏に
朝日 2018年11月16日05時11分
 北方領土をめぐる日ロ交渉で、安倍晋三首相がプーチン大統領に対し、1956年の日ソ共同宣言に沿って歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島が日本に引き渡された後でも、日米安保条約に基づいて米軍基地を島に置くことはないと伝えていたことが分かった。首相はプーチン氏の米軍基地への強い懸念を払拭(ふっしょく)し、2島の先行返還を軸に交渉を進めたい考えだ。米国とも具体的な協議に入る。
 首相官邸幹部が明らかにした。日米安保条約と付随する日米地位協定は、米軍による日本の防衛義務を定め、米国は日本国内のどこにでも基地を置くことを求められると解されている。このためロシア側は、2島を引き渡した場合、島に米軍基地ができる可能性があるとして強い懸念を表明してきた。
 プーチン氏側近のパトルシェフ安全保障会議書記は2016年11月、日ロ首脳会談を前に谷内正太郎・国家安全保障局長と会談した際、56年宣言を履行して2島を引き渡したら「米軍基地は置かれるのか」と質問。谷内氏が「可能性はある」と回答したことで、交渉が行き詰まった。
 このあと首相はプーチン氏に対し、2島が引き渡されても、島に米軍基地を置くことはないとの考えを直接伝えた。
 谷内氏自身もパトルシェフ氏に、首相側近の北村滋内閣情報官はナルイシキン対外情報庁長官に、それぞれ日本政府の意向を伝達。複数のルートを使って、ロシア側の懸念の払拭に努め、交渉の局面打開をめざしてきた。
 外務省は日米安保条約や地位協…
残り:272文字/全文:883文字
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以下、千島列島の繩文文化について最新の論文。

千島列島における人類活動史の考古学的総合研究(3)
特に北方四島の先史文化研究を中心に
    右代 啓視 , 鈴木 琢也 , スコヴァティツィーナ V.M.
    北海道博物館研究紀要 = Bulletin of Hokkaido Museum 3, 163-178, 2018
http://www.hm.pref.hokkaido.lg.jp/study/publication/bulletin_vol3/

千島列島における人類活動史の考古学的総合研究(2)
特に北方四島の先史文化研究を中心に
    右代 啓視 , 鈴木 琢也 , スコヴァティツィーナ V.M.
    北海道博物館研究紀要 = Bulletin of Hokkaido Museum 2, 83-110, 2017
http://www.hm.pref.hokkaido.lg.jp/study/publication/bulletin_vol2/

千島列島における人類活動史の考古学的総合研究(1)
特に北方四島の先史文化研究を中心に
    右代 啓視 , 鈴木 琢也 , 竹原 弘展 , スコヴァティツィーナ V. M.
    北海道博物館研究紀要 = Bulletin of Hokkaido Museum 1, 53-72, 2016
http://www.hm.pref.hokkaido.lg.jp/study/publication/bulletin_vol1/

「北方島文化研究會」2000年3月11日発足
第3回研究会(2001年1月27日)
「続縄文時代の骨角牙製釣針」 福井淳一  
「カムチャッカの調査報告」 右代啓視

「択捉島に 地元の子ら、縄文住居復元 考古学調査きっかけに」
会員限定有料記事 毎日新聞2017年6月13日 北海道朝刊
 北方領土の択捉島で昨年、日本の学術交流団体によって確認された縄文時代の遺跡について、現地の子供たちでつくる「先史文化探検隊」(26人)が結成され、遺跡の保存などに取り組んでいる。同島を含む北方領土の先史時代の研究は、日露の学術交流で2005年に始まった。今後の交流を進める環境づくりとして期待されている。今年度のビザなし渡航事業で、11日まで同島を訪れていた北海道博物館の学術交流訪問団(右代啓視(うしろひろし)団長)が記者会見で明らかに…

2016.7.24.釧路新聞
https://pbs.twimg.com/media/DjCFhjoUwAEKRhH.jpg
釧路新聞20160714國後繩文

「中華文明の考古學」飯島武次編  同成社, 2014.3
内:右代啓視 「北方四島の考古学的研究」.   pp.409-424.
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB15060302
長崎純心購入すべし。


「縄文の布 : 日本列島布文化の起源と特質」
尾関清子著  雄山閣, 2012.12 
(閲覽濟。pp.176-185「近隣地域の編布」章で、
 千島最北部占守島アイヌ編布を論じる。オホーツク文化。)


「縄文時代 : その枠組・文化・社会をどう捉えるか?」
山田康弘, 国立歴史民俗博物館編 吉川弘文館, 2017.3 
(閲覽濟。繩文文化の北限は擇捉までとする。右代氏見解と異なる。
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB23200236


右代啓視 2014講演 「新・千島紀行-発見された千島列島の先史文化-」.
函館市北方民族資料館、函館市文化・スポーツ振興財団.
右代啓視20141026新千島紀行発見された千島列島の先史文化

右代啓視新千島紀行

右代啓視「千島列島における人類活動史の考古学的総合研究」(3)
(北海道博物館研究紀要3,  2018)では、
右代啓視2014「新・千島紀行-発見された千島列島の先史文化-」について、
「確実に中部千島までは縄文文化晩期、続縄文文化の遺跡が存在すること、
さらにオホーツク文化は北千島まで拡がりをもつこと、
アイヌ文化はこの地域に特徴的にみられる内耳土器が
カムチャツカ半島南部まで拡がりをもつこと、
チャシ・コツは北千島まで拡がりをもつことを指摘してきた。」

