- 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ 480 years history of Senkakus

senkaku480 石井望。長崎純心大學准教授。笹川平和財團海洋政策研究所島嶼資料センター島嶼資料調査委員。日本安全保障戰略研究所研究員。 御聯絡は長崎純心大學(FAX 095-849-1894) もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」  http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007 からお願ひします。 

「國聯憲章は武力行使による領土保全を禁じた」といふ論説。つまり領土防衞禁止です。フジテレビ 解説委員 平井文夫氏。愛國派として知られる人です。私は門外漢でありますし、忙しいのに口出ししたくありませんが、あまりにもあんまりぢゃありませんか。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190522-00010019-houdoukvq-pol

曰く、「ロシアが不法に占拠している北方領土を武力で奪還するのは個別自衛権の行使かもしれないが、国連憲章は領土保全のための武力行使を禁止している。だから丸山さんが言うようにたとえ日本が戦争で北方領土を取り返しても、国連憲章違反で国際社会から批判され、経済制裁されてしまうだろう。ウクライナのクリミアを併合したロシアのように。」

これは普通には「領土防衞を國聯が禁止した」といふ文義にしか聞こえません。主語不明なので善意に解する方向で主語を補ってみませう。

日本が不法に占拠している北方領土をロシアが武力で奪還した(昭和20年8月)のはロシアの個別自衛権の行使かもしれないが、国連憲章は領土保全のための武力行使を禁止している。だから丸山さんが言うようにたとえ日本が戦争で北方領土を取り返しても、国連憲章違反でロシアは国際社会から批判され、ロシアは経済制裁されてしまうだろう。ウクライナのクリミアを併合したロシア自身のように。」

いや、愈々益々不可解です。そこで念のため、國聯憲章正文。 
https://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/
 曰く、「国際連合憲章は、国際機構に関する連合国会議の最終日の、1945年6月26日にサンフランシスコにおいて調印され、1945年10月24日に発効した。すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」
https://www.un.org/en/sections/un-charter/chapter-i/index.html
「All Members shall refrain in their international relations from the threat or use of force against the territorial integrity or political independence of any state, or in any other manner inconsistent with the Purposes of the United Nations.」

と。つまり「領土を防衞する日本に對して、ロシアは武力行使してはならぬ」といふことを示します。これに對して平井氏は論理倒錯してゐます。しかも國聯憲章調印から發効までの間の昭和二十年八月にロシアは領土を奪ったのですから、發効前だとしても憲章の精神に反し、實に卑怯です。そのロシアと何を交渉するのですか、日本は。
 愛國派とされる平井氏にしてかくも倒錯してゐるのですから、まして世の中全體(含左翼)の議論は、さっぱりわけの分からぬ状態で、ただ丸山穗高議員を材料にして騷いでゐるだけなのでせう。議論は丸山議員如何に矮小化されてはならず、ロシアの不正義を批判するのが基本でなければいけません。
 この倒錯ぶりはツイッターで話題だらうと思って今檢索してみましたが、
https://twitter.com/search?f=tweets&q=https%3A%2F%2Fwww.fnn.jp%2Fposts%2F00046431HDK%2F201905221830_hiraifumio_HDK
 今朝の時點で誰もこれについて異議を述べてゐないやうです。大丈夫ですか、日本人。悠久の尖閣史を人々が理解する日は來るのでせうか。

平井文夫010522


yaeyama電子010519丸山

「1885年9月6日付『申報』記事「台島警信」に関する考察 ~新聞報道の面から~ 」
(上中下)完結。 國吉まこも 石井望   

令和元年五月九日、十日、十四日、上中下各第四面。
各三千字、八重山日報オピニオン欄、電子版有料。 
「明治日本の尖閣上陸が上海の新聞で騷がれた」
といふ近年の定説だが、上海の原紙は失はれてゐる。
しかし當時の『東京日日新聞』によれば、
それはMajaaka諸島、即ち宮古八重山であった。
尖閣だとは書いてゐなかった。
香港でも轉載され、わざわざ清國領土説を否定した。
巨文島英占領、露朝密約、キャロライン諸島獨占領
など急展開する情勢を承けた速報だった。
重大な新事實の發見を上中下で連發してゐます。
第一著者の國吉まこも氏は、尖閣資料編纂會研究員、
内閣官房委託尖閣調査事業主任研究員。
諸君、この全文を有料で讀まずして尖閣を語るなかれ。

yaeyama010509國吉石井上_清國


yaeyama010509國吉石井上_東京日日


yaeyama010509國吉石井中_香港

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yaeyama010514國吉石井中_露朝密約



http://www.yaeyama-nippo.co.jp/archives/6806
 尖閣資料展示館が霞ヶ關に移轉します。
yaeyama010510_homepage
「歴史力」こそ決め手に 領土展示館移転で石井氏
    2019/5/10    尖閣, 政治・経済, 行政  
 政府が尖閣諸島などの関連資料を展示する「領土・主権展示館」を東京・虎ノ門地区に移転し、面積を現在の7倍に拡張する計画について、尖閣史を専門とする長崎純心大の石井望准教授は「大切なのは展示することだけでなく、展示の中身だ。世界の歴史戦で人々の心に訴える『歴史力』こそ決め手となる」と述べ、政府の今後の努力に期待感を示している。
 政府の尖閣関連資料収集で、1617年の朱印船資料が採用されていることを例に挙げ「朱印船は教科書に載って、誰でも聞いたことのある言葉だ。他にも尖閣資料は膨大に存在する」と指摘。
 その上で「簡単に言えば歴史はどちらが長いか、分厚いかで国際歴史戦の勝敗は決まる。近代的な領土編入だけにとらわれた展示になるならば、日本は柄の小さな国だと内外に示してしまう。関係者の奮起を望みたい」と述べた。
 移転後の場所は民間ビルの1階で、面積は約700平方メートルに広がる予定。政府は展示を充実させ、来館者を増やしたい考えだ。

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關聯:同日の八重山日報、德永信一辯護士らの奮戰!   .
http://www.yaeyama-nippo.co.jp/archives/6815



虎ノ門ニュースで、石平先生が女系(=別系)の非を論じました。
そこで是非、石平先生に思ひ出して頂き、
あちこちで使って散布して頂きたいのは、
西遊記の笑話「皇帝輪流做、明年到我家」。
皇帝は輪番(りんばん)でやる。來年は我が家(の順番)に來る。

藤原天皇が一度も出現しなかったのが日本です。
女系と呼ぶのをやめませう。別系です。藤原氏が好例です。
今年、杉田水脈議員が袋叩きされた一件で
LGBTが急に有名になりました。
少し男っぽい女もゐるし、少し女っぽい男もゐます。
https://kotobank.jp/word/-117830
 半陰陽もあります。昔は
https://kotobank.jp/word/-2061011
 斷袖の風も流行しました。
このやうに性別が100%とならないのは
多分、個體の性別が「結果」だからであり、
「原理」(仕組み)ではないからでせう。

そこで生物學門外漢の私も少し勉強してみました。
無性生殖から有性生殖へと進化して以後、
雌雄を分ける生物的原理が存在し、
ただその原理が現象として個體になるとき、
必ずしも原理の通りにならず、半陰陽などの現象がある。

雌雄を分けた結果よりも、雌雄を分ける原理こそが
人類史を動かしてゐます。
皇室の場合も、男性女性は一代限りの現象ですが、
萬世一系は歴史的現象です。

ミトコンドリアDNAは
父系遺傳を完全に排除する機制を持ちます。
 その原因は現段階では不明ださうです。
しかし、原理として生物を支配してゐます。
參考:生命誌ジャーナル 2015年 85号  
「父由来のミトコンドリアゲノムが消されるしくみ」
佐藤 美由紀(群馬大学生体調節研究所)
「ミトコンドリアには核と同じようにゲノムDNAがある。核のゲノムは両親からそれぞれ1セットが伝わり2セットで一組であるが、ミトコンドリアゲノムは、同じコピーが多数存在し、例えばヒトでは細胞あたり103〜104コピーも含まれ、その全てが母方からの母性遺伝である。父方のミトコンドリアゲノムはいつどのように失われるのか」云々と。


