- 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ 480 years history of Senkakus

senkaku480 石井望。長崎純心大學准教授。笹川平和財團海洋政策研究所島嶼資料センター島嶼資料調査委員。日本安全保障戰略研究所研究員。内閣官房領土室委託尖閣資料調査事業特別研究員。 御聯絡は長崎純心大學(FAX 095-849-1894) もしくはJ-globalの上部の「この研究者にコンタクトする」  http://jglobal.jst.go.jp/detail.php?JGLOBAL_ID=200901032759673007 からお願ひします。 

 尖閣の海鳥の卵について誤解を散布する人がゐるので、
今日だけ特別に八重山日報の談話連載(31年3月3日)を公開します。

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尖閣大航海時代(六十五)  石井望(談)  
  筑紫哲也の尖閣  台湾人が違法上陸  


 尖閣神社が遷座したわけは、国有化で国民が上陸できないからです。そこで過去の上陸の話をしましょう。昭和43年8月15日と9月22日、毎日新聞第2面で尖閣に台湾人が違法上陸していることが報じられました。ついで海底油田が報じられると注目が高まり、翌44年夏、朝日新聞社は現地取材して『沖縄の孤島』という書を刊行しました。この書の尖閣の章については平成23年3月22日、国会図書館「レファレンス協同データベース」にも取り上げられています。
 尖閣の章を執筆したのは名物記者筑紫哲也氏です。後の筑紫氏は何でも日本が悪いという報道姿勢ですが、この時はまだチャイナ側が尖閣史のウソを散布し始める前なので、筑紫氏もウソを書いていません。今回は筑紫氏の言葉をそのまま転載しましょう。章題を「尖閣諸島、荒された海鳥の楽園」として違法上陸を憂えています。まず前言です。
 「この数年、産卵期をねらってやってくる台湾漁夫たちの乱獲で海鳥たちの平和はおびやかされている。ヒナの肉やタマゴが中華料理や菓子の材料として売れるのだ。」
 そして取材班は北小島に上陸します。
 「…カゴにタマゴを入れて岩山から下りてきた台湾人の少年と会った。…四人の漁夫も人なつこく、罪悪感などまったくない。タマゴの話をすると、『知らない』といった身振りをした。」
 違法行為のとぼけぶりそのものです。さらに筑紫氏は述べます。
 「八重山群島内では尖閣に限らず、台湾漁夫による不法上陸、領海侵犯もこの二、三年ふえている。」「米側は有効な手をうたず、住民の抗議が出るとスクラップ作業の台湾人に出入域手続、通関なしの上陸といった特恵を与えたりする。」「この海鳥の楽園も、台湾人がタマゴを乱獲するのか、めっきり数が減った。」
 ウソ材料を持たぬ筑紫氏は愛国的だったのですね。奥書によれば取材後すぐ8月15日から朝日新聞夕刊第1面で14日間連載され、10月に上梓され、11月に出版となりました。全国に注目されていたのです。
連載65朝日沖繩の孤島
    ▲尖閣で卵を乱獲する台湾青年。朝日新聞社『沖縄の孤島』より。

 國會圖書館レファレンス協同データベース:
埼玉県立久喜図書館 (2110009)    管理番号(Control number)    埼熊-2010-103
事例作成日(Creation date)    2010/12/09    登録日時
(Registration date)    2011年03月22日 02時13分    更新日時
(Last update)    2011年06月06日 11時17分
回答(Answer)   
【尖閣諸島の写真が掲載されていた資料】
①『沖縄の孤島』(朝日新聞社 1969)
p136-144 「尖閣諸島」p136-137に北小島と魚釣島のカラー写真あり。

關聯:



 下の評論文の標題を見て、副大統領が變心したのかと思ったら……大袈裟だ。そもそもチャイナを分析したら駄目なのだ。 
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/60217
「米朝会談の陰でアメリカ「対中強硬論者の父」が突然の豹変のナゾ、日米専門家らも驚愕、その真意は?」
歳川隆雄  「インサイドライン」編集長
ペンス副大統領の「反中演説」立役者が突然…
世界の耳目が米朝首脳会談に集中したが、ワシントン市内で開かれたセミナーに注目した米メディアはほとんど皆無だった――。対中強硬演説に極めて大きな影響力を及ぼしたのが、ピルズベリーである。歴代政権の中国政策に大きな影響を与えてきた人物として知られる。そのピルズベリー氏が、何と「戦略的に空虚でほとんど無意味なレトリックで中国を刺激しかねないことに十分注意すべきであり、
<中国が>何を求めようとしているのか、よく考えるべきだ」と語ったのだ。おいおい待てよ、あなたが、ペンス副大統領に米国は「自由で開かれたインド太平洋戦略」に対し強くコミットすると言わせた張本人。

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 と、この評論家が驚いてゐる。何を驚くことがあらう。
 もともとチャイナは昭和24年建國以前から一貫してファシズムのまま現在に至ってゐる。
蒋介石すらファシストなのに、まして毛澤東らがファシストでないわけがない。
問題はそのチャイナを民主化できるとかほざいてゐた米人の甘さだ。
そのピルズベリーが急に反対チャイナに轉じたのは、
遲過ぎるし、「今更何を言ふか」としか私は思はなかった。
チャイナは民主化するだらうか、崩潰するだらうか、
などと分析すること自身が基本的に無駄である。
ヒットラーより遙かに多く虐殺した國が民主化するとか崩潰するとか
分析すべきでない。日米は、正義を以て惡を正す。その基本が搖らいではならない。
それ以上でも以下でもない。分析そのものをやめよ。
分析する人は、結果今度はピルズベリーといふ人物を分析する。切りが無い。
米が再度チャイナに甘い顔をする時が來ても、
日本はその顔色を見てはならない。「逢中必反」。
終始一貫、日本は正義を貫け。貫かずに昭和47年に臺灣を見捨て、
平成初期に天皇陛下にチャイナを訪問させた。
日米自身が搖らぐから世界の平和が損なはれてゐる。

ペンス演説

關聯リンク。 分析をやめよ。
http://senkaku.blog.jp/archives/37410777.html


Detail from Collingwood's 1866 Painting of Chi-hou (高雄旗后)
[From the collection of Paul Overmaat]
8th September 2016, "Yaeyama Nippo" newspaper.
I mentioned: "Collingwood recorded activities of Chinese egg-collectors in the three islands north of Taiwan"
(北方三島では鳥卵採集などチャイナ人の活動を最も早く記録してゐる。)
八重山20160908-66縮

refernce in my article:
Cuthbert Collingwood, "Rambles of a Naturalist on the Shores and Waters of the China Sea"
(博物家漫歩支那沿岸)コリンウッド氏著、
London, John Murray, 1868
https://books.google.co.jp/books?id=29w5AAAAcAAJ
 page 119, Craig Island:
"Seeing one or two human figures, we at first took them for shipwrecked mariners ; but we soon discovered that they did not seem anxious to be relieved from their position, and they ultimately proved to be two Chinese egg-collectors. In their huts were large numbers of eggs, but for what purpose they collected them, how they came upon the island, or how they were to get off (for they had no kind of boat) was a puzzle, and remained so, for our Chinese servants could hold no intelligible communication with them."

