- 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ 480 years history of Senkakus

senkaku480 石井望。長崎純心大學准教授。笹川平和財團海洋政策研究所島嶼資料センター島嶼資料調査委員。日本安全保障戰略研究所研究員。内閣官房領土室委託尖閣資料調査事業特別研究員。 御聯絡は長崎純心大學(FAX 095-849-1894) もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」  http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007 からお願ひします。 

日本政府は北京訪問したり、チャイナと通貨スワップをしたり、決して「アメポチ」ではない獨自外交をする。つまり、「アメリカが尖閣常駐をさせてくれない」といふ言ひ譯は通用しないのだ。

http://senkaku.blog.jp/2018102877993631.html

特にトランプ大統領がチャイナ包圍網に懸命になってゐる今こそ尖閣常駐の絶好機だ。しかし、、、、といふわけで米側論調の紹介を以下に。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54665
安倍政権の「中国接近」に米国で痛烈な非難の声  「トランプ大統領は安倍首相の友人ではなくなる」と威嚇

2018.11.14(水)   古森 義久  

 安倍晋三首相の最近の中国への接近に対して、米国のトランプ政権周辺から手厳しい非難の声があがった。中国の国際規則を無視する膨張に対して米国が断固たる抑止の政策をとり始めたのにもかかわらず日本が中国と融和しようとしているのは米国外交への妨害だ、とする非難である。

 その非難には、安倍政権がこのまま米国の事情を無視して中国にすり寄るならば、トランプ政権は日米貿易交渉で日本の自動車への関税制裁などの厳しい措置をとるだろう、という警告も含まれている。さらには「トランプ大統領はもう安倍首相の友人ではなくなる」という威嚇の言葉も発せられた。

安倍政権非難はトランプ政権の意向を反映か

 この安倍政権の対中政策への非難は、10月末に出た米国の保守系の政治外交雑誌『ナショナル・インタレスト』掲載の論文で表明された。論文のタイトルは「日本の中国接近はなぜ失敗なのか」である。

 論文の執筆者は、2003年から2009年まで2代目ブッシュ政権の国務省で北朝鮮人権問題担当の特使などを務め、2017年1月からのトランプ政権では国務省の政権引き継ぎ班の主要メンバーだったクリスチアン・フィトン氏(Christian Whiton)である。同氏はアジア問題にも詳しい保守系の政治や外交の専門家で、2013年には『スマート・パワー』という本を著し話題を呼んだ。現在はワシントンの研究機関「ナショナル・インタレスト・センター」の上級研究員を務める。

 そうした思想的にトランプ政権に近い研究者が、『ナショナル・インタレスト』という、これまたトランプ政権の政治スタンスに近い保守系の有力雑誌で論文を発表した。その意見は同政権の意向を少なからず反映していると見てよいだろう。
 論文の内容は安倍政権への激烈な批判であり、非難である。最大の主張をまとめると、以下のようになる。
「安倍晋三首相は、米国政府が中国の無法な膨張を抑えようと対決の姿勢を強めているときに中国に友好を求め、日米同盟やトランプ大統領に大きな害を与えている」

 さらにフィトン氏は、安倍政権の対中外交が日本にも被害をもたらし、失敗するとも予測していた。

中国の対日政策の実態は変わらない

 同論文は副題で「米国が中国の貿易問題や南シナ海での威嚇を抑え始めたときに、日本政府はなぜ中国に融和的な接近をするのか」という問いを投げかけ、安倍政権の最近の中国への接近を辛辣に批判していた。

 論文の要旨は以下のとおりである。

・安倍首相は10月下旬の訪中で、中国との絆を経済からスポーツまで広げることを宣言し、「一帯一路」関連のインフラ事業への参加を言明した。だが、この動きは同首相が友人と呼ぶトランプ大統領の対中政策への障害となる。

・ペンス副大統領の10月4日の主要演説が明示するように、米国政府は対中政策を歴史的に変革し、融和から対決へと変更した。しかしこの時期に安倍首相は日中関係を「競争から協調へ」とまさに逆行させ、中国の不公正貿易慣行を正す米国の関税制裁の効果を減じるような動きをみせた。

・トランプ政権は、同盟諸国が米国と貿易問題での協定を結びながら一方で中国との協定的な合意を結ぶことに反発する。トランプ政権は最近メキシコおよびカナダとの間で新北米自由貿易協定をまとめたが、メキシコとカナダが中国のような非市場経済国家と独自の貿易協定を結ぶことに反対している。

・日本の新たな対中政策がこのまま進み、米中貿易紛争で中国を利すことになれば、トランプ政権は日本との貿易交渉で自動車関税などの対日圧力措置をとり、防衛面でも日本の防衛費のGDP(国内総生産)1%以下という低水準への不満を表明することになるだろう。安倍首相はトランプ大統領を友人と呼べなくなる事態も起きるだろう。

・中国は最近日本への融和を図っているが、従来の対日政策の実態は変わっていない。日本が中国のその誘いに応じて中国に接近しても、日本にとっての実質的な利益はない。安倍首相も日本国内での支持を減らすことになるだろう。
 フィトン氏の論文は、以上のように米国側一般の反応という形で安倍首相を厳しく批判し、警告を表明していた。「トランプ大統領が安倍首相の友人ではなくなる」という表現に至っては威嚇だともいえる。