一方、遺傳の主役、核DNAもまた、
女性の✕染色體を基本とします。
その上にY染色體が追加されたのが男です。
追加物に過ぎないが、重要だからこそ追加
されたと言ふべきでせう。
追加が無ければ性別が存在しなくなります。
人類は無性生殖の原始生物ではないのです。

よく言はれるのが、類人猿と人類との遺傳子は
99%同じで、1%だけ違ふといふ話です。
この追加された1%を人類は失ふべきでせうか。
Y染色體は、細胞核を取り圍む多數のミトコンドリア
の中に存在せず、中心の細胞核の中にだけ存在します。
XY染色體ミトコンドリア


參考:「解明されるX染色体の秘密」
Rowan Hooper 2005年03月23日
「40人の女性のX染色体を調べたところ、それぞれの染色体が独自の遺伝子発現パターンを持っていた。こうした変化は完全に女性独特のものだ。この点に関して、男性のX染色体はすべて同じ発現パターンを持っている」とウィラード所長は説明する。

參考:日経サイエンス  2001年5月号
「Y染色体の不思議な進化を探る」
K. ジェガリアン(米国立衛生研究所) B. T. ラーン(シカゴ大学)   
「性染色体は奇妙なペアとなっていて,Y染色体はX染色体よりずっと小さい。さらに,この2本の間には,単なるサイズの違いだけではなくもっと本質的な違いも存在する。例えば,X染色体には2000~3000もの遺伝子が含まれているが,Y染色体にはせいぜいで数十個の遺伝子しかない
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0105/y.html

 簡單に言へば、Y染色體には稀少價値がある。Y染色體は奇妙である。特別である。男は✕染色體でも同一パターンを承け繼ぐ。Y染色體には人類の不思議が濳んでゐる。「だから男は偉い」といふ發言をするつもりはありませんので、念のため。

 さあ、皇室の同一パターンを傳へるY染色體の運命や如何に。皇室のY染色體の運命を、國民が決めるのでせうか。「皇室以外のY染色體が好きだ!」と國民は言ふのでせうか。これ以上は、私としては發言できません。Y染色體の生物的意義は參考に過ぎませんが、とにかく私は一國民として、別系(藤原氏のやうな)に贊同しません。また、内親王の降嫁先の別系の皆樣には、かなり自由にして頂いて良いと思ひます。


關聯:
鳥取の青谷遺跡の繩文Y染色體の最新研究 

小室圭氏に對する一億總苛めをやめて欲しい。 
http://senkaku.blog.jp/2019042779694039.html

著名史料。China王國(kingdom)。非帝國(empire)。國外淡水。

  The third message Reyersen sent to Coen,
  dated 20 November 1622 AD,
  reported the negotiation. 
 ‘Wilde mede andermael schrijven aen den Mandoryn van Chinchuw om een stierman, die ons met de schepen soude brengen aen een eylandt dat niet onder 't gebiet van den Coninck van China stont, genaempt Tamswi. ’ 
   (He also wanted to write again to the Mandoryn of Chinchuw for a steersman who would take us with the ships to an island called Tamswi, that was not in the domain of the Kingdom of China.)   
  Tamsui in Taiwan was outside Min Kingdom domain.
       Coninck = Konink = kingdom, not empire 

Reyersen寄給Coen第三封信函,
日期是西元1622年11月20日,
報告了談判。其中云:
  「他也願意再次寫信給漳州的官吏,
  請派一個舵手來帶領我們去一個
  不屬於中國國王領土的島嶼,
  該島稱為淡水。」
  (江樹生譯。)
淡水位於統治之外。

 ReyersenからCoenへの第三信書は、
1622年11月20日づけで交渉を報告する。
その内に曰く、
  再度漳州の官吏に信書を送り、
  舵手一名を派遣して我々を
  チャイナ王國の統治に屬しない島
  へ連れて行かう。
  その地は淡水といふ。
淡水は統治の外に位置する。

書誌:
Cornelis Reijrsen aan de gouverneur-generaal Jan Pietersz. Coen, 8 Oktober 1622, Pescadores, VOC 1077, folio 147 recto, collected in Shu-sheng Chiang, Ibid. note 123, pages 21 and 27, SMC Publishing Inc. Taipei, 2007.


58102_Nederlanders_China_Tamswi_p443
電子圖像:
Bijdragen tot de taal-, land- en volkenkunde van Nederlandsch-Indië,
1898 (4) [volgno 2] p.529  
Bekijk hier het tijdschrift:
https://resolver.kb.nl/resolve?urn=dts:58102:mpeg21:0443
 Gevonden in www.delpher.nl, dé historische database van Nederland met
miljoenen pagina’s uit kranten, boeken en tijdschriften.



 o-hanlon_senkaku_paradox

"Senkaku Paradox: Risking Great Power War Over Small Stakes"

By Michael E. O’Hanlon,  April 30, 2019

https://books.google.co.jp/books?id=Klt0DwAAQBAJ

https://www.brookings.edu/book/the-senkaku-paradox/

https://www.youtube.com/watch?v=2UGKGlvhLMU

https://www.youtube.com/watch?v=1DB2qqAbF5k

https://www.youtube.com/watch?v=BrKzpYFktOQ

https://www.youtube.com/watch?v=dyZuvDc3oCU

https://www.brookings.edu/experts/michael-e-ohanlon/

https://www.brookings.edu/events/book-launch-the-senkaku-paradox/

https://www.youtube.com/watch?v=r47I6mEnVXc

https://www.jstor.org/stable/10.7864/j.ctv3znzxb

https://www.youtube.com/watch?v=3UGCjzh2LiU

https://www.amazon.com/dp/B07G2LSSCJ

https://mca-marines.org/book-review-the-senkaku-paradox-risking-great-power-war-over-small-stakes-by-michael-e-ohanlon/

 

Professor Michael E. O’Hanlon of Brookings Institution has pubished a book recently, discussing Senkaku issues. Presently he is spreading his own information rapidly inside and outside USA. Professor Nishimura Kohyu has introduced to me today about this book. 

 

I have glanced into this book, finding no any history been discussed in it. Professor O’Hanlon says in the title that Senkaku is just a "small stake" in "paradox". It shows that he does not know anything about 480 years long history of Senkaku, which is located in the gateway of Japan, connecting to Taiwan Strait westward, to Luzon Island southward, as well as to South China Sea, to Malacca Strait, and to Maritime Silk Road.


In the video below, he just mentioned for 30 seconds about history,

from 10:30 to 11:30.

https://www.youtube.com/watch?v=dyZuvDc3oCU#t=640


   I have to tell him that there are many words related to the history of the Senkaku Islands as follows:

 

[Late 16th - early 17th Century]

Walliam Adams (Miura Anjin, the first English Samurai, sailed through Senkaku sea area),

Tokugawa Ieyasu (First Shogun, who confirmed defense line in the far west of Senkaku),

Toyotomi Hideyoshi (Unifier of Warring States, dispatched envoy via Senkaku to Luzon),

English Factory in Hirado,

Nagasaki Magistrate,

Nagasaki Governor,

Red Seal Trade System of Shogunate (sea route pass through Senkaku sea area),

Accurate Maps of Senkakus for Red Seal Ships.

