- 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ 480 years history of Senkakus

senkaku480 石井望。長崎純心大學准教授。笹川平和財團海洋政策研究所島嶼資料センター島嶼資料調査委員。日本安全保障戰略研究所研究員。内閣官房領土室委託尖閣資料調査事業特別研究員。 御聯絡は長崎純心大學(FAX 095-849-1894) もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」  http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007 からお願ひします。 

『籌海圖編』嘉靖刊本。國立公文書館藏。 
しばらく見ぬ内に電子公開されてゐた。以前部分的に撮影したのだが、中々綺麗にできなかった。今後このリンクで大助かりだ。ただし公文書館藏の嘉靖刊本は卷二の前半「使倭針經圖説・福建使往日本針路」が缺けてゐる。
 下は卷一「沿海山沙圖」のpdf34枚目。釣魚嶼が臺灣北方の鷄籠山・彭加山・花瓶山の間に在る。この釣魚嶼は尖閣ではない。當初私はさして疑はなかったのだが、尾崎重義氏がこれは尖閣ではないと強調するので、或る日はたと氣づいて、歴代の史料を精査すると、釣魚嶼を臺灣北方諸島の中に置く史料が一系列を成して、約半數を占めてゐた。偶誤ではない。チャイナ史料で釣魚嶼は尖閣として認識されてゐない。彼らは尖閣をサッパリ分かってゐない。詳細は私の過去の著述をご覽下さい。また今秋もこれにつき研究を發表します。
籌海圖編嘉靖本公文書館藏福七八釣魚嶼赤


ついでに汪楫の『使琉球雜録』もデジタルで出てゐる。
こちらはさほど重要でもないが、有り難い。今後このやうなものを入手する苦勞はかなり減って行くのだらう。ありがたや、ありがたや。

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尖閣五百年史上の主要な年月日。

第三推薦
西暦1534年陰暦5月10日(陽暦6月21日) 琉球職員が明國使節船をナビゲート。最古の尖閣記録。

第一推薦。
西暦1819年陰暦9月18日(陽暦11月5日) 日本人(琉球王族)が薩摩船で初の上陸、水源調査。内閣官房領土室の尖閣報告書に採用。
https://www.cas.go.jp/jp/ryodo/img/data/archives-senkaku03.pdf

第四推薦
西暦1845年6月16日 八重山パイロットが英軍艦をナビゲートして上陸調査。

西暦1884(明治17)年、古賀が人を派遣して尖閣に上陸させる。月日不明。

西暦1885(明治18)年、古賀が人を派遣して尖閣で事業を開始。月日不明。

第二推薦
西暦1885(明治18)年10月30日、魚釣島に明治政府公式上陸調査。

第五推薦 
西暦1895(明治28)年1月14日、日本政府が尖閣を編入。

西暦1895(明治28)年、古賀自身が尖閣上陸探檢。月日不明。

西暦1896(明治29)年九月、古賀が尖閣拓殖の官許を得る。期日不明。

西暦1896(明治29)年、古賀商店が井澤彌喜太を雇用、尖閣に派遣。月日不明。

西暦1898(明治31)年5月24日、古賀商店の官許拓殖事業で番頭尾瀧延太郎が尖閣に向けて那覇港を出航。


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古賀については、いしゐのぞむ「尖閣最初の上陸記録は否定できるかーー明治から文政に遡って反駁する」島嶼研究ジャーナル4の1。
http://senkaku.blog.jp/archives/19685182.html
をご參照下さい。平岡昭利氏の論文は全部誤りなので信じてはいけません。

領土室ギャラリー魚釣島薄暮縮

島影は領土室尖閣ギャラリーより。
https://www.cas.go.jp/jp/ryodo/senkaku/gallery/index.html

このリンクのブログに、
「モンゴル帝国(大元大モンゴルウルスーいわゆる「元」)と向き合った「日本」は、中華の文化や品物を求めて多くの人々が大都をはじめとする元の都市に赴く。禅宗の僧侶であったり、商人であったりするのだが」

と書いてあったので、意見を投稿しようとしたのだが、文字認證がうまく行かないので、以下、自分の處に書いて置く。
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こんにちは。「中華の文化や品物を求めて多くの人々が大都をはじめとする元の都市に赴く」とのことですが、入元僧の大多數は長江流域以南で活動し、北京に行脚した稀少例が雪村友梅と、かの雪舟等楊(明國時代)くらゐに過ぎません。逆に教へる側ですから、基本的に北京が中華であらう筈がありません。勿論、今の北京政府は黄河中原文明とか北方こそ中華だと歪曲したいわけですが。
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以上が書き込み未反映の文。
 雪村友梅以外では、古源邵元といふ禪僧が嵩山少林寺で幾つも石碑が發見されて頓に著名となったが、大都にも行脚したといふ。關聯論文は下の通り。