This is of course in the Craig Island, one of three islands north side of Taiwan, not in the Senkaku.
這當然不是釣魚臺群島,而是臺灣北方三島之一棉花嶼。
もちろん尖閣釣魚嶼ではなく、臺灣北方の棉花嶼=Craig島である。


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 琉球王が密使を清國に派遣して、清國から日本への派兵を懇願したといふ説、フェイクです。要注意。
 很多朋友講琉球王在明治初年琉球改制之時,曾派密使到北京,懇請清國興師問罪,亦即派兵攻打沖繩縣。此説是錯誤的,其實琉球王膽小,不敢叛國。
 所謂密使主要就是向德宏等人。先看年表:
1875年,日本政府命琉球王停貢清國。琉球王不同意。貢使毛精長等留清未歸。
1876年,琉球王尚泰派向德宏等入清接貢,擬向福建布政使呈交向泰王陳情咨文。
1877年,向德宏等人抵達福州,呈交尚泰王陳情咨文(西里p.74,77)。
1878年,向德宏等人在福州活動。
1879年,向德宏等人抵達北京,向李鴻章及總理衙門等陳情,懇請興師問罪(西里p.74,84)。
1880年以後,向德宏等人屢次懇請興師問罪。
 尚泰王咨文並不是密咨,只不過是不太張揚而已。過一段時間後,明治政府也得知此事。琉球派人接貢也是正常的,要接毛精長等人回琉球。至於向德宏稟請興師問罪,也並沒有琉球王直接授意或授全權的憑信。琉球王並未叛國。叛國還了得麼。那是不可能的事。興師問罪完全是向德宏的私意,不是琉球王密旨。
 琉球王雖派人與向德宏等人通音信,但都是授意陳情,要求清國援救,亦即向日本政府提出交渉而已。向德宏呈交李鴻章的稟稿中有「敝國王世子(尚泰子尚典)密函」字眼,轉述密函内容自然會誇張些,但也不過是陳訴東京現況而已,並無琉球王直接授意叛國。密函的密字,究竟有多少密,向德宏也會誇張些,其實琉球王的音信不一定是真正極秘密的。
 清國當然不可能派兵,那是因為明國清國從未派兵入琉,也從未統治過琉球。琉球從西元1609年以下一向在日本統治之下,甚至在更早時候就在日本實質控制下。李鴻章敢派兵麼。不可能。

引文出處:西里喜行「琉球救国請願書集成-1-」
        琉球大学教育学部紀要 第一部 (30), p69-126, 1987

尚徳宏
  ▲向德宏。wikipedia

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農林省農事試験場技師だった小林純は、1939年(昭和14)に農林省の南西諸島鉱物資料調査団の副団長を務めました。沖縄、宮古、八重山諸島、尖閣列島を調査する過程で撮影した写真は1,900枚余を数えます。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/event_information/past_exhibitions/927
http://www.archives.pref.okinawa.jp/wp-content/uploads/42.jpg
南西諸島鉱物資源調査写真36 B-14-10 尖閣諸島 北小島


http://kirokueiga-hozon.jp/bunkashisetsu/search/eigadata/kensaku/keywords:%E5%8D%97%E8%A5%BF%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E9%89%B1%E7%89%A9%E8%B3%87%E6%BA%90%E8%AA%BF%E6%9F%BB/
10800-00240 南西諸島鉱物資源調査映像03 8㎜フィルム  沖縄県公文書館  1938年10月   
10800-00239 南西諸島鉱物資源調査映像02 8㎜フィルム 沖縄県公文書館  1938年
10800-00238 南西諸島鉱物資源調査映像01 8㎜フィルム 沖縄県公文書館  1939年5月6日
10800-00241 南西諸島鉱物資源調査映像04 8㎜フィルム 沖縄県公文書館  1939年
https://shimamigui.ti-da.net/e2560518.html