Luís Pérez Dasmariñas (Governor-General Luzon, dispatched envoy via Senkaku to Japan)

26 Martyrs of Nagasaki (reported Senkaku sea route to Luzon)

Wibrandt van Warwick (the first man been informed by China about the limit line far west of Senkaku)

Hugo Grotius (International law, concerning into east Indies affair, espeially to activities of van Warwick)

 

[Late 17th Century] 

People of Yonakuni Island (Transported the Dutch Cargo from Senkaku to Satsuma)

Satsuma King (Transported the Dutch cargo from Senkaku to Nagasaki)

Cornelis Reijersen (Dutch fleet commander in Taiwan, who understood Chinese limit far west Senkaku),

Jan Pieterszoon Coen (Governor General in Java, who received the report of Chinese limit line in Taiwan Strait),

Frederick Coyett (the last governor in the Dutch Formosa, who reported the transportation of Duth cargo from Senkaku to Nagasaki)

Dutch East Inides Company (Reported the transportation of Duth cargo from Senkaku to Nagasaki)

 

[18th Century]

Antoine Gaubil (French Jesuit missionary to Pekin, who depicted the map of Ryukyu and Japan, all according to Pekin pronounciation in 1751),

Jean François de La Pérouse  (reached Senkaku sea area in 1787, specified Senkaku as Ryukyu territory using Gaubil's map.)  

 

[19th Century]

Adolf Stieler (German cartographer, who specified Senkaku as Japan in 1804)

Shou Kouki (Ryukyu nobility, the first man landed on Senkaku in 1819 and searched water source on Senkaku)

Krusenstern  (specified Senkaku as Japan in the early 19th century)

Siebold (specified Senkaku as Japan in the mid 19th century) 

Jules Verne, (specified Senkaku as Japan before Japanese annexation)

British Navy (First to land on Senkaku as European in 1845 being navigated by Ryukyu people)

"The Stieler's Hand Atlas" (drawed a national line westside of Senkaku in 1867)

"The China Sea Directory" by British Navy (specified Senkaku as Japan before Japanese annexation)

 

Regretably, these words have not appeared in the work of Professor O’Hanlon. I hope I coud have an opportunity to discuss history with him. 

 

 

.

 

先帝は、亡き皇帝。
http://senkaku.blog.jp/2019050579764957.html

といふわけで英語では Late Emperor。

Late Emperorでグーグルすると、
こんなものが。

Permit me Liang to observe: the late emperor was taken from us before he could finish his life's work, the restoration of the Han. Today, the empire is still divided in three, and our very survival is threatened.
臣亮言:先帝創業未半而中道崩殂,今天下三分,益州疲弊,此誠危急存亡之秋也。

Yet still the officials at court and the soldiers throughout the realm remain loyal to you, your majesty. Because they remember the late emperor, all of them, and they wish to repay his kindness in service to you.
然侍衛之臣不懈於内,忠志之士忘身於外者,蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。

This is the moment to extend your divine influence, to honor the memory of the late Emperor and strengthen the morale of your officers. It is not the time to listen to bad advice, or close your ears to the suggestions of loyal men.
誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣,不宜妄自菲薄,引喩失義,以塞忠諫之路也。

The emperors of the Western Han chose their courtiers wisely, and their dynasty flourished. The emperors of the Eastern Han chose poorly, and they doomed the empire to ruin.
親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頽也。

Whenever the late Emperor discussed this problem with me, he lamented the failings of Emperors Huan and Ling.
先帝在時,毎與臣論此事,未嘗不歎息痛恨於桓・靈也。

I began as a common man, farming in my fields in Nanyang, doing what I could to survive in an age of chaos. I never had any interest in making a name for myself as a noble.
臣本布衣,躬耕於南陽,苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。

The late Emperor was not a shamed to visit my cottage and seek my advice. Grateful for his regard, I responded to his appeal and threw myself into his service.
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,由是感激,遂許先帝以驅馳。

. . . Now 21 years have passed. The late Emperor always appreciated my caution and, in his final days, entrusted me with his cause.
……爾來二十有一年矣。先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。

Since that moment, I have been tormented day and night by the fear that I might let him down. That is why I crossed the Lu river at the height of summer, and entered the wastelands beyond.
受命以來,夙夜憂歎,恐托付不效,以傷先帝之明,故五月渡瀘,深入不毛。

Now the south has been subdued, and our forces are fully armed. I should lead our soldiers to conquer the northern heartland and attempt to remove the hateful traitors, restore the house of Han, and return it to the former capital.
今南方已定,兵甲已足,當奨率三軍,北定中原,庶竭駑鈍,攘除奸凶,興復漢室,還於舊都。

This is the way I mean to honor my debt to the late Emperor and fulfill my duty to you.
此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。

My only desire is to be permitted to drive out the traitors and restore the Han. If I let you down, punish my offense and report it to the spirit of the late Emperor.
願陛下托臣以討賊興複之效,不效,則治臣之罪,以告先帝之靈。

Your Majesty, consider your course of action carefully. Seek out good advice, and never forget the last words of the late Emperor. I depart now on a long expedition, and I will be forever grateful if you heed my advice. Blinded by my own tears, I know not what I write.
陛下亦宜自謀,以諮諏善道,察納雅言。深追先帝遺詔,臣不勝受恩感激。今當遠離,臨表涕零,不知所言。


諸葛孔明ドラマ



昨日、ブログで「先帝でなく前帝ですよ」と
苦言を呈した際に、納得してくれない人が
ゐるので、明治政府が編纂した『古事類苑』
のデータベースを檢索し、追記しておきました。

そこで『古事類苑』のデータベースに、
さらに「退位」を入れると、
http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/index.php
 何と索中ゼロ件。「讓位」は多數。
略字の譲位では索中しません。正字「讓位」を
入れて下さい。もしくはリンク下方の「異體字檢索」
に略字で譲位と入れて下さい。
古事類苑退位檢索結果
古事類苑讓位檢索結果

愚かな私もこれで悟りました。
前后陛下平成二十八年のお言葉。
「新聞の1面に『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。歴史の書物での中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。」
(28年10月、誕生日の文書ご回答で、陛下の譲位ご意向について)
https://www.sankeibiz.jp/compliance/news/161020/cpd1610200500003-n1.htm
https://www.sankei.com/life/news/190430/lif1904300018-n5.html

ああ前后陛下はこれを婉曲に仰せだったのだ。
讓位の意志を持つ以上は、單なる思ひつきでは
ないのだから、幾年もかけて『古事類苑』などを
參照されたであらうし、宮中職員にも確認させた
であらう。故實として「退位」は全く存在しない
といふ確信をお持ちの上で、上記のお言葉となったのだ。

宮内廳及び内閣も、同じく『古事類苑』くらゐは
確認したであらうに、何故「退位」に固執したのか。
そこには明らかに政府としての意志があった筈だ。
國民主權を貫徹するため、退位と即位との間に
政府が介入する。政府が介入せずに直接讓位する
ことは罷りならぬといふことだらう。
言はば現代版の「禁中ならびに公卿諸法度」である。

『古事類苑』帝王部・讓位(上)の劈頭に曰く、
「前帝、皇位ヨ讓リ給フヲ讓位ト云ヒ、
新帝、之ヲ受ケ給フヲ受禪ト云フ、
サレバ讓位ノ式ハ、即チ受禪ノ式ニシテ、
前帝ニ就テ言フト、新帝ニ就テ言フトノ異アルノミ」

つまり讓位の式典と受讓の式典とは別途に行なふのでなく、
一つの「讓位禮」だけしかないのが筋である。
陛下は當然これをもともと理解した上で讓位された。
このたび政府はそれをわざわざ退位禮と即位禮とに分けた。
介入して皇室を制禦する意志は明確である。

そして、前后陛下は明らかに皇位の神聖不可侵を
護るといふ意志をお持ちで、上記のお言葉となった。
さらに、最後まで兩陛下は讓位と言ひ續けられた。
つまり、兩陛下は左翼ではないのだ。右翼なのだ。
左翼であるかのやうに印象操作する朝日新聞等はウソつきである。
以上のことは、皇室研究の專門家もよくご存じだらう。
門外漢の私が小賢しくブログに書いても笑はれるだけだ。
……と思ったのだが、少し搜してみると、
上記「讓位ノ式ハ、即チ受禪ノ式」の語に論及
した人はゐないやうだ。