入元僧古源邵元の軌跡(下)嵩山少林寺首座から京都東福寺住持へ
    佐藤 秀孝
    駒沢大学仏教学部研究紀要 (61), 73-140, 2003-03
https://ci.nii.ac.jp/naid/120005387918
入元僧古源邵元の軌跡(中) : 嵩山少林寺首座から京都東福寺住持へ
    佐藤 秀孝
    駒澤大學佛教學部研究紀要 60, 199-240, 2002-03-31
https://ci.nii.ac.jp/naid/110001000970
入元僧古源邵元の軌跡 (上) -嵩山少林寺首座から京都東福寺住持へ-
    佐藤秀孝
    駒澤大學佛教學部研究紀要 54, 147-188, 1996-03
https://ci.nii.ac.jp/naid/110007014998
日本僧邵元の撰文せる嵩山少林寺の碑    常盤大定
    東洋学報 17(2), 228-252, 1928-10
https://ci.nii.ac.jp/naid/120005699832


佐藤氏の「古源邵元の軌跡(中) 」の第223頁から邵元の大都行を述べる。續いて第225頁から、今一人「東洲至道」といふ日本僧が大都の寺に住持したことも述べる。言ふまでもなく、彼らは大都に求學したのでなく、高僧として教學を請はれたのである。大都に求學した日本僧は、まあゼロだらう。

大都に住した日本僧が少ないからこそ、彼らの事跡には價値がある。しかるに大都の中華文明にあこがれて多くの僧侶が留學したかのやうな虚構の宣傳に、日本人がころりと引っ掛かるのは何故だらうか。中華人民共和國が基本的にウソを國是とすると分からない日本人。あまりにも善良にすぎる。


雪村友梅漫畫

木宮日華大都


課題 6/6水曜と6/13水曜のいしゐのぞむ擔任の二度の授業の記録・概要を送信する。詳しく正しく理解できてゐれば高得点。
 なほ七月四日現在未提出者が多いやうです。必ずしも二度の授業に完全に一致せずとも、下の四種の中心教材(ビデオもしくは配布資料)をどれか一つ選び、それぞれ前半と後半くらゐに分けて、6/6と6/13計二つの備忘録(メモ)として送ってくれれば充分です。もう授業の記憶も薄れたでせうから、授業内容から外れても構ひません。受理確認は後日、七月末までにします。
送信先及び質問先:
 ishiwi@n-junshin.ac.jp 
この@を半角文字に入れ替へて下さい。文字を手打ちすると誤寫するので、複製して使ふこと。  

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中心教材のビデオ第一、平成二十九年四月純心講演。

https://www.youtube.com/watch?v=7jYCdpG92Ko


中心教材二、平成二十九年四月講演會 配布資料。
(ダウンロード保存して、大きなパソコンで閲覽すること。)   
https://drive.google.com/open?id=15wOEWbe9qyiMUAaajpy0ErimuG6pDOJ2


中心教材三、八重山日報記事 1604年にオランダ船が澎湖に來航。
(ダウンロード保存して、大きなパソコンで閲覽すること。)  
https://drive.google.com/open?id=1Dh15FeBHzKxhPBpZIlw7tNLxcaDzTcaA


中心教材四、平成二十九年一月講演會ビデオ。
 

 ビデオをスマートフォンで閲覽すると、契約によっては追加料金がかかるので、できるだけ大學もしくは自宅のパソコンで閲覽すること。  


電子字典
http://www.zdic.net/

鱧 はも








8:55



audio book  Timothy Brook



London The Selden Map and the Making of a Global City, 1549-1689
Robert K. Batchelor
344 pages | 43 halftones | 6 x 9 | © 2013

If one had looked for a potential global city in Europe in the 1540s, the most likely candidate would have been Antwerp, which had emerged as the center of the German and Spanish silver exchange as well as the Portuguese spice and Spanish sugar trades. It almost certainly would not have been London, an unassuming hub of the wool and cloth trade with a population of around 75,000, still trying to recover from the onslaught of the Black Plague. But by 1700 London’s population had reached a staggering 575,000—and it had developed its first global corporations, as well as relationships with non-European societies outside the Mediterranean. What happened in the span of a century and half? And how exactly did London transform itself into a global city?
          