 以下ツイッター映像をKreitmanといふ人が出したので、私はビデオの存在を知りました。感謝。
Film footage of a 1939 Japanese government expedition to the Senkaku (Ch: Diaoyu) Islands. The islands were annexed by Japan in 1894, primarily to exploit their bird populations. (From the 1870s-WW1 a global fashion for feathered hats had sent the price of plumage skyrocketing.) 
https://twitter.com/Paul_Kreitman/status/1098980441258946561
 I forgot to mention that this footage is from Kobayashi Jun, Nansei Shoto kobutsu shigen eizo (1939), and is provided courtesy of Okinawa TV @otvyutan. You can view the original in the Okinawa Prefectural Archives in Naha.. 
https://twitter.com/Paul_Kreitman/status/1098994409704697859
http://www.paulkreitman.net/
http://www.paulkreitman.net/wp-content/uploads/2017/11/Troubled-Islands-of-the-Indo-Pacific-syllabus-2-March-2017.pdf
http://www.paulkreitman.net/wp-content/uploads/2017/11/IMG_3829-man-swinging-to-hit-birds-cropped.jpeg


tuzzi  日本政府1939年前往尖閣列島(台灣稱釣魚台)探勘的影像紀錄。目的是調查島上的鳥類,以作為經濟利用(鳥羽作為帽飾在當時有很好的價格)。影片現存沖繩電視台。 //好壯觀的鳥況

https://twitter.com/tuzzi/status/1099497777879343104


1939_尖閣調査_沖繩縣公文書館藏


なほ、Kreitman氏のホームページの切手は、

http://www.paulkreitman.net/wp-content/uploads/2017/11/ryukyu-seabirds-stamp.png

 平成二十九年度内閣官房領土室報告書でも十番資料として採用された。

https://www.cas.go.jp/jp/ryodo/img/data/archives-senkaku04.pdf

ryukyu-senkaku-Kreitman_stamp


http://www.city.ishigaki.okinawa.jp/100000/100500/senkaku/detail.php?id=20112
海南時報19390626_page3

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1939/06/26 海南時報 第3面
尖閣列島概説【一】
海南時報 昭和十四年六月二十六日
  石垣島測候所 正木 任
緒言
 島の昆蟲相は概して貧弱である 尖閣列島は昆蟲地理學上から重要な役割の位置にあり 限りなく興味深い島であるが 同列島に關しては從來詳細にその生物狀態を傳ふるものが少なく 特に地質等に關しては不明な點が多い 
 こんな意味もあつて尖閣列島の生物調査を數年前から望んで居つた所 今度農林省農事試驗場の燐鑛調査隊と同行しその一部を充分とは言へぬけれども この旅行の一般的感想を記すことにする 今回の旅行は農林省農事試驗場の小林 高橋兩技手外■場員四名と古賀商店多田氏外人夫六人に小生十四名と言ふ大勢でした 終始行動を共に色々な困難を共にして採集の御助力下されし同行の御一同の御厚志を忝ふし 小林純氏 高橋尚之氏 多田武一氏の三氏に特に厚く感謝 意を捧げる次第である
 位置、行程
 尖閣列島は琉球弧南西を占める先島群島の一部で北半は宮古列島南半は八重山列島の内側に對して形成して居る
 行政上は 八重山郡石垣町字登野城に相當するものである 稍楕圓形の魚釣島と長方形の北小島南小島と圓形の黄尾島の四小島点在して居る外に 大正島は東方約百粁の地点にあり 細長い岩嶼の島と五小島であるが 魚釣島近くに沖北の岩 沖南の岩がある
 魚釣島は同列島の西端で東經百二十三度二十八分 一番大きい島であり一番高い島である(黒島と同じ大きさの島) 標高三六二米で第三紀層と古生層の上に見事な原生密林で被はれてゐる
 南小島 北小島は第三紀層で 少し草が生へて居る位で木は全くない南小島は同列島の南端で北緯廿五度四十三分に位す 黄尾島は海底の噴火して出來た島で全島鎔岩で出來た島である 同列島の北端で廿五度五十六分である
大正島は第三紀層で全部岩嶼で 岩の破れ目に草が少しある 同列嶋の東端で百二十四度三十四分に位す
 扨 私等は水産學校の練習船帆船海邦丸四十三トン(八四馬力)に便乘し五月廿二日午后七時二十五分石垣港を出發し 廿四日午後五時廿五分魚釣嶋南側に投錨した
 風雨強く(十五米位吹走す)驟雨性が激しく去來し視界が惡い■■上陸出來ず廿五日午前九時三十分魚釣嶋に上陸した
 波浪高き爲め危険の上リクであつた 廿七日八時五十四分同嶋出發 北小嶋行き十一時三十二分上リク天候惡く調査不充分であつたけれども 午後三時五十分乘船 北小嶋沖にて碇泊し廿八日午前七時三十五分 南小嶋に上陸 同九時同嶋引上げ再び北小島に上リク 十一時十八分船に歸る 同時船は黄尾嶋に向け出發午後三時三十五分黄尾嶋に上リク 六月三日まで同嶋に滯在し 六月三日 午前十時〇五分出發 大正嶋に行き午後五時十分 大正嶋に上陸 午後六時四十五分乘船と同時に出發 南南西にコースをとり鳩間に向けて船を走らせ翌四日十一時鳩間に上リク 約三時間滯在の後同嶋出發し午後七時無事石垣港に戻つた 
其の間 各シマ々乘船上リクには少なかざらる危險をおかした 以下尖閣列トウの五シマに就いて 大略の感想を申し述べたい
     (続く)