女系(別系)天皇は藤原朝みたいなものだから、
右翼たる陛下は全く贊同されないだらう。
皇家といふ家としても、現代の藤原氏に
家を乘っ取られるやうなつもりはさらさら無いだらう。


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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|災異譲位
[p.0552] 皇年代略記 亀山 文永十一年正月念六日、譲位於皇太子、〈◯後宇多〉 ◯按ずるに、此他清和天皇 ... は、疾病と災異とお以て御譲位ありしかば、之お疾病譲位の条に収め、土御門天皇は、災 ... 異お以て御譲位ありしかども、基実は後鳥羽上皇の意に出しものなれば、 ... 之お譲位出父祖意の条に収め、後西院天皇も、亦災異の為めに御譲 ... ありしかども、徳川氏の進奏に出でたるものなれば、之お譲位出権臣意の条に収めたり、 ...
http://ys.nichibun.ac.jp/KojiruienSearch/docs/teiobu/teio_1_0552_1.html - [similar]
帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|用途
[p.0519] [p.0520] 東寺百合古文書 相国寺領、備中国大井荘、并石蟹郷等御譲位段銭事、為直進之上者、可 ... 貞有〈判〉 守護代 相国寺領、備中国大井荘并石蟹郷等御譲位段銭之事、任六月九日御奉書旨、可被停止国催促由候也、 ... 〈在判〉 石河左近将監殿 荘右京亮殿 有岡左近将監殿 御譲位料太良荘段銭免除状案 東寺領、若狭国太郎荘御譲位段銭事 ... 藤遠州玄良〈判〉 飯尾大和元連〈判〉 武田大膳大夫殿 御譲位料太良荘段銭免除武田折紙案 東寺領、太良荘御譲位段銭事 ... 六月念日 長行〈判〉 内藤八郎殿 山中但馬守殿 山城国御譲位段銭免除状案〈寛正五、十二、念六、〉 東寺領、山城国久 ...
http://ys.nichibun.ac.jp/KojiruienSearch/docs/teiobu/teio_1_0519_0.html - [similar]
帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出権臣意
[p.0558] 日本紀略 十二三条 長和五年正月念九日甲戌、天皇於枇杷第、譲位於皇太子、〈◯後一条〉天皇春 ... 〉故事、 ◯按ずるに、小右記の文によれば、三条天皇の御譲位は権臣の意に出たる如くなれども、栄花物語等には、災異 ... と疾病とお以て御譲位ありし如く記せり、なほ災異譲位の条お参看すべし、 ...
http://ys.nichibun.ac.jp/KojiruienSearch/docs/teiobu/teio_1_0558_2.html - [similar]
帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出父祖意
[p.0555] 玉海 仁安三年二月十六日己酒、亥刻許或人告送雲、来十九日可有譲位事、〈◯六条〉於閑院可有基 ... 事雲雲、 十七日庚戌、未刻許参東宮、相合女房談譲位事等、昨日俄出来事雲々、上皇〈◯後白河〉有思召事、〈御 ... に依れば、後白河上皇将に出家せんとして、六条天皇の御譲位お急にせられしものヽ如し、 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉
[p.0455] [p.0456] 前帝、皇位よ譲り給ふお譲位と雲ひ、新帝、之お受け給ふお受禅と雲ふ、されば譲位... 徳天皇とは、御兄弟にして此礼なかりしが如き是なり、又譲位式お行ふ時は、兼日或は当日に必ず警固固関の儀あり、式 ... 開関解陣あるお例とす、」神武天皇以降二十五代の間は、譲位のことなし、継体天皇、宝祚お安閑天皇に伝へ給ひて、即 ... 日登遐あり、之お譲位の始めとす、基後九代お間てヽ、皇極天皇、位お孝徳天皇 ... 持統天皇、亦位お文武天皇に譲りたまひしより、歴朝毎に譲位受禅ありて、後には殆ど恒例の如くなるに至れり、能して ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出権臣意
[p.0558] 小右記 長和四年十月二日己卯、資平雲、主上〈◯三条〉密々被仰雲、日来左大臣〈◯藤原道長〉頻 ... 責催譲位事、大奇事也、又雲、当時宮達不可立東宮、依不可堪基器 ... 朱雀〉足為東宮者、於吾前所定如此、左右思慮何為、至今譲位事都思留了、〈◯中略〉 十一月十八日甲子、〈◯中略〉資平 ... 密語雲、今朝左府被責申御譲位事、能唯今不閑思定、可左右之由有仰事、是今朝所被仰也 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|衰老譲位
[p.0548] [p.0549] 続史愚抄 正親町 天正十四年十一月七日戊戌、天皇〈御年七十〉譲位于皇孫二品和仁親 ... 門殿、〈新主御所〉◯按ずるに、此他疾病と衰老とお以て御譲位ありしもの、光仁天皇あり、疾病譲位の条参看すべし、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|災異譲位
[p.0551] 百練抄 十三後堀河 貞永元年十月二日、於前関白〈◯藤原道家〉里第被定譲位事、依応徳〈◯白河〉 ... 中納言定家注出寛平国史、今度依可追彼例雲々、 四日、有譲位事、依彗星之変為攘也、 ...
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帝王部五|践祚上|名称
[p.0194] 雑問答考 或人問、譲位といひ践祚といふに別有やと、或人こたふ、先帝崩御のほど忌ある故に、 ... 先践祚なされ候、御在世の中に譲らせらるヽお譲位といふ、式正の時お即位と雲と、今考るに、こは後世の俗 ... 也、先譲位とは、皇太子に御代お譲らせ給ふお申し、践祚とは皇の御 ... 世おしらせ給ふお申也、かヽれば譲位の後にても、崩御の後にても、御世おしらせ給ふは践祚に ... 天皇即位、謂之践祚、祚、位也、〉雲雲と有おも見ずや、 譲位の日もやがて践祚也、即位也、かの大儀お行はるヽは、即 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出父祖意
[p.0556] 宮槐記 承久四年十一月念四日、早旦春宮宣旨送書状、可有御譲位之事雲々、悦存之由返答畢、又 ... 挙大事被謝之趣也、非任天運之儀歟、 念五日己酒、今日御譲位〈◯土御門〉也、可被渡璽剣於皇太弟〈順徳〉御在所雲雲、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出父祖意
[p.0557] 愚管抄 六 承久四年九月卅日、はヽき星とて、久しく絶たる天変の中に、第一の変と思ひたる彗星 ... 有けるに、御夢の告の有けるにやとぞ人は申ける、忽に御譲位の事お行はれて、承元四年十一月念五日に受禅〈◯順徳〉の ... 事ありけり、〈◯中略〉誠にも彗星この御譲位の事にて有ければにや、上皇の御つヽしみは、いともなく ... 会彗星の変ありしかば之お以て辞として、土御門天皇の御譲位お促し給ひしなり、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出権臣意
[p.0559] 北条九代記 十一 伏見院御即位 弘安十年十月念一日、京都には主上〈◯後宇多〉御譲位の事あり、 ... 〈◯中略〉亀山の新院も、隻今の御譲位は余に早速の御事なれば、いまだ遅からず、御残り多くお ... るべき旨、関東より奏し申せば、御心のまヽならず俄に御譲位有て、東宮熙仁〈◯伏見〉御位につかせたまふ、 ◯按ずるに ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出権臣意
[p.0564] [p.0565] 翁草 十九 新帝践祚之事此帝〈◯後西院〉即位の後、京江戸基外国々火災多し、殊に伊勢 ... 囂々たり、然ば新造の内裏へは、此帝入御に不及して、御譲位然るべからずと武家にも思召けるにや、吉良若狭守上洛し ... 帰府、基後板倉築後守、松平民部少輔相続て入洛し、明春譲位受禅、明夏御即位と議定す、明れば寛文三年正月、吉良上 ... 歳、新造の内裏へ行啓、同念四日、主上近衛殿仮御所にて譲位まし〳〵、念六日、剣璽お東宮の御方へ渡させ給ふ、 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0481] [p.0482] 玉海 仁安三年二月十九日壬子、有今日御譲位〈◯六条〉事、晨刻著束帯参東宮、〈七条 ... 御所、日来御座此所依可有譲位、今日有渡御摂政第也、〉申刻出御、公卿一両列立之間乗 ... 依応徳例可令候御車給者、因之所被参仕也、応徳堀河院御譲位日、当日早旦、渡御堀河第、京極殿候御車給例歟、余案之 ... 門辺也、如法参候御殿南庇之条、専不当事也、奇々、凡御譲位之間雑事等不見及、人々不着陣、無杯酌違例也、後聞、左 ... 、下人説有禁忌雲雲、今度宣命如常雲雲、能或人雲、幼主譲位於皇太子儀、我朝始之、幼主被仰摂政之由、如嘉承寛治等 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0486] [p.0487] [p.0488] 永徳仮名次第 御譲位次第 当日早旦に一上第にて、召仰の事あり、 職事仰て ... 曰、今日譲位の事あるべし、諸司に召仰べきよしこれお申、一上これお ... 承る、職事退下、次大外記おめして仰て曰、今日譲位あるべし、諸司に召仰べきよしこれお仰らる、外記いせう ... して退下、次弁おめして仰曰、今日譲位事あるべし、御装束お奉仕せよ、 刻限大臣以下陣座に着す ... 次職事来て、幹仁の親王〈◯後小松〉おもて皇太子として則譲位、太政大臣藤原朝臣おもて、政治お摂行せしめよ、一とし ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|雑載
[p.0579] [p.0580] 孝亮宿禰記 慶長十六年二月念三日甲午、大外記来臨、御譲位〈◯後陽成〉三月念七日之 ... 雲雲、 三月六日丙午、今日両伝奏并両局諸司等、於南殿御譲位之御道具有点揀、官方之分、南殿御帳帷依破損、今度新調 ... 、大概此分治定、 十六日丙晨、参鷹司内府殿、於彼御亭御譲位御習礼有之、俊河大御所、〈◯徳川家康〉明日御上洛之由、 ... 点揀、 念一日辛酒、鷹司殿有仰、当家之老懸令借進、是御譲位之時御用雲々、 念二日壬戌、於禁中御譲位有御習礼、予参 ... 、勅筆漏刻之様子被遊之被仰出者也、 念七日丁卯、今日御譲位当日也、内弁鷹司内大臣殿、〈左大将信尚公〉先剣璽渡御 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位初見