 同論文はそのうえで、中国が北朝鮮問題や海洋戦略で日本にとって不利な行動を続けている点も強調していた。だから中国は日本に対して抜本的に従来の政策を変えて融和や友好の姿勢をとっているわけではない、という論旨だった。

無視できない米国側の懸念

 確かに、米中と日中の両関係の現況をみる限り、米国政府は中国に対して「協調から競合や対決へ」と明確にうたうようになり、その一方で日本政府は中国に対して「競争から協調へ」と言明した。まさに正反対である。だからこの種の安倍政権批判がトランプ政権周辺から出るのはきわめて自然だといってもよい。

 ただし、米国ではやや異なる見解も存在する。中国政府の動向やトランプ政権の対中政策に詳しい米海軍大学の前教授トシ・ヨシハラ氏は「日米両政府間では、日本の対中接近についても事前にかなり協議している。フィトン氏の指摘はやや過剰かもしれない」と述べた。現在ワシントンの大手シンクタンク「戦略予算評価センター」上級研究員を務めるヨシハラ氏は、さらに「中国と日本との間には、急に融和を目指すといってもすぐには克服できない障害があまりにも数多くある」とも語った。

 しかし安倍政権は、フィトン氏の今回の論文に象徴される米国側の懸念を、決して無視も軽視もできないはずである。

 

Christian_Whiton2
  Christian Whiton.

https://nationalinterest.org/feature/why-japans-outreach-china-will-fail-34632


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關聯:
「トランプ政權が倒れたら、恐怖の21世紀、孤立無援のトランプ大統領を聲援しよう」
http://senkaku.blog.jp/2018102877993631.html

追記。北方領土二島返還方針。

まさしく反トランプ連續技を繰り出してゐる。そもそもロシアと修好する必要はない。しかも返還二島に米軍配備しないことを交換文書に書くといふ。つまり完全な日本の領土として戻るのでなく、ロシアが治外法權を持つ。日本國内に治外法權の前例となる。可哀相に孤立するトランプさん。せめて二島に即刻自衞隊配備しないと。




防彈少年團の原爆服や三月十一日水難演技に
怒ってゐる日本人らに對して鄙見。

「甘い。」

日本人は何故韓國に對してだけ怒るのか。
チャイナが文革などで行なって來た行爲の
殘虐性と規模の大きさは
現在の日本人の怒りを遙かに超越する筈だ。
私は專門外であり、調査などしたことも
ないので、確かなことを言へない。
しかし私がチャイナで目睹見聞した樣々な
社會の慘状から、容易に推測できることだ。
最近はBBCやNYタイムズも報じるやうになったから
私だって推測して良いだらう。

これまで後進國チャイナ國内の事だからと、
先進諸國はさしたる關心を持たずに
數十年を經たのが實情だ。

問題は、今チャイナからファシズムが
世界に輸出されようとしてゐる。
遺傳子操作、電子ビッグデータなどで
このままやりたい放題にさせれば、
凄まじいファシズムが21世紀世界を襲ふ。
すでにそれは少しづつ始まってゐる。

韓國の藝能人に謝罪させたからとて21世紀世界の
災難が減ぜられるわけでも何でもない。
逆に怒りの方向と程度を誤ることにより
目がそらされて逆効果になるばかりだ。

韓國に抗議するくせに、一方で一帶一路のウソを支持したり
通貨スワップを締結したり、移民協定を締結したり
北海道や對馬の土地購入を制限せずに抛置したり、
小笠原の紅珊瑚も防衞せず、自衞隊法ネガティブリストも改正
せずでは、何の意味も無いではないか。

ほんの一例。土地購入制限は諸外國でもやってゐる。
ただ「世界貿易機構などの條約に縛られて、日本だけは
制限できない」といふ説がある。これについて
國會で日本政府の答辯は「制限できない可能性がある」
といふに過ぎない。議事録に出てゐる。
「可能性」だけなのだから、まづは制限して、
その結果として世界貿易機構から制裁を受けたら、
制裁後に對應を考へれば良いではないか。
また、世界貿易機構では「安全保障に影響する場合は
制限して良い」と規定してゐると聞いた。

要するに言ひ譯ばかりで何もしないのが日本文化なのだ。
繩文一萬五千年の島國。
何もしないくせに韓國に對してだけ反應する。
21世紀チャイナファシズム世界の恐怖を分かってゐないのだらう。

勿論、防彈少年團やら徴用工やら、それぞれに
可能な限り嚴しく對應すれば良い。まづそれを
政府などがやるのは當り前で、
そんなことに氣を取られてゐる場合ではないのだ。
政府がいつも弱腰だから逆に反韓感情が高まる。

竹島だって、十九世紀末まで韓國に一つも
竹島史料そのものが存在せず、
(勿論、于山島も石島も、今の竹島ではない)
ただ日本側の近代的編入に多少の瑕疵があったかの
やうに揚げ足を取ってゐるだけだから、
何の遠慮もせず明日にでも武力防衞すれば良い。
憲法で防衞權が制限されてないのだから即刻可能。
最新兵器全種投入で、軍事的にも即刻完勝は間違ひない。

しかし竹島はただの二國間の僻島に過ぎず、
一方の尖閣は歴史的に日本から海のシルクロードへの
入口であり、現在でも臺灣や沖繩の安全の要である。
歴史的チャイナ包圍網の要石(かなめいし)である。
竹島よりも前に尖閣に部隊常駐を優先すべきだ。
竹島でばかりわあわあ騷いで抗議するのは無駄だ。