と自ら述べる。講演であるが、詳細記録が公開されてゐない。
最初は講演でなく論文かと思って搜した。
函館市北方民族資料館に問合せた處、講演だったと分かり、
上の圖像も入手できた。しかし講演詳細記録が無い。
詳細の公開されないものを引用されると中々苦勞する。
今度右代先生ご本人から詳細記録を頂くべく問合せよう。


以下某個人頁より。
 千島列島における縄文遺跡の発掘から、北海道から伝播した縄文文化は、少なくとも列島中間に位置する新知島(シムシル島)まで及んでいることが分かっている。列島最北端の占守島(シュムシュ島)、その直南の幌筵島(パラムシル島)では縦穴住居、貝塚、北海道のオホーツク文化に属する遺物が発見されている。占守島の住民はアイヌ語を話していたことが分かっている。また、カムチャツカ半島南部では、寛永通宝、擦文文化、アイヌ文化に特徴的な内耳土鍋が発掘されている。これらのことから、縄文人やアイヌ民族は北海道から千島列島を渡りカムチャツカ半島南部まで入植していたことが分る。1696年にカムチャツカ半島南部に進出したロシア人は、この地で陶磁器、漆器、木綿服その他の高度な技術で作られた日本製品に接している。カムチャツカ半島南端に住むアイヌ民族を、後にロシアはクリル人と呼び千島列島をクリル諸島と名付けた。千島列島全島にアイヌ語の名称が付けられている。
http://afthistory.info/ryodo.htm


 一帶一路を支持し、通貨スワップを締結し、尖閣の異なる見解の存在を認め、尖閣常駐の公約は消滅し、尖閣500年の分厚い歴史は理解しない。そして移民大量導入。チャイナと貿易を擴大する協定まで結ぶ。しかし、支持率が下がらない。
 その話術はトランプ大統領をも手玉に取ってゐる。「聯合しよう」と信じさせて、裏切って北京に行く。トランプ氏は内心で怒ってゐるが、日本が最大の同盟國なので本氣で怒れない。手玉にとってアメリカに勝てば良いのか。結果としてトランプ政權が倒れたらチャイナ包圍網は崩壞し、以後の世界は暗黒だ。
 ロシアとの交渉でも反トランプ連續技を繰り出してゐる。そもそもロシアと修好する必要はないのに、二島返還は何のためか。チャイナを牽制するためなら、そもそも北京に行かなければ良いではないか。しかも返還二島に米軍配備しないことを交換文書に書くといふ。つまり完全な日本の領土として戻るのでなく、ロシアが治外法權を持つ。日本國内に治外法權の前例を開く。可哀相に孤立するのはトランプさんだ。せめて二島に即刻自衞隊配備しないといけないが、まあ、やらないだらう。
 八方美人。八股膏藥。狸。
 唐の玄宗皇帝。盛唐の世に即位。タラス河畔で大敗しながら、損失の大きさに氣づかない。否、氣づきながら誤魔化す。安禄山を引き入れ、國をほろぼす。楊貴妃を寵愛しながら、馬嵬で殺した。
 源頼朝。武家の棟梁として德川家康に崇拜されたが、もともと義經を追殺した巨奸であり、しかも北條氏を引き入れて源氏を滅ぼした。頼朝から秀吉の前まで續く亂世を開いた。
 漢の高祖劉邦。人心掌握術でのし上がり、即位後は大功臣韓信を殺した。最後に呂后に政權を讓り渡した。

 日本國民は忠實な正室。諸外國は側室。正室としては夫を信じることが大切と思ってゐる。當初は側室の存在にすら氣づかない。存在に氣づいて後、怒りつつ耐へる。しかしまさか側室に地位を奪はれると思ってゐない。ところが夫を信じる間に財産の大部分は側室に明け渡されてゐる。怒って離縁を言ひ出すが、離縁では正室の地位を放棄し、財産も全て失ふことになるので、結局あきらめ、夫の身勝手をゆるしてしまふ。正室でありながら子を産まないので、跡繼ぎは側室に取られてしまふ。最後は全てを喪失して野垂れ死ぬ。

 嗚呼。

村西禁斷の説得術
禁断の説得術 応酬話法――「ノー」と言わせないテクニック  村西 とおる (著)


關聯:
「トランプ政權が倒れたら、恐怖の21世紀、孤立無援のトランプ大統領を聲援しよう」
http://senkaku.blog.jp/2018102877993631.html

日本の「チャイナ接近」に米國で痛烈な非難の聲。そして北方二島に治外法權。

移民政策決定を承け、三子女に訓示。恐怖の21世紀


日本政府は北京訪問したり、チャイナと通貨スワップをしたり、決して「アメポチ」ではない獨自外交をする。つまり、「アメリカが尖閣常駐をさせてくれない」といふ言ひ譯は通用しないのだ。

http://senkaku.blog.jp/2018102877993631.html

特にトランプ大統領がチャイナ包圍網に懸命になってゐる今こそ尖閣常駐の絶好機だ。しかし、、、、といふわけで米側論調の紹介を以下に。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54665
安倍政権の「中国接近」に米国で痛烈な非難の声  「トランプ大統領は安倍首相の友人ではなくなる」と威嚇