[p.0527] 日本書紀 二十四皇極 四年六月庚戌、譲位於軽皇子、〈◯孝徳〉立中大兄〈◯天知〉為皇太子、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|疾病譲位
[p.0545] 百練抄 四後朱雀 寛徳二年正月十六日、譲位於皇太子、〈◯後冷泉〉依自去年冬玉体不予也、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出権臣意
[p.0558] 伏見院御記 弘安十年十月念一日戊寅、今日譲位〈◯後宇多〉也、去十二日自関東依申也、 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0486] 後深心院関白記 応安四年三月念一日乙巳、是日天皇〈◯後光厳〉遷御藤中納言忠光卿柳原第、明後 ... 日可有譲位之故也、 念三日丁未、今日天皇譲位也、儲皇〈◯後円融〉 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|疾病譲位
[p.0544] 百練抄 四一条 寛弘八年六月十三日、譲位於皇太子、依御脳也、於一条院有此儀、新帝〈◯三条〉 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|疾病譲位
[p.0546] 百練抄 七二条 永万元年六月念五日、譲位於第二親王順仁、〈◯六条〉先雖可有立坊、依主上御不 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出権臣意
[p.0564] 十三朝紀聞 二後西院 寛文二年十月、大将軍〈◯徳川家綱〉使松平民部少輔、板倉築前守、入議譲位 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|日時定
[p.0458] 寛永記 乙 御譲位散状 択申御譲位日時 十月三日 甲子 時巳 同 五日 丙寅 時巳 寛永念年九月九 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0483] [p.0484] 百練抄 十後鳥羽 建久九年正月十一日己酒、譲位於第一皇子、〈◯土御門、中略〉璽剣渡 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|日時定
[p.0458] 良賢入道記 永徳二年四月十一日庚寅、今日天皇譲位于皇子、 択申御譲位日時 今月十一日庚寅 時 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位初見
[p.0527] 日本書紀 十八安閑 二十五年〈◯継体〉二月丁未、男大跡天皇〈◯継体〉立大兄〈◯安閑〉為天皇、 ... ◯按ずるに、書紀集解に、此お以て譲位の始と為す、 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0489] [p.0490] [p.0491] [p.0492] [p.0493] 禁裏政要 御譲位次第〈警固固闕之義〉兼日於大臣有召仰 ... 事、職事仰之、大臣召外記仰可有譲位〈◯後西院〉事、刀禰諸司等可催儲之由、召弁仰御装束事、 ... 剣璽可渡御行列図、 奉行職事召陰陽師、於蔵人所令勘申御譲位日時、〈先内覧、次奏聞、〉 克限大臣以下参着仗座 次令 ... 召弁仰之 次職事来仰雲、以識仁親王〈◯霊元〉為皇太子則譲位、以関白藤原朝臣令摂行於政事〈与、〉一能如忠仁公之旧 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|日時定
[p.0458] 永徳仮名次第 御譲位次第 当日、奉行職事陰陽師お蔵人所にめして、御譲位の日時お勘て奏聞、奉 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|用途
[p.0518] 東寺百合古文書 御譲位段銭配付 とうじ〈寛正、五、十二、〉 御譲位要脚段銭事、壱段別百拾参 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|立太子之日受禅
[p.0538] [p.0539] 孝亮宿禰記 慶長十六年二月二日癸酒、依使者参伝奏勧修寺大納言、被示雲、今度立太子 ... 卿等有御退出、諸司各退出、 念三日甲午、大外記来臨、御譲位三月念七日之由、内々有基催雲々、 三月念七日丁卯、今日 ...譲位当日也、内弁鷹司内大臣殿、〈左大将信尚公〉先剣璽渡御 ... 皇立太子のことは、俄に停止となりしかども、後陽成天皇譲位の日に至り、先づ皇太子に立ち、然る後受禅し給ひしなり ...
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帝王部二十二|皇太子上|皇弟為太子
[p.1347] 忠利宿禰記 寛文三年正月念六日乙未、今日被行御譲位〈◯後西院〉節会、〈◯中略〉御譲位次第、 ... 中略〉次蔵人来仰雲、以識仁親王、〈◯霊元〉為皇太子、即譲位、 ◯按ずるに、霊元天皇は、後西院天皇の御異母弟なり、 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|日時定
[p.0457] 法性寺関白記 保安四年正月念八日壬午、此日天皇〈◯鳥羽〉有譲位第一親王〈◯崇徳〉事、雅兼奉 ... 仰召陰陽頭賀茂、光平朝臣、令勘譲位日時、則持来直廬、余披見之、今月念八日壬午時雲雲、〈 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0483] 玉海 治承四年二月念一日癸卯、此日有譲位〈◯高倉〉事、〈◯中略〉発前声才否事、嘉承殿暦雲、 ... 退出之時、亦不可止之歟、凡今日止前声之条、由緒不審、譲位之儀、多即大故之時有此事、仍止前声非無謂、若慣彼例委 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|官人装束
[p.0504] [p.0505] 玉海 仁安三年二月十九日壬子、今日有御譲位〈◯六条〉事、〈◯中略〉左大将随身官人褐 ... 何可為佳才雲々、 三月四日丙寅、相公雲、〈◯中略〉去御譲位日、左右両大将、随身装束相違雲々、左府雲、依応徳之例 ... 所用也雲雲、先帝御譲位日、当摂政束帯雲々、是如右大将也、左府者褐垂袴雲雲、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|疾病譲位
[p.0547] 源平盛衰記 十二 主上鳥羽御篭居御嘆事 主上〈◯高倉〉は臣下のかく成おだにも不便の事に嘆き思 ... るに、此他三条後堀河等の天皇は、災異と疾病とお以て御譲位あり、故に之お災異譲位の条に収めたり、就て看るべし、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位便事
[p.0553] 百練抄 十二順徳 承久三年四月二日丙晨、被立三社奉幣使、宣命趣世人成不審歟、 八日壬戌、及 ... 晩洛中物匆也、重事以相定雲々、 念日甲戌、今日有御譲位事、〈◯中略〉皇太子〈懐成◯仲恭〉御閑院被渡剣璽、新摂 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0484] [p.0485] 寛元御譲位記 寛元四年正月念九日己未、今日有譲位〈◯後嵯峨〉事、予補院司、可奉行 ... 休暇、随思出粗記之、節会間事、尋大外記師光記続加之、譲位事有召仰事、頭弁宣下之、博陸〈◯藤原実経〉依兼左大臣、 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|用途
[p.0510] [p.0511] [p.0512] [p.0513] [p.0514] [p.0515] 後花園院御譲位下書注文 六月 二日 七千匹 内 ... 王渡御日御装束新調、并御潤色以下要脚、 十三日 百匹 御譲位総用之御服方 念一日 参千五百匹 内侍所織錦代 参百匹 両 ... 行幸立楽御訪 百匹 南座両日御訪 四千弐百匹 〈行幸并御譲位女官十人御訪、採女六人御訪、水司六人御訪、〉 弐千四百 ... 五拾匹 内侍所渡御供奉刀自三人御訪 千弐百匹 〈行幸并御譲位主殿官人二人、南殿両御所掌灯、平呉床四人御訪、〉 千五 ... 百匹 所衆三人御訪 弐千四百匹 〈行幸并御譲位両日分理髪二人御訪、得選三人御訪、闈司御訪、内裏仙洞 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|皇太子受禅
[p.0530] 貞享四年記 貞享四丁卯歳三月念一日、巳時御譲位とぞ聞ゆ雲々、次職事来仰雲、譲位於皇太子、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|立太子之日受禅
[p.0538] 後深心院関白記 応安四年三月念一日乙巳、是日天皇〈◯後光厳〉遷御藤中納言忠光卿柳原第、明後 ... 日可有譲位之故也、後聞、今夜行幸以後、有親王宣下事、 念三日丁未 ... 、今日天皇譲位也、儲皇〈◯後円融〉先於柳原内裏有御元服事、未刻節会始 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|疾病譲位
[p.0546] [p.0547] 玉海 治承四年二月五日丁亥、基輔自内裏退出雲、主上〈◯高倉〉聊御風気御雲雲、 十五 ... 、更以無御承引雲々、及亥刻退出了、 念一日癸卯、此日有譲位事、〈◯節略〉 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出不平
[p.0568] 十三朝紀聞 一後水尾 寛永六年十月、帝〈◯後水尾〉令伝旨於幕府曰、巽位以二女〈◯明正〉継之、 ... 不聴、 二十九日、以皇女興子為内親王、 十一月八日、帝譲位於興子内親王、詔関白兼遐摂政、 ...
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帝王部五|践祚上|択日時