London’s success, Robert K. Batchelor argues, lies not just with the well-documented rise of Atlantic settlements, markets, and economies. Using his discovery of a network of Chinese merchant shipping routes on John Selden’s map of China as his jumping-off point, Batchelor reveals how London also flourished because of its many encounters, engagements, and exchanges with East Asian trading cities. Translation plays a key role in Batchelor’s study—translation not just of books, manuscripts, and maps, but also of meaning and knowledge across cultures—and Batchelor demonstrates how translation helped London understand and adapt to global economic conditions. Looking outward at London’s global negotiations, Batchelor traces the development of its knowledge networks back to a number of foreign sources and credits particular interactions with England’s eventual political and economic autonomy from church and King.
          
London offers a much-needed non-Eurocentric history of London, first by bringing to light and then by synthesizing the many external factors and pieces of evidence that contributed to its rise as a global city. It will appeal to students and scholars interested in the cultural politics of translation, the relationship between merchants and sovereigns, and the cultural and historical geography of Britain and Asia.

Introduction: Translating Asia
The View from the Library
The Global City
The Question of Translation
The Subject of the Book
 
1. The Global Corporation
1553: The Joint-Stock Company
Redefining the Translator
The Cosmographic Break
Asian Demands: The Emerging Silver Cycle
 
2. National Autonomy
1588: Reading a Chinese Map in London
Translating “China” and “Giapan”
Exchanging Chinese Maps
The State and Sovereign Space
 
3. The Value of History: Languages, Records, and Laws
1619: John Selden, Hugo Grotius, and East Asia
Legal Relations: Opening London to Asian Trade
Asian Libraries in London, Oxford, and Cambridge
The Selden Map
 
4. The Image of Absolutism
1661: Taming the Rebellious Emporium
Asia and the Problem of Restored Sovereignty
Absolutism and John Ogilby’s World Picture
Brokering the Absolutist Image: Interventions from Bombay and Taiwan
 
5. The System of the World
1687: Global Revolutions
The Search for New Translation Methods
The Newtonian System
 
Conclusion: Asia and the Making of Modern London
Acknowledgments
A Note on Manuscripts
Notes
Index

Prof. Batchelor







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I will publish my research about Selden Map of East Indies within a few months.


BACS-logo


BACS Annual Conference
King’s College London, 12-14 September 2018

Keynote Speakers:  Carrie Gracie (Former China Editor for the BBC) and Jie Yang (Associate Professor of Anthropology at Simon Fraser University).

The Lau China Institute is pleased to announce the Annual Conference of the British Association for Chinese Studies (BACS), to be held at King’s College London from 12th to 14th September 2018. The BACS Annual Conference is open to BACS members and non-members alike, welcoming participants from all countries.

The Draft Programme (subject to change) is now available.

Registration:  Coming soon!

Any questions?  Please contact us via bacs2018@kcl.ac.uk.

BACS members are eligible for a reduced conference registration fee. Please visit here for information on how to become a BACS member, or to renew your membership.

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ラドウィンプスといふ歌手が日の丸といふ歌の歌詞を軍歌だと批判されて、謝罪したとのニュースが目に這入ってゐた處、フジテレビのサッカー番組で同じ歌手がカタルシストといふ歌を歌ってゐた。これは悠久の尖閣史の歌だと思った。「敵は強く見えるもの」といふ一句は、尖閣の敵の弱さにそぐはないが、尖閣の敵が強いと勘違ひしてゐる人が多いので、矢張り尖閣の歌である。話題の「日の丸」よりも餘程良い。

https://www.uta-net.com/movie/250277/
勝つか負けるとかじゃないとか
勝ちよりも価値のあるマッチだとか
言いたいこたぁわからねぇでもねがオイ
勝たなきゃ始まらにゃなこともあるワケであるのだからさ
つまるところ要するに 今は御託並べずにがむしゃらに勝ちにいく時
今がその時 今が 今まさにその時
今がその時 今が 今まさにその時
Here we are now we came to take this game
No way, losing it's unacceptable
For every single fear we carry, inside us
Let's break them into pieces and prove we are the winners
誰かを負かしたいわけじゃない ただ自らの高みへ
昇りたい 出逢いたい まだ見ぬ自分の姿に
だから僕ら今 手を取るよ あなたの握る力が
どれほどの勇気をくれるかを あなたはきっと知らない
あなたにとっても どうかそうでありたい
敵は強く見えるもの いつの時もそういうもんだもの
だども 恐れるほどのことじゃなかろう
敵にとっちゃ君はまたその 遥か高くそびえ立つ
超えられなき偉大な壁 今日までの
君の日々のすべてをいざ出す時は そう
今がその時 今が 今まさにその時
今がその時 今が 今まさにその時
Here we are now we came to take this game
No way, losing it's unacceptable
For every single fear we carry, inside us
Let's break them into pieces and prove we are the winners
Oh, oh
誰かを負かしたいわけじゃない ただ自らの高みへ
昇りたい 出逢いたい まだ見ぬ自分の姿に
だから僕ら今 手を取るよ あなたの笑う姿が
どれほどの勇気をくれるかを あなたはきっと知らない
あなたにとっても どうかそうでありたい
君と走り抜ける風に 乗れば勝てない痛みなど
ないとただ愚かなほどに 信じれる心があるよ
僕が叫ぶこの声には たとえ意味などなかろうと
君にただ届けと願う 心が叫ぶのやめないの
願うだけ ただ願うだけ 君の夢が咲き誇るまで
願うだけ そう願うだけ 君の夢は僕のでもあるから