囘りくどい言ひ方になったが、上記のさまざまな課題の中で、
最大の課題が尖閣500年史の眞相を明らかにすることだ。
單なる無人島ではない。チャイナ包圍網の歴史が
數百年間あるのだ。尖閣の歴史の露出度を下げて、
韓國の露出度を上げて差し上げるのは本末顛倒である。
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製紙術がアレクサンドリアから東漸した可能性
が高いことを平成30年11月9日に書いたが、
素人としてパピルスを語るならば、併せて
羊皮紙について勉強した情報を附記せねばならない。

羊皮紙工房 「羊皮紙の歴史」  

ヘロドトス『歴史』には一般に獸皮に書記してゐたことを述べる。
それを加工羊皮紙(Parchment)として普及させた都市ペルガモンは
紀元前三世紀から繁榮した。羊皮紙の普及はこれ以後である。
ペルガモンは今のトルコ西部。

獸皮書記については張騫も記録してゐる。
前囘述べた張騫の到達地、大宛・康居・大月氏
については、『史記』大宛列傳に書かれてゐるが、
大月氏につづいて安息國(パルティア)を記述する。曰く、
「安息在大月氏西可數千里。……以銀為錢、
錢如其王面、王死輒更錢、效王面焉。
畫革旁行、以為書記。」
「安息は大月氏の西、數千里ばかりに在り。
……銀を以て錢となし、錢、その王の面の如し、
王死すれば輒ち錢を更(あらた)め、王が面に
效(なら)ふ。革を畫して旁行し、以て書記をなす。」
と。
ヘレニズム諸國で銀貨に國王頭像を刻んだのみならず、
さらにパルティアで獸皮に書記してゐたことを張騫は傳聞してゐた。
年代から見れば單なる獸皮でなく、ペルガモンの羊皮紙が
パルティアまで普及してゐた状況を指すだらう。
この書き方からすれば、張騫は康居及び大月氏で
羊皮紙を傳聞しながらも、目睹しなかった可能性が高い。

關聯書を讀むと、羊皮紙はパピルスよりも高級品
だと書いてあったり、逆だと書いてあったり、
一定しない。かなり慎重に評價せねばならない。
しかし羊皮紙がパピルスよりも丈夫であるのは確かだ。
パピルスは數千年の傳統的材料であるが、
新興の羊皮紙は保存用に優れてゐた。

新興の羊皮紙の存在する地では、
傳統のパピルスも早くから普及してゐただらう。
新たな羊皮紙が珍奇だからこそ張騫は記録した。
康居に近いアイハヌム(オクサス)でも羊皮紙が
出土してゐる。張騫よりも早い年代らしい。
されば張騫は新しい羊皮紙を目睹しなかったとしても
傳統的パピルスを目睹した可能性は高い。

ただ、パピルスは漢の竹簡に較べて質的に粗惡で、
さほど注目に値ひすると思はなかっただらう。
だからこそ、後漢に至ってやっと改良パピルス即ち「紙」が普及した。
また張騫よりも前に、パピルスが既に漢の西域に
普及してゐて、珍奇と思はなかっただらう。
要するに、羊皮紙を知った張騫がパピルスを知らなかったとは考へにくい。

このあたり、ヘレニズムがチャイナに東漸した歴史について
最も多く論文を書いてゐるのが南開大學の楊巨平氏である。
楊巨平氏は羊皮紙の東漸に論及し、さらに張騫が
アイハヌム(オクサス)を經由しただらうと推測するが、
惜しいところでパピルス東漸の可能性についてまでは
論及せず、張騫の時代にチャイナは竹簡だけだったとする。

アイハヌム(オクサス)はバクトリアからインド及びチャイナへ
向かふ交通の要衝に位置し、チャイナ貿易を目的とする都市だったと、
ウィキペディアに書いてある。誰の説か分からないが、
誰でもそれは推測できることだ。
そのやうな位置のアレキサンドリア・オクサスのパピルスが
チャイナに東傳しなかったと考へる方が難しい。

參考:
篇名「Hellenistic Information in China」October 3, 2014  楊巨平   
誌名『CHS Research Bulletin』A publication of the Center for Hellenic Studies
Posted by Juping Yang under Art/Archaeology, E-journal, History, Research Symposium   
2§38 About the style of writing and material for it in Anxi, Zhang Qian says that people there wrote horizontally from left to right on sheets of leather (畫革旁行,以為書記). Leather paper indicates the parchment produced in Pergamum, another Hellenistic kingdom. At the site of Ai Khanoum, French archaeologists discovered the remains of a sheet of parchment on which a Greek poem had been written. At other places in Bactria, a few Greek parchments containing a tax receipt and records of payments were discovered.[73] This makes it certain that indeed parchment was known in Daxia when Zhang Qian stayed there. Most probably, Zhang Qian saw such parchment as well as the Greek texts on it. This must have caught his attention, because the Chinese still used bamboo slips for writing and wrote vertically from the top down.
2§38。關於「安息國」的書寫法和材料,張騫說彼地「畫革旁行,以為書記」。「革」是指另一希臘化王國「別迦摩」(帕加馬, Pergamum)生産的羊皮紙(parchment)。法國考古學家在艾哈努姆(Ai-khanoum)遺址發現了一張羊皮紙的遺物,上寫一首希臘詩。在巴克特里亞境内其他地方,發現了一些含有稅收收據和付款記錄的希臘羊皮紙。可知張騫到達大夏時,羊皮紙確實為人所知。 最有可能的是,張騫看到了這樣的羊皮紙和希臘文。 這一定引起了他的注意,因為China人仍用竹簡,並上下竪寫。