2018.11.14(水)   古森 義久  

 安倍晋三首相の最近の中国への接近に対して、米国のトランプ政権周辺から手厳しい非難の声があがった。中国の国際規則を無視する膨張に対して米国が断固たる抑止の政策をとり始めたのにもかかわらず日本が中国と融和しようとしているのは米国外交への妨害だ、とする非難である。

 その非難には、安倍政権がこのまま米国の事情を無視して中国にすり寄るならば、トランプ政権は日米貿易交渉で日本の自動車への関税制裁などの厳しい措置をとるだろう、という警告も含まれている。さらには「トランプ大統領はもう安倍首相の友人ではなくなる」という威嚇の言葉も発せられた。

安倍政権非難はトランプ政権の意向を反映か

 この安倍政権の対中政策への非難は、10月末に出た米国の保守系の政治外交雑誌『ナショナル・インタレスト』掲載の論文で表明された。論文のタイトルは「日本の中国接近はなぜ失敗なのか」である。

 論文の執筆者は、2003年から2009年まで2代目ブッシュ政権の国務省で北朝鮮人権問題担当の特使などを務め、2017年1月からのトランプ政権では国務省の政権引き継ぎ班の主要メンバーだったクリスチアン・フィトン氏(Christian Whiton)である。同氏はアジア問題にも詳しい保守系の政治や外交の専門家で、2013年には『スマート・パワー』という本を著し話題を呼んだ。現在はワシントンの研究機関「ナショナル・インタレスト・センター」の上級研究員を務める。

 そうした思想的にトランプ政権に近い研究者が、『ナショナル・インタレスト』という、これまたトランプ政権の政治スタンスに近い保守系の有力雑誌で論文を発表した。その意見は同政権の意向を少なからず反映していると見てよいだろう。
 論文の内容は安倍政権への激烈な批判であり、非難である。最大の主張をまとめると、以下のようになる。
「安倍晋三首相は、米国政府が中国の無法な膨張を抑えようと対決の姿勢を強めているときに中国に友好を求め、日米同盟やトランプ大統領に大きな害を与えている」

 さらにフィトン氏は、安倍政権の対中外交が日本にも被害をもたらし、失敗するとも予測していた。

中国の対日政策の実態は変わらない

 同論文は副題で「米国が中国の貿易問題や南シナ海での威嚇を抑え始めたときに、日本政府はなぜ中国に融和的な接近をするのか」という問いを投げかけ、安倍政権の最近の中国への接近を辛辣に批判していた。

 論文の要旨は以下のとおりである。

・安倍首相は10月下旬の訪中で、中国との絆を経済からスポーツまで広げることを宣言し、「一帯一路」関連のインフラ事業への参加を言明した。だが、この動きは同首相が友人と呼ぶトランプ大統領の対中政策への障害となる。

・ペンス副大統領の10月4日の主要演説が明示するように、米国政府は対中政策を歴史的に変革し、融和から対決へと変更した。しかしこの時期に安倍首相は日中関係を「競争から協調へ」とまさに逆行させ、中国の不公正貿易慣行を正す米国の関税制裁の効果を減じるような動きをみせた。

・トランプ政権は、同盟諸国が米国と貿易問題での協定を結びながら一方で中国との協定的な合意を結ぶことに反発する。トランプ政権は最近メキシコおよびカナダとの間で新北米自由貿易協定をまとめたが、メキシコとカナダが中国のような非市場経済国家と独自の貿易協定を結ぶことに反対している。

・日本の新たな対中政策がこのまま進み、米中貿易紛争で中国を利すことになれば、トランプ政権は日本との貿易交渉で自動車関税などの対日圧力措置をとり、防衛面でも日本の防衛費のGDP(国内総生産)1%以下という低水準への不満を表明することになるだろう。安倍首相はトランプ大統領を友人と呼べなくなる事態も起きるだろう。

・中国は最近日本への融和を図っているが、従来の対日政策の実態は変わっていない。日本が中国のその誘いに応じて中国に接近しても、日本にとっての実質的な利益はない。安倍首相も日本国内での支持を減らすことになるだろう。
 フィトン氏の論文は、以上のように米国側一般の反応という形で安倍首相を厳しく批判し、警告を表明していた。「トランプ大統領が安倍首相の友人ではなくなる」という表現に至っては威嚇だともいえる。

 同論文はそのうえで、中国が北朝鮮問題や海洋戦略で日本にとって不利な行動を続けている点も強調していた。だから中国は日本に対して抜本的に従来の政策を変えて融和や友好の姿勢をとっているわけではない、という論旨だった。

無視できない米国側の懸念

 確かに、米中と日中の両関係の現況をみる限り、米国政府は中国に対して「協調から競合や対決へ」と明確にうたうようになり、その一方で日本政府は中国に対して「競争から協調へ」と言明した。まさに正反対である。だからこの種の安倍政権批判がトランプ政権周辺から出るのはきわめて自然だといってもよい。