尖閣開拓の初期、古賀氏が夜光貝を採取して財を成したことは良く知られるが、さらに良い話が江崎孝・山本皓一兩氏の文章に。

狼魔人日記 平成二十二年十二月十日。
尖閣諸島が、日本の国宝である奥州平泉の中尊寺と関わりがあるとか、日本の真珠王・三木本幸吉と縁が深い,さらには「卓球」という言葉は尖閣の2代目当主に端を発し、それが全国に流布した。

古賀辰四郎は尖閣に渡る前、石垣島の川平湾で日本の真珠王・三木本幸吉と共同出資で真珠の養殖を手がけ、貝殻細工の原料の夜光貝の輸出にも手がけ財をなした。 

昭和37年から始まる中尊寺の「昭和の大改修」では、貝殻細工の螺鈿の調達の話が京都大学を通じて古賀商店に舞い込んで来た。 当時沖縄の古賀商店は貝殻細工工芸・螺鈿では全国にその名を知られていたことがわかる。

二代目当主善次はテニスや卓球を沖縄に紹介したスポーツマンで、今でもテニスや野球に「古賀杯争奪戦」としてその名を残している。 ちなみにその頃2代目当主の善次は既に古賀商店の実務から遠のいており、商人というより沖縄の文化人としてベルリンオリンピックの見学に行き、その時沖縄紙の特派員を頼まれ、ベルリン報告記事を送信している。 

その時、当時「ピンポン」の名称に初めて「卓球」と」命名したのが善次だといわれている。 新聞の版組みにピンポンの活字が入らず困っていたところ善次の「卓球でよいだろう」との機転で以後、「卓球」という言葉がピンポンに代わって全国的に広まったという。 つまり「卓球」という言葉の始まりは沖縄の新聞、ひいては尖閣諸島の2代目の持ち主・古賀善次ということになる。

さて初代当主の古賀辰四郎が冒険心に溢れた野人の趣があるのに対し、二代目善次はお公家様の風貌を持つ文化人であり、中尊寺の大改修の話が舞い込んできた頃は、その事業のほとんどを番頭をしていた日高栄次郎の南海商会に引き継がしていた。名刺に肩書きの欲しかった善次は、南海商会の取締役の肩書きを使用していた。

さて、中尊寺の大改修の件だが古賀商店の仕事を引き継いでいた日高栄次郎が夜光貝の納入に奔走し、「大改修」を成功裡に終えることができた。 

石垣島の川平湾では今でも古賀辰四郎と三木本幸吉が手がけた真珠養殖が石垣名産の黒真珠となって輝いているし、奥州中尊寺には尖閣諸島の開拓者辰四郎の壮大な冒険心の結晶が中尊寺の螺鈿細工に化身して、今でも燦然と光り輝いていることになる。