楊巨平「亞歴山大東征與絲綢之路開通」
載『歴史研究』2007-04。又『中外關係論叢』11輯。


「遠東希臘化文明的文化遺産及其歴史定位」
《歴史研究》2016年第5期。
論及張騫與牛皮紙(羊皮紙)相涉,未論及莎草紙(papyrus)。



楊巨平「哈努姆遺址與希臘化時期東西方諸文明的互動」。
『西域研究』2007年第一期。
哈努姆 Ai-khanoum 未論及莎草紙(papyrus)。
https://www.1xuezhe.exuezhe.com/Qk/art/351435



Pergamonの神殿wikipedia
  ペルガモンのトラヤヌス神殿の遺跡。ウィキペディア。




「シルクロードは、チャイナの絹の先進性に歐洲人が驚いた道だ」
そんな俗説を高校の授業で聞かされた人は多い。
しかし基本的にシルクロードは西方の文明を
チャイナ日本に齎した道であって、逆方向は量的に
極めて少ない。絹と磁器と改良パピルスだけしかない。
東から西へといふ一帶一路は大嘘である。

しかもその絹にしても、絶對的に東方が良質だったわけではない。
『三國志』に引く「魏略・西戎傳・大秦國」に曰く、
「有織成細布、言用水羊毳、名曰海西布。
亦用木皮或野繭絲作、
織成氍毹・毾㲪・罽帳之屬皆好、
其色又鮮於海東諸國所作也。」
(細布を織成する有り、水羊の毳を用ゐると言ひ、
名を海西布と曰ふ。亦た木皮或は野繭絲を用ゐて作り、
氍毹(くしゅ)・毾㲪(たふとう)・罽帳の屬を織成すること皆なよし、
その色また海東諸國の作る所よりも鮮やかなり)

この「海西布」は毛織物が基本だが、
「野繭絲」(やけんし)即ち野生のまゆの絹絲でも作られてゐた。
毾㲪は、ウィキペディアによれば波斯古語「taaftan」(縒り絲)ださうだ。
海東・海西の海とは、勿論東支那海ではなく、西アジアの何らかの海である。

注目すべきは、色が東方諸國よりも鮮やかだったのである。
東洋は、波斯大帝國に負けてゐた。その出土實例が、
ウルムチ博物館に藏せられてゐる。漢代の馬人と武士像。
パキスタンに近いホータン(于闐、うでん)の現洛浦縣の出土。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/archive/0/0b/20121220220040%21UrumqiWarrior.jpg
UrumqiWarrior2

UrumqiWarrior
ホータン人頭馬身と武人

http://www.sohu.com/a/211879143_100013415
http://news.sina.com.cn/c/2017-12-02/doc-ifyphtze3491653.shtml
上半の人首馬身ケンタウロスはただの裝飾だが、
下半の武士(兵士、戰士、武人)像の鮮やかさ。
深目高鼻、實に驚くべき高水準である。
ガンダーラ佛像に髣髴たる寫實性で、
漢魏にこの水準の美術は存在しなかった。
まさしく「海東諸國の作る所よりも鮮やかなり」。
東洋人は驚倒しただらう。
これより遙かに古いツタンカーメン黄金面具は、
かかる高度な文明ゆゑに出現した。
とてもとても、チャイナの希冀し得る水準ではなかったのだ。

ついでながら、漢文古書の西域傳に頻出する
「烏弋山離」(アレクサンドリア)の漢字音について。
烏は古音「あ」である。嗚呼(a ha、ああ、今音をこ)からも分かる。
烏の鳴き聲を模する。古音「あ」から「を」に轉じたので、
新たに鴉(あ)といふ字が生まれた。

「弋」(よく)は遊弋で馴染みだ。
式と同源の音であり、古音はrik乃至dik。
所謂三十字母の喩母字である。d,r,yと變化した。
喩母の羊・陽・姚・驛などが詳・場・兆・擇などと諧聲
であることからも分かる通り、舌音・齒音のs,z,t等に轉じ易い。

よって烏弋山離は「a rik san li」(アレクサンドリア)である。
略して烏弋國。
「那先比丘經」(ミリンダ王の問ひ)では「阿荔散」(あれいさん)に作る。




アレクサンダー大王の東征により、ペルシア帝國、
バクトリア王國、北インドに、ヘレニズム文化が傳播した。
アレクサンドリア(烏弋山離 a dik san li)と呼ばれた諸國の最東は、
Alexandria Oxiana、即ちラテン名Oxus(英語オクサス)。
今のアイハヌムといふ場所で出土した遺跡が
古代のアレクサンドリア・オクサスだとされる。
https://kotobank.jp/word/-822604
このアイハヌムから希臘語のパピルスが出土した。
紀元前三世紀半ばの遺物とされる。
まさしく秦の始皇帝時代である。

「アイハヌム遺跡のギリシア語史料について」
    田中 穂積        人文論究 48(4), pp.41-53, 1999-02。関西学院大学。

オクサスの地はウイグルの中華人民共和國殖民地線まで
300kmの距離、カシュガルまで400kmの距離。

オクサスのパピルスから約百年後の紀元前二世紀、
前漢の張騫が大宛から康居を經て大月氏(バクトリア)に
到達した。バクトリア領域内に、かの乾陀羅、ガンダーラが有る。
康居は、ほぼオクサス附近である。
さらに約百年後の紀元前一世紀、ウイグルのロプノールで
最古級の紙が出土してゐる。