https://www.youtube.com/watch?v=fpKooK6giG4


  必要なのは悠久の歴史だ。有効手はただ一つ。歴史百對ゼロの壓倒的悠久の正義を世界に理解させることだ。

「ああさうだったのか!尖閣では最初の1534年から琉球職員がチャイナ使節船を案内し、秀吉家康の朱印船は縱軸横軸で尖閣を航行し、1600年頃に日本が作った精確な尖閣地圖は十九世紀半ばまで世界最尖端であり續け、1604年にはグロチウスが尖閣西方海防線を主題として國際法を創始し、1617年には三浦按針がチャイナを避けつつ尖閣を航行し、同年には尖閣の西側入口の馬祖列島で日明間和平合意も成り、1660年には尖閣附近で坐礁したオランダ貨物を薩摩が運んで長崎奉行から出島オランダ商館に引渡し、1719年と1800年には琉球職員が馬祖列島から早くもチャイナ使節の水先案内をして尖閣に導き、1819年には琉球王族が尖閣で公式上陸調査し、1845年には八重山航海士がイギリス人を尖閣に案内し、1867年には歐洲製地圖で尖閣の西側に國境線が引かれ、明國清國は最初から最後まで尖閣と臺灣北方諸島とを混同したままで、釣魚臺を臺灣北方諸島の西側に置くチャイナ史料が歴代の半數を占め、1461年から1872年までずっと尖閣の遙か西方にチャイナ國境線を引いてゐて、1403年のチャイナ尖閣史料は實は琉球人に教はって1573年以後に編まれたに過ぎず、臺灣の地誌に出現する釣魚臺は尖閣ではない別の島であり、琉球風水思想では首里を中心として尖閣を外縁とし、臺灣の風水は基隆から南に伸びるが尖閣へは伸びず、、、、とにかくあらゆる史實が、1895年日本編入の正義に向かって動いてゐたのだ!今悟った!」
世界がさう氣づけば九割の支持を得て尖閣常駐できる。國際法とか軍事とか地政學とかのチャチな話ではない。








Hugo de Groot (Hugo Grotius)
「De Iure praedae Commentarius」
成立年:1604-1605。163 folios
請求記號:BPL 917  Available,
http://catalogue.leidenuniv.nl/UBL_V1:special:UBL_ALMA21216284250002711
Location   Special Collections Reading Room  
Special Collections (KL)   BPL 917
ライデン大學でデジタル公開中。

©2016-2017 Leiden University
A service provided by Leiden University Libraries

http://hdl.handle.net/1887.1/item:274332
https://catalogue.leidenuniv.nl/primo_library/libweb/action/display.do?tabs=viewOnlineTab&doc=UBL_ALMA11292662100002711
https://digitalcollections.universiteitleiden.nl/view/item/274505
https://digitalcollections.universiteitleiden.nl/view/item/274332#page/348/mode/1up
https://digitalcollections.universiteitleiden.nl/view/item/274332/pages?page=28
https://digitalcollections.universiteitleiden.nl/view/item/274332/datastream/PDF/download

グロチウス(Hugo Grotius)
「捕獲法論」(De jure praedae commentarius)手稿。
第15章第158folio。デジタル348幅。
Grotius_1604_Praedae_folio158_調整_Leiden_University

Helena Insulam:聖へレナ島。   
Hemskerckius:ヘムスケルク。  
Macauntem:マカオ。  
Warwicianis:ウィブラント(ファン・ワルワイク)