[p.0195] [p.0196] [p.0197] 園太暦 観応三年七月二日癸酒、伝聞、今日〈◯中略〉持明院殿〈◯後光厳〉践 ... 、隻随女申可行者、事以慮外、太所驚嘆也者、参内令勘申譲位立皇太子日時等、道光晴明等勘申来月十六日癸巳時己申者 ... 忌者、新帝猶可令忌給歟、申雲、平城天皇、陽成天皇重日譲位、今両三帝復日譲位又有此例、不可忌給者、先為有疑慮、 ... 唯随宜可被進退者、重被啓雲、昨日従内方、以十六日可有譲位之由側有承事、定有聞食、殊有所憚、縦雖有前例至重復日 ... 左右不可申、早経奏聞者、相加外記二道勘文等〈天慶九年譲位例、并於別所譲位例等之文也、〉参内奏聞、仰雲、大相国 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|名称
[p.0457] 代始和抄 御譲位事 受禅と譲位とは、新旧の両主にわたれる名なり、脱屣(○○)といふは、くつおぬ ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0484] 玉海 建久九年正月十一日己酒、此日譲位〈◯後鳥羽〉也、〈◯中略〉於新帝土御門宮蔵人一臘重資 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|官人装束
[p.0505] [p.0506] 玉海 治承四年二月念日壬寅、余依召参御前、以応徳為房記、御譲位之間事有砂汰、依仰 ... 装束可宜歟、猶可被問人々之由答之、 念一日癸卯、此日有譲位〈◯高倉〉事、〈◯中略〉戌刻余参東宮、於殿上与春宮大夫 ... 忠親卿言談、此次有譲位之日、諸衛并随身装束事、忠親雲、仁安花山相国官人束帯 ... 帯歟、〈此条猶以不審、立太子、任大臣等、官人著褐衣、譲位之礼、同立太子等例、至随身装束、有此相違才、但己為流 ... 寿得大将左大臣例雲々、彼以同所儀也、不可似今度歟、凡譲位之日、諸衛装束、首尾錯乱、難存一偏、隻以古賢之跡可為 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出権臣意
[p.0560] [p.0561] 翁草 十九 新帝践祚之事寛永念年、女主〈◯明正〉御治世既に十三年に及ければ、御位お ... 酒井讃岐守忠勝、松平伊豆守信綱上洛、十月三日、女主御譲位有て新院へ行幸、同念一日、御弟紹仁親王〈◯後光明〉即位 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0497] 難波宗建卿記 享保念年三月念一日、皇太子〈◯桜町〉渡御于南殿、〈◯中略〉宣制、此間皇太子令 ... 候輩参別殿、今日有宜陽殿饗、今度御再興也(○○○○○○)、御譲位儀了、自新主被渡壷切御剣於院、院依為御同居、剣璽不被 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位便事
[p.0553] 神皇正統記 仲恭 承久三年春の比より、上皇〈◯後鳥羽〉おぼしめし立事ありければ、俄に譲国し ... つ御心にせさせ給はん御はかりごとにや、新主〈◯仲恭〉に譲位ありしかど、即位登壇までもなくて軍やぶれしかば、外舅 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出権臣意
[p.0560] 北条九代記 十二 後醍醐帝践祚 文保二年二月二十六日、京都には御譲位の御事あり、主上〈◯花園 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出不平
[p.0566] 時慶卿記 寛永六年十一月八日、晨刻俄に堂上各束帯にて可伺候旨被触、事の子細は不知急参内、 ... 候して退、外へ出、未刻許に節会あり、次第別に記之、御譲位〈◯後水尾〉俄也、誰も無知人、中御門大納言計にて各驚計 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0486] 後愚昧記 応安四年三月念三日、今日譲位〈◯後光厳〉也、於柳原忠光卿亭被行基儀、於城外被行譲 ... 行節会以下公事之条、可為准拠之由注進之雲々、御元服并譲位之儀、後日大外記師秀注送之何〈◯何恐仍誤〉継之、但如注 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0488] [p.0489] 寛永記 乙 御譲位散状 御譲位〈◯明正〉御殿御装束、予〈◯二条康道〉出指図、故無子細 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|参賀進献
[p.0521] [p.0522] [p.0523] [p.0524] 御昇壇記 一就御譲位〈◯東山〉御受禅、〈◯中御門〉東使畠山下総守 ... 、念五日参内院参、念九日、御暇、被叙従四位下、 一就御譲位御受禅、自六月念三日至七月三日、摂家、親王、諸家、内 ... 巻〉 三荷三種 女院、中宮、大准后、 黄金 一荷二種宛 御譲位御祝儀 従新院仙洞〈江〉 御絹〈五匹〉 白銀〈五十枚〉 ... 女院、中宮、大准后、 白銀〈二十枚〉 一荷二種宛 一就御譲位御受禅、従関東御祝儀、 従大樹公 新帝〈江〉 御大刀 白 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|疾病譲位
[p.0543] 扶桑略記 二十四醍醐 裏書、延長八年九月念二日壬午、有譲位事、左大臣貞信公在陣座、右大臣定 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|疾病譲位
[p.0544] 権記 寛弘八年五月念七日庚子、参内、為御脳消除、自今日限三日、仁王経不断経御読経被行、御 ... 読経未始之前、有召候御前、仰雲、可譲位之由一定以成、於大盤所辺、女房等有悲泣之声、驚問、兵 ... 昼御座蒙仰、以有難忍之事等、今朝左大臣参東宮、被申御譲位案内雲々、此事自昨所発也雲々、匡衡朝臣易筮曰、豊之明 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|崩後譲位
[p.0549] 日本紀略 十四後一条 長元九年四月六日甲寅、上東門院〈◯後一条母后彰子〉入内、依天皇〈◯後一 ... ◯後朱雀〉於昭陽舎依有遺詔暫秘喪事、以如在之儀、今日譲位於皇太弟、〈大床子、并小御厨子、時簡殿上御椅子等、運 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0482] [p.0483] 山槐記 治承四年二月十九日辛醜、来念一日可有御譲位、〈◯高倉、中略〉柄燭之後、時 ... 見、仍所申合也、 返答雲、長和例不覚悟、引見可申也、但譲位起楚忽事也、仍調禄無兼日之儲事也者、無砂汰可宜歟之由 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|参賀進献
[p.0521] 常憲院殿御実記 十五 貞享四年三月十四日、京にて御譲位〈霊元院〉御受禅〈東山院〉ありし賀使 ... づヽ、内侍に銀三十枚くださる、 念七日、こたび京にて御譲位御受禅ありしおほがれて、家門より使奉らる、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出権臣意
[p.0564] 続史愚抄 後西院 寛文三年正月念六日乙未、天皇〈御年念七〉譲位於儲皇二品識仁親王、〈(霊元 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0479] 小右記 長和五年正月十四日己未、昨日所作御譲位〈◯三条〉日式、大納言公任卿執筆所作、卿相加 ... 如何如、猶展一筵為基行路、可隔車馬路歟、 念二日丁卯、譲位式従大納言許被見送、先是六箇度被送、聊有一両疑、改直 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|災異譲位
[p.0550] 日本紀略 十二三条 長和三年二月九日乙醜、今夜亥刻火起登華殿、殿舎多皆以為灰燼、天皇并中宮 ... 政官松本曹司、 長和五年正月念九日甲戌、天皇於枇杷第、譲位於皇太子、〈◯後一条〉 ...
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帝王部二十三|皇太子下〈皇太子妃併入〉|雑載
[p.1397] [p.1398] [p.1399] 羽倉考 一 立太子東宮宣下 明正院後光明院後西院不可有立太子乎之事 明正院 ... の叡慮より出たる者は、皆立太子の事あり、是此時世には譲位と雲ことなくして、崩御まで御在位なる故、太子お立てざ ... まへり、故に天知天皇と互に辞巽したまひしなり、是本邦譲位の初にて、則ち太子に立てずして位お譲りたまへり、基後 ... 是も立太子の事なく、光孝一品式部卿親王にて在しに直に譲位したまへり、中世以後も、応安四年三月念一日、後円融院 ... に親王宣下ありて、同念三日後光厳院譲位したまふ、中間唯一日、本より立太子の砂汰なきこと後愚 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0485] [p.0486] 資朝卿記 文保二年二月念六日戊午、今日天皇〈◯花園〉御譲位也、予柄燭之間参土御門 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|宣命
[p.0500] [p.0501] 御昇壇記 宝永六年六月念一日、御譲位〈◯東山〉也、〈◯中略〉 御譲位宣命 現神〈度〉 ... 食〈止〉宣、 宝永六年六月念一日 ◯按ずるに、宣命は此他譲位式の中に雑出したれば、参看すべし、 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|用途
[p.0516] 蔭涼軒日録 寛正五年七月十四日、就当寺譲位〈◯後花園〉段銭三百〈◯百下恐脱貫字〉文能、今日 ... 出之由被仰出、先以為喜也、 十月念七日、播州宝雲寺領、譲位段銭京済之事、斎藤四郎右衛門伺之、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|疾病譲位
[p.0544] 日本紀略 十一一条 寛弘八年五月念二日乙未、天皇始不予、 念七日庚子、有御薬事、諸卿参入、 ... 内裏之間、竜顔厳、公卿侍臣莫不式涙、 十三日乙卯、有御譲位事、午刻宣命雲、皇太子座定賜〈へ〉居貞親王〈仁〉天日 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出不平
[p.0566] 大猶院殿御実記 十四 寛永六年十一月八日、京にて主上〈◯後水尾〉にはかに御位お女一宮〈◯明正 ... 勝お上京せしめ、丹後郡代五味金右衛門豊直とはかり、御譲位の事お砂汰せしめ、豊直はこれまで板倉周防守重宗があづ ... 東福門院と称し奉る、 十三日、天野豊前守長信参著し、御譲位の事お土井大炊頭利勝まで聞え上しに、両御所〈◯秀忠、家 ...