「紙の発生から普及まで」 (14)
    伊藤通弘   「紙パ技協誌」 50(10), pp.1445-1445, 1996年。

アレクサンドリア長安ロプノール

オクサスからロプノールまで約1500kmm。
ロプノールから漢の首都長安まで約2200km。
ロプノール紙は、地理的距離としては漢よりも
アレクサンドリアに近いのである。そもそも、
ロプノール紙は紙なのか。パピルスではないのか。

前漢で出土する粗製紙を紙だと定義すれば、
パピルスも紙となってしまひ、人類最古の紙はどちら
なのか、困ったことになった。と、江曉原氏が言ってゐる。
江曉原氏は、上海交通大學教授、科學史家である。

オクサスのパピルスには、希臘哲學イデア問答が
書かれてゐる。イデア問答といへば、まさしく
張騫の同時代、グレコ・バクトリア王國の
「ミリンダ王の問ひ」(那先比丘經)ではないか。
那先比丘經は授業で取り上げたりしてゐる。
ミリンダ王コイン

張騫は西方で樣々な文化を入手して漢に持ち歸った
ことで知られる。大宛汗血馬、葡萄、苜蓿、などなど。
ロプノール紙の時代はガンダーラ美術の時代である。
大月氏のガンダーラは、オクサスの南方約300kmだ。
その百年前の張騫の到達した大月氏にも、
當然パピルスが有ったこと間違ひない。無い筈がない。
パピルスを見た張騫が、珍奇に驚かぬ筈が無い。

前漢時代の現存最古の紙は、甘肅・ウイグル・敦煌・陝西など
全て現チャイナ統治域の西部から出土してゐる。
紙の技術がシルクロードを通じてチャイナに
持ち込まれたことはほぼ確實であらう。
シルクロード

以上のやうな時間空間の大勢から見れば、
後漢の製紙術は、パピルスの影響下で改良したものと
考へねばならない。この程度のことは、私がこのブログ
に書く以前に、きっと數十年前に史家が書いてゐるに違ひない。
伊藤通弘氏も「紙とシルクロード」といふ一節を設けて
少々論及してゐる。

「紙の発生から普及まで」 (15)(16)
    伊藤通弘    「紙パ技協誌」 50(11),50(12),1996年。

なほ、シルクロードは乾燥してゐるから紙が保存された
と、研究者は言ひわけしてゐるが(リンクは一例)、
同じく腐り易い帛書(はくしょ)が湖南省で大量に
出土してゐる。戰國の楚國から多く出るが、
特に前漢の馬王堆(ばわうたい)は耳にした人も多い。
湖南省は地質が腐敗しにくいとされる。
木簡も湖南省から多く出土する。
されば湖南省で出土しない前漢の紙が
陝西・南モンゴル・甘肅・敦煌から出土するのは
西のパピルス文明の東漸と考へざるを得ない。

ラテン語のPapyrusはそのまま英語のPaperであり、
名稱が變はってゐない。新たな名稱が生まれるほどの
革命的進歩があったわけではないことが分かる。
パピルスの悠久の歴史の中のひとこまが、紙であるに過ぎない。

發明といふならば、最大の筆記革命はパピルス製造法の發明だらう。
それ以前は粘土板、牛骨、金石、木簡、竹簡、布などが
書寫媒體であった。そこから全く異なる概念に飛躍したのが
パピルスであり、紙はその影響下の改良の一種に過ぎない。

東洋は教へを受ける側であった。
漢乃至更に古くから、所謂シルクロードは西の文明を東に運んだ。
漢の時代、既にチャイナは西方大文明の
影響下の小文明に過ぎなかった。

「一帶一路」の政治宣傳では、
あたかも東風が西風を壓倒してゐたかの如き
https://www.bbc.com/zhongwen/trad/chinese-news-41164655
逆方向の嘘の歴史を唱へてゐる。
チャイナ四大(しだい)發明の一つが紙だと
いふのは眞っ赤な嘘である。

古代の文物は、どこが起源なのか分からないものが多い。
分からない場合にそれをチャイナ獨自の文化だと
宣傳するのが彼らの勝手な理屈だ。
しかし例へば兵馬俑の馬車はあまりにも希臘に似てをり、
西方文明の影響を濃厚に感じさせる。
漢代の製紙術も、西方のパピルスから改良された。
さればチャイナ獨自の發明なるものが、どれほど有るものか。
ジョセフ・ニーダム如きの妄言を易々と信じてはいけない。

關聯:二千年前の葡萄酒發見の報導。



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平成30年11月11日追記
その後、近年の論文を英語日本語チャイナ語で搜してみると、
どうもパピルスがアレクサンドリアから東傳した説を
創始した人は見つからない。どうやら私の創説かも知れない。
近い内に何らかの媒體に寄稿することにしよう。

參考:
「論紙莎草紙的興衰及其歷史影響」(未論及東漸)
《史学集刊》2005年03期  孫宝國, 郭丹彤
http://xuewen.cnki.net/CJFD-SHXZ200503016.html
http://bbs.mountblade.com.cn/thread-287469-1-1.html