 ただし、米国ではやや異なる見解も存在する。中国政府の動向やトランプ政権の対中政策に詳しい米海軍大学の前教授トシ・ヨシハラ氏は「日米両政府間では、日本の対中接近についても事前にかなり協議している。フィトン氏の指摘はやや過剰かもしれない」と述べた。現在ワシントンの大手シンクタンク「戦略予算評価センター」上級研究員を務めるヨシハラ氏は、さらに「中国と日本との間には、急に融和を目指すといってもすぐには克服できない障害があまりにも数多くある」とも語った。

 しかし安倍政権は、フィトン氏の今回の論文に象徴される米国側の懸念を、決して無視も軽視もできないはずである。

 

Christian_Whiton2
  Christian Whiton.

https://nationalinterest.org/feature/why-japans-outreach-china-will-fail-34632


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關聯:
「トランプ政權が倒れたら、恐怖の21世紀、孤立無援のトランプ大統領を聲援しよう」
http://senkaku.blog.jp/2018102877993631.html

追記。北方領土二島返還方針。

まさしく反トランプ連續技を繰り出してゐる。そもそもロシアと修好する必要はない。しかも返還二島に米軍配備しないことを交換文書に書くといふ。つまり完全な日本の領土として戻るのでなく、ロシアが治外法權を持つ。日本國内に治外法權の前例となる。可哀相に孤立するトランプさん。せめて二島に即刻自衞隊配備しないと。




防彈少年團の原爆服や三月十一日水難演技に
怒ってゐる日本人らに對して鄙見。

「甘い。」

日本人は何故韓國に對してだけ怒るのか。
チャイナが文革などで行なって來た行爲の
殘虐性と規模の大きさは
現在の日本人の怒りを遙かに超越する筈だ。
私は專門外であり、調査などしたことも
ないので、確かなことを言へない。
しかし私がチャイナで目睹見聞した樣々な
社會の慘状から、容易に推測できることだ。
最近はBBCやNYタイムズも報じるやうになったから
私だって推測して良いだらう。

これまで後進國チャイナ國内の事だからと、
先進諸國はさしたる關心を持たずに
數十年を經たのが實情だ。

問題は、今チャイナからファシズムが
世界に輸出されようとしてゐる。
遺傳子操作、電子ビッグデータなどで
このままやりたい放題にさせれば、
凄まじいファシズムが21世紀世界を襲ふ。
すでにそれは少しづつ始まってゐる。

韓國の藝能人に謝罪させたからとて21世紀世界の
災難が減ぜられるわけでも何でもない。
逆に怒りの方向と程度を誤ることにより
目がそらされて逆効果になるばかりだ。

韓國に抗議するくせに、一方で一帶一路のウソを支持したり
通貨スワップを締結したり、移民協定を締結したり
北海道や對馬の土地購入を制限せずに抛置したり、
小笠原の紅珊瑚も防衞せず、自衞隊法ネガティブリストも改正
せずでは、何の意味も無いではないか。

ほんの一例。土地購入制限は諸外國でもやってゐる。
ただ「世界貿易機構などの條約に縛られて、日本だけは
制限できない」といふ説がある。これについて
國會で日本政府の答辯は「制限できない可能性がある」
といふに過ぎない。議事録に出てゐる。
「可能性」だけなのだから、まづは制限して、
その結果として世界貿易機構から制裁を受けたら、
制裁後に對應を考へれば良いではないか。
また、世界貿易機構では「安全保障に影響する場合は
制限して良い」と規定してゐると聞いた。

要するに言ひ譯ばかりで何もしないのが日本文化なのだ。
繩文一萬五千年の島國。
何もしないくせに韓國に對してだけ反應する。
21世紀チャイナファシズム世界の恐怖を分かってゐないのだらう。

勿論、防彈少年團やら徴用工やら、それぞれに
可能な限り嚴しく對應すれば良い。まづそれを
政府などがやるのは當り前で、
そんなことに氣を取られてゐる場合ではないのだ。
政府がいつも弱腰だから逆に反韓感情が高まる。

竹島だって、十九世紀末まで韓國に一つも
竹島史料そのものが存在せず、
(勿論、于山島も石島も、今の竹島ではない)
ただ日本側の近代的編入に多少の瑕疵があったかの
やうに揚げ足を取ってゐるだけだから、
何の遠慮もせず明日にでも武力防衞すれば良い。
憲法で防衞權が制限されてないのだから即刻可能。
最新兵器全種投入で、軍事的にも即刻完勝は間違ひない。

しかし竹島はただの二國間の僻島に過ぎず、
一方の尖閣は歴史的に日本から海のシルクロードへの
入口であり、現在でも臺灣や沖繩の安全の要である。
歴史的チャイナ包圍網の要石(かなめいし)である。
竹島よりも前に尖閣に部隊常駐を優先すべきだ。
竹島でばかりわあわあ騷いで抗議するのは無駄だ。

囘りくどい言ひ方になったが、上記のさまざまな課題の中で、
最大の課題が尖閣500年史の眞相を明らかにすることだ。
單なる無人島ではない。チャイナ包圍網の歴史が
數百年間あるのだ。尖閣の歴史の露出度を下げて、
韓國の露出度を上げて差し上げるのは本末顛倒である。
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製紙術がアレクサンドリアから東漸した可能性
が高いことを平成30年11月9日に書いたが、
素人としてパピルスを語るならば、併せて
羊皮紙について勉強した情報を附記せねばならない。