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帝王部二十七|外戚下|専権
[p.1613] 玉海 仁安三年二月十五日戊申、今日上皇〈〇後白河〉御下向、本聞明日之由、能俄有御下向、依 ... 羅第雲々、 十六日己酒、亥刻許或人告送雲、来十九日可有譲位事、於閑院可有基事雲雲、 十七日庚戌、未刻許参東宮、相 ... 合女房談譲位事等、昨日俄出来事雲雲、上皇有思食事、〈御出家事歟〉 ... 、依如此等事、頗急思食事歟雲雲、 十九日壬子、今日有御譲位事、〈〇六条〉 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|名称
[p.0457] 名目抄 臨時 譲位(じよう井)〈又巽位、有節会、〉 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|参賀進献
[p.0524] 有徳院殿御実記 四十一 享保二十年三月十八日、こたび御譲位〈◯中御門〉御受禅〈◯桜町〉によて ... 一荷、院に二十巻一種一荷なり、 閏三月十三日、こたび御譲位御受禅お賀せられ、日光准后に、高家前田隠岐守玄長御使 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|疾病譲位
[p.0543] [p.0544] 栄花物語 二花山 かヽるほどに年号もかはりて永観元年といふ、うへ〈◯円融〉今はいか ... におぼしめさるべし、かくて八月になりぬれば、念七日御譲位とてのヽしる、その日になりぬれば、みかどおりさせ給ぬ ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|名称
[p.0457] 名目抄 臨時 受禅(じゆぜん)〈無別儀、有譲位者則有此称矣、〉 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|警固固関
[p.0459] 北山抄 五 譲位事 前一両日、有警固固関事、〈式雲、前三日行之、〉具在別記、 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|官人装束
[p.0504] 西宮記 臨時四 天皇譲位〈◯中略〉 装束如例、諸衛将佐、着縫亦壷瑚籙靴也、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|皇太弟受禅
[p.0532] 百練抄 六崇徳 永治元年十二月七日、天皇譲位於皇太弟、〈◯近衛〉 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|皇太弟受禅
[p.0533] 執次詰所本御系譜 後西院、寛文三年正月念六日、譲位皇太弟、〈◯霊元〉 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|皇姪受禅
[p.0534] 執次詰所本御系譜 後桜町院、明和七年十一月念四日、譲位、移御于北御殿、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出権臣意
[p.0558] 皇年代略記 亀山 正元元年十一月念六日甲午、受禅、〈十一〉 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出権臣意
[p.0559] [p.0560] 北条九代記 十一 後伏見院御譲位 正安三年正月に、鎌倉よりの使節として、隠岐前司時 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出不平
[p.0565] 資勝卿記 寛永六年五月七日、女院御所御使、中御門大納言、阿野中納言、烏帽子にて被参候、基 ... 御久治おも被遊度候へども、御在位にては如何候之間、御譲位も有度由被仰候、又女一宮〈◯明正〉お、東宮御誕生まで御 ... 尋候へ共不知子細、基後二条殿参内之間、得御意候所、御譲位之由聞申候、陣へ著、公卿、光広卿、公益卿、共房卿、時 ...
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帝王部十四|太上天皇〈追尊天皇附〉
[p.0789] [p.0790] [p.0791] 太上天皇とは、譲位の天皇の尊称にして、太上皇と雲ひ、上皇と雲ふは、並に ... く国史に見えたるは、持統天皇お以て始とす、是より後、譲位は殆ど恒例の如くなりしかば、太上天皇たる君主も亦多し ... 多法皇お以て始とす、 太上天皇の号は、上に雲へる如く、譲位の後に在るものなり、然れども亦変例なきにあらず、安徳 ... 本院、中院、新院等の称お以て之お分てり、 太上天皇は、譲位の天皇の尊称なれど、天皇の御父たる親王お升せて太上天 ... に例お破りて之お掲げたり、白河上皇より以後数世の間、譲位の後、院中にて大政お聴き、院宣お以て天下に号令するこ ...
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帝王部一|帝王通載|後堀河天皇
[p.0029] 御譲位并御即位記 貞永元年十月四日、是日皇帝、〈◯後堀河〉於閑院、〈当時皇居、便宜同大内、 ...譲位於皇太子、 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|警固固関
[p.0461] 日本紀略 二朱雀 天慶九年四月十九日己卯、於宜陽殿行固三関并警固事、依明日可有天皇御譲位...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|警固固関
[p.0461] [p.0462] [p.0463] 小右記 長和五年正月念五日庚午、右大臣著陣行固関事、大納言公任卿雲、大 ... 衛府将佐参列、大臣問誰そ、次第称唯官姓名、宣雲、依御譲位事如常固衛奉〈れ、〉〈依御譲位事如常之辞可尋、大納言 ... 〉大臣以木契右片召少納言下給、主鈴相共収鈴匱、〈依御譲位不留於御所、〉今日大臣披見懐中草了、無御譲位固関之時 ... 日左相国雲、右府行固関事之間、失誤多端雲雲、一条院御譲位之固関事、右府行之、依有事忌、頗示気色、不覚基由、強 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|皇太子受禅
[p.0529] 皇年代略記 後光厳 応安四年三月念三日、譲位於皇子緒仁親王、〈◯後円融〉今日先為皇太子、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|再従兄弟受禅
[p.0534] 帝王編年記 二十七後伏見 正安三年正月念一日、天皇譲位於皇太子、〈邦治◯後二条〉 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|叔父受禅
[p.0535] 帝王編年記 二十一六条 仁安三年二月十九日壬子、譲位於叔父皇太子、〈憲仁親王◯高倉〉 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|立太子之日受禅
[p.0538] 百練抄 五白河 応徳三年十一月念六日、天皇譲位於善仁親王、〈◯堀河〉先為皇太子由載宣命、 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|用途
[p.0518] 東寺百合古文書 新見荘領家職御譲位段銭折紙事認置候、早々可被召候、恐々謹言、 十月一日 斎 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|皇太子受禅
[p.0530] 執次詰所本御系譜 光格天皇、文化十四、三、念二譲位、〈四十七◯中略〉同日被渡剣璽於土御門殿 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|皇太弟受禅
[p.0531] 日本紀略 十四後一条 長元九年四月十七日乙醜、天皇落飾崩、〈◯中略〉以如在之儀、今日譲位...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|立太子之日受禅
[p.0538] 百練抄 五鳥羽 保安四年正月念八日、天皇譲位於第一親王顕仁、〈五◯崇徳〉先為皇太子之由載宣 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|疾病譲位
[p.0542] 続日本後紀 一仁明 天長十年二月乙酒、皇帝〈◯淳和〉於淳和院譲位于皇太子、〈◯仁明〉詔曰、現 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|臨終譲位
[p.0547] 日本書紀 十八安閑 二十五年二月丁未、男大跡天皇〈◯継体〉立大兄〈◯安閑〉為天皇、即日男大跡 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0475] 日本書紀 二十五孝徳 天豊財重日足姫天皇〈◯皇極〉四年六月庚戌、〈◯中略〉天皇授(○)璽綬(○○) ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|参賀進献
[p.0520] 蔭涼軒日録 寛正五年七月念日、今晨奉報、来晨慶雲院御成之事也、今晨雖雲可有譲位〈◯後花園〉 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|参賀進献
[p.0524] [p.0525] 浚明院殿御実記 二十二 明和七年十二月三日、御譲位〈◯後桜町〉御受禅〈◯後桃園〉す ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|皇太弟受禅
[p.0532] 愚管抄 四 さてうへ〳〵の御中あしきことは、崇徳院の位におはしましけるに、鳥羽院は長実中納 ... 誠の外祖のほしさに、さたしまいらせけるに、その定にて譲位候べしと申されければ、崇徳院はさるべしとて、永治元年 ... 十二月に、御譲位ありける、保延五年八月に、東宮には立せ給にけり、基宣 ...
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よくありがちな俗説。
「共和制というのは政体の定義上、
国民主権を必須要素とするので、
近世の徳川政権はそれにあたらない。
世界史に無い近世と言う区分を日本史においているのは、
ヨーロッパでは中世において存在した封建体制が
日本では19世紀半ばまで残ったことに由来しています。」