「紙の傳播と使用をめぐる諸問題」清水和裕
2012-03-09 「史淵」巻149  pp.79-97 (未論及東漸)
http://hdl.handle.net/2324/24705

楊巨平「哈努姆遺址與希臘化時期東西方諸文明的互動」。
『西域研究』2007年第一期。
https://www.1xuezhe.exuezhe.com/Qk/art/351435


 【词条】:西方造纸术--靳贻婷  10300130125 (2012-06-16 23:03:00)
-莎草纸&造纸术之辩
用国内的搜索引擎搜索“西方造纸术”,清一色的出来的基本都是中国造纸术及西传。搜索在文献资料库,也都是关于中国造纸术的,
通常说的造纸术,应包含打浆、抄纸、脱水等几个步骤。从化学上而言,打浆是拆开纤维素分子之间原先的氢键链接,然后通过抄纸和脱水形成新的氢键链接。无论具体技术如何,满足了这几个条件的,才是真正意义的造纸术。

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葡萄の美酒、夜光の杯。飲まんと欲すれば琵琶、馬上に催す。

古來、葡萄も琵琶も、西の文明が東漸した象徴の一つである。
漢の張騫は西方へ出使し、樣々な文明を學んだ。
東洋は教へを受ける側であった。
漢乃至更に古くから、所謂シルクロードは西の文明を東に運んだ。
「一帶一路」の政治宣傳では、
あたかも東風が西風を壓倒してゐたかの如き
https://www.bbc.com/zhongwen/trad/chinese-news-41164655
逆方向の嘘の歴史を唱へてゐる。

今、葡萄酒の出土により、その嘘がまた一つあばかれた。
漢の時代、既にチャイナは西方大文明の
影響下の小文明に過ぎなかったことが、
今度の葡萄酒の發見からも分かる(下方にニュース轉載)。
勿論、葡萄は西の植物であり、葡萄紋、葡萄栽培術、葡萄酒釀造、
など全て西の文化である。

古代の文物は、どこが起源なのか分からないものが多い。
分からない場合にそれをチャイナ獨自の文化だと
宣傳するのが彼らの勝手な理屈だ。
しかし例へば兵馬俑の馬車はあまりにも希臘に似てをり、
西方文明の影響を濃厚に感じさせる。
葡萄酒の出土により、漢代の紙の製造も
西方のパピルスから改良されたと推測するのが
ますます確實性を帶びる。

チャイナ四大(しだい)發明の一つが紙だといふのは眞っ赤な嘘である。
前漢時代の現存最古の紙は、甘肅・ウイグル・陝西など
全て現チャイナ統治域の西部から出土してゐる。
紙の技術がシルクロードを通じてチャイナに
持ち込まれたことはほぼ確實であらう。紙の詳細リンク。

ラテン語のPapyrusはそのまま英語のPaperであり、
名稱が變はってゐない。新たな名稱が生まれるほどの
革命的進歩があったわけではないことが分かる。
パピルスの悠久の歴史の中のひとこまが、紙であるに過ぎない。

發明といふならば、最大の筆記革命はパピルス製造法の發明だらう。
それ以前は粘土板、牛骨、金石、木簡、竹簡、布などが
書寫媒體であった。そこから全く異なる概念に飛躍したのが
パピルスであり、紙はその影響下の改良の一種に過ぎない。


『史記』大宛列傳。張騫のもたらした葡萄栽培術。
「宛左右以蒲陶為酒、富人藏酒至萬餘石、久者數十歳不敗。
俗嗜酒、馬嗜苜蓿、漢使取其實來。
於是天子始種苜蓿・蒲陶肥饒地。
及天馬多、外國使來衆、則離宮別觀旁、盡種蒲萄・苜蓿極望。
自大宛以西至安息、國雖頗異言、然大同、俗相知言。」
宛の左右(東西)に蒲陶を以て酒と為す、富人の酒を藏すること
萬餘石に至り、久しきは數十歳も敗れず。
俗に酒を嗜み、馬は苜蓿を嗜む、漢使、其の實を取りて來たる。
ここに於て天子始めて苜蓿・蒲陶を肥饒の地に種(う)う。
天馬の多かりて、外國使の來ること衆きに及びて、
則ち離宮別觀の旁ら、盡く蒲萄・苜蓿を種うること望を極む。
大宛より以西、安息に至るまで、國頗る異言と雖も、
然れども大同なり、俗相ひ言を知る。

 「俗相知言」とはヘレニズムの地で希臘語が通用したことを指す。
葡萄の栽培がヘレニズムから漢土に齎されたことがよく分かる。
ヘレニズム地域の人々が酒を嗜むので、漢を訪れる外國使節が増加すると
漢の宮廷周邊で葡萄を栽培した、といふ文意である。
使節を葡萄酒でもてなすために栽培法を學んだのである。
今の日本政府が高貴な外國使節をフランス料理でもてなすのと同じだ。
國際標準を受容した、大文明の下の小文明となった、に外ならない。