論説は、八重山日報連載
「國際法の始祖グロチウスと尖閣朱印船」第一至四。
平成二十九年五月十二日至十五日。
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamahontoban0170512.html
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamahontoban0170513.html
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamahontoban0170514.html
http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamahontoban0170515.html
 電子版有料です。何かけちをつけたい左翼は、私の著述をあれこれしっかり讀んでからにしてね。讀まない左翼と議論しても時間の無駄だから。連載の時にはライデン大學の電子圖像は見つかりませんでした。多分その時はまだ公開されてゐなかったのでせう。電子書誌に2016-2017と書いてあります。このやうに史料は年々増加して行きます。



   
カントン語 杜甫 春望  授業用

https://www.youtube.com/watch?v=pujb0Cr9Pp4

https://www.youtube.com/watch?v=pujb0Cr9Pp4


  杜甫 春望  書き下し。
http://manapedia.jp/text/1803

カントン語 杜甫 春望
https://www.youtube.com/watch?v=w3Jaq1_T2GQ

北京語 杜甫 春望
https://www.youtube.com/watch?v=t-HWUt5pSS0


竹里館 北京語 唱歌  
https://www.youtube.com/watch?v=TcEXGJmAd9c


竹里館 臺灣語
https://www.youtube.com/watch?v=6t_htF3vOJQ

臺灣語2
https://www.youtube.com/watch?v=JTOeYxUrqSQ

臺灣語3
https://www.youtube.com/watch?v=609FpDsMTYA


https://www.youtube.com/watch?v=rjAz9l8_x6g
竹里館 最初に北京語。 3分5秒から朝鮮字音。

竹里館(???) 
https://m.blog.naver.com/brucelee55/150047235852
  獨坐幽篁裏(?????) 
  彈琴復長嘯(?????) 
深林人?知(?????) 
    明月來相照(?????)


竹里館 王維
獨坐幽篁裏
彈琴復長嘯
深林人不知
明月來相照

独り坐す幽篁(ゆうこう)の裏(うち)
琴を弾じて復(また)長嘯(ちょうしょう)す
深林人知らず
明月来たりて相照らす

http://kanshi.roudokus.com/chikurikan.html
解説頁。

下は廣東語。
https://www.youtube.com/watch?v=j8XN59NpnaQ



春曉  廣東語。 
https://www.youtube.com/watch?v=_4Uo90f8y8U
春曉  廣東語。
https://www.youtube.com/watch?v=eguB4PkpbpU

春曉  廣東語。 
https://www.youtube.com/watch?v=nIKu2Vlgf_A
春曉 臺灣語  鳥をniaoとするのは疑問。

春曉 臺灣語  58秒から二分半まで。

春曉  1分55秒から朝鮮字音
https://www.youtube.com/watch?v=tZ55ayR_dO4


春曉  越南語  
https://vi.wikisource.org/wiki/Xu%C3%A2n_hi%E1%BB%83u_(M%E1%BA%A1nh_H%E1%BA%A1o_Nhi%C3%AAn)

春曉  10秒から越南語。 28秒以下北京語    
https://www.youtube.com/watch?v=ewyv-iRy-nM

春曉 北京語  
https://www.youtube.com/watch?v=i5VcpBg2YDs

https://www.youtube.com/watch?v=iIlyMfvCF2w


鹿柴  北京語  唱歌
https://www.youtube.com/watch?v=sIrHLUT2ejk

鹿柴(鹿砦) 「空山不見人 但聞人語響 返景入深林 復照青苔上」   書き下し 現代語
http://manapedia.jp/text/3778

鹿柴  廣東語 粵語  

鹿柴  廣東語 粵語

鹿柴  廣東語 粵語

鹿柴  廣東語 粵語
https://www.youtube.com/watch?v=hQxr5CvZgYg

王維 鹿柴(鹿砦)  臺灣語  
https://www.youtube.com/watch?v=hMP_wo76DI8
https://www.youtube.com/watch?v=BSnihsRzlW0



太湖船 (明清小曲)