羊皮紙工房 「羊皮紙の歴史」  

ヘロドトス『歴史』には一般に獸皮に書記してゐたことを述べる。
それを加工羊皮紙(Parchment)として普及させた都市ペルガモンは
紀元前三世紀から繁榮した。羊皮紙の普及はこれ以後である。
ペルガモンは今のトルコ西部。

獸皮書記については張騫も記録してゐる。
前囘述べた張騫の到達地、大宛・康居・大月氏
については、『史記』大宛列傳に書かれてゐるが、
大月氏につづいて安息國(パルティア)を記述する。曰く、
「安息在大月氏西可數千里。……以銀為錢、
錢如其王面、王死輒更錢、效王面焉。
畫革旁行、以為書記。」
「安息は大月氏の西、數千里ばかりに在り。
……銀を以て錢となし、錢、その王の面の如し、
王死すれば輒ち錢を更(あらた)め、王が面に
效(なら)ふ。革を畫して旁行し、以て書記をなす。」
と。
ヘレニズム諸國で銀貨に國王頭像を刻んだのみならず、
さらにパルティアで獸皮に書記してゐたことを張騫は傳聞してゐた。
年代から見れば單なる獸皮でなく、ペルガモンの羊皮紙が
パルティアまで普及してゐた状況を指すだらう。
この書き方からすれば、張騫は康居及び大月氏で
羊皮紙を傳聞しながらも、目睹しなかった可能性が高い。

關聯書を讀むと、羊皮紙はパピルスよりも高級品
だと書いてあったり、逆だと書いてあったり、
一定しない。かなり慎重に評價せねばならない。
しかし羊皮紙がパピルスよりも丈夫であるのは確かだ。
パピルスは數千年の傳統的材料であるが、
新興の羊皮紙は保存用に優れてゐた。

新興の羊皮紙の存在する地では、
傳統のパピルスも早くから普及してゐただらう。
新たな羊皮紙が珍奇だからこそ張騫は記録した。
康居に近いアイハヌム(オクサスOxus附近)でも羊皮紙が
出土してゐる。張騫よりも早い年代らしい。
されば張騫は新しい羊皮紙を目睹しなかったとしても
傳統的パピルスを目睹した可能性は高い。

ただ、パピルスは漢の竹簡に較べて質的に粗惡で、
さほど注目に値ひすると思はなかっただらう。
だからこそ、後漢に至ってやっと改良パピルス即ち「紙」が普及した。
また張騫よりも前に、パピルスが既に漢の西域に
普及してゐて、珍奇と思はなかっただらう。
要するに、羊皮紙を知った張騫がパピルスを知らなかったとは考へにくい。

このあたり、ヘレニズムがチャイナに東漸した歴史について
最も多く論文を書いてゐるのが南開大學の楊巨平氏である。
楊巨平氏は羊皮紙の東漸に論及し、さらに張騫が
アイハヌム(オクサス附近)を經由しただらうと推測するが、
惜しいところでパピルス東漸の可能性についてまでは
論及せず、張騫の時代にチャイナは竹簡だけだったとする。

アイハヌム(オクサス附近)はバクトリアからインド及びチャイナへ
向かふ交通の要衝に位置し、チャイナ貿易を目的とする都市だったと、
ウィキペディアに書いてある。誰の説か分からないが、
誰でもそれは推測できることだ。
そのやうな位置のアレキサンドリア・オクサスのパピルスが
チャイナに東傳しなかったと考へる方が難しい。

參考:
クロード・ラパン(Claude Rapin)氏作成地圖、アイハヌムをEucratidiaに擬する。

ラパン氏、アイハヌム・パピルスの寫眞。

アイハヌム・パピルスの佛語譯。

クロード・ラパン(Claude Rapin) 1992年著
"La Trésorerie du Palais Hellénistique d' Aï Khanoum"
(圖版125號にアイハヌム・パピルスの彩色寫眞。)
https://www.academia.edu/3316486/


C._Rapin_1994_
"Ai Khanum and_the_Hellenism_of_Bactria_in_Ancient Rome and India ---- Commercial and cultural contacts between the Roman world and India"
(張騫、メナンドロス=ミリンダ、大月氏、エウクラティデスに論及。)
  Though the colony had been an important centre ever since its foundation, it really reached the apex of its power in the first half of the 2nd century RC., when itbecame a capital under the kingship of Eucratides I (c. 17r·145 B.C.). This king, who reached power defeating Demetrios II (c. 175-165 B.C.), increased his authority with a policy of conquests, among which were included most of the territories of the Indo-Greek king Menander (c. 155-130 B.C.). The Yuga-Purana alludes to a retreat of yavanas  (of king Menander) from Madhyadesa provoked by a civil war in their own country. This civil war must probably be attributed to the arrival of Eucratides I in the Western territories of Menander. As he was returning from one of his Indian expeditions in 145 B.C., Eucratides was killed by one of his sons (JUSTlNUS XLI, 6). It appears then that the city suddenly fell under the control of Central Asian nomads.  A second nomadic population arrived a few years later and in 128 B.C., as related by the Chinese ambassador Chang Kien, Bactria had entirely fallen under the power of the people of the Great Yiieh-chih. Meanwhile Menander seems to have again imposed his authority upon the Greek territories of North-West India and of Southern Afghanistan. This Indo-Greek authority tasted for a long time, as the last Indo-Greek king in North-West India disappeared in about 10 A.D.