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真のビンテージ? 中国で2000年前のワイン見つかる
2018年11月7日 17:30 発信地:北京/中国 [ 中国 中国・台湾 ]
http://www.afpbb.com/articles/-/3196552
【11月7日 AFP】中国・河南(Henan)省で、およそ2000年前のものとみられるワインが入った青銅製のつぼが発掘された。つぼは封がされた状態で墓に埋められていた。
 国営新華社(Xinhua)通信の報道によると、つぼに入っていた約3.5リットルの黄色がかった液体を注ぐと中国ワインの強烈な香りがしたという。
 どのように封をして蒸発を防いでいたのかについては詳しく報じられていないものの、ワインは前漢時代(紀元前202~西暦8年)のものとみられている。
 新華社によると、中国ではコメやモロコシといった原料から造られた前漢時代の酒が他にも見つかっている。酒は精巧な青銅製の入れ物に保存され、儀式などにおいて大きな役割を果たしていたという。
 また有名な兵馬俑(へいばよう、Terracotta Warriors)がある西安(Xian)では2010年、空港の拡張工事に伴う墓の発掘で2400年前のスープが入ったつぼが見つかっている。(c)AFP

漢代葡萄酒



昔、T・K生著、「韓國からの通信」といふ岩波本があった。
中學の社會科の教師から讀めと言はれたが、
少しめくってみただけで、讀まなかった。
岩波『世界』を讀む生意氣な同級生もゐた。

そんなことよりも、對馬の現在について、
知人から貴重な最新の現地通信を得た。
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「對馬からの通信」T・K生  
 文在寅氏は、大韓民国という国家に出生の正統性はなく、北朝鮮にこそ国家誕生の正統性があり、金氏主導の統一国家、高麗連邦共和国の樹立が彼の究極の政治目標ですので今、パシリ役で、手を打ち急いでいます。
 半島での、7500万の人口を有する核保有専制国家の出現で、21世紀の中共冊封体制が確立することになり、威嚇するだけで簡単に平伏する対岸の無脊椎の軟体商人国家日本は、富も蓄え男も女も簡単に手玉に取れるので、垂涎の的でしょう。
 その前ぶれが、対馬で現実化しています。対馬の人口3万人に相当する韓国人が毎月来島しており、スーパー、展望所、観光スポット等で、塊で行動するものですから色々と身構えることしきりです。車両通行の交通法規が真逆にも関らず国際免許という免罪符で運転も行い、事故があるため、われわれも運転を用心しています。李承晩時代以来の反日教育で反日愛国無罪思想は、韓国人には通底しており筋金入ですので、意識の中で普段から警戒しています。
 我が家も昔ながら開放的な敷地と家屋ですが最近はさすがに自宅にも倉庫にも鍵をかけ戸締りも厳重にしています。
 報道のように、家屋など上物(うわもの)はさておき、国家の基盤となる土地も売買されて韓国資本に蚕食されており、米国などと違って、日本には土地自体を外国人には買収させないという法律がないという現状に危機感がひとしおです。対馬、北海道、沖縄などの例を見るにつけても、早急に安全保障上の国土防衛の観点から、為政者は覚醒し、今の緩い土地取引の規制強化にぜひとも取り組んで欲しいものです。更に出入国の管理も強化し、対馬でのノービザの現状を早く改めてもらわねばと切歯扼腕しています。38度線の消失と国境の南下は、対馬最前線化と言う歴史の逆転に直面することにもなりこれから先が思いやられます。
 対馬は、かつて白村江での敗北後、894年は2500人の新羅の来寇があり撃退しましたが、1019年には女真族の刀伊に入寇され、1274年の文永、1281年の弘安の役で主力の高麗人に蹂躙され、そのあと14世紀宗経茂、宗頼次、宗澄茂、宗頼茂の治世には国防を固めましたが、1419年の応永の外冦と続きました。
 そのような歴史のもと、対馬に住むものにとっては朝鮮半島の趨勢には、より敏感になります。元来、日本は東アジア情勢、特に朝鮮半島情勢などには古来から翻弄されるのは宿命ですが、昨今の大変動を予感させる動きには、米国に国防を依拠している半人前国家のわが国の行く末に不穏なものを感じています。
 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という憲法前文の前提の崩壊を座視し続けることは、国家の存亡の危機に直結することになると言っても過言ではないと思います。
 戦後73年、ぬるま湯に浸った気持ちのよい太平の眠りから覚めなければ、目覚めた時には異民族に母屋ごと乗っ取られて大和民族による日本の放擲はついに現実のものになり、傷つかず残ったものは日本国憲法だけだったというのでは笑い話にもなりません。

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關聯報導:
2018.11.01「対馬、島全体を韓国人が買い占め始めている…日本人の島民を雇う韓国人経営の店も」

對馬韓國


臺灣《民報》【專文】
「六都選在即,釣魚台不屬台灣,政治學會能接受麼?ーー釣魚台附屬於台灣說反證」
石井望(長崎純心大學副教授,兼任內閣官房領土室委託調查事業特約研究員) 2018-11-04 23:25

今年(2018年)11月10日至11日,恰值六都選舉前二周,台灣政治學會年度研討會將在淡江大學宜蘭校區舉行。本年度該會徴稿,規定6月15日截稿,7月6日公布審覈結果。。

我提前兩天,於6月13日按規寄出摘要,專門揭露釣魚台假歷史。到7月6日,該會如期以電子信通知我:「業經評審小組審覈,決議為同意接受。」我不勝驚喜,佩服台灣人勇於聽取逆耳之言。不過凡是學會組織審議過程必然大公無私,不受理才怪。

我在忙中未及即時回覆。不料到了7月11日,忽然又接到另一信,通知日前是疏忽中誤發電子信,準確結果是不接受,理由是「經費與場次等限制」。好傢伙,有趣吧?成議居然可以收回,難免令人猜測事出有因。雖不可能是考慮六都選情,但退一百步講,即便誤發是真,還會牽涉那麼大經費?大校園不能增一場次,以保名聲?這是該會權限中事,我不可能干涉,遂按捺心中疑惑,客氣回覆:「非常遺憾,日後如有場次空缺,敬請惠告。」