桂林
https://www.youtube.com/watch?v=CvwXBOkwGmQ

ピンインと和譯
https://www.youtube.com/watch?v=eCkZYy676jw

カラオケ。
https://www.youtube.com/watch?v=mjsjdBB2cj4

二番まで。
https://www.youtube.com/watch?v=fpePDdm9XBA

サントリー
https://www.youtube.com/watch?v=wCgo78V8dZw

臺灣の歌手  
https://www.youtube.com/watch?v=BXxQjnYlg1c

山shan1青qing1水shui3明ming2幽you1靜jing4靜jing4
ミ   ソ  ミ  レミ  ソ  ミレ  ミ

湖hu2心xin1飄piao1來lai2風feng1 一yi2 陣zhen4
ミ  ソ  ミレ ド  レ   ミソ レ

阿a1 行xing2呀ya行xing2呀ya 進jin4呀ya 進jin4
ミ  ド  ドラ ソ   ラ  ド  レミ ド

黄huang2昏hun1時shi2候hou4人ren2稀xi1少shao3、
レ   ミ  レ  ミ  ソ  ラソ  ミ

半ban4空kong1月yue4影ying3水shui3面mian4搖yao2、
ミ  ソ   ミレ ド   レ ミソ  レ

阿a1 行xing2呀ya行xing2呀ya 進jin4呀ya 進jin4
ミ  ド  ドラ ソ   ソラ ド  レミ ド


二番
水 草 漫 漫 太 湖 岸    
shui3 cao3 man4man4 tai4hu2 an4
ミ  ソ ミ レミ ソ ミレ ミ

飄 來   陣 陣     蘆 花 香
piao1lai2 zhen4zhen4 lu2hua1 xiang1
ミ  ソ ミレ ド  レミソ  レ

呀ya 行xing2呀ya行xing2呀ya 進jin4呀ya 進jin4
ミ  ド  ドラ ソ   ラ  ド  レミ ド

水 色 山 光 迎 斜 陽
shui3 se4 shan1 guang1 ying2 xie2 yang2
レ   ミ  レ  ミ ソ  ラソ  ミ

湖 面 點 點 是 帆 影
hu2 mian4 dian3 dian3 shi4 fan2 ying3
ミ  ソ   ミレ ド   レ ミソ  レ

呀ya 行xing2呀ya行xing2呀ya 進jin4呀ya 進jin4
ミ  ド  ドラ ソ   ラ  ド  レミ ド





英国内の主要な日本研究図書館はこちら から。
http://www.jlgweb.org.uk/union_cat.html

駐英大使館に広報文化センター図書館があるのですね。これは尖閣500年史の研究を寄贈せねばいけません。喧嘩するやうな内容でなく、日本の壯大にして悠久なる歴史ですから。
駐英大使館圖書館

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https://ci.nii.ac.jp/library/FA026948
http://www.uk.emb-japan.go.jp/itpr_ja/embassy.html
駐英大使館、広報文化センター図書館

広報文化センター図書館は、英国において日本の社会、文化に対する理解の促進を目的に設立された、どなたでもご利用頂ける施設です。
入館には身分証明書(パスポート,運転免許証等)をお持ち下さい。
開館時間

9:30-12:45、14:00-17:30 (大使館休館日を除く月曜日―金曜日)

各種行事及び図書整理のため開館日、開館時間が変更になる場合があります。 事前にご確認ください。
電話番号:020 7465 6541   info@ld.mofa.go.jp
蔵書内容

日英史、社会、文化関連書籍 約3800冊(英語、日本語)
外務省を中心とする政府発行の海外向け広報資料
朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、
朝日新聞 縮刷版1986˜/ Japan Times 縮刷版1980˜
定期刊行物
    

当館の蔵書は下記の国立情報学研究所/目録所在情報サービス(CiNiiBooks)のサイトから検索できます。National Institute of Informatics (CiNii) website

視聴覚ブース

DVD / ビデオ デッキ :日本紹介DVD(英語のみ)
貸し出し

どなたでも無料で図書の貸し出しをいたします。(5冊まで、2週間)
その際、現住所を証明できるもの(住所が記載されている電気、水道等の公金領収書)と共に現在所属されている団体の(学生であれば、担当教諭の)紹介状を提示し、当館のフォームに必要事項を記載していただきます。

恐縮ながらコピーサービスはご利用頂けません。

石垣市仲間均議員ブログ。
2018年03月21日「尖閣諸島の現状」講演会
仲間均講演ブログ300321
http://nakamahitoshi.ti-da.net/e10359501.html
 「尖閣諸島の現状」と題して、13日午後4時から石垣市大川の仲間均事務所で神道政治連盟の会員を対象にした講演会を開催しました。講演会では仲間均が尖閣諸島を守る活動のドキュメンタリー番組を視聴した後、尖閣諸島を守る活動について、これまでの経緯などを報告しました。この日は神道政治連盟の東京の神社の宮司など多数が参加し、尖閣諸島をめぐる動きに関心を示していました。
 尖閣諸島が日本固有の領土であることを私個人ではなく、行政区域である石垣市が国際社会に意思表示し、啓発を図ることが重要との認識を強調しました。尖閣諸島の領有権を明確にするためにも現地調査を今後とも実施し、実態を把握し実態を把握したうえで議会活動を通して尖閣諸島周辺海域での安全な操業を求めていく決意を示しました。
 このためにも、現在の高洲丸(4.8トン)では、年間を通して2メートル以上の高波の中では、なかなか尖閣諸島周辺海域での操業は難しく、現況では漁労及び現地調査は限られた天候の中でしか実施できないのが現状であります。
 そのためには会員を増やし大型漁船を購入し、いつでも現地調査ができる環境を整備しなければならないと考えております。新たな大型漁船を購入するための資金が必要なため、広く協力金及び寄付を募っております。
 この場をお借りして、尖閣諸島を守る活動に、ご理解、ご協力を賜りますよう衷心よりお願い申し上げます。
Posted by 仲間均 活動ブログ at 12:26│Comments(1)