チャンネル櫻沖繩支局、平成三十一年二月二十日、34:10より。

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尖閣を開拓した古賀辰四郎 (総力大特集 尖閣と領土を守れ!)
        山本 皓一        Will : マンスリーウイル (90), 264-271, 2012-06
 古賀家の事業は、昭和六年に魚釣島の払い下げが認められ、第二次世界大戦勃発後も続きましたが、昭和十九年頃になると、連合軍に制空権や制海権を奪われ、いよいよ油や食料など生活必需品などの輸送も困難となりました。涙を飲んで沖縄へ一時疎開をします。
 敗戦後、魚釣島は沖縄とともにアメリカの占領下におかれることとなりました。そして一九七二年に沖縄とともに返還され、その後は埼玉の資産家が古賀家より尖閣の島々を譲り受け、現在では日本政府が年間三~四千万円の借地料を払って、海上保安庁が管理する島となったのです。
 古賀家は善次に跡取りがなく、その後没落。辰四郎と共同出資で真珠養殖事業を行った大阪の御木本幸吉は、世界の真珠王「ミキモト」で名を馳せます。

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琉球眞珠社 石垣島の真珠養殖(戦前)
 1914年(大正3年)5月、御木本幸吉氏が石垣島登野城に事務所を開設し、名蔵湾観音崎と登野城美崎浜でクロチョウガイを使った真珠養殖に着手します。この事業には、石垣島で海産物商を営み、また尖閣諸島の開拓者として知られる古賀辰四郎氏が共同出資します。御木本氏は、かつて古賀氏から琉球泡盛を仕入れるなど、古賀氏とは旧知の仲にありました。当時、石垣島の古賀商店では、貝殻が貝ボタンの原料として需要があったヤコウガイやタカセガイとともに、クロチョウガイの買い入れも行っていました。
 名蔵湾の御木本真珠養殖場では、沖に向かって石積みの堤防を築き、その堤防内の海底で真珠母貝を養殖しました。そこで潜水作業をしていたのは三重県から来た海女たちで、石垣島の人々はその姿を物珍しそうに眺めたそうです。名蔵湾の養殖場は相次ぐ台風被害のため、崎枝屋良部崎へ移動することになります。古賀氏はこのころ共同経営から手を引きます。

ミキモト眞珠



 中國以體檢之名採集維族DNA,美國捲入其中
 當局稱之為免費體檢。Tahir Imin對此表示懷疑。他們抽走了這名38歲的維族人的血、掃描了他的臉、錄下了他的聲音、提取了他的指紋,卻沒有費心去檢查他的心臟或者腎,反而斷然拒絕了他查看結果的要求。
 中國正在全國範圍內建立一個廣泛的DNA樣本數據庫,維吾爾人是重中之重。批評人士稱,這些DNA數據將被當局用來追蹤和定位那些不願服從於共產黨的人。
 根據官方統計,新疆至少有近3600萬人參加了「全民體檢」活動。在所謂的「職業培訓中心」裡,這樣的行動也開始了。一名接受了「體檢」的維族人對此感到不安。他說,沒有人會同意提供自己的血樣進行研究,除非面臨高壓。
 → 美國的角色:提供商業技術和公共DNA數據庫。時報發現,美國公司賽默飛世爾(Thermo Fisher)曾直接向新疆當局出售設備;中國公安部則與耶魯大學著名遺傳學家肯尼斯·基德(Kenneth Kidd)合作,利用全球共享數據,與維族樣本進行比對,實現種族分類。