我失去機會,他失去信譽,山人各掃門前雪,兩不相干。可是他那裏有權決定,我這裏有權公開。現在把我6月份投遞的摘要公開在此,原封不動。

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標題:釣魚台附屬於台灣說反證

摘要:中華民國政府執議釣魚台附屬於台灣,其說以史料三類為本。第一類,西元1556年鄭舜功《日本一鑑》〈萬里長歌〉自註「釣魚嶼,小東小嶼也。」近人以為小東乃台灣島,釣魚嶼隨之亦屬台灣島附近小嶼。不知〈萬里長歌〉原句自福州至釣魚嶼為上聯,黄麻嶼至琉球為下聯,釣魚嶼屬台灣北方三嶼之一,非尖閣也。下聯黄麻嶼方為尖閣,附屬於琉球。此適與中華民國執議相反。自後《籌海圖編》、《洋防輯要》及歷代使琉球錄等,誤認台灣北方三嶼為釣魚台者約略居半。所以誤者,以釣魚台航路自西徂東,西福東琉,海舶徑渡北側大陸礁層中,往往無與於南側台灣島。其入圖說之中,雖或與台灣島共列,而前次後序及平面居位並難釐定。

第二類,1722年《台海使槎錄》有「山後大洋,北有嶼,名釣魚台」一語。中華民國執議此即尖閣釣魚台,顧自1914年總督府《蕃族調查報告書》及1928年伊能氏《台灣文化志》以下,通論以為釣魚台即台東縣三仙台,1970年官修《台灣省通志》亦率然定為台東縣屬地。後至1974年吳幅員氏始作俑,以為《台海使槎錄》所指乃尖閣釣魚台。

申報所指「台灣東北邊小島」 是宮古群島?或釣魚台?

第三類,1885年九月,上海《申報》一則〈台島警信〉承述上海英人《文匯報》消息,言台灣東北小島有日本人插國旗,須存疑戒。目前中華民國執議此亦釣魚台。日本明治政府畏懼清國輿論,姑緩收歸釣魚台十年。惜《文匯報》是年原紙已佚,莫覈實焉。近年國吉真菰氏覓得是年大阪朝日新聞亦引述《文匯報》此消息,文中點明台灣東北小島為八重山群島。余亦覓得英吉利《衛報》引述此消息,其言八重山同。可知清國、英國皆未論及釣魚台其地,唯明治政府獨憂釣魚台或惹八重山歸屬舊議,可謂杞人憂天。除三類外,凡台灣島方志中,向不見有載及釣魚台。

吾人須前提於此:馬關條約只可割讓清國屬土畀日本,無以割讓境外寸土。清國台灣府僅北至雞籠山為界,東至三貂角為界,條約不得轄及境外釣魚台。自法理及地理言之,釣魚台皆不屬於台灣。
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這三類史料須寫成一大篇論文,不可能在新聞傳媒上收錄。現在專取第三類《申報》,僅將相關大端詮釋如下。………(以下見民報網頁)

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英國《衛報》(Manchester Guardian)西元1885年10月31日第7版。 大英圖書館藏。圖/石井望提供












北京で通貨スワップを決め、一帶一路を支持するなど、これまでの方向性が顯在化したが、それに續いて大量移民受容もほぼ決まった。同じくこれまでの方向性を大きく明確化したものである。これは繩文以來の日本史一萬五千年の大きな節目になる。今後の日本は全く異なる國となってゆく。しかもこの政策を大部分の日本人が消極的に支持してゐる。私も政府に協力する立場上、支持せざるを得ない。もう止められない。ファシズムの21世紀の中で、次の世代が奮鬪するやう祈るしかない。

香港  報道の自由に危機感 ビザ更新拒否で自粛ムード 
毎日新聞2018年11月4日 23時27分(最終更新 11月5日 00時41分)

中国から追放のドイツ人学生、台湾支持表明 中国のドイツ紙批判受け
臺灣中央通訊社【政治】  2018-10-30  19:27

そこで今日、我が家の三子女に教訓二則を宣告した。

第一、十五年以内に我が家は無くなる。父母は十五年後までに引退し、
子供らには全員出て行ってもらふ。
その時、日本にも長崎にも既にチャイナ・ファシズムが滲透してゐるだらう。
長崎にも日本にも汝らの安住の地は無い。
出て行け、そして自力で活きぬきなさい。
そのための準備が十五年間ある。しっかり己れを磨礪せよ。

第二、汝らは日本人である。
日本人である以上、立派な日本人になる責任がある。
精神的奴隷のやうな卑しい日本人、
やくざのやうな日本人になってはならない。
この點だけは宿命的決定事項であり、自由は無い。
チャイナ・ファシズムの下で鬪ひ、不撓不屈、日本を存續せしめよ。
汝らの次の世代を少しでも多く、立派に育てるべく務めよ。

以上である。子らの反應は、
「そんな變なこと言ふのはお父さんだけだ」「學校の先生はそんなこと言はない。」
そして泣いて、逃げた。
そのうち分かる時が來るのかどうか、心配だ。
チャイナに追放されたドイツ人
  ▲チャイナから追放されたドイツ學生