朝日さんかな。ちょっと待って欲しい。
近世といふ區分は歐洲にも有りますから
内藤湖南が勘違ひしただけです。
近代と近世といふ似たやうな名稱にしたのは、
モダンとアーリーモダンとの近似を念頭に置いてるのでせう。

封建制が早く消滅したのはフランスなどの先進國だけであって、
イタリアドイツの封建制は明治維新前後までのこりました。
イタリアドイツは近代中央集權的統一を成し遂げてゐなかったのです。
そのため日本、ドイツ、イタリアはほぼ同時期に
統一愛國運動が勃然として起こります。
いや、世界史なんか高校教科書すら理解してない私ですけどね。

しかし德川の鎖國禁教刀狩(琉球まで含め)は
かなり中央集權にも近いもので、だからこそ廢藩置縣が
滯りなく進んだわけです(琉球を含む)。
明治維新で突然封建制から脱皮できるわけありません。

江戸時代と近代には共通性があります。
だからこそ尖閣の精確な地圖が朱印船時代に存在し得ました。
徳川慶喜は大政奉還で諸侯共和制を意圖したと
噂されるほどで、共和制の下地は日本にもありました。

なほ、明治維新以後の天皇は、「祭天の古俗」(久米)
のみならず近代國家統合へ象徴となって國民運動で
崇拜されたわけですから、その國家神道150年の歴史を
無視するのはまあ無理筋でせうね。

素直な歴史觀では、彌生古墳時代ごろに日本の
國家的統合を開始した皇室の功績は素晴らしい。
しかし素直に歴史を解さず、歐洲の圖式と較べて
遲れてゐるかのやうに言ってみたり色々と、
要するに日本をけなしたがる文化人、
心の底には凄まじい西洋崇拜が横たはってゐて、
世界史を平明な眼で觀ることができないのです。

素直に見た時、歐洲各王朝の血統が次々に
入れ替るさまは、戰國下克上のやうに怖ろしい。
そこを統合的に乘り切った日本の素晴らしさを
素直に感じることのできない人は、何なのだらうか。
そして日本の統合性は同時に競爭の弱さを伴なふのも確かです。
日本の統合性は何に由來するのか、島國、皇室、
いや、、、あとは別の機會に。

絶對王政ルイ十四世