https://www.nytimes.com/2019/02/21/briefing/bangladesh-xinjiang-venezuela.html
China uses DNA to track Uighurs, aided by U.S. expertise
  The country is collecting genetic material as part of its vast campaign of oppression of Muslim minority groups. Critics say the DNA could be used to track and chase down whoever resists conforming.
  To help it build out the DNA database, China used equipment from a U.S. company, Thermo Fisher, and also got material from a prominent Yale geneticist to compare Uighur DNA with genetic material from people around the world.
  How it works: Under the guise of free medical checkups in the western region of Xinjiang, where much of the population is Uighur, the government collected DNA samples, images of irises and other personal data of tens of millions of people.
  In some cases, people were told the checkups were mandatory.
  Background: In 2016, the government embarked on a campaign to shift the Muslim orientation of Uighurs and other minority groups into support for the Communist Party, detaining up to a million people in what it calls “re-education” camps — efforts that have been widely condemned around the world.

.NY時報維吾爾

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 韓國の議長が「天皇は戰犯の息子だ、謝罪せよ」と發言したので、輿論が憤激してゐる。しかし、ちょっと待って欲しい。天皇に謝罪を要求したり戰犯だと主張するのはチャイナが昔からずっとやってゐることではないか。近年では平成十七年八月二十六日に新華社が天皇謝罪を要求して、日本政府が抗議した。
https://www.huffingtonpost.jp/2015/08/28/emperors-apology_n_8052580.html
 こんな國だといふことは、チャイナ建國以前から分かってゐたことであり、こんな國と平和條約を締結するために、日本は臺灣を捨てたのである。日本自身がなした惡果ではないか。チャイナのファシズムも去年あたりから急にCNNやBBCやNYタイムズが報じるやうになって注目されてゐるが、もともと建國以來ファシズムの國である。今更何を騷ぐ日本。チャイナに怒らず韓國に怒る日本人。醜惡だ。日本はこんなことで逐一抗議する前に、しておくべきことがある。

1、尖閣に常駐する。尖閣海域防衞は完璧であるから、いつでも常駐できる。
2、對馬に大規模基地を構築し、ミサイルで先制防衞する(西村幸祐氏主張)。
3、北海道、對馬、離島を始めとする土地につき、外國人購入を禁止する。
4、琉球が日清兩屬でなかった史實を教科書で明らかに記述する。
5、近代以前の悠久の尖閣史を全國民が理解し、諸外國にも理解させる。
6、臺灣を國家として承認し、國交を樹立する。
7、ロシアが國際法違反を謝罪賠償するまで和平交渉を停止する。
8、ファシズムのチャイナと斷交に向けて準備する。
9、自衞隊法ネガティブリスト。憲法を改正せずにできる。
10、その他色々。

以上の最少限度の措置は基本的枠組であり、情勢をにらんで右往左往することではない。これらを早急に實施すれば、どこかの國が何を騷がうが慌てない。ロシアと仲良くした方が得だとか、どこどこの國と手を結ばうとか、そんな戰略家は全員失業だ。レーダーを照射されれば即時實力防衞しても良いし、天皇を罵倒されたら制裁でも何でも思ふ通りにやれば良い。さういったことは、やってもやらなくても枝葉末節に過ぎない。馬鹿げてゐる。やるべき基本をやらずに、制裁だ抗議だとわあわあと騷ぐ愚かさよ。
 揚句の果てに、「こんな韓國にも保守派は存在するので、我々は我慢しよう」とか言ひ出す自稱保守派もゐる。戰略的に北朝鮮ロシアに對する壁として韓國が必要なのださうだ。壁が必要ならば、まづ對馬の國境を固めるのが基本ではないか。基本を忘れてその外側の戰略を練るのは、基本のなってない自分を欺く心理に過ぎない。我慢してもしなくても良いが、兎に角韓國にばかり關心を持ち過ぎてゐる。忘韓が正しいと私は考へる。私だけでなく忘韓せよといふ人は多いが、彼らはちっとも忘韓しないではないか。韓國の露出度を高めると、ますます韓國が興奮して喜ぶだけだ。さっさと忘れて、尖閣沖繩臺灣の露出度を高めるべきだ。

文喜相