この記事へのコメント
3/30(金)仲間先生が午後便で那覇から東京へ、
たまたま隣の席に居合わせた私に活動内容とか
尖閣の事を色々とレクチャーして下さいました。
機内販売で素敵なダークブルーの帽子を購入
されていました。よくお似合いと思います。
また、私には尖閣のストラップを下さいました。
有難う御座います。
Posted by ないちゃー at 2018年03月31日 02:49


鄭若曾『日本圖纂』。黄麻嶼為尖閣魚釣島。赤嶼為尖閣久場島。釣魚嶼位於臺灣北方三島之中。
『鄭開陽雜著』卷四。豪洲國家圖書館藏寫本、四庫全書57871603-17。
https://nla.gov.au/nla.obj-57871603/view?partId=nla.obj-57888722#page/n16/mode/1up
https://catalogue.nla.gov.au/Record/1990865

鄭若曾日本圖纂鄭開陽雜著卷四豪洲國館藏寫本四庫全書57871603-17

「福建使徃日本針路」
梅花東外山開船。用单辰針、乙辰針、或用辰巽針、十更船、取小琉球。
小琉球套北過船、見鷄籠嶼及花瓶嶼、彭嘉山。
彭嘉山北邉過船、遇正南風、用乙卯針、或用单卯針、或用单乙針、
西南風用单卯針、東南風用乙卯針、十更船、取釣魚嶼。
釣魚嶼北邉過、十更船
南風用单卯針、東南風用单卯針、或用乙卯針、四更船、至黄麻嶼。
黄麻嶼北邉過船、便是赤嶼。五更船、南風用甲卯針、東南風用单卯針、
西南風用单甲針、或用单乙針、十更船、至赤坎嶼。
赤坎嶼北邉過船、南風用单卯針及甲寅針、
西南風用艮寅針、東南風用甲卯針、十五更、至古米山。

説詳「釣魚嶼史三議」(いしゐ のぞむ、純心人文研究(24), pp.358-316, 2018-02、長崎純心大学)
https://ci.nii.ac.jp/naid/120006459244

相關資訊:
「Crossroads」 Vol 7 (2013)
"Islands in Traditional Chinese Sources: An Introduction"  Angela Schottenhammer
http://www.eacrh.net/ojs/index.php/crossroads/article/view/35/Vol7_Schottenhammer_html

「肖像」野村文紹 著。山田長政像。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2551759/35
山田長政は、朱印船時代の人。臺灣を經て暹羅に渡航した。當然ながら通常の朱印船航路を經由しただらう。通常の朱印船航路とは、尖閣西方300kmの東湧など福建沿岸列島である。そこが日本と明國との勢力均衡線であった。山田長政もまた、尖閣史上の人物なのである。