篇名「Hellenistic Information in China」October 3, 2014  楊巨平   
誌名『CHS Research Bulletin』A publication of the Center for Hellenic Studies
Posted by Juping Yang under Art/Archaeology, E-journal, History, Research Symposium   
2§38 About the style of writing and material for it in Anxi, Zhang Qian says that people there wrote horizontally from left to right on sheets of leather (畫革旁行,以為書記). Leather paper indicates the parchment produced in Pergamum, another Hellenistic kingdom. At the site of Ai Khanoum, French archaeologists discovered the remains of a sheet of parchment on which a Greek poem had been written. At other places in Bactria, a few Greek parchments containing a tax receipt and records of payments were discovered.[73] This makes it certain that indeed parchment was known in Daxia when Zhang Qian stayed there. Most probably, Zhang Qian saw such parchment as well as the Greek texts on it. This must have caught his attention, because the Chinese still used bamboo slips for writing and wrote vertically from the top down.
2§38。關於「安息國」的書寫法和材料,張騫說彼地「畫革旁行,以為書記」。「革」是指另一希臘化王國「別迦摩」(帕加馬, Pergamum)生産的羊皮紙(parchment)。法國考古學家在艾哈努姆(Ai-khanoum)遺址發現了一張羊皮紙的遺物,上寫一首希臘詩。在巴克特里亞境内其他地方,發現了一些含有稅收收據和付款記錄的希臘羊皮紙。可知張騫到達大夏時,羊皮紙確實為人所知。 最有可能的是,張騫看到了這樣的羊皮紙和希臘文。 這一定引起了他的注意,因為China人仍用竹簡,並上下竪寫。


楊巨平「亞歴山大東征與絲綢之路開通」
載『歴史研究』2007-04。又『中外關係論叢』11輯。


「遠東希臘化文明的文化遺産及其歴史定位」
《歴史研究》2016年第5期。
論及張騫與牛皮紙(羊皮紙)相涉,未論及莎草紙(papyrus)。
論及Ai-Khanoum並非Oxus。



楊巨平「哈努姆遺址與希臘化時期東西方諸文明的互動」。
『西域研究』2007年第一期。
哈努姆 Ai-khanoum 未論及莎草紙(papyrus)。
https://www.1xuezhe.exuezhe.com/Qk/art/351435

アレキサンドリア一覽。
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_cities_founded_by_Alexander_the_Great

アレキサンダー帝國最大版圖、Oxusを載せる。

アレキサンダー帝國地圖、Oxusを載せず。

東部アレキサンドリア各地。Oxusを載せず。


「西方古代的歷史是僞造的嗎?」   飛虎隊文集。
http://city.udn.com/55568/2372517
https://blog.boxun.com/hero/feihuduiwenji/44_1.shtml
https://blog.boxun.com/hero/feihuduiwenji/44_2.shtml
曰く「也有可能是埃及人發明的紙草紙通過阿拉伯人波斯人,
輾轉傳播到中國來以後,經過中國人的改進然後産生了
後來更高級的紙,這在邏輯上是完全說得通的,
在時間上和空間上也是完全有條件的。實際上,
現在中國地區發現的最早的紙之一就出現在新疆。」
(未具體論及烏滸、亞歷山卓、張騫等。)



阿富汗珍寶展背後的故事①:希臘文物和希臘化阿伊哈努姆遺址的發現
  2017/04/27   (Ai-khanoum。紙に論及無し)


「ギリシア人植民都市アイ・ハヌムの滅亡-中国史料からの考察-」
小谷 仲男  富山大學「人文学部紀要」巻35。2001-08-31
 (月氏がアイハヌムを滅ぼしたと論じる。紙に論及無し。)
http://doi.org/10.15099/00000043


変体流水術ブログ 2011年01月09日「中国文化の源泉は西アジア」
曰く、「紙は前漢時代の遺蹟からも発掘されていて、そのルーツはエジプトのパピルスにある。パピルスの製造方法は、基本的な部分(植物の髄から出る粘液を利用して、繊維同士を接着するなど)で、紙と同じような製造方法を持つ」と。惜しくも張騫、アイハヌムなどに言及無し。



Pergamonの神殿wikipedia
  ペルガモンのトラヤヌス神殿の遺跡。ウィキペディア。




「シルクロードは、チャイナの絹の先進性に歐洲人が驚いた道だ」
そんな俗説を高校の授業で聞かされた人は多い。
しかし基本的にシルクロードは西方の文明を
チャイナ日本に齎した道であって、逆方向は量的に
極めて少ない。絹と磁器と改良パピルスだけしかない。
東から西へといふ一帶一路は大嘘である。

しかもその絹にしても、絶對的に東方が良質だったわけではない。
『三國志』に引く「魏略・西戎傳・大秦國」に曰く、
「有織成細布、言用水羊毳、名曰海西布。
亦用木皮或野繭絲作、
織成氍毹・毾㲪・罽帳之屬皆好、
其色又鮮於海東諸國所作也。」
(細布を織成する有り、水羊の毳を用ゐると言ひ、
名を海西布と曰ふ。亦た木皮或は野繭絲を用ゐて作り、
氍毹(くしゅ)・毾㲪(たふとう)・罽帳の屬を織成すること皆なよし、
その色また海東諸國の作る所よりも鮮やかなり)