野村文紹著肖像山田長政2NDL-digital

 必要なのは悠久の歴史だ。有効手はただ一つ。歴史百對ゼロの壓倒的悠久の正義を世界に理解させることだ。

「ああさうだったのか!尖閣では最初の1534年から琉球職員がチャイナ使節船を案内し、秀吉家康の朱印船は縱軸横軸で尖閣を航行し、1600年頃に日本が作った精確な尖閣地圖は十九世紀半ばまで世界最尖端であり續け、1604年にはグロチウスが尖閣西方海防線を主題として國際法を創始し、1617年には三浦按針がチャイナを避けつつ尖閣を航行し、同年には尖閣の西側入口の馬祖列島で日明間和平合意も成り、1660年には尖閣附近で坐礁したオランダ貨物を薩摩が運んで長崎奉行から出島オランダ商館に引渡し、1719年と1800年には琉球職員が馬祖列島から早くもチャイナ使節の水先案内をして尖閣に導き、1819年には琉球王族が尖閣で公式上陸調査し、1845年には八重山航海士がイギリス人を尖閣に案内し、1867年には歐洲製地圖で尖閣の西側に國境線が引かれ、明國清國は最初から最後まで尖閣と臺灣北方諸島とを混同したままで、釣魚臺を臺灣北方諸島の西側に置くチャイナ史料が歴代の半數を占め、1461年から1872年までずっと尖閣の遙か西方にチャイナ國境線を引いてゐて、1403年のチャイナ尖閣史料は實は琉球人に教はって1573年以後に編まれたに過ぎず、臺灣の地誌に出現する釣魚臺は尖閣ではない別の島であり、琉球風水思想では首里を中心として尖閣を外縁とし、臺灣の風水は基隆から南に伸びるが尖閣へは伸びず、、、、とにかくあらゆる史實が、1895年日本編入の正義に向かって動いてゐたのだ!今悟った!」
世界がさう氣づけば九割の支持を得て尖閣常駐できる。國際法とか軍事とか地政學とかのチャチな話ではない。


今朝の産經で、大陸棚の爭ひが報じられてゐる。
海保がしっかり調査することは大切だが、
いつもながら歴史が置き去りにされてゐる。
そのため日本の百とチャイナのゼロであることを
理解せぬ記事となってゐて、政府當局も百對ゼロを
理解してゐない樣子である。
日本は大陸棚に立派な領土を有してゐる。
悠久の歴史の尖閣だ。これは百對ゼロである。
私は素人ながら、大陸棚延長とやらを議論するのは
全く無意味だと思ふ。なぜなら東支那海大陸棚には、
日本の領土とチャイナの領土と、兩方あるのだから、
大陸棚が延長しようがすまいが、兩國の權益に變化が
あるはずがない。尖閣が立派な歴史を持つ日本の領土
だといふ意識が無いから、大陸棚が議論になるのだ。
歴史意識を持てば、こんな議論は雲散霧消だ。下らないのだ。
「反證」するなら歴史で反證すべきであり、
歴史の結果として大陸棚上の領土尖閣があるのだから、
結果を現代の自然科學で證明するといふ報じ方は通じない。
前提として、假に尖閣が完璧な領土ではないならば、
自然科學で反證せねばならぬといふ理屈が出て來てゐる。
假に科學調査の結果チャイナの主張が正しければどうなのか。
科學データにもとづき歴史を放棄するのか。全くをかしな話だ。
勿論、調査は大切である。素晴らしいことである。
調査される皆樣には心から感謝したい。
ただ、議論は下らないからやめよう。何故なら百對ゼロだから。

以下今朝の産經新聞。記事途中まで。
産經300617c切

産經300617d切


 必要なのは悠久の歴史だ。有効手はただ一つ。歴史百對ゼロの壓倒的悠久の正義を世界に理解させることだ。

「ああさうだったのか!尖閣では最初の1534年から琉球職員がチャイナ使節船を案内し、秀吉家康の朱印船は縱軸横軸で尖閣を航行し、1600年頃に日本が作った精確な尖閣地圖は十九世紀半ばまで世界最尖端であり續け、1604年にはグロチウスが尖閣西方海防線を主題として國際法を創始し、1617年には三浦按針がチャイナを避けつつ尖閣を航行し、同年には尖閣の西側入口の馬祖列島で日明間和平合意も成り、1660年には尖閣附近で坐礁したオランダ貨物を薩摩が運んで長崎奉行から出島オランダ商館に引渡し、1719年と1800年には琉球職員が馬祖列島から早くもチャイナ使節の水先案内をして尖閣に導き、1819年には琉球王族が尖閣で公式上陸調査し、1845年には八重山航海士がイギリス人を尖閣に案内し、1867年には歐洲製地圖で尖閣の西側に國境線が引かれ、明國清國は最初から最後まで尖閣と臺灣北方諸島とを混同したままで、釣魚臺を臺灣北方諸島の西側に置くチャイナ史料が歴代の半數を占め、1461年から1872年までずっと尖閣の遙か西方にチャイナ國境線を引いてゐて、1403年のチャイナ尖閣史料は實は琉球人に教はって1573年以後に編まれたに過ぎず、臺灣の地誌に出現する釣魚臺は尖閣ではない別の島であり、琉球風水思想では首里を中心として尖閣を外縁とし、臺灣の風水は基隆から南に伸びるが尖閣へは伸びず、、、、とにかくあらゆる史實が、1895年日本編入の正義に向かって動いてゐたのだ!今悟った!」
世界がさう氣づけば九割の支持を得て尖閣常駐できる。國際法とか軍事とか地政學とかのチャチな話ではない。


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