この「海西布」は毛織物が基本だが、
「野繭絲」(やけんし)即ち野生のまゆの絹絲でも作られてゐた。
毾㲪は、ウィキペディアによれば波斯古語「taaftan」(縒り絲)ださうだ。
海東・海西の海とは、勿論東支那海ではなく、西アジアの何らかの海である。

注目すべきは、色が東方諸國よりも鮮やかだったのである。
東洋は、波斯大帝國に負けてゐた。その出土實例が、
ウルムチ博物館に藏せられてゐる。漢代の馬人と武士像。
パキスタンに近いホータン(于闐、うでん)の現洛浦縣の出土。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/archive/0/0b/20121220220040%21UrumqiWarrior.jpg
UrumqiWarrior2

UrumqiWarrior
ホータン人頭馬身と武人

http://www.sohu.com/a/211879143_100013415
http://news.sina.com.cn/c/2017-12-02/doc-ifyphtze3491653.shtml
上半の人首馬身ケンタウロスはただの裝飾だが、
下半の武士(兵士、戰士、武人)像の鮮やかさ。
深目高鼻、實に驚くべき高水準である。
ガンダーラ佛像に髣髴たる寫實性で、
漢魏にこの水準の美術は存在しなかった。
まさしく「海東諸國の作る所よりも鮮やかなり」。
東洋人は驚倒しただらう。
これより遙かに古いツタンカーメン黄金面具は、
かかる高度な文明ゆゑに出現した。
とてもとても、チャイナの希冀し得る水準ではなかったのだ。

ついでながら、漢文古書の西域傳に頻出する
「烏弋山離」(アレクサンドリア)の漢字音について。
烏は古音「あ」である。嗚呼(a ha、ああ、今音をこ)からも分かる。
烏の鳴き聲を模する。古音「あ」から「を」に轉じたので、
新たに鴉(あ)といふ字が生まれた。

「弋」(よく)は遊弋で馴染みだ。
式と同源の音であり、古音はrik乃至dik。
所謂三十字母の喩母字である。d,r,yと變化した。
喩母の羊・陽・姚・驛などが詳・場・兆・擇などと諧聲
であることからも分かる通り、舌音・齒音のs,z,t等に轉じ易い。

よって烏弋山離は「a rik san li」(アレクサンドリア)である。
略して烏弋國。
「那先比丘經」(ミリンダ王の問ひ)では「阿荔散」(あれいさん)に作る。




アレクサンダー大王の東征により、ペルシア帝國、
バクトリア王國、北インドに、ヘレニズム文化が傳播した。
アレクサンドリア(烏弋山離 a dik san li)と呼ばれた諸國の最東は、
Alexandria Oxiana、即ちラテン名Oxus(英語オクサス)。
今のアイハヌムといふ場所で出土した遺跡が
古代のアレクサンドリア・オクサスだとする説もある。
https://kotobank.jp/word/-822604
またはバクトリア王國のEucratidiaがアイハヌムだともされる。
いづれにしろこのアイハヌムから希臘語のパピルスが出土した。
紀元前三世紀半ばの遺物とされる。
まさしく秦の始皇帝時代である。

「アイハヌム遺跡のギリシア語史料について」
    田中 穂積        人文論究 48(4), pp.41-53, 1999-02。関西学院大学。

オクサス附近の地はウイグルの中華人民共和國殖民地線まで
300kmの距離、カシュガルまで400kmの距離。

オクサス附近のパピルスから約百年後の紀元前二世紀、
前漢の張騫が大宛から康居を經て大月氏(バクトリア)に
到達した。バクトリア領域内に、かの乾陀羅、ガンダーラが有る。
康居は、ほぼオクサス附近である。
さらに約百年後の紀元前一世紀、ウイグルのロプノールで
最古級の紙が出土してゐる。

「紙の発生から普及まで」 (14)
    伊藤通弘   「紙パ技協誌」 50(10), pp.1445-1445, 1996年。

アレクサンドリア長安ロプノール

オクサスからロプノールまで約1500kmm。
ロプノールから漢の首都長安まで約2200km。
ロプノール紙は、地理的距離としては漢よりも
アレクサンドリアに近いのである。そもそも、
ロプノール紙は紙なのか。パピルスではないのか。

前漢で出土する粗製紙を紙だと定義すれば、
パピルスも紙となってしまひ、人類最古の紙はどちら
なのか、困ったことになった。と、江曉原氏が言ってゐる。
江曉原氏は、上海交通大學教授、科學史家である。

オクサスのパピルスには、希臘哲學イデア問答が
書かれてゐる。イデア問答といへば、まさしく
張騫の同時代、グレコ・バクトリア王國の
「ミリンダ王の問ひ」(那先比丘經)ではないか。
那先比丘經は授業で取り上げたりしてゐる。
ミリンダ王コイン

張騫は西方で樣々な文化を入手して漢に持ち歸った
ことで知られる。大宛汗血馬、葡萄、苜蓿、などなど。
ロプノール紙の時代はガンダーラ美術の時代である。
大月氏のガンダーラは、オクサスの南方約300kmだ。
その百年前の張騫の到達した大月氏にも、
當然パピルスが有ったこと間違ひない。無い筈がない。
パピルスを見た張騫が、珍奇に驚かぬ筈が無い。

前漢時代の現存最古の紙は、甘肅・ウイグル・敦煌・陝西など
全て現チャイナ統治域の西部から出土してゐる。
紙の技術がシルクロードを通じてチャイナに
持ち込まれたことはほぼ確實であらう。
シルクロード

以上のやうな時間空間の大勢から見れば、
後漢の製紙術は、パピルスの影響下で改良したものと
考へねばならない。この程度のことは、私がこのブログ
に書く以前に、きっと數十年前に史家が書いてゐるに違ひない。
伊藤通弘氏も「紙とシルクロード」といふ一節を設けて
少々論及してゐる。

「紙の発生から普及まで」 (15)(16)
    伊藤通弘    「紙パ技協誌」 50(11),50(12),1996年。

なほ、シルクロードは乾燥してゐるから紙が保存された
と、研究者は言ひわけしてゐるが(リンクは一例)、
同じく腐り易い帛書(はくしょ)が湖南省で大量に
出土してゐる。戰國の楚國から多く出るが、
特に前漢の馬王堆(ばわうたい)は耳にした人も多い。
湖南省は地質が腐敗しにくいとされる。
木簡も湖南省から多く出土する。
されば湖南省で出土しない前漢の紙が
陝西・南モンゴル・甘肅・敦煌から出土するのは
西のパピルス文明の東漸と考へざるを得ない。

ラテン語のPapyrusはそのまま英語のPaperであり、
名稱が變はってゐない。新たな名稱が生まれるほどの
革命的進歩があったわけではないことが分かる。
パピルスの悠久の歴史の中のひとこまが、紙であるに過ぎない。

發明といふならば、最大の筆記革命はパピルス製造法の發明だらう。
それ以前は粘土板、牛骨、金石、木簡、竹簡、布などが
書寫媒體であった。そこから全く異なる概念に飛躍したのが
パピルスであり、紙はその影響下の改良の一種に過ぎない。

東洋は教へを受ける側であった。
漢乃至更に古くから、所謂シルクロードは西の文明を東に運んだ。
漢の時代、既にチャイナは西方大文明の
影響下の小文明に過ぎなかった。

「一帶一路」の政治宣傳では、
あたかも東風が西風を壓倒してゐたかの如き
https://www.bbc.com/zhongwen/trad/chinese-news-41164655
逆方向の嘘の歴史を唱へてゐる。
チャイナ四大(しだい)發明の一つが紙だと
いふのは眞っ赤な嘘である。

古代の文物は、どこが起源なのか分からないものが多い。
分からない場合にそれをチャイナ獨自の文化だと
宣傳するのが彼らの勝手な理屈だ。
しかし例へば兵馬俑の馬車はあまりにも希臘に似てをり、
西方文明の影響を濃厚に感じさせる。
漢代の製紙術も、西方のパピルスから改良された。
さればチャイナ獨自の發明なるものが、どれほど有るものか。
ジョセフ・ニーダム如きの妄言を易々と信じてはいけない。

關聯:二千年前の葡萄酒發見の報導。



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平成30年11月11日追記
その後、近年の論文を英語日本語チャイナ語で搜してみると、
どうもパピルスがアレクサンドリアから東傳した説を
創始した人は見つからない。どうやら私の創説かも知れない。
近い内に何らかの媒體に寄稿することにしよう。

參考:

クロード・ラパン(Claude Rapin)氏、アイハヌムをEucratidiaに擬する。


「論紙莎草紙的興衰及其歷史影響」(未論及東漸)
《史学集刊》2005年03期  孫宝國, 郭丹彤
http://xuewen.cnki.net/CJFD-SHXZ200503016.html
http://bbs.mountblade.com.cn/thread-287469-1-1.html

「紙の傳播と使用をめぐる諸問題」清水和裕
2012-03-09 「史淵」巻149  pp.79-97 (未論及東漸)
http://hdl.handle.net/2324/24705

楊巨平「哈努姆遺址與希臘化時期東西方諸文明的互動」。
『西域研究』2007年第一期。
https://www.1xuezhe.exuezhe.com/Qk/art/351435


「遠東希臘化文明的文化遺産及其歴史定位」
《歴史研究》2016年第5期。
論及張騫與牛皮紙(羊皮紙)相涉,未論及莎草紙(papyrus)。
論及Ai-Khanoum並非Oxus。

楊巨平「彌蘭王還是米南德?——《那先比丘經》中的希臘化歷史信息考」
載《世界歷史》2016-05。
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTotal-HIST201605009.htm


 【词条】:西方造纸术--靳贻婷  10300130125 (2012-06-16 23:03:00)
-莎草纸&造纸术之辩
用国内的搜索引擎搜索“西方造纸术”,清一色的出来的基本都是中国造纸术及西传。搜索在文献资料库,也都是关于中国造纸术的,
通常说的造纸术,应包含打浆、抄纸、脱水等几个步骤。从化学上而言,打浆是拆开纤维素分子之间原先的氢键链接,然后通过抄纸和脱水形成新的氢键链接。无论具体技术如何,满足了这几个条件的,才是真正意义的造纸